第164話 信じられない 信じたくない

「なん、ですって?」


 身体中が力んでいるカークランドとは対照的に。

 シルビアは椅子から、よたよたと立ち上がる。


「え? なんて? もう一回言って?」

「同盟軍ユースティティア基地に動きあり! 皇国領へ」

「そうじゃないっ!」


 唐突な大声、いや、叫びに、興奮気味だった彼もギクリと固まる。

 その姿を見て、彼女も「あ」と口元に手をやる。

 やってしまった、というように。


 シルビアは、フラッと椅子に座りなおす。

 落ち着くためか、力が抜けたか。


「ごめんなさい、取り乱したわ。ちょっとコーヒー飲んで落ち着くわね」


 そのまま備え付けの内線を手に取り、


「もしもし。シルビアよ。部屋にコーヒーを届けていただけるかしら。あ、そうだ。准将もいかが?」

「いえ、自分は」

「そう、じゃあ、ブラックで、お菓子はいらないわ。コーヒーだけ、カップは一つで」


 逆に怖いくらい柔和に振る舞う。あの傍若無人な艦長が。

 受話器を置いた当の艦長は、大袈裟なくらいの深呼吸を一つ。


「何かの間違いよ。そうよ、いつもの海賊狩りを勘違いしたんでしょう」


 が、落ち着いたように見せて、目の前の相手と目を合わせない。


「いえ、現在ユースティティア星域に宇宙海賊の出現は確認されておらず」

「ディアナからの観測より、現地の情報網の方が正確に決まってるでしょ」

「そもそもユースティティアだけではありません。同盟領内の情報員によると、敵方面軍全体で軍港に動きあり。明らかに海賊退治ではありません」

「だとしたら、だとしたら」


 シルビアは右手を口元に寄せ、左の指先で椅子の肘掛けを叩く。

 もう明らかに、往生際悪く思考を巡らせている。


「そうだわ。あの子、『土地が圧政で苦しめられていたら解放に向かう』って。そうよ! 誰かしら、私が不在なのをいいことに無茶苦茶やってるやつがいるのよ!」


 閃いた! というように、彼女は軽く腰を浮かせる。

 その目にあるのは、不自然な揺れ。

 都合の悪い事実に、自己催眠をかけるような。


「閣下」


 とりあえず落ち着かせようと、カークランドが一歩近付くと、


「准将! そいつらを素早く見つけ出して更迭なさい! それで丸く治るわ!」


 有無を言わさず押し込むように、彼女も立ち上がり腕を突き出す。


「閣下。潜入させている監査官からは、不正は報告されていません」

「グルか、買収か! うまくやってるやつがいるのよ!」

「同盟の耳に入ることが、閣下のお耳に入らないとお思いですか! ご自身の部下が信用なりませんか!」

「じゃあ何よ! だったら全部嘘よ! 正しい報告をしなさい!!」


 シルビアはテーブルへ手を伸ばすと、


 その先には、高級将校として拝領したサーベル。


 よもや切られるとまでは思わないカークランドだが、


 威嚇のつもり、か?

 いや、


「閣下。残念ながら、一字一句正しい報告です。私は前線からの電報にある事実をそのまま。そして彼らは、決して閣下に虚偽を申しません」

「うるさいっ! そんなわけないっ!」


 鞘で床を叩くシルビア。


 駄々を、こねているんだ。

 私が聞きたい内容を言え、と。


 逆に何故、彼女がここまでムキになるのか。

 それは一つだろう。

 彼は二人の関係というものをよく知らないが、見ていれば分かる。


「閣下。ドゥ・オルレアンのことを、部下よりお信じになられますか」

「うっ、そんな言い方っ!」


 カークランド自身、卑怯な詰め方とは思うが。


「でもっ」


 しかし、これが偽らざる彼女の本心だろう。



「それじゃ、私とアンヌ=マリーの友情は嘘だったって言うの!? あの子は私を裏切ったって言うの!?」



 子どものように両腕を広げるシルビアの瞳。

 サーベルの間合いの外にいる彼にも、涙をたたえているのが分かる。

 だからカークランドにも、これ以上追撃するようなことは言えなかった。


「とにもかくにも、事実を確認するにも対応するにも。急ぎディアナへ帰投いたしましょう」

「ぐぅっ!」


 指揮官は答えず、呻き声一つ。立ったまま背を向け、椅子の肘掛けに両手をつき、項垂れて動かない。


 これ以上この場にいても、刺激するだけかもしれない。

 何より自身にはかける言葉もなく、いたたまれない。

 彼が逃げるように部屋を出ると、ちょうどコーヒーを持ったメイドとかち合う。

 部屋を指差してから腕でバツを作ったり首を左右へ振ったり。

 なんとかボディランゲージで訴えると、彼女も理解したらしい。

 小さく頷いて廊下を引き返していく。

 と、その背中に、



「アンヌ=マリーッ!!」



 胸を叩き、天井に向かって咆哮する悲しみが届いた。






 その頃。

 惑星ユースティティア。

『地球圏同盟軍』ベルナリータ軍港。


 着々と出撃準備を整える、慌ただしいドック。

 それを管制室から見下ろす二人の影がある。


 フランス国旗のようなジャケット。赤基調に緑と白のタータンチェックマフラー。

 亜麻色のシニヨン。

 アンヌ=マリー・ドゥ・オルレアンである。


「立派な艦隊だ」


 彼女へ右隣の人物が話しかける。

 低く貫禄のある声。


「どうも」


 対するアンヌ=マリーは、まるで誉められていないような態度。

 元より斜め被りの軍帽のつばを、相手を視界から消すように深くする。


「これだけの練度に鍛え上げながら、外征はまったくしないとは。理解に苦しむ」

「する気がないなら、苦しむだけ損ですよ」


 皮肉な返事は届いていないようだ。

 相手は出走まえの荒ぶるサラブレッドのよう。鼻息荒く身体を揺する。


「殻に籠る……やはりエスカルゴなのか? いくさ下手のフランス人にはめずらしい英傑と思ったのだが」

「フランス人が戦下手? 認識が新しいですよ。ナポレオンまで時代を戻しなさい」

「なんだ、そんな化石のような誇りでいいのか。たしか同盟軍にはかつて、ドラージュ提督という猛将がいたのではなかったか?」


 一瞬、主の教えも淑女の慎みも忘れて蹴り上げてやろうかと思ったが。

 向こうも他意があって言っているのではないと。

 それは彼女にも分かる。

 なので、努めて冷静に受け流す。


「残念ながら、ムッシュはあなたのお祖父じいさまによって敗死しておりますので」

「ふむ」


 返ってきたのは、明らかな空返事。

 皮肉が効かないように、彼にとって誇らしい言葉も無価値なようだ。

 意識が完全に、このたびの遠征に向いている。


「まぁいい。オレ自身の目が、卿は万世ばんせいに渡る英傑と告げている。よろしく頼むぞ」


 そんな言葉すら、相手を見て言わない。

 まぁアンヌ=マリーも帽子のつばで相手を隠しているので、見えていないのだが。

 が、気付いていたとしても、行儀のよい彼女はこうしただろう。

 ちゃんと相手に向き直り、胸に手を当てる。


「仰せのままに、閣下ムッシュー


 その態度が見えているのか、言葉だけでじゅうぶんなのか。

 男は満足そうに頷く。


「何より卿は、楚々そそとして気が強い。オレ好みだ」

「いきなり口説いているつもりですか? お行儀の悪い人」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る