第209話 魔のカーブ
一方、小惑星帯の陰に入ったシルヴァヌス艦隊。
旗艦『
「
艦長席。カーチャはソーダ味のキャンディを、包装を剥かずに弄っている。
そこに観測手が振り返らず、
「素直に我々の後ろをついてくる様子です」
「よーしよしよし」
足を組んで座る半笑いには、元来の顔立ち以上に機嫌のよさが滲んでいる。
その隣。持ち手に指を通す形は疲れたのだろう。キャンディボウルを胸に抱えたシロナもホッと一息。
「これで一旦は危険回避ですね。小惑星さんありがとー!」
「じゃあ、次のカーブで離れようか」
「はぁ!?」
衝撃のあまり、彼女はキャンディボウルを落とす。
鉄製のそれは、見事に足の指の上へ。
「イアァァ……!!」
「何やってんのもー。早く拾いなさい」
「足が……! 足が!」
「軍用ブーツなんだからそんなに痛くないでしょ」
「それより正気なんですかぁ!?」
シロナは散乱したキャンディを集めつつ、四つん這いで叫ぶ。
「私ゃ何回正気を問われるんだよ」
「今せっかく小惑星のおかげで敵の砲撃が防がれてるのに!」
「あー、ねぇ。ま、考えてごらんなさい」
対するカーチャはあくまで悠々とした居住いで包装を剥く。
出てきた青玉を、立ち上がりざま中腰となった少女の口へ。
「今我々は、楕円形小惑星ベルトの外周を反時計回り。敵は後ろを追ってきている」
「はひ」
素直にキャンディをもらうシロナ。返事は口だけ、素直に考える気は皆無の顔している。
すでにゼリービーンズを詰め込まれているので、頭を使わないと糖分過多なのだが。
対する上官も心得たもの。
相手が考えるとは思っていないのだろう。
キャンディを押し込んだ人差し指を立てる。
「逆に言えばこれは、私たちの左側に壁があるってことなんだ」
「それで助かってまふ」
「敵が横から来ないって分にはね」
カーチャは立てた指先をくるくる回す。
シロナが要領を得ない顔なので、催眠術でも掛けているように見える。
「でも後ろから来ても追い付かれないですよ?」
「じゃあ前からも来たら?」
「へ?」
「挟み撃ちだよ。ラインに沿ってグルグルしてるだけだったら、相手も先読みしてくるだろ」
「たしかに」
「そうなった場合我々は」
人差し指を立てるのをやめたかと思えば。
今度はロリポップを手に取るカーチャ。
「小惑星ベルトが邪魔して、右方向にしか逃げられなくなる」
「逃げたらいいじゃないですか」
「バッカおまえ。相手はバーンズワース、そんな見え見えの回避運動見逃すわけがない。待ってましたで皆殺しだ」
ずっとボケッとした顔で聞き入っていたシロナだが。
一応聞き流してはいないらしい。
『皆殺し』というワードに反応する。
「じゃあこっちが前から来たのをぶっ倒したらいいのです。二手に分かれてる相手なら、数も少ないしいけますよ」
しかし元帥は静かに微笑むと、ゆっくり首を左右へ振った。
「そうはいかないのが、おねえさんの辛いところなの」
「はえー」
一とおりの説明を終え(最後は説明になっていない)、カーチャは正面を向く。
「言ってる
彼女はたとえ攻撃でなくとも、何かを起こす時には必ず、
左手を前方へ突き出し、こう宣言する。
「さぁ、仕掛けるよ!」
「敵艦隊、小惑星帯を離脱していきます!」
「閣下」
「うん」
その動きは『
艦長席で腕を組むバーンズワースは通信手へ声を掛ける。
「全艦隊に通達」
「はっ」
今回は自らマイクを取らない。
緊急の指示ではないだろう。急に全体放送で割り込んで聞き漏らされるより確実に、ということもあろう。
「こちらも同じルートで追っている以上、この先180度のカーブを曲がる。つまり直進よりスピードは落ち、陣形も曲がって突撃どころではなくなる。その猶予で相手が回頭し、反撃してくる可能性は大いにある。備えるように」
「はっ! 『全艦隊に通達!』」
が、何より、
「さて、カーチャ。どう出る? いつ鬼ごっこから鬼に変わる?」
思考に集中したいのだろう。
ならばそうさせるのも副官の務め。
イルミは艦橋最上段の艦長席から、クルーたちのフロアへ降りる。
暫時彼女が報告を受け付ける構えである。
「間もなくカーブに差し掛かります!」
「レーダー! 敵艦隊の動きは!」
「大きく旋回中!」
「やはりか! 総員、閣下の指示どおりだ! 衝撃に備え、いつでも砲撃できるよう準備しておけ!」
しかし。
ここでイルミは後ろを見やる。視線の先にはバーンズワース。
それこそ『彼の指示』を反芻した時に、いや、得意の『教科書どおり』でも。
今の報告に少し疑問が残る。
彼女は観測手の椅子の背もたれへ飛び付くように、レーダーを覗き込む。
「旋回、と言ったな!」
「はっ!」
マップではたしかに、敵艦隊を表す点の群れが大きく回り込もうとしている。
「回頭、じゃなくてかい」
後方、頭上から、不意に元帥の呟きが降ってくる。
彼女はもう一度振り返った。
今度はチラ見ではなく、真っ直ぐ。
「はっ! 旋回より確実に速い、その場での回頭ではなく、です!」
「なるほど。幅は?」
「はっきり言って過剰に大きいかと。ロスがあります」
イルミは横目でマップを確認し、素早く予想を立てる。
頭の中で、教科書で見た図解たちを検索する。
「閣下。おそらく相手はこのまま突っ込んでくるのではなく。距離を離しての反航戦に持ち込むつもりなのではないかと」
「ほう」
「そう捉えるなら、その場での回頭よりもむしろ、妥当な間合いの稼ぎ方です」
反航戦。
簡単に言えば敵艦隊と、反対車線の車とすれ違うように戦う状況である。
距離が近ければほぼ正面衝突に近いが、イルミの予想どおり距離をとっての場合。
「こちらの突破力を受けて立つこともなく、射程内に入ってもすぐにすれ違ってしまえる」
「僕らに対する策としちゃ、バッチリってことか」
「御意。仮にこちらが反航を嫌ってT字に突っ込めば、最初と同じ動きをすればいい」
「なるほど」
バーンズワースが背もたれに身を沈め、イルミからは少し見えづらくなる。
が、わずかに見える表情から。
背もたれに沈むのは敵の対策にまいったからではない、と。
彼女にもそう察せられる。
「たしかにこっちの得意を封じてはいるけど」
バーンズワースは呟く。
しかし、そこには独り言と思えないほどの獰猛さがある。
「反航戦なら僕らに勝ってるとか、思っちゃいなよね、カーチャ」
そこに、
「間もなくカーブを抜けます!」
操舵手からのReadyが掛かる。
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