第197話 自身に思惑があるように
シルヴァヌス方面、『地球圏同盟』領宙域。
悠々と大艦隊が進んでいく。
よく知っている人物なら、隊列を成す軍艦たちが、元は真紅に染められていたこと。
その異様なる威容が、多くの皇国軍将士を震え上がらせたことを知っている。
が、今やその艦体は黒く塗り重ねられ、返り血は後方に三本のラインで残るのみ。
培った心理的圧迫を捨ててまで、今さら宇宙迷彩に走ったかと思わなくもないが。
その艦体の中心、つまるところ旗艦。
空気がないゆえ靡くことはないが、人類の艦隊の伝統として取り付けられた旗。
艦尾のポールには上から
軍帽の徽章と同じマークが入った『同盟軍』
ジャケットと同色、イタリア国旗と見分けるためラインが斜めの『シルヴァヌス艦隊』
国連の旗の世界地図部分がシルバースターになったような『提督座乗艦』
の順で、不自然にピンと張らずも、見やすいようある程度靡くような形で。ワイヤーを通しつつ掲揚されている。
本来なら。
しかし今回は別。
戦艦用の大型、かつ3対5やら2対3の比率の旗たちの一番上に。
ワイヤーも通されていない、幟のように細長い、真っ黒の布。
宇宙空間では視認性が悪く、なんのサインにもならないデザイン。
それが『喪章』ゆえに譲ることのできない精神性と理解したなら。
艦隊の塗装の意味も見えてくることだろう。
件の喪章ある旗艦、『
腕を組み、艦長席で仁王立ちならぬ仁王座り。
左の上腕に黒い腕章を巻き付けている彼女こそ。
提督ジャンカルラ・カーディナルである。
「いつまで喪章をお着けになるので? いえ、別に構わないのですが」
「こうなったら、この戦争の生前葬にしてやるのさ」
傍らに立つ副官ラングレーは着けていないあたり、強要はしないらしい。
艦体は塗り替えるが。
彼は視線をモニターに戻す。
何が映っているわけではないが、士官たるもの常に構えるのが肝要である。
「しかし、ガルシア提督が亡命とは」
とは言いつつ、世間話に走るのが人情である。
ジャンカルラも「私語厳禁!」などとは言わずに頷く。
「熱い男だからな。我慢ならんかったんだろ」
「閣下も熱い人物と認識しておりますが?」
「僕は落ち着きあるオトナの女性だからな」
彼女はサラッと、ジョークめかさない声色で返事をする。
そんな『どこまで本気で言っているのか分からない』までがネタの発言に、
「……たしかに、そうかもしれませんな」
副官はあごへ手をやる。
「なんだよ、含みのある間合いで言うじゃないか」
ジャンカルラが笑っているのか威嚇なのか、見分けづらい表情で振り返る。
が、ラングレーは真顔である。
「いえ、思った以上に落ち着いておられるので。閣下ならば、もう少し喜ばれるものかと」
「盟友の亡命をか?」
「いえ、そういう意味ではなく」
彼の弁明に焦る様子はない。
相手が本気で自身の発言を悪い方に捉えてはいない、と理解しているのだ。
「ただ。閣下はやはり、シルビア・バーナードの救援に向かいたがっていらっしゃいましたので。そこに今回の追討命令。まさにうってつけの口実ではありませんか」
「たしかにな」
彼女は副官の発言を素直に肯定し、首を縦に振る。
しかし、声のトーンは説明されるまえより明らかに下がった。
そのテンションが不可解で、ラングレーにも含みが生まれたのだろう。
「しかも今回は以前のような、『好機だが我々の独断』ではありません。『正式な命令のうえで状況が重なり』ます。まさか『皇国軍と遭遇したら黙って討たれろ』とまでは言われますまい。完璧なお膳立てです。なのに」
「妙に態度がシブい、ってかい?」
「おそれながら」
「ははん。お腹痛いのかも、って心配してくれるのか」
前述のように、ジャンカルラは真顔でジョークを飛ばすタイプだが(気取って、ともいう)。
今回のは狙ってそうしたのではないと彼には、いや、誰でも分かる。
「何か気に掛かることがおありなのですか? もはや経緯はどうあれ、シルビア・バーナードに加担する自体がリスクと?」
「いや、そこまでは言わないけどね」
彼女はメトロノームのように首を揺らすと。
「ちょうど『半笑い』が留守にしてて、手が空いてるのは僕だったてのもあるだろうさ」
副官からは見えないが、左から右へ、舌で下の歯をなぞった。
思考する準備として、脳へ刺激か何かを与えるように。
「ただ」
ガルシアが長旅の疲れから、宛てがわれた部屋でイビキをかき始めた頃。
シルビアはリータを自室に連れ込んでいた。
えっちなやつではないのは言うまでもない
はずだが、彼女に限っては疑惑の判定なので明言しておく。
それはさておき。
「ガルシア提督の話、どう思う?」
上着を脱いでシャツ姿のシルビアは、ベッドに座るリータへリンゴジュースを
シチュエーションは疑惑だが犯罪はしていない。
というのはさておき。
「怪しいですね」
少女はジュースは口元に運びつつ、含まれる糖度よりサラッと答える。
「それは、彼の亡命が信用できるか」
「ではないですね」
「よねぇ」
シルビアが引っ掛かっているもそこではない。
問題は
「ジャンカルラ」
彼女の呟きに、リータも深く頷く。
「ガルシア提督がおっしゃったとおりの状況なら。カーディナルも同じ境遇のはずです」
「えぇ。むしろ少し探れば、より『私派』なことくらい分かるわ」
「はい」
少女はグラスを両手で持ちつつも、太ももの上に落ち着けてしまう。
「そんなどちらかと言えば亡命者寄りの人物に、追討を命じるなんて」
「私のところにあなたを送り込むようなものだわ」
「『疑惑を晴らすべく奮闘するだろう』という考えもありましょうが」
「なんだか、気になる采配ね」
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