第235話 それぞれの苦悩と答え
カークランドの危惧どおり。
シルビアはエポナ艦隊を前にフリーズしてしまった。
なんならバーンズワースに彼女ほど思い入れのない彼でも、
あの傷の数々。
この短いあいだに、二度の凄絶な戦場を潜り抜けた勇士の姿。
それが力尽きる寸前の、
軍人として、もの思わずにはいられない。
だからこそ、シルビアには
が、ここは戦場。カーチャが『悲しいけど』と断じた言葉を彼が知る由はないが、
「閣下」
いつまでも個人の感傷を待ってはいられない。
指揮官であればキャパオーバーという言い訳は通じない。
それは彼女も分かっているのだろう。
「ちょっと待って」
副官の急かす声を、明確に遮った。
聞きたくないというような逃避ではない。
事態が重大なだけに、正しい判断を吟味する時間をくれ、という意味で。
実際シルビアの中では、さまざまな思考が渦巻いている。
軍事、政治、もちろん一個人の気持ちとしても。
正直、今の彼女はバーンズワースに対して、愛憎入り混じっている。
この世界に来てたくさんの人々と触れるまえから好きだった相手。深さと長さの両方で愛着のある相手。
その隣に立つことを、強い目標にしていた相手。
それだけでなく、この世界に来てすぐの頃、本当にお世話になった。
腫れ物で命も狙われている悪役令嬢を、手を尽くして守ってくれた。
政治的に危ない相手が黒幕だったとしても。
だからリータと運命を重ねた今でも、アンヌ=マリーを愛そうとも。
変わらぬ深い思慕がそこにある。
一方で。
バーンズワースは今回の内戦、自分を選んではくれなかった。
生まれるショック、捨てられたように感じて裏返る思いの丈、少女のような嫉妬心。
それでも、その程度で済めばまだよかっただろう。
が、現実は、運命はもっと残酷。
彼は戦いのなかで、シルビアの代えがたい大切な人を奪った。
彼とは真逆、最後までシルビアを大切に思い、守ろうとしてくれた人を。
この憎しみもまた、際限なく深い。
答えが出ず、ねじれ狂う心理。
艦長席のデスクへ両手をつき、項垂れるようにして考え込む彼女へ、
「閣下、敵艦隊はすぐそこです。ご命令を」
時間が必要とはいえ、さすがにいつまでも待ってはくれない。
答えが出ないなら強制すると、あるいは救いのようにカークランドの声がする。
「決着をつけるにしろ、見逃すにしろ。この間合いで静止することに利はありません」
何せこの段階でシルビアの個人的な気持ちを配慮しているのだ。
悪意であろうはずがない。
だから彼女も、彼を、部下を、皇国を、第一に考えた決断をしなければならない。
「見逃す、というのは……あり得ないわ」
「御意」
絞り出すような声に副官も頷く。
多くの皇国軍兵士の血を吸った戦いである。
今さら日和ったどっちつかずは許されない。
震える拳をギュッと握ったシルビアは、
「ユースティティア及びカメーネ・モネータ全艦隊、砲撃準備。総攻撃……
のまえに」
一度ゆっくり、力を解き放つ。
「エポナ艦隊旗艦、『
「はっ!」
「ここまでボロボロなら、倒してしまうのは簡単でしょうけど。我々はこの先、新政権を担うことも考えなければならない。ここは度量を見せ付けるべきだわ」
「御意」
指示に「はっ!」と返事をしたのだ。今さらカークランドに意味を説明する必要はない。
だが彼は止めず聞き役になる。
これは指揮官としてではなく、彼女自身が納得するのに必要なことなのだ。
「それに、ホノースに結集している敵艦隊を考えたら。バーンズワース閣下がいることで折衝が楽になる。何より、セナ閣下を
彼はその言葉に納得、というよりは気持ちを肯定するよう深く頷くと、
「通信手! 『
力強く指示を通した。
「当艦に通信要請!」
「なんだと」
「シグナルは『
『
戦場でも別にあり得ないことではないが、艦長席のイルミは少し意外に思った。
いかにシルビアがバーンズワースを慕っているとはいえ。
カーチャを討った今、少しの対話の余地もないのではと予想していたからである。
「いいだろう。繋げ」
しかし現実として今、向こうから連絡が来ている。
無視するわけにもいかないので、彼女は通話に応じる。
すると、
『こちらはユースティティア艦隊司令官、シルビア・マチルダ・バーナードです』
「驚いたな」
余地どころか、通信手ではなく本人が直接対話の席に着いている。
これもあり得ないことではない。
バーンズワースが元帥ゆえに、礼を尽くす意味でなされることもある。
が、めずらしいには変わりない。
「閣下」
「あ、あぁ」
思わず面食らっていたイルミだが。
礼というなら、こちらも黙りこくっていてはいけない。
声を掛けられ、慌てて応えようとしたところで、
「こちらは追討艦隊司令官、ジュリアス・バーンズワースである」
「ジュ、閣下!?」
急に彼女の背後から聞こえた声。
振り返るとそこには、名乗ったとおりの人物が立っている。
「おっ、おまっ、や、閣下! 寝てらっしゃらないといけないでは」
「しーっ」
「あっ」
慌てていろいろ口走りそうになった彼女だが、静かに制され我に返る。
指揮官になんらかアクシデントがあるとバレてはマズい。
今回も寝巻きの上からマントを羽織っているバーンズワースだが。
たとえ敵には見えずとも、所作は凛として。
傷より大きいものを背負って、艦長席へ腰を下ろす。
「さて、連絡ありがとうバーナード元帥。なんの用かな?」
彼の言葉に、スピーカーの向こうで息を飲む気配が伝わってきた。
復讐心に取り憑かれたコズロフでもないかぎり、戦闘直前での連絡の意味など一択。
だというのにとぼけて見せる姿に、何かを察したのだろう。
数秒、沈黙の間合いがあったあと。
今度は意を決したように息を吸う音がした。
続く言葉は、相手も凛としている。
『単刀直入に申し上げます。投降なさい。現状、あなた方に勝ち目はありません。抵抗は犬死にです』
今度はクルーたちが息を飲む気配で艦橋が満ちる。
改めて言われると、イルミとて喉がヒクついた。
彼女は隣を振り返る。バーンズワースの方を見る。
困ってすがったわけではない。彼がなんと答えるのか注目したわけでもない。
むしろその逆、確信めいたものがあるからこそ、視線を向けたのだ。
そこには、彼女の予想どおりか。
すでに言葉を発しようと口を開く横顔があった。
その表情に迷いはなく。それを補強するよう、すっと出てきた返事は
「拒否する」
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