第225話 捨てる神あれば拾う神あれば捨てる
「僕はカーチャが槍でも投げてきたんじゃないかと思うよ」
バーンズワースは左脇腹の、ガーゼと包帯で盛り上がった部分を撫でる。
「そんなことを言っている場合か」
「お堅いこと言ったって治るわけじゃないし」
「それはそうだが、あんまり触るな」
「腸と腎臓がガッツリいかれてるとか、実感ないなぁ」
「あるレベルならこの世にいないぞ」
「じゃあ結局実感するこたないな」
今でこそ緊急の手術で命を繋いでいるが。
致命傷レベルの一撃であり、いち早く基地へ戻って万全の手術をしなければならない。
カーチャは接近戦を狙ったゆえに命を落とした。
が、結果として撤退を
やはりベターな戦術だったのかもしれない。
だが、ベターな戦術をとれたなら必ず結果がついてくるわけではない。
今回敵元帥を負傷させたのも、行動や作戦から順当に弾き出されたものではない。
バーンズワースもそれは分かっているのだろう。
包帯をなぞる手が止まる。
「まぁ、なんだ。今は痛みより、彼女の執念を感じるんだよ」
彼はイルミが相槌をするより先に、軽く首を振ってから彼女に視線を戻す。
「それでミチ姉。僕がダウンしてるあいだに」
「あぁ。艦隊撤退の指示を出した。勝手と思うかもしれんが」
イルミに悪びれる様子はなく、バーンズワースも気楽に頭を掻く。
「思わないよ。僕が指揮を執らないかぎりは君の職掌であり。何より、ピンピンしてようと艦隊がこの被害じゃ、進軍できない」
彼はベッドに備え付けられたテーブルを起こし、頬杖をつく。
「おい、体を起こすな、もたれていろ。傷に障るぞ」
そのまま、止められようとも意に介さず、
「ここまで、か」
彼女からは見えない方へ顔を向けてしまった。
なので表情は見えないが。
声、雰囲気、ちょっとした姿勢の力のなさ。
そうか、おまえ……
イルミはなんとなく察した。
この手痛い傷にこそ、
少し、救われたんだな。
またとない強敵との決着、喪失が。
長らくの戦友を討たねばならなかった寂寥が。
勝ったのに負けたにも等しい結果によって。
相手を『彼女こそは素晴らしい英傑だった』と讃え悼むことによって。
少しだとしても、虚しさが和らげられているのだ。
「これで、よかったんだな」
「えっ?」
「あっ、いやっ! 撤退の話だ!」
思わず口から溢れた言葉を拾われ、急に振り返られ。
イルミは思わず取り乱し、椅子から腰を浮かせる。
「じゃ、じゃあ、あとのことも私に任せてくれるな!」
「基本はそのつもりだけど」
「よし! 私は忙しいからな!
「あぁ、うん。がんばって」
さすがのバーンズワースもポカーンとした表情で彼女を見上げる。
イルミはたまらず逃げ出すように、医務室をあとにした。
しかし廊下に出たところで、周りに誰もいないと分かると。
「……うっ!」
思わず足が止まり、壁に手をつき、
彼女は口元を押さえて嗚咽した。
目からは涙がポロポロと溢れ出る。
「よかった……! 本当によかった……!」
彼が生きていて、本当によかった。
危険なレベルの負傷ではあるが、とりあえず今は生きている。
集中治療室にいると聞かされ、どれだけ心臓が痛かったことか。
容体を聞かされ、どれだけ息が苦しかったことか。
目が覚めて、また会話ができて、一緒にいられてよかった。
生きていてくれて、本当によかった。
撤退することになって本当によかった。
今はこれ以上身内同士の争いに、彼が命を賭けなくて済む。
それなら変な話、負傷したとしても意味があってよかった。
そんな安堵を、イルミは抑えることができなかった。
一旦女子トイレに逃げ込み、涙を止め、化粧を直し。
顔の赤みが引いたのを確認してから、イルミは艦橋に入り副官代理に声を掛ける。
「お疲れさまだな」
「はっ! ミッチェル閣下も」
彼は艦長席に座る、まではさすがにしないが、その周りをうろうろしていた。
何故単に『艦長席周辺にいる』以上の印象が付くかというと。
声を掛けられると肩が跳ね、素早く振り返り異常にビシッとした敬礼をしたからだ。
座ってみたいんだな、という夢は自力で叶えていただくとして。
「一旦休憩に入るといい。疲れただろう」
「はっ? いえ、それでしたら閣下こそお疲れでしょう。私だけ休むわけには」
勝手にバツが悪くなったのか、妙に固辞する副官代理だが、
「気にするな。元帥閣下があの状態だ。貴様が交代要員として休んでおいてくれないと、私が休憩に入れない」
「それでしたら、閣下が先にお休みください。私はそのあとで」
「いや、閣下の負傷でクルーや艦隊全体に動揺があるだろう。こういう時なら、落ち着くまでは副将たる私の方が適任だ」
「そういうことでしたら」
「とは言っても、私もすぐに音を上げるかもしれん。いつでも代われるよう、しっかり休憩頼むぞ」
「はっ!」
実は愉悦に浸りたくて椅子に座りたかったのではないのかもしれない。
返事は威勢よくも、やはり疲労にフラついた足取りで彼は艦橋をあとにする。
うろうろしていたのも、そうしなければ気絶しそうだったのやも。
その背中を見送ったイルミは、
「何かあったら遠慮せず起こしてくれ」
艦長席に堂々と座って寝た。
「うぅ……ジュリアス……うん……うん……」
どれくらい寝ていたろうか。おそらくそんなに長くはない。
次にイルミが目を覚ましたのは、『そろそろ交代しましょうか』ではなく、
「レーダーに反応あり!! 敵艦隊捕捉!!」
「んっ、えっ、なっ!?」
けたたましいサイレンと観測手の声だった。
正直寝起きで頭が回っていない、今言われたことも覚束ない彼女だが。
艦橋中の視線が自分へ集まると、軍人の本能か。
素早く居住まいを正し、反射的に指示を飛ばす。
「艦内放送! 緊急事態発生、第一種戦闘配置! 急がせろ!」
「はっ!」
「敵はどこの誰だ! シルヴァヌスが惜しくなって追撃に来たか!」
「いえ!」
「モニター!」
イルミの指示でモニターに敵艦隊が映る。
遠巻きの映像だけで所属が見て分かるものではないが、
「くっ、新手だな!」
数と、何より気勢の充実した乱れなき行進。
先ほどまで死闘を繰り広げていた艦隊ではないと分かる。
「まさか、こんなに早く来るとは」
バーンズワースは警戒していたし、ゆえにカーチャの時間稼ぎを嫌ったが。
正直イルミは、さほど心配していなかった。
いくら自分たちのところへ来た艦隊を叩いたからといって。
一人残らず皆殺しにしたわけではあるまい。
しばらく反撃に動けないというのが分かっていても、心理的ハードルがある。
そうそう留守にして他方面へ駆け付けることはないと思っていたのだ。
しかし、そこは強者の宿命。
彼女の思った以上に、敵はエポナ艦隊を危険視し、勝負どころと捉えていたらしい。
「撤退すらさせてくれないのか! 潰す気満々の包囲網だな!」
であれば、たしかに日数で言えば。
各方面での交戦も、開始にディレイがある。
最初に戦闘を終えた艦隊は、そろそろ到着してもおかしくない。
2324年9月17日22時39分。撤退中のエポナ艦隊、カメーネ・モネータ連合艦隊に捕捉される。
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