第221話 満面

 シロナはと目を覚ました。

 どうやら気絶していたらしい。


 視界にはややオレンジがかった天井が見える。

 よく軍医が『視界が黄ばむ』と訴えるクルーに「ストレスですね」と答えていたが。

 彼女にも同じことが起きたのだろうか。



 あれ、じゃあ何がストレスになったんだろう?



 シロナは気絶直前の記憶をたどる。

 たしか、戦闘中だったのだ。

 そして、この一撃で勝利を手中に、という段まできたのだが。



 あ、そうだ。



 彼女は完全に思い出す。

 その砲撃が一気に弱まり、スズメの涙のようなダメージしか与えられなかったのだ。



 私にも分かる。

 あれ、『悲しみなき世界ノンスピール』が持ってるアンチ粒子ナントカだ。

 バーナード閣下がすごい活躍してるもんね。そりゃ、もうちょっと作ってみようってなるよ。

 向こうは正規軍だから、それをもらってたんだね。


 そうだ、それで仕留められなくて、反撃のミサイルが飛んできて



「熱っ!」



 記憶が戻り感覚が回り出すと、シロナは背中に熱を感じ飛び起きる。

 どうやら彼女は床に、仰向けで倒れていたようだ。天井が見えている時点で気付くべきだった。


 シロナが寝ぼけを振り払い、天井以外も視界に収めるべく頭を振ると、



「っ!?」



 目に映る光景に、彼女は口元を押さえた。



 視界がオレンジなのはストレスではなかった。


 そこらじゅう火の海で、天井が照らされていたのだ。



 何故誰も戦闘中呑気にぶっ倒れている少女を起こさなかったのか。


 そもそも起きている人がほぼいないのだ。

 皆倒れたり、持ち場の操作盤に突っ伏したり。

 もののように折り重なって動かなかったり。

 起き上がろうにも、意識も手足もなかったり。


 そもそも人数が少ない。

 床にぽっかり大穴が開いているので、多くはその中にいるのだろう。

 姿の見えない副官もおそらく。



 起きたばかりの彼女だが。

 炙られた空気の温度と酸素の薄さ、肉の焼ける匂いが呼吸を妨げる。

 今にも二度寝してしまいそうだ。


 しかし、どこからともない呻き声。

 まったく聞き覚えがない声で流れる


「被害……艦体、全体では……しかし……艦橋、被弾……」


 うわ言の報告。

 それらが意識を現実へ縛り付ける。


 脳が沸騰する感覚。

 完全に許容を越え、現実とも気絶とも違う世界へ行きかけたシロナに、



「やぁ。マコちゃん、やっと起きたんだ?」



「カーチャさま!!」


 誰よりも彼女を救ってくれる声が届く。


 シロナが振り返ると、カーチャは艦長席のデスクに右手をついて立っていた。

 いつもの半笑いで、瞳は真っ直ぐノイズ走るモニターを見据えている。


 普段となんら変わらない、頼りになる姿。


「ご無事だったんですね!? よかった!」

「私も君が無事でよかった」


 少女が子犬のように駆け寄ると、カーチャはそちらを向かずに微笑む。

 そのまま前を閉じるようマントを引っ張っると、シロナはそのうえから左側に取りすがる。

 それから一人では受け止めきれない光景を、元帥の背中に隠れながら再確認する。


 改めて地獄としか言いようのない、地獄に落ちる穴まで完備された艦橋内。


 彼女は取り乱す代わりに、カーチャのマントを強く引っ張る。


「でもっ、カーチャさま!」

「分かってる」


 カーチャは落ち着いた声とともに、右手で乱れたマントを整え、


「私たちは無事でしたけど! 他のクルーたちは!」

「分かってる」


 軍帽のつばを下げ、


「『私を昂らせてレミーマーチン』は!」

「分かってるよ」


 それから、シロナの頭を撫でた。



「私たちの負けだ。及ばなかった」



 続く言葉もやはり穏やか。

 もはや燃え尽きたように、悔しさはない。

 あえていうなら、一抹の申し訳なさや寂寥感があるだろうか。


 だが、実はシロナにとってそんなことはどうでもいい。

 彼女は事実確認がしたかったのではない。


「ではもう長居は無用です! 脱出しましょう! 指示を!」


 自分勝手な考えかもしれないが。

 今はカーチャと自分の命を繋ぐことしか考えていない。


 しかし閣下は、それを肯定するように笑っている。


「総員退艦なら、君が伸びてるあいだに出した」

「じゃあなんであなた残ってるの!」

「こういうのは艦長が最後なの。それに、マコちゃんにも指示を伝えんといかんでしょ」

「担いで逃げたらいいじゃないですか!」


 だったら今言い合っている時間が無駄なのだが。

 それが愛おしいようにカーチャは目を細め、


「運べない事情があんの。そういうわけでさ、君への指示なんだけど」

「ほぁ? 私だけ違うんですか? まさか一人で残れと!?」

「違う違う」


 シロナの頭から手を離す。



「悪いんだけどさ、左腕買いに行ってくれないか? 今ちょうど切らしてて」



「へ?」

「利き腕だから困るんだよね。あと、脇腹も」

「え?」


 彼女が何一つ冴えた返事をできないでいるうちに。



 カーチャの口から、今まで我慢していた分の血液が溢れる。



「きゃっ!」


 シロナは驚きのあまり、思わずすがり付く腕に力が入り、


「あ」


 気付いた。気付いてしまった。



 彼女が抱き付く左側、マントの向こう。

 あるはずのものがなく、歪に削られ、湿っていることに。

 カーチャは残った右腕でシロナを引き剥がすと、ゆっくり艦長席へ腰を下ろす。


「あ、あ、や」


 その引き剥がされた少女の体。

 自分自身のものではない血が、ベッタリ付着している。


「私はしんどいからさ、一人で行ってね」

「ちょっと」

「欲しいもんあったら、ついでに買っていいし。私の名前で、領収書、切ってもらって」

「カーチャさま!」


 彼女はもう一度相手に取りすがる。

 いや、座ったカーチャを持ち上げようとしているのだ。

 取り乱している場合ではないと思ったのか、動揺が一周まわったか。


「何をしょうもない軽口引っ張ってるんですか! バカなこと言ってないで一緒に!」

「私はいいよ。どうせ助からない。それより早く行って。逃げ遅れるよ」

「くうっ! どうして! 細っこいのに! こんなに重いの!」

「変だねぇ。これだけ、血、出してんのにねぇ」


 彼女は嘯くが、むしろそういうことなのだろう。

 シロナはカーチャが自立する力を失っていくのを。

 流れた血に比例して命が失われていくのを感じた。

 ひたすら、こんなことならもっとトレーニングしておけばよかった、と。

 体格的に詮のない後悔が渦巻く。




 やがて、少女は元帥を引っ張るのをやめ、その場に座り込んだ。


「決心ついた?」


 カーチャの声には、努めて楽そうに聞こえさせる響きがある。

 対するシロナも、頷き方は軽い。


「はい。つきました」

「おー、それはいいね。早く行っちゃいな」

「いえ」


 そして、左右へ振るのも軽やかだった。


「私も残ります」

「……バカ言うない」


 逆に力が籠ったのはカーチャ。


「言うこと聞くのだけが取り柄なのに、私の命令が聞けないのか」


 虚飾を忘れた苦しげな声にも、振り絞るような威厳がある。

 ではシロナはというと、


「でも、だって」


 今度は対照的。

 力なく、情けない声で、



「カーチャさま、言ったじゃないですか……! 『私の命を丸ごと買い取る』って……! 『最後の最期、全部差し出せ』って……! 私も『売る』って、言ったじゃないですかぁ!!」



 火災のなか、一瞬で蒸発しそうな雫を溢した。


 しかし、思いだけはかき消えずに届いたらしい。


「あー。そんなことも、あったっけなぁ」


 カーチャは天井を見上げ、静かに呟いた。


「買い取っておいて、ひどい」

「まぁ聞きなよ」


 膨れっ面の少女に対し、彼女は背もたれに沈んだ状態から座りなおす。


「あっ、動いちゃダメ!」

「軍人が死んだらさ。二階級特進って措置が取られるのは知ってるでしょ?」


 カーチャは静止を聞かず、シロナからは見えない艦長席右の床へ手を伸ばす。


「だから私も死んだら。『よくがんばった! エラい!』って恩賞がもらえるはずなんだけどさ」


 やがて彼女が拾い上げたのは、


 シロナが落とした鉄製のキャンディボウル。


「残念ながら私、もう元帥でさ。これ以上出世しないんだよね」


 カーチャはそれをひっくり返すが、中身はぶち撒けられて何もない。


「だから、私の心を慰められるとすれば、それは一つ」


 先ほどまで苦しそうだった声は、いつの間にか歌うように。

 今度はボウルに敷かれたビロードを確認している。

 彼女は上等な生地が無事なのを確かめると、うれしそうに数回小さく頷き、



「君が生き残って、最高のキャンディを作り、私の墓前に供える。それしかないんじゃないかな?」



 シロナの頭に被せた。

 次にカーチャは自身のスカーフを解き、ボウルの持ち手の穴に通す。

 両端を片手で器用に結んでベルトにすると、


「あ」


 それは即席のヘルメットだった。

 閣下は満足そうに、その額をコツンと拳で叩く。



「そのために、買い取った命はまだまだ使ってもらおうか。私に差し出したんだから、私が思ったように使えるはずだよな?」



 シロナからの返事はなかった。

 ただ、止めようにも溢れ出す涙が。

 それに濡れてなお、真っ直ぐ相手を見つめる充血した目が。

 その心のうちを伝えている。


 だからカーチャも、精一杯右腕を伸ばし、彼女を抱き締め、



「行って。生きて」



 そっと、艦橋の出口に向かって突き放す。


 その勢いでスッと立ち上がった少女は、

 数秒、彼女のことを見つめ続けていたが。


 やがて振り返り、そこからは振り向くことなく、艦橋を飛び出していった。


 カーチャは遠くなる背中を見送り、



「いい子だ」



 ポツリ呟くと、


「くふっ!」


 溜め込んでいた最後の血液を吐き出し、デスクに突っ伏した。


「ちくしょう、痛ぇなぁ、痛ぇなぁ」


 彼女は自ら吐いた血で右頬を濡らしながら、半笑いを浮かべる。

 逆に彼女の目に浮かんでいるのは、



「マコちゃん、幸せになれよ。君にはその権利がある。軍人としてはアレだったけどさ……一緒に戦場駆け巡って、少しは度胸も付いたろう。大丈夫」



「ロカンタンちゃん、最後に誕生日、祝えてよかったよ。ホントは君みたいな子がさ、戦わなくていい世の中、作らないとだけど……。ごめんね。でも、それはバーナードちゃんがやってくれる。そしてそれには、君の助けが必要だから。仲よくがんばるんだよ」



「バーナードちゃんは……君の信念に、ごちゃごちゃ言わんでもいいね。全てを……皇帝に……」



 愛しき我が子たちの、泣いたり笑ったり、くつろいだり真剣だったり、顔。



「あとは……もういないか。そうかぁ、これで子守りも終わりなのかぁ。うれしいねぇ、寂しいねぇ」


 だんだん感覚は霞み、燃え盛る炎も、崩れゆく艦橋も分からなくなっていく。


「痛いなぁ。おーい、誰かキャンディ拾ってぇ。あ、そぉだ。煙草でもいいよぉ」


 輝いて網膜に焼き付いた、少女の後ろ姿の残像すらもしてくる。


 それから、いくつもの人や出来事が脳内を駆け巡っていくが。

 それがどうにも、うまくまとまらない。


「うふふ、うふふふ、ふ」


 脳内が乱痴気騒ぎになってきたカーチャは我知らず笑い、



 死ぬのも、聞いていたほど寒くはないな、と思った。











 2324年9月17日14時18分、『私を昂らせてレミーマーチン』戦闘機能喪失。


 それからシロナが脱出し、15時ちょうど。

 生存者の退避は終了したと見なされ、


 皇国指折りの武勲艦は、砲撃処分され長い戦いを終えた。



 少女はその様子を、背筋を伸ばし、敬礼しながら。

 救助してくれた戦艦のモニター越しに、ずっと見つめていた。











私を昂らせてレミーマーチン』の最後はそう記録に残っている。

 が、その艦長。


半笑いのカーチャラッフィング・カーチャ』については、いつ死亡したのか正確な時間は分かっていない。

 後年シロナが残した内容から、『14時30分頃までは息があった』と推定されるのみ。


 このことについて、後世の歴史家たちは大いに熱くなる。

 曰く、


『幼い頃から家族より、自分自身ではなく「英雄カーチスの代わり身」として扱われ』

『その短い生涯や青春を、女性や若者としての喜びもない軍務に費やし』

『最後には誰にも看取られることなく、戦場で非業の死を遂げた』


 と。

 つまりは『こんなに哀れでドラマチックな人生があろうか!』と。

 ヒロイズムをもって鼻息荒く、『悲劇の英雄』を語りたがるのである。


 ゆえに、常に『その生涯は幸せだったのか』と、反語が付いて回る彼女だが。


 もし仮に、嘆く彼ら自身が隣にいて看取ったならば。

 誰一人として、そんな言葉を口にする者はいなかっただろう。

 何せ、






 終わりゆく『私を昂らせてレミーマーチン』艦橋のなか。



 デスクに突っ伏し、軍帽を脱いで、右腕を枕に瞳閉じる彼女は


 生来の形でしかない半笑いとは違う、




 安らかで満足げな、満面の笑みを浮かべていたのだから。











             2324年9月17日14時40分頃


           タチアナ・“カーチャ”・セナ 26歳


      ユースティティア星域ロービーグス方面、小惑星帯攻防戦にて



                宇宙の塵コスモスの花びらとなる。

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