第245話 折り重なるは、苦悩と生地と
食べにくいどころか食べられないものが増える。
食事以外でも影響が出て、入浴ですら一人になるのを恐れはじめた。
常に話し掛けられていないと、余計なことを考えるのだという。
睡眠も、ベッドに入ってから入眠までに間があると寝られなくなってしまう。
よって、気絶するように即寝付くため、政務に運動、勉学など。
日中、異常に疲労を稼ぐ心理が見られた。
そしてそれは、なんなら一番の薬になるとすら思われていた、
元帥タチアナ・カーチス・セナの訃報で致命的なものになった。
9月17日15時半頃。
『
「そうか、そうか……
そんな……」
ノーマンは玉座で、静かに涙を流したと伝わる。
彼自身、思い入れのある人物だったのだろう。
ショーンの反乱など、ついこのまえのこと。命の危機にあった、反乱者の汚名すらあった自分たちを迷わず助けてくれた一人である。
それ以外にも、以前から公務の一環として軍高官たちと顔を合わせる式典が多々あった。
そこで普段からケイの後ろが定位置のノーマンが震えるのは、想像にかたくない。
そんななか、若く顔立ちも
これに関しては、クロエも同感であった。
助けてもらった恩、信じてくれた恩は一生忘れない。
また、彼女も時の宰相の娘として、軍関係者も列席するパーティーにも出た。
そこで男性の軍人などは、今や女性軍人もめずらしくないにも関わらず、
『男が戦場で命を張って国を守っているのだ。だから女は男のためにあるべきである』
と、下心を隠さない下卑た視線や態度を向けてくることも多かった。
そこにマントを翻す半笑いの表情があるだけで、どれだけ女性の尊厳が守られたか。
ゆえにクロエも訃報に際して、なんならノーマンより大いに嘆き悲しんだ。
その泣き喚くさまは、当時宮殿に出入りしていた多くの者が書き残しているほどである。
それでも、それだけであれば。
深い悲しみに包まれ、死を悼む以上のことはなかっただろう。
しかし、彼は今や皇帝である。
日毎に減っていく皇国の力。そこに欠かすべからざる人材を失ったのだ。
自らが背負わなければならない行く先への悲観に、完全にメンタルのバランスを失った。
結果、飲み込むのに力がいるものも、味が重たいものも食べられない。
夜も意識がなくなるまでクロエが話し続けてやらないと寝られない。
そんな悲しき15歳の少年が生まれてしまった。
クロエが昨晩もあったことを思い出していると、
「ではシリアル系や粥の
「朝食はそれでよいが、毎食となりますと栄養バランスがですなぁ」
「グゥム……」
料理長が眉間を抑える。
レシピを考える苦悩もあろうし、何より皇国一の料理人。
食事を残される日々とあっては、プライドが傷付くだろう。
クロエは少しでも元気付けたくて、そのままクロワッサンを口へ運ぶ。
層一枚ごとの歯応えを心地よく与えてくれる生地。皇帝を気遣って薄味ながら、決して物足りなくはないバターと小麦の風味。
「こんなにおいしいのに……」
「皇后陛下……」
その苦労と、少しは報われる気持ちが入り混じったような表情に、
『主人公』はまた、新たなる力を宿す。
「料理長。このクロワッサン、包んでいただけませんか?」
「やはり昨今の損耗率を補うには、軍需工場の拡大を」
「しかし土地はどうする。下手に穀倉地を潰しては、自給率の低い星にまで食料がまわらんぞ」
「そもそもそのような、旨味のない星まで領土拡大しているのがだな」
「それよりもマグナ・マテルでのレアメタル採掘量だ! 工場だけあっても資材がなければだな!」
『黄金牡羊座宮殿』円卓の間。
『上下をつけない』ことを示すこの座で行われるのは、皇国政治界の重鎮たちが集まる
元老院会議である。
一周ぐるりと回って、いるのは老人老人老人。
よって厳粛な雰囲気をイメージされそうなものだが、現実は前述のとおり。
政界といえど、部門も違えばライバルもいる。
葉巻片手にポジショントーク、
そもそも若い皇国の未来を締め出した老人会の時点で、さもありなんとは言えるだろう。
それを、少し離れた位置で壇上に設えられた玉座より
唯一の
しかしこれでも、話が内戦から逸れているだけマシだったりする。
どうせ彼が口を挟めることもない。何か言っても無視されるのみ。
よってノーマンはぼんやりと、どうでもいいことに思考を巡らせる。
やはり朝食を、否、ここのところ毎食まともに摂っていないのだ。
空腹でないと言えば嘘になる。
しかし、そこにまったく食欲が伴わないのだ。
不思議なことだ、と、彼は他人事かのように思う。
と、そこに、
「皇后陛下! お控えください!」
「止めないで! 邪魔しません! とは言えないけど! 大事なことなんです!」
「何事だ!」
両開きのドアが開きかけたり閉じたり。
誰かが乱入しようとしている。
また少し開いたタイミングで、衛兵が一人滑り込んでくる。
「ははっ! その、皇后陛下が『陛下に用があるので入室を許可せよ』と」
「皇后が?」
シルビア追討が決まって以来、また政治には口を出さなくなったクロエである。
焦るノーマンだが、元老院たちは
「困ったお人ですなぁ」
「お転婆も愛嬌ですかな?」
「陛下。会議も平行線だったところです。いかがでしょう? ここで涼風一つ、招き入れるのも」
意外と好意的な反応である。
彼女の誰からも愛される人柄の賜物だろう。
「う、うむ。卿らがそう言うなら」
皇帝がぎこちなくも目配せし、衛兵も頷くと、
「陛下! クロワッサンをお持ちしました!」
「クロワッサン!?」
ドアを突き破らんばかりの勢いで、本当にクロエが現れた。
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