第210話 バターになろうぜ
「総員! 備えーっ!」
イルミは叫びつつ、観測手の椅子の背もたれにしがみ付く。
自身の席に戻ってシートベルトしている暇などない。
いくら真正面から衝突せず、すぐにすれ違ってしまうとしても。
その
しかも陣形は鋒矢陣、繰り返しになるが側面は脆い。
分厚い正面と違い薄くもあるので、『
それだけの状況に覚悟を固めた彼女だが、
「閣下!」
「いや、待て」
カーブを曲がり切っても、バーンズワースは砲撃指示を出さなかった。
どころか、相手からも飛んでこない。
「これは?」
「観測手」
「はっ」
「射程外だ。違うか?」
「お、おっしゃるとおりです」
大回りとは言われていたシルヴァヌス艦隊だが、予想より輪を掛けて大きかった様子。
彼はモニターに映る距離感から、計測するまでもなくそれに気付いたらしい。
若くとも歴戦、と誉めたいところではあるが、そんな暇はない。
「反航戦ですらない?」
予想が外れた、以上に、ますますもって意図が読めない動き。
千載一遇のチャンスを蹴ってまでの行為で、イルミの頭が『?』に侵食される。
すると、彼女が付いているのとは別の観測手。
ただ状況を知らせるのではなく、データから予想を立てる係の女性が声を上げる。
「敵の動きの予想解析が出ました!」
シミュレーションの図がモニターへ映される。
「仮にこの角度で円を描くように動いた場合。敵艦隊は我々の真後ろに付ける狙いかと!」
「反航戦ではなく、巴戦か」
巴戦。別名ドッグファイト。
相手の後ろを取るべくグルグル回るスタイルである。
それこそ、忠臣蔵の兜で見る二つ巴がイメージどおり。
第二次世界大戦初期までの、戦闘機界隈ではポピュラーな戦術だが。
「艦隊で、ですか」
「まぁ、後ろが取れれば反航戦より一方的に攻撃できるからね」
バーンズワースの声には特別感心も困惑もない。
が、
「しかし、巴戦が機能するのは旋回性能に差があるからです」
そう、これが成立するのは。
スペックが違い、そのうちどちらかが後ろを取られるから。
日本の戦闘機とアメリカの戦闘機、といった別物だから勝負になるのである。
しかし現状は違う。
どちらも皇国軍。同じ軍艦を使っている。
操舵手の腕の違いなどで微妙な違いは出るかもしれないが、これは艦隊。
結局平均値は同じものになるだろう。
つまり、いつまで経っても決着がつかないのである。
「いったい何を狙っているのか」
イルミが首を傾げた瞬間、
「そうか、そういうことか」
「は?」
バーンズワースの声。
振り返ると、彼は艦長席のデスクに身を乗り出している。
「そもそもこれが、連中の狙いの全てだ」
「ど、どういう」
細かい意思疎通や会話をするには遠すぎる。
彼女は小走りに艦長席の方へ戻る。
しかし、その到着を待たずに彼は続ける。
「連中、最初から当たる気がないのさ」
「当たる気が?」
「ない」
「ここまで出てきて!?」
イルミが艦長席の隣まで来ると、バーンズワースは「おかえり」と笑った。
「そう。気もないし、必要もない。が、メリットはいっぱいある」
敵の思惑だというのに、彼はどこか楽しそうである。
「たしかに、持久戦となると我々遠征軍に不利ですが」
「それだけじゃない」
バーンズワースはデスクに両肘をつき、口の前で手を組む。
「向こうもさ、こっちと同じこと考えてるんだ」
隠された口元は、やはり口角が上がっている。
まるで対戦相手の表情が乗り移ったような。
「敵味方どちらも。できるかぎり余計な被害を出したくないんだ。こんな内乱なんかで」
「だから戦闘に持ち込まない、と」
「そう。しかもバーナード元帥派は、すでに別の方面で勝っているからね」
「我々のように、無理に1勝もぎ取る必要はない、と」
彼の目線の先、モニターには悠々逃げ去るシルヴァヌス艦隊。
分析どおりなら、現状相手の思惑どおりというマズい事態なのだが。
解決策どころか、
「しかも時間を稼いでおけば、手の空いた連中が援軍に来るってわけだ」
マイナスのおかわりがあるらしい。
「エネルギーを浪費し、何倍もの兵力差を用意されたらねぇ」
「さすがに、撤退する以外は無謀かと」
「そうさせたいんだろう」
ここでようやく、バーンズワースは背もたれへ身を戻す。
「僕だって本来なら、そうしたいところだがねぇ」
「御意」
イルミだってそう。
本音で言えば、このまま適当に鬼ごっこでもして。
本国には『必死に戦ったけど、敵の遅滞戦術が見事でした』とか報告して済ませたい。
しかし、今回ばかりは事情が違う。
以前バーンズワースが言っていたように、戦果がいる。
この戦いの結末を、勝者による一方的な事後処理にしないための。
両陣営に痛み分けで許し合い、落としどころを探らせるための。
天秤を釣り合わせる成果が必要になる。
もしかすれば、バーナード閣下なら……
勝者側に回った時、温情ある始末をつけてくれるかもしれない。
クロエとあれだけ仲がよかったし、向こうにはケイもいるし。
だが、それを期待するのは愚かであり、求めるのは酷だ。
シルビアが勝ったなら、当然彼女が新政権を樹立するだろう。
そうでなければならない。
敵の多い彼女である。自身を脅かした相手を『まぁ今回は許すよ。次回から気を付けて』なんてしようものなら。
よからぬ
国家反逆を企んでも許されるのだ、シルビアでなくともだろうに。
だから国家国民のためにも、新政権を樹立するのは当然であり。
そうなると、前政権、
「こんなところで、グルグルしてる場合じゃないんだけどな」
バーンズワースの苦々しい声が、イルミを現実へ引き戻す。
しかし同時に、意識がモニターへ戻ると。
今度は幻覚が目に浮かぶような気がした。
遠く『
腕を組み、どっかり座った『半笑い』の
「さぁ、バターになろうぜ」
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