第224話 敗れても終わらざる者
「ご苦労だったわ。もう下がっていいわよ」
「はっ!」
彼女は天井を向いたまま、右手を差し向けドースンを退出させた。
彼が去ったあとで、『気丈ですな』とでも声を掛けようとしたカークランドだが。
「実感が、湧かないのよ」
ポツリと、シルビアの方から。
「二人で一つのリータを除けば、私がこの国で一番親身になってもらった方よ」
ドースンへ向けていた腕を目元に被せ、聞いてもいないのに語り出す。
「本当の初陣は『アドバイス』だけど。『
『実感が湧かない』と言いつつ。
一つ一つの思い出を、もう二度と戻らない時を拾い集めるような行為。
彼はその気丈さというものが今、決壊していくのだと悟った。
「そこで、セナ閣下に目を掛けてもらって。たくさん学んで。今の私があるのは、あの時期があったからよ」
閣下、と呟くことすら、カークランドにはできなかった。
声を掛けるのも
何より今は『閣下』でいたくないだろうから。
「私は、姉と、故郷を失ったようなものだわ」
唯一下の立場から甘えられる相手を、失ってしまったのだから。
きっと、彼女の脳内には思い出が渦巻いている。
どれだけ守られ、支えられ、安心したことか。その一つ一つが丁寧に呼び起こされている。
初めて会った、命からがらの訓練航海。
危ないところを助けてくれたこと。
もしかしたら危ない橋かもしれないのに、雲隠れ先に受け入れてくれたこと。
上官として見守ってくれたシルヴァヌスでの日々。
時には話し合い、時には立ち居振る舞いで学ばせ、育ててくれたこと。
何かあれば温泉に行かせてくれたり、気に掛けてくれたこと。
今の地位まで来れるように、取り立ててくれたこと。
年末年始祭からステラステラ攻防戦まで、暗殺の脅威や戦いが絶えなかった日々。
より上の存在が相手であろうと、頭を悩ませ庇おうと動いてくれたこと。
『サルガッソー』攻略にあたり、自身の策を後見してくれたこと。
その時一緒に死体ごっこで潜入したりしたこと。
同盟側へ流されたあと、危険を冒してSt.ルーシェへ迎えに来てくれたこと。
自分がいないあいだに、リータを支えてくれたこと。
前回の内乱も、今回の内乱も。
シルビアに危機が迫ると、皇帝が相手であれ真っ先に駆け付けてくれたこと。
いつもいつでも、『元部下だから』と親身に見ていてくれたこと。
どんな時もジョークで楽にしてくれたこと。
シルビア自身も折に触れてよく相談したり、意見を聞いてもらったりしていたこと。
どれだけ包み込まれていたかを実感し、
もう二度とないことを突き付けられる。
「うっ、ううっ、ああぁ……!」
シルビアの口から嗚咽が飛び出す。
必死に抑えようと歯を食いしばっても、内側から突き破って噴き出すように。
目元からも。
袖で押さえているのに、雫が首筋へ流れるのがカークランドにも見えた。
いたたまれないが、一人置いて出てもいいものか。
困り果て、何より彼自身も優しく素敵な人を喪った悲しみがある。
どうしようもなくなったカークランドが、ひたすら気配を殺していると、
「閣下……! 閣下! セナ閣下ぁ……!」
ついにシルビアは再度両手で顔を多い、声としゃっくりをあげて泣き始めた。
「あああぁ! うあぁ! セナ閣下!!」
それはすぐに止むことはなく、
「カーチャさま……!」
彼はいつまでも立ち尽くすしかなかった。
よく人は、死んでなお他者の中に何かを遺した者をこそ尊がる。
そういう意味では、カーチャも死すれど尊い存在になったのかもしれない。
が。
彼女は名家の出身ながら、相手に合わせ、いい意味で俗な人間だった。
ゆえに、高尚な遺産もそうだが、もっと実利で即物的な。
目に見えて大きい戦果を残す、生粋のファイターだった。
もっとも、英雄の名を背負わされた彼女には、褒め言葉ではないかもしれないが。
激闘も傷跡を残すばかりとなった夜。
遠く離れてロービーグス。
航行中の『
その医務室にイルミはいた。
いつの世になっても進化しない、ベッドサイド定番の四つ足パイプ丸椅子。
そこに腰を下ろし、ベッドの方を見つめている。
寝かされている、といってもベッドを稼働させ、上体を起こしたような形なのは、
元帥ジュリアス・バーンズワースである。
「いや、まいったね」
彼は上半身裸の状態で、上から軍服のジャケットを羽織っている。
「まいったで済むか、バカ」
「こればっかりは、僕がバカなせいじゃないと思うんだけどな」
「で、もう大丈夫なのか」
「軍医から聞いてないのかい?」
「聞いたうえで、おまえ自身の加減を聞いているんだ」
彼女は膝と太ももの境目くらいで、両の拳をギュッと握った。
その視線の先。
「今は痛み止めが効いてるからね。平気さ。でも切れたらヤバいらしいね。手術も応急処置だとか」
「……そうか」
バーンズワースの腹には、サラシのように包帯が巻かれている。
彼は負傷したのだ。
それはカーチャが最大に肉薄してきて、ミサイルで決着を試みた時のこと。
以前アンヌ=マリーが看破したように。
アンチ粒子フィールド下では、こちらの砲撃も意味をなさなくなってしまう。
それゆえに今回、隠し球としてミサイルを用意していたのだが。
いくら必殺の武器にしたいとはいえ、いかんせん威力が強すぎた。
とにかく敵艦を貫き破壊する砲撃と違い、爆発がメインなのもよくなかったのだろう。
たしかにミサイルは既知のとおり、カーチャを葬り戦果を上げたが
「ミサイル命中!」
「よしっ!」
クルーたちが沸いた瞬間、
「うわぁ!」
「うぐっ」
「なんだ今のは!?」
「『
艦橋内に、強い衝撃と鈍い音が響き渡る。
まさか反撃はされるまい、というかこちらが反撃している策なのだ。
少なからず動揺が走るも、
「破片が飛んできたようです!」
「あぁ、なるほど」
それ自体はよくあること。落ち着きを取り戻すクルーたちだが、
「被害状況! 全員無事かー!」
「か、閣下!!」
「!? どうしたっ!?」
「閣下が、閣下が!!」
「くっ」
その破片は、光のような速度で艦橋の壁を突き破り、
バーンズワースの体に突き刺さっていたのである。
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