第183話 愚かなるすれ違い

 クロエの行動に、ノーマンは反射的に電報を隠すように動いた。

 それを見て彼女は、


 陛下も、あまり私を政治には踏み入らせたくないのかも。


 元来の優しく細やかな性格から、相手の意図を慮る。

 が、



 でもごめんなさい!

 私は遠くから眺めて孤独を理解し慰めるより!

 隣に行って孤独をなくしてあげたいの!



「まぁ! まさか浮気相手からの離婚の催促ですか!?」


 相手があまり気を遣わないように。

 かつ見せないと誤解が解けないジョークで、クロエはさらに首を伸ばす。


「い、いや、そうじゃないんだけども」

「お見せなさい! 美ショタは女中にモテますからね!」

「えぇ……」


 彼の動きが止まったのをいいことに、パッと電報を奪って目を通すと。



「……え?」



 その内容に彼女は、全身の血の気が引くような、逆に頭へ血が上るような。

 手先が冷たくなるような、逆に全身が熱くなるような。

 不可思議な気分に襲われた。



 え?

 陛下自らの命で? シルビアさんを? 罷免?

 それでケイちゃんが怒ってる?



 内容の酷さに凍結と沸騰を繰り返す感情だが。

『自身を無闇に政治へ踏み込ませない気遣いではなく、単にやましくて電報を隠した』

 という事実で、完全に加熱が勝る。


「いったい何が書いてあ」

「陛下!!」

「おわっ!」


 のんきに寄ってきたトラウトが、大声と顔へ飛んできた紙にのけぞる。

 が、さすがにクロエも、そこを気遣う余裕はない。



「シルビアさんを罷免だなんて! 何を考えてらっしゃるの!?」

「ク、クロエ、落ち着いて」

「これが落ち着いていられますか!」

「ひえっ」


 慎みある令嬢、今や慈愛深き国母でもデスクを叩く時は叩く。

 思った以上に鈍い音が鳴って、ノーマンが肩を竦める。


「私たちをあれだけ助けてくださったシルビアさんを罷免!? 人の道に背き、恥を知らないにもほどがあります!」

「あぁいや、何、あれだよ、功労者だし皇族なのだから、もう休んでいただいて……」

「嘘をおっしゃらないで!」

「わっ!」


 今度はバンバンバン、と連続してデスクが叩かれる。

 もはや講談師である。


「それで『罷免』なんて言葉を使いますか! 休ませるのに公職追放までして締め出しますか! 皇帝陛下ともあろう方が! 見え透いた嘘をつくにしても、国語を理解していないにしても嘆かわしい!」

「いや、でも……」

「デモもアリストもありますか! これはケイちゃんだって怒ります!」



「そのケイ姉さまが『こうした方がいい』っておっしゃったんだ!」

「えっ」



 ケイちゃんが?


 ここまでヒートアップしっぱなしだったクロエの脳。

 まるで液体窒素をぶち撒けたように冷却されるには、じゅうぶんな発言だった。


「そ、そんな、あり得ないよ」

「でも事実なんだ! ケイ姉さまが僕におっしゃったんだ!」

「嘘だよ……」

「あの老ガルナチョが去る直前、僕にシルビア姉上の危険性を説いたんだ! 今でこそおとなしくしているけど、その本性がどういうものか! どれだけ酷いことをなさるかは、あなたが一番知っているだろう!?」

「それは」


 今度は一転、彼女が番だった。

 デスクを叩きはしないが、勢いよく立ち上がるノーマンに一歩退がる。


「それが最近の会談、独断専行! 元帥という立場を手に入れて、少しずつ隠さなくなっていっていると! だから今の立場に置いておくのは危険だと!」


 クロエは焦って意味もなく目線を左右へ。

 トラウトとかち合うが、彼は何も言わない。

 第一に口を挟む立場でないのはあるが。

 近衛兵というものは皆大なり小なり、悪役令嬢シルビアに対して嫌な覚えがある。

 クロエの気持ちは分かるが、さすがに擁護する気にはなれないのだ。


「それを聞いた時、姉さまもいた。その場では大臣の意見を退しりぞけられたけど。何日かあとになって聞いたら、やはり『外すべき』だと! そうおっしゃった!」

「そんな」

「熟考の末に出されたお考えだ! 僕は間違っているとは思わない! 元老院にも『やはり悪徳令嬢に地位を与えるのは危うい』と賛成派は多い!」


 ノーマンの勢いで、彼女は縋るように。

 自身が投げ捨て、トラウトが拾ってデスクに置いた電報を取り、文面を突き出す。


「でっ、でもっ! ケイちゃんが! ケイちゃんがこうやって『おかしい』って!」


 すると彼も腰を下ろし、また頭を抱える。


「だから困ってるんです。言ってることが丸っきり違う」

「またじっくり考えて、変わったんじゃ、ないかな」

「だとしても、自分の判断のことなのに、こんな怒り出す人じゃない。どころか、『誰に吹き込まれた』だなんて」

「う、ううん」


 思わず唸ってしまうクロエ。

 仲がいいだけあって、ノーマンのケイに対する人物評は狂いない。

 自分が言ったことで相手がミスをしたなら、まず謝れる人である。


 だが、仲よしの人物評というなら、彼女とて。

 やはり違和感がある。


 ケイちゃんが本当に、シルビアさんを罷免するべきだ、って。

 そんなこと言うとは思えない……


「陛下、きっと何か勘違いとか、すれ違いが」


「あの、恐れながら」


 平行線の両者へ切り込むように。

 おずおずとトラウトが声を上げた。


「なんだ」

「勝手ながら、電報を拝見したのですが。もしかして、ケイ殿下のお考えは変わっておられないのでは?」

「どういうことだ?」

「それって!?」


 クロエに希望の光が差す。

 トラウトは何かをつかんだのだ。

 彼が『ケイの意見はガルナチョを退けた時から変わっていない』と証明してくれたなら!


 しかし、



「ケイ殿下は現在、ユースティティア方面ディアナへ向かわれているのでしょう? 日数でいえばもう到着している頃かと。そこはシルビア閣下のおられるところです」



「まさか!?」

「この過剰なまでの、パフォーマンスのようなお怒りよう。『誰に吹き込まれた』という不自然な文言」



「シルビア姉上に脅されて、無理矢理書かされているということか!?」



「はっ。誤字脱字も多く、まともな精神状態とは思えません。可能性としては」

「くっ! 許せない……!」


 憶測で話を加速させる男たちに


「ま、待って!」


 なんとかストップを掛けたいクロエだが。


「クロエさん。悪役令嬢シルビア姉上なら、それくらいはします」


 ノーマンには届かない。

 逆に、皇帝としての態度を捨てた素の語りで諭される。


「そして姉上が昔に戻ってしまったら。一番危ないのは、一番狙われるのはでしょう」

「うぅ」

「だったら僕は。皇帝である以前にあなたの夫なんだ。そうならないように、守らないと」

「で、でも」

「そこに民主主義デモクラシー貴族制アリストクラシーもないです。そうでしょう?」


 クロエが一瞬黙ると、


「政務官!」


 もう彼は先に進んでしまう。


「お呼びでしょうか」


 廊下に控えていたのだろう側近が入室すると、


「もしシルビア姉上に勅命に従ったり、ケイ姉さまを解放する様子がなければ! いよいよ反骨の本性を表したと言ってよい!」


 皇帝は宣言する。




「その場合には、追討軍を組織する!!」




 歴史家がガルナチョをして、『攻撃的な小心者』と評したが。


 彼らは思った以上に世の中に多く、どこにでもいる。

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