第185話 誰がために心臓は鳴る

「もう本当に大変で大変で」


 その相手がいるらしい部屋へ向かう途中の廊下。

 リータの隣に並んで歩くケイの声は明るい。

 幾分苦しみやプレッシャーから解放されたような。

 しかし、


「でしょうね。見れば分かります。殿下、少しお痩せになった」

「えっ、ホント? やだ、健康美が私の売りなのに」

「冗談言えるなら、心までは痩せてないですね」


 彼女も冗談に混ぜつつ、


 ケイ殿下ですらなら、シルビアさまは……。


 心臓に液状の鉛がまとわりつくような感覚に襲われている。

 気持ちが逸るような、足が重くなるような。

 どちらの感覚に従おうと、その時はやってくる。


「ほら、ここ」


 ケイが足を止めたのは、元帥執務室。

 どうやら出勤はできているらしい。

 もしくは退勤すらできないのか。


 リータが視線を向けると、ケイは小さく頷いた。

 なので彼女も、意を決してドアを開ける。


「シルビアさま、リータですよ」


 努めて普通な調子で話し掛けると、


「リータ……?」


 返ってきた声は、明らかに

 ここまで来ると、今までどこか及び腰だった彼女も、反射的に部屋へ飛び込む。


 中ではシルビアが、ぐったりした様子でデスクについていた。


「シルビアさま! 大丈夫ですか!?」


 駆け寄るリータに彼女は、


「えぇ、まぁ」

「本当に!?」

「ていうか」

「え?」



「もう、どうでもいいわ」



 疲れ切った瞳を向けた。


「どう、でも、いいって?」


 少女の視界の端で、ケイやカークランドが二人から目を逸らすのが見える。

 おそらくリータが来るまでの数日、ずっとこの様子なのだろう。

 彼女が頭の中で状況を追っているうちに、シルビアはポツポツ呟く。


「私がいくらがんばっても、平和を目指しても。誰も理解しないとか、そういうレベルの話じゃないわ。みんな何かあれば、すぐに『シルビアを討て』『シルビアを殺せ』って。まるで私がいるせいで争いが起こるみたいに。私が生きているかぎり、平和になんかならないっていうみたいに」


 ぼんやりと天井を見上げ、うつろな視線で小さく首を左右へ。

 その様子がすでに、心の置き方を見失っている。

 リータの肩にピクリと力が入る。



 あのシルビアさまが。

 逆境を信念で乗り越えてきたシルビアさまが。



 その彼女が、全てを跳ね除ける原動力が。

 折れかかっている。


 それを肯定するように、彼女の言葉は続く。


「そのせいでアンヌ=マリーも死んだわ。巻き込まれて死んだわ。よりにもよって、私の気持ちを、夢を、理想を。理解して、賛同してくれたアンヌ=マリーが死んだわ」


 リータはアンヌ=マリーという人物をよくは知らないが。

 シルビアから折にふれて聞かされていたし、何より。

 たった一度のSt.ルーシェでの問答で。

 彼女がいかに優しい人物か。いかにシルビアを愛していたか。シルビアに愛されていたか。

 それはよく分かる。


 だからこそ、そのショックも。


「いくらがんばっても、全部無駄なのよ。どうせ台無しになる。それだけならまだいいわ。私のせいで犠牲になる人がいる。アンヌ=マリーだけじゃない。戦争するたびに、何百、何千、何万」

「シルビアさま」



「だからもう、いいの。ちょうど追討軍が作られるんでしょ? それで幕引きにしてもらうわ」



 シルビアが何を言いたいのか。どういう結論を持って今の状態にいるのか。分かってはいたが。

 いざ言葉にして本人の口から聞かされると。

 リータは身体中を巡る血液が、一気に2度3度熱くなった気がする。



「つまりあなたは! このまま追討軍に討たれて死ぬおつもりですか!?」



 対するシルビアの瞳には、やはり輝きというものがない。


「いいのよ、それで。もう私には、がんばる気力がないわ。これ以上神さまか何かに甚振いたぶられて。苦しむ姿を指差して笑う娯楽にされるのは、もうよ」

「シルビアさま!」

「いいじゃない。私がいなくなれば、こんなに憎い私がいなくなれば。もうみんな、殺し合う理由もないでしょ? 誰も犠牲にならないでしょ? みんな喜ぶわ」

「シルビアさま!!」

「どうせ夢も叶わないで苦しみ続けるなら。もう私、生きてる理由なんかないのよ」


 瞬間、熱い血が頭に集まり。


 少女の魂が発火した。



「そうかい! ならもう勝手にするといいんだわ!!」



 彼女は軍帽を脱ぐと、デスクに叩き付ける。


「リータちゃん!?」


 彼女を最後の希望と見ていたケイが、驚いて振り返る。

 が、彼女ももう止まらない。

 シルビアが好き放題勝手なことを言ったのだ。

 今度はその片割れたる自分の番である。


「あんた言ってたな! 同盟にいた頃はアンヌ=マリーに何度も助けてもらったって! その命もさっさと投げ出して、『あんたが助けてくれた命、メンドくさいから捨ててきた』って言いに行けばいい!」

「なっ!」


「私も! 私のことも!」


「えっ」


 今まではいじけていたシルビアも、意外な言葉に面食らった様子。

 しかしリータももう、感情が止まらない。

 相手を見てものを言うのではなく、自分の感情をストレートにぶつけて掛かる。



「あなたがいっつも『二人で一人』『同じ運命を分け合った片割れ』って言ってた私のことも! ほっぽり出して天国でも地獄でも行ったらいいんだわ!!」



「リータ……」

「だからさっさと捨ててしまえ! 今ここで!」


 デスクに拳を落とし、声を張り上げて迫る少女に。

 ケイとカークランドの視線が注がれる。

 彼女もシルビアを真っ直ぐ見つめている。

 ただシルビアだけが相手と向き合えないでいるなか、


「そしたら、そしたらっ!!」


 先ほどのまでの、怒りに満ちた声とは別。

 湿度や別の感情を孕んだ声の響きに、彼女も思わず振り返る。


 そこにあるリータの目には、表情には。

 言葉とは裏腹、力強さのないものだった。



「そしたらあんたが捨てた命、私が拾ってやる!! あんたが運命の片割れって言ったんだから、当然私のもんだ! あんたがいらないなら私が使ってやる! 敵や神さまが気に入らないなら、私が全部叩き潰してやる! だから! 自分に生きる理由がないなら!」



 声は震えだし、デスクへ落とした拳に雫が落ちる。

 少女の赤い頬が、濡れてさらに赤く染まる。


 顔を濡らすのはそれだけではなく。

 極まった時に流す、

 一筋の鼻血。


 赤い赤い、彼女が必死に生きている証。




「私のために生きろっ!!」




「リータ……」


 その姿に、シルビアも。

 乾いて光がなかったはずの瞳に、光を反射する雫が。



「リータっ!!」



 そのまま二人は、デスクへ乗り出すようにして。

 ケイやカークランドがもらい泣きをするなか。

 もう一度、お互いの運命を重ね合った。

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