第180話 一方その頃シルビアは

 この頃のシルビアはというと。

 食は細いが食べなくはない。風呂にも自分で入れるようになった。

 職場でも仕事自体はしている。

 通りすがりが話に聞く分には、少しずつ回復しているような印象だった。



 しかし。

 カークランドをはじめとして。近しい者たちは、必ずしもそう思っていたわけではないようだ。

 彼の手記によると、



『近頃は赤ワインばかりお召しになっている。酒量もそうだが、ビールくらいしか飲まない人なのに、急に好みが偏っている』

『急に“洗礼を受けて修道女になる”などと言い出した。なるのはいいが、軍務に着いてはどうするのか聞いても“修道女になる”とばかり。最終的には“私もいつ死ぬか分からない。カトリック教会の墓地を予約しておけ”に落ち着いた』

『今日は“花屋になる”“花農家”になる”と言い出した。どうしてか聞いたところ、“アンヌ=マリーの墓に撒く”ためらしい』

『ドクターは“言うだけ言わせておきなさい。それでガスが抜けるのだから。あとは時間が解決する”としか言わない。のんきなやつめ』



 などと記されている。


 軍人はとにかく、手記や日記を書くものが多い。

 いつ死ぬか分からないので、少しでも家族に伝わるものや、生きた証を遺すために。

 後世の歴史家たちの引用の多くは、ここから持ってこられる。


 このカークランドという男も多分に漏れず、こうして遺しているが。

 業界にあっては、なかなか筆不精なタイプであった。


 その彼でさえ、この時期は文章の日付けが詰まっている。


 内容からも、そういった点からも。

 この時のシルビアは大変なものだったと窺える。






 そんなこんなの7月26日。

 その昼もシルビアは、デスクで仕事をしていた。

 ディアナが同盟に占領されていた期間は短い。そのあたりの処理は少なくていいのだが。


 今回のことで、皇国軍ユースティティア方面派遣艦隊も結構な打撃を受けた。

 その立て直しと割り振りをしなければならないのだ。

 当然『方面』というだけある。ディアナという最前線の一点にだけ艦隊がいればいいわけではない。

 よって、減ったリソースの中から配置しなおさなければならない。


 これが戦闘が終わったらそれでいい艦長とは違う、方面派遣艦隊司令官の責務。

 彼女にとっても初めての苦労だった(リーベルタースの時はすぐ移動になったので後処理をしていない)。


 ジュリさまもセナ閣下も、あの若さであんな感じで、大変なことしてたのね。


 正直、ただ戦闘が上手いだけの天才タイプなんじゃないかと思っていたが。

 地道な部分に触れて、認識を改めるシルビアであった。

 まぁ2秒後には『ジュリさまのとこはミチ姉がやってそう』と思ったが。


 そこに、


『カークランドです』


 ノックの音。


「どうぞ」

「失礼します」


 中に入ってきた彼の手には書類がある。報告に来たのだろう。

 しかし束は薄っぺらい。そんなに中身が多くはなさそうである。

 その証拠かのように、デスクの前まで来た彼の立ち姿はどこかフランク。

 敬礼はするが、『今朝のネットニュース見ました? あの女優がお笑い芸人と結婚したそうですよ?』とか言い出しそうな。


「報告して」


 なので彼女も身構えずにいると、


「ケイ殿下がこちらへいらっしゃるそうです」

「ケイが?」


 皇族のお越しという、そんな軽く扱っていいわけでもないニュースが舞い込んできた。

 それでもお気楽に思えるのが、ケイという人物の持つ雰囲気か。


「予定では31日の昼頃到着とのことです」

「そう。何しに来るのかしら」

「それがですね」


 カークランドは少し声を潜める。はばかられる、というよりは話のよう。


「以前の会談の件につきまして。『外務省の管轄を割っている』と、譴責けんせきに来られるようで」

「譴責ですって?」


 本来ならもっと怯え慌てふためかなければならない事件だが。

 何より、今のシルビアに会談の話を持ち出すのは非常にデリケートだが。


「ケイ殿下ですよ、ケイ殿下」


 それでも彼はなんだか、むしろ少しご機嫌に見えるくらいである。


「なるほどね」


 その口ぶりで、彼女も副官の心理が読めた。

 何もケイのファンだということではない。

 常識の範囲で心配性なカークランドである。やはりこのまえの独断専行じみた行為が気に掛かっていたのだろう。


 それがこのたび、正式に譴責。有り体に言えば叱られるだけで済むと決まったのである。

 しかもその使者が、シルビアの身内たるケイ。

 どう見ても「こらっ!」で済ませる感じである。

『ケジメで叱るけど、ま、あんま気にせんでいいからな』というメッセージ。


 それが彼を喜ばせているのだろう。


 あなたも政治が分かるようになってきたじゃない。


 自分は政治分からないくせに、何さまでシルビア。

 彼女には副官がケイに


 妹ぎみがいらっしゃれば、少しは閣下の心も回復するかもしれない!


 という思いを託しているとは気付けない。


「じゃあ、お出迎えの準備をしないとね。第五皇女を粗末に扱ったら、ユースティティア方面軍の沽券こけんに関わるわ」

「では!」

「派手にパーッとやりなさい」

「はっ!」


 が、気付かないなりに。

 カークランドの意向に沿うような、明るいリアクションが出た。

 彼女とてもちろんケイのことは好きだし、何より


 葬式と同じよ。


 忙しくしていれば、自然と悲しみから解き放たれる。

 そう信じて、動くことにしたのだ。



 まぁ、こんな前向きなことを考えておいて。

 夜にはマフラーの切れ端を握り締めて泣くから躁鬱なのだが。






 そして来たる31日。


「久しぶり、っていうほどでもないかな?」

「でも待ち侘びたわ」


 主人公クロエを、クーデターの時には家臣たちも。

 みんなをお助けする明るさの象徴、ケイがディアナに到着した。






 ちょうどその頃。

 皇国首都星カピトリヌス、『黄金牡羊座宮殿』。


「では陛下、よろしいのですね?」

「うむ、送付してくれ。元老院にもはかったが、おおむね賛成だった。国家の決定である」

「は、ははっ」


 玉座に座るノーマンは、少し困惑気味の政務官を見送る。


「それにしても」


 その背中が見えなくなると、彼は天井を見つめて独りごちた。



「姉さまは何故あんなことを言っておきながら、姉上のところへ向かわれたんだろう」



 もう一つの事件が、シルビアのところへ届こうとしている。

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