第163話 願わくば

「今日は本当に楽しかったわ」

「それは光栄です」


 レストランはビルの高層階にあり、夜景もきれいである。

 あのあとシルビアはメイクを直し、ドレスコードに合わせて服も着替えている。


 鴨肉のコンフィを口にするアンヌ=マリー。

 フランス国旗のような青の、ミモレ丈のボウタイワンピース。マフラーはNGが出るので、首まで詰まったデザインをしている。

 履き物もローファーに。


 赤ワインを味わうシルビアは、真っ赤なベルテッドワンピース。

 対照的に首元がやや広めに開いているので、ネックレスで彩る。


「ありがとう」

「喜んでいただけて、私も一安心ですよ」

「うん」


 アンヌ=マリーは軽く微笑み、口元をナプキンで拭う。

 ワインを飲む時にグラスが汚れないよう、料理の脂を切る動き。

 ナプキンが口紅まみれになったら、なんだかなぁ。なんて気になって、なかなかそういうことをしないシルビアだが。

 それを見越してか、目の前の相手の口紅が薄いことに今さら気付く。

 しかしそもそもアンヌ=マリーという女性に、色味の強いグロスの印象もない。

 マナーやドレスコードの範疇ながら、実にイメージに合う。

 イメージに合うからこそ。


「ねぇ」

「なんでしょう?」


「今日はまた、えらく積極的だったじゃない?」


 イメージに似合わない部分が気になる。

 シルビアは肉をカットする手を止め、軽いテイストで聞いてみる。

 対して、アンヌ=マリーはゆったりガーネットの液体を喉に通してから、


「そうでしたか?」


 幾分ピノ・ノワールの、ベリー系の果実味が載ったような。

 明からさまに甘くイタズラにとぼける声を出した。


「そうよ。普段、ていうかSt.ルーシェの時のあなたって。そんなに遊びに出るのが好きな方じゃなかったし」

「おや、心外な。バカンスが嫌いなフランス人などいませんよ?」

「でもあなた、ちょっとストイックな軍人じゃない。少なくとも、自分から遊びに誘ってくることはなかったわ」

「人形劇、は公務でしたね、一応」


 彼女は付け合わせの野菜ソテーを口へ。

 フォークを操るな指。シルビアはオードブルに添えられていた、フランドル風のホワイトアスパラを思い出す。


「それに、なんていうか。詰め込みすぎじゃない?」

「そんなに焦って食べている覚えはありませんが」

「そうじゃなくて、スケジュール」


 実際『いつ中断が入るか分からん。食えるうちに食っとけ』の軍人稼業。

 そもそもの食べるペースが速いのはスルーしておく。


「ピクニックと映画とか、何日かに分けてもよかったじゃない。まるで、『今日が最終日だから盛大に』みたいな」

「はぁはぁ」


 アンヌ=マリーは頷きながら、また口元を拭う。

 ナプキンの折った内側を使うので、どれほど口紅が付いているのか見えない。見せない。

 彼女はグラスの脚を持ちつつ、シルビアを見つめる。


「逆に、まだ帰らないんですか? もう会談は終わったのに」

「何? 帰れっていうの?」

「というより」


 ここでワインを一口。


「承諾を得たとは言え、本国からすれば独断専行に近いんですから。さっさと帰って報告に出向いた方が、いえ」


 話している内容とは真逆に、優雅にグラスがテーブルへ置かれる。


「行かないと心象悪いですよ?」

「うーん」


 渋って首を捻るシルビアを急かすように、


「ですから、もう行っておしまいなさい。もうここにいて楽しいことは、全部してあげましたから」


 アンヌ=マリーの食べるペースが、今度こそ少し速くなった。


「ちぇっ。心置きなく帰れるように、身ぎれいにしてくれたってことね。久しぶりに会えて、私が恋しくなったかと思ったのに」

「私たちは恋人か何かですか」

「なろうと思ったらなれると思わない?」

「ジャンカルラの方がマシ風情ふぜいが」



 その場ではジョークで流したシルビアだが。






 翌朝、カーチャから


『悪いこと言わんから、中央に報告に来なさい』


 とメールが届き、実際に滞在は泣く泣く終了となった。






 6月24日、午前10時まえ。

 シルビアたち皇国使節団は、ベルナリータ空港に整列していた。

 背後にはいつでも出発できるよう整えられた『悲しみなき世界ノンスピール』。

 正面には、アンヌ=マリーたち同盟軍ユースティティア艦隊高官。


 いわゆる、お見送りである。


 双方、指揮官たちが一歩前へ出る。


「お見送りありがとう。今回は、非常に意義のある会談になったわ」

「えぇ」

「いえ、してみせるわ。私が」

「そうでしたね」


 アンヌ=マリーは言葉少なく微笑む。

 またいつかの時のように、長話ながばなしは旅立ちを妨げると思ったのだろう。

 だからシルビアも言葉の代わりに、


「また会いましょう。次はもっと、くだらない話をしましょう」


 もうマスコミは来ていないが。

 アピールなど関係なく、彼女を抱き締めた。

 アンヌ=マリーも背中へ手を回し、ポンポンと軽く叩く。


 数秒そうして、お互いの体が離れると。

 彼女は背筋を伸ばし、敬礼をし、


 少し寂しそうに、悲しそうに笑った。



「願わくば。願わくば次に会うときこそは、平和な時代でありますように」

「えぇ」



 シルビアも答礼。

 そこに


「閣下、そろそろ」

「えぇ」


 空気を読まないことは重々承知ながら、カークランドが予定を急かす。

 彼女もそれに応え、いさぎよきびすを返し、タラップへ向かう。

 その背中に、



「あなたの行く道に、主の祝福のあらんことをーっ!!」



 あまりにも、大きな声が届いた。

 思わず立ち止まりかけたシルビアだが。


「何よ、やっぱり私が恋しいんじゃない」


 ぽつり、独り言にとどめ、



「Alléluia!!」



 ユースティティアをあとにした。






 それから少し日々が過ぎ、7月になった頃。


「うーん……!」


 昼下がり。

 シルビアは『黄金牡羊座宮殿』の一室で、椅子に座り伸びをした。

 つい先ほど、皇帝と議会への報告が正式に終わり、任務から解放されたのである。

 マッチポンプ。


 なのでこれからユースティティア方面へ帰るところなのだが。


「もう少し王都で遊ぶ? いや、なんならフォルトゥーナって寄り道できないかしら」


 議会から『叱りはしないけどな。叱りはしないけど察せよ?』の圧があったにも関わらず。

『はいはい鹿人間鹿人間』とでも言うかのように。すでに頭は不真面目になっているシルビア。


 ま、こんなしてられるのも。アンヌ=マリーが攻めてこないおかげよね。

 さまさまだわ。


 などと、使用人にコーヒーを頼もうか思案していると、


『閣下! 元帥閣下!』

「あら」


 カークランドの声とともにドアが強く叩かれる。


「どうぞ」

「失礼します!」

「そんなに強く叩くんじゃないわ。ドア一つとってもブランドなんだから。あなただってポルシェの」

「そんなこと言ってる場合ではありません!」


 電報の紙を握り締める副官は、よく見ると肩で息をしている。

 もしかしたら、ここまで走ってきたのかもしれない。


「どうしたのよ」

「ディアナ基地より連絡!」


 彼はその電報を見もしない。

 内容が頭に入っているのだろう。

 あるいは、


「同盟軍ユースティティア基地に動きあり!」

「えっ」


 衝撃的すぎて、焼き付いたか。



「皇国領へ侵攻してくるものと思われます!!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る