第182話 皇帝と二人の女性
「何よ准将。わきまえなさい。ケイのサイン会はあとよ」
「そんなことを言っている場合ではありません!!」
よく見れば、彼の様子は並々ならない。
大きく肩で息をし、目も若干血走っているか。
「本国より通達!」
「何よ。ケイが来てるのに?」
「私何も聞いてないよ? 出発したあとに決まったのかな?」
二人でのんきに首を傾げているあいだに、カークランドは畳んだ電報を開く。
非常に慌てた荒っぽい手付きから、勢いそのまま震える声で放たれたのは、
「ちょっ、勅っ、勅命によりっ!」
「勅命?」
彼を落ち着かせるため、自身のティーカップを渡そうとしたケイの手が止まる。
「元帥シルビア・マチルダ・バーナードを罷免っ! 公職追放処分にするとのことっ!!」
「……なんですって?」
理解が追いついていないシルビアより先に、
「あなたは今、勅命と言ったか!!」
ケイが椅子を倒しながら、勢いよく立ち上がる。
「はっ、ははっ!」
あまりの剣幕に、修羅場を潜り抜けた軍人のカークランドが気圧されている。
「その電報見せなさい!」
彼が答えるより先に紙をひったくるケイ。
口調は完全に公人としての言葉遣いなあたり、本気の勢いがある。
彼女は電報に目を通すと、
「くぃっ!」
やや不明瞭な発音で唸り、カークランドの胸に押し付ける。
と、同時に、
「こんなバカなことがあるかっ! お姉ちゃん!」
シルビアの方を勢いよく振り返る。
「なっ、何?」
「何じゃないやいっ! 抗議だ抗議! 准将でしたね!」
「はっ!」
「通信室に案内なさい! ノディめ! 久しぶりに叱ってやる!」
ケイは通信室につくと、職員をどけて自らキーボードの前に着席。
代筆も校正も入れずに、手ずから怒りの電報を作成中。
「まったく! あんのガルナチョを叩き出してやったというのに! 今度は誰に唆されたのかな!」
あまりに急なことだから、後ろに立っているシルビアはまだ頭が追い付いていない。
怒り散らしているわりに中指2本でキーボードを叩く妹が、
ブラインドタッチできないのね。ちまちましててかわいい。
などと、のんきに思うくらいである。
「ガルナチョって、あの宰相だった人よね?」
「そうとも!」
「追い出したの」
「今頃AVのモザイクチェックでもしてるんじゃない!?」
それは警察の天下り先である、というのは置いておいて。
「おらノディ! 3回は読めよ!」
ケイは液晶パネルで自筆の署名を終えると、勢いそのまま送信ボタンを押す。
「ちょっとちょっと! せめて誤字脱字くらいは確認した方がいいんじゃない!?」
「失礼ながら殿下は冷静さを欠いておられました! さすがに皇帝陛下に失礼のない文章であったか確認すべきでは!?」
もう送ってしまってあとの祭りだが。シルビアとカークランドが慌てて身を乗り出す。
が、当の彼女はケロッとしている。
「いいのいいの。ノディは私が無礼くらいで怒らない。それに誤字脱字もさ。『怒りが滲み出る姉キックをお見舞いしてやる!』って感じで」
「ごめん、よく分からないわ」
「なんだと? 『憤りを隠しきれない妹チョップ』を食らうか!?」
「誰彼構わず狂犬化しないの」
とにかく状況が状況。本当はもっと緊張すべきなのだが、シルビアにとっては。
とりあえずケイがジョークを言う程度には落ち着いた方が大事である。
というか、案外最初から冷静だったのか。
「ま、キツく噛み付いたからね。ノディも目が覚めるでしょ。辞令は一旦無視して、ゆっくり待っとこう」
「噛み付くとか、やっぱり狂犬じゃないのよ」
姉の怒りはその日のうちに、オレンジの西陽が差す頃皇帝へ届けられた。
「えっ? えっ? えぇっ!?」
当然困惑したのはノーマンである。
何せ彼の中では、姉の言うことが180度変わっている。
どころか彼女の助言どおりにしたのにガチギレ。『気分屋』とか『意見が変わった』とかいうレベルではない。
そもそも彼は、ケイには「めっ!」より強く叱られたことはない。
ゆえに、
「え、え、え、どういうこと? 何が起こっているんだ? あり得ないよ!」
完全に理解の範疇を超えてしまっている。脳が処理できていない。
もとから特別聡い子というわけでもないのだが。
クーデターの時のような強い恐怖や、逆に盲目的に愛敬する姉のこととなると。
幼さもあって、皇族なりには教育されてきた頭も容易にレベルが下がってしまう。
ノーマンが玉座で頭を掻いていると、
「どうなさいましたか、陛下」
「国民から『公園を作ってほしい』とでもお手紙が来ましたか」
ちょうど彼の執務室に、皇后クロエと近衛兵トラウト少尉が現れた。
「公園! それは都市の区画整理が悩ましいけれど、是非叶えて差し上げたいですね!」
悩める皇帝を前に、のんやりした発言のクロエだが。
実はこれでも彼女なりに気を遣っているのだ。
ノーマンは慣れないプレッシャーに苦しんでいる。
なので妻である自分だけは、政治とは無縁の世界でいてあげようと思っているのだ。
悲しいことだが、はっきり言って。
夫が自分ではなく姉の方を頼りにしていることも、慕っていることも。
クロエは知っている。
さすがに嫌でも気付く。
だからこそ彼女は。
そこで折れたり腐るのではなく、よき妻になろうと努力している。
こうしてわざわざ執務室へきているのもそう。
今日も疲れただろう夫を迎えにきたのだ。
トラウトはその付き添いである。
「そんなことならどれだけよかったか。公園なんて何ヘクタールでも作ってあげるところですよ」
だが、逆に彼女の予想どおりというか。
気遣いに微笑み返す余裕がノーマンにはない。
まぁ八つ当たりせずにため息混じりなだけでも偉いかもしれない。
「陛下。もう私に敬語で話されることはないのですよ」
「あぁ、うん」
だからクロエも主人公気質以上に歩み寄ろうと思えるのだが。
末っ子気質の彼は、姉さん女房に大きくは出られない。
それがまた、壁に感じる。
もしかしたら、踏み込んだ方が、いや。
踏み込まないと、真の意味でパートナーにはなれないのかも。
私といる時は、全て忘れて休ませてあげよう。
歴史上、皇帝の妻が口出ししすぎる国家は崩れる。
そう思って避けてきた政治の話だが、
「では、どうなさったのですか?」
彼女は意を決して、皇帝の手にある電報へ首を伸ばした。
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