第179話 姉さまの言うとおり
ノーマンの小さな心はまた揺れた。
ガルナチョの言葉が思い起こされる。
『彼女は同盟に亡命していた時期がございます。そこでは大層厚遇されていたそうな』
『ずいぶんと蜜月なことですな、敵国と』
言葉だけではない。
実際にどれだけシルビアが敵将アンヌ=マリーと仲がよいのか。
それは連日のレポートや報道で見せつけられていた。
ケイ姉さまは『姉上が僕たちを裏切ることはない』って言ってたけど。
姉上が姉さまの言うような、実は案外実直な人だったとして。
よりそれを向けるべき相手が他にいるのだとしたら?
真夏の
シルビアの来歴。追放され、幾度も命を狙われ、その果て同盟へ流れつき、大切にしてもらえたなら。
自身が同じ立場だったら、よっぽど皇国より同盟の方を好きになるだろう。
少なくとも、姉が両者を天秤に掛けた時。自分がそのアンヌ=マリーなる人物より愛されていない自信はある。
ここまで来るとむしろ、何故彼女が舞い戻ってきたのか理解に苦しむほどである。
なんらか、そこまでする事情があったのだろうか。
それでも同盟を振り切るような何か。
いや、
そもそも未練を振り切っているのか?
「スパイ……」
「は?」
「あっ、いや!」
我知らず口から
小さすぎて、なんとか政務官の耳には届かなかったらしい。
滅多な発言である。拾われていたら大問題になるところであった。
しかし、そこがセーフだからといって、大元の不安は誤魔化されない。
もし完全に同盟の人間となって、何か企みを持って帰ってきたのだとしたら?
「いや、あり得ない。あり得ない」
「味付けがお気に召しませんでしたか?」
「えっ? いや、違う。美味しいよ、美味しい。料理長にもそう伝えてくれ」
「ははっ」
政務を終え、夕餉の食卓についても。
リラックスするための椅子の感触が、緊張した玉座と変わらない。
目の前のコートレットも味がしない。なんだかゴムを噛んでいる気分である。
口の中に入っているのが肉か付け合わせのニンジンか。歯応えだけが頼り。
うかうかしていると舌を噛んでも気付かないんじゃないか
そんな気がして注意深く咀嚼するノーマンだが。
それでも思考はシルビアの件へ。
あり得ない。あり得ないとも。
同盟側の人間になったなら、同盟の提督を討つわけがない。
それもあんなに、恋人のように、うらやましいくらい仲よくしていた相手を。
討つわけがないだろう。
そうだとも。
もし仮に何か企みがあったとしても。
あの美人の恋人が死んだ時点で、同盟に対する未練も忠誠もないはず。
そこまで思い至れば、さすがに少しバターの風味を舌に感じ始めるが。
そこで止まればいいのに。
余計なことを考える、いや。
余計なことを見つけるまで考え続けるのが小心者の
いや、そういえば。
ショーン兄上との戦いに介入した提督は、まだ二人いたな。
ノーマンはオレンジジュースに、存在しないはずの皮の風味を感じた。
その夜彼は、ベッドで頭を抱えて寝付けなかった。
いつかのガルナチョのように。
翌朝。
彼は朝食と身支度を済ませると。
後回しにできる用事をずらして時間を作り、ケイに会いに行った。
本当なら昨晩にでもそうしたかったが。
さすがに新皇帝が夜中に皇后を差し置き姉の部屋へ行くのはマズい。
当のケイはというと、
「うーん、その像はぁ、もうちょい右に回して。そうそうそうそう、その角度がいい」
以前ガルナチョに宣言したとおり。
建国記念式典の準備に動き回っていた。
その日その時も、使う予定の大広間を
ショーンのクーデターによって荒らされたのを、一から復興しなければならない。
彼女は今、宮中で一番忙しい。
そこに、
「姉上」
「あらま陛下」
ノーマンが現れても、頭の中は式典でいっぱい。
かわいい弟をぞんざいに扱うではないが、すぐには切り替わらなかった。
ゆえに、
「何かご用でしょうか?」
「その、相談したいことがあって」
「どうぞ」
「それは、その、シルビア姉上について」
「バーナード元帥閣下?」
『先日あれだけ聞かされておいて今さら、申し訳ないんだけど』と。
言いづらそうな彼の様子にも気付くこともなく。
「閣下が何か?」
「いや、その、やはり、どうしたものかと。大丈夫だろうかと。状況が、ね」
「あー」
式典の話だと受け取ってしまった。
あるいは、式典に関係のない話なら。この場ではなく、あとで呼び出して話すはず、と思ったのかもしれない。
だから彼女は、皇帝の歯切れ悪い言葉の端から、勝手に話を組み上げてしまった。
シルビアの『現状』はケイもよく伝え聞いている。
親友を喪って深い悲しみに暮れていること。
うん。まぁ、たしかに。
式典とか呼ばれたくはないだろうね。そっとしておいた方がいいかもしれない。
ノディも気が利くじゃん?
それに、政治的にも。
お姉ちゃんがあれだけ必死に『友好アピール』してたんだもん。
あの悲しみようは騙し討ち狙いじゃなくて、本気で争いを避けたかったんだ。
つまり今回の件は手違いで、あの人の意志は平和で。
だったら、やっぱり呼ばない方がいいな。
ホイホイ式典来るより喪に服してる方が、対外的にそのことをアピールできる。
元々向こうが仕掛けてきたんだかんね。
より一層、皇国と新政権のクリーンなイメージが買える。
ノディも考えてるなぁ。やるなぁ。
人の機微を読む才能と、立場によって最近磨かれつつある政治センスが噛み合ったか。
彼女の頭が弾き出した答えは、
「そうだね、外した方がいいかもね」
「! やっぱり!」
この時ケイは、完全に返事の意味を履き違えていたことだろう。
あるいは、
でも、完全に一人ぽっちも寂しいよねぇ?
建国記念日にねぇ?
何より、そんなに傷付いてるんなら、誰かが
あれだけ愛した(んだろうね、知らないけど)人の穴を埋められるような。
ってなったらやっぱり……
「いっそ、ロカンタン上級大将も」
彼女はやはり優しい。
思考を巡らせ、あまりノーマンのリアクションを聞いていなかったかもしれない。
「そうか!」
対する彼も彼で。
ケイの考えを読み取れてはいない。
むしろ、
姉さまはシルビア姉上だけじゃない!
その一派の代表たるロカンタン上級大将すら見据えている!
さすがだ!
「姉さま」
「ん?」
「ありがとうございます。姉さまのおかげで決心がつきました」
「決心? ってほどの? まぁ、うん、それはよかった」
「姉さまに相談して、本当によかった」
「そりゃーケイちゃんはいつでも相談天国ですからネ」
運命の歯車を、思わぬ方向へと転がし始めていた。
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