第134話 そんでまた、敵か味方なのか

 残念がる様子すら捨て去った、完全に頭が切り替えられた。

 温度のない声が、漏れ出るように。


『ならば好きなだけ逃げ回るがいい。聖書を抱える時間くらいは稼げるだろう。それとも何か。後世の歴史家どもに言い残すことがあるなら、聞いておくぞ』


 歴史家のメシの種に興味はないし、ここまでくれば何を言っても同じだろう。

 そう感じたシルビアは、素直に思ったことを口に出す。


 脳裏に、今までの思い出が、見知ったコズロフの姿がよぎる。

 大樹のように頼り甲斐のある男。

 それでいて、実は闘志に溢れる熱い男。

 時には指揮官として、元帥として。もう少し冷静な方がいいのではと思わなくもなかったが。

 それすら不撓不屈ふとうふくつで踏み越えるような男。


「まさか、よりにもよって閣下が。よりにもよってあのショーン側につかれるとはね」


 別に非難や命乞いや負け惜しみではないが。

 返事には少し、間があった。


『……善悪で、全ては守れんのだよ』

「えぇ、そのうえで。善悪の分かるお方だと思っていましたわ」

『そうか』


 最後の相槌は短く。

 続くのは息を吸う音。

 おそらく戦闘開始が告げられるだろうというその時。



『まったくだよねぇ。僕もそう思ってたんだ』



 電波ジャックか。

 唐突に第三者の声が割り込む。


 コズロフと同じくらい。

 いや、確実にそれ以上に。


 よく耳に馴染んだ声が。


「前方に別の艦隊が現れましたっ!」


 観測手が叫ぶ。

 が、シルビアにはそれが、不思議な聞こえ方をする。

 耳は大きく捉えているのに、脳内では遠く響くような、乖離した感覚。

 そう、まるで、


「シグナルは!」

「はっ! シグナルは皇国宇宙軍……」


 真横のリータの声すら遠い。


 まるであの、初めてあった時のような、


「エポナ方面派遣艦隊ですっ!」

「!? ってことは!」

『貴様、その声は!』



『そうやって無理矢理ナンパするから、孤児院の先生になじられるんだぜ?』



「ジュリさまっ!!」



 恋する乙女のような、魂が浮かれた心地。


 本来ならここで発作を起こしかねないところだが。

 事実リータが『港町の眺めボルチモアビュー』クルーへいつもの呪文を構えるが。

 それより先に、コズロフの声が割り込む。


『バーンズワースか。その分を見ると、勅を受けてルーキーナより手勢のみで駆けてきた、と。ご苦労なことだな』

『閣下こそご苦労なこってさぁ。身一つ快速シャトルぶっ飛ばしてカピトリヌスへ向かったと思ったら。すぐさま逃亡中の両殿下捕縛を拝命。ろくに準備もせずトンボ返りで、道中いた艦隊拾って部下にして今だろ?』

『兵は神速をたっとぶからな』


 シルビアには両元帥の姿が見えているわけではない。

 が、ありありとイメージできる。

 談笑したり、作戦会議をしたり。今まで見てきた、くつわを並べて戦ったあの日々から。

 それでいて、やや経験とは違う。

 口角と裏腹、笑っていない視線をぶつけ合う両者の姿が。


『だがな。卿には悪いが、この場はオレが一番槍だ。譲ってもらおうか』

『おやおやおや、バーナード少将の演説見てないのかい? 後ろに僕の妹がバッチリ映っててね。君今、そこにコナ掛けてるんだろう? 兄としちゃ、いただけないなぁ』


 ここまでは、そんな映像、彼女の勝手なイメージに過ぎなかったが。

 続く声は、明確に一段低い、獰猛なものだった。



『しかもナンパが皇帝の犬じゃなぁ。「噛まれたようなもんさ」じゃ済まさないよなぁ』

『……そうか、薄々勘付いてはいたが。卿とかち合っているのは、進路だけではないらしい』



 逆に。

 返すコズロフの声は、力強く張り上げられる。


『であれば! ますますここは譲れんな! 邪魔立てするならまとめて……!』



『じゃあ中取って、ここは私に預けてみるかい?』



 またも割り込む別の声。

 いったい何人横槍を入れるのか。回線がパンクしやしないか。

 心根が小市民なシルビアは、そんなことが頭をよぎるが。


 大人物たる元帥は、そんなことなど気にしない。


「1時の方向に、また新手の艦隊です! シグナルは……ケリュケイオン方面派遣艦隊です、が!」

「分かってるわ。先頭の識別コードでしょ?」

「はっ、はい、先頭は、



 戦艦『私を昂らせてレミーマーチン』ですっ!!」



『ハロー、バーナードちゃん、ロカンタンちゃん』

「セナ閣下!」


 リータの歓声が上がる。

 そういえばこの少女は、彼女のブロマイドを大事に持っていたほどのファンだったか。


『カーチャ、よもや貴様も邪魔立てか』

『おっとコズロフ閣下、よく考えて? もし私が両殿下やバーンズワースくんのお友だちなら。アウェーのお邪魔虫はあなたの方だぞ?』

『ちっ』

『空気読めないから、ナンパに失敗するんだぞっ☆』

『貴様ら、揃いも揃ってふざけおってからに……!』


「カルメンタ方面派遣艦隊、追撃を停止しています!」


 もはや渦中のはずのシルビアたちの頭越しに行われる威圧合戦。

 その合間にも、観測手はしっかり義務を果たしている。

 その報告が聞こえたわけではあるまいが。


『艦隊で一隻を手籠めにする算段だったんだろうけど。形勢は逆転したんだ。ここはおとなしく引き上げるのが賢明じゃないのか?』



 バーンズワースの優しい声が響く。

 今までとは一転した響きだが、その実はダメ押しのように。『おまえの負けだ』と言い含めるように。


『もちろんタダで帰れなんて言わないよ? こうして閣下の麾下と『稼ぎ頭キルオーナー』も持ってきたんだ。今日のところはこれで堪忍してくんない?』


 おそらく、相手に姿が見えなくとも、カーチャはポーズをしているだろう。

 とすれば逆に。

 コズロフは左の拳を震わせているのかもしれない。

 プライドの高い彼のことである。この状況ははらわたが煮えくりかえるだろう。

 が、


『また次回、戦力を整えて出直すとしよう。それまでに卿らも、できるかぎりのことをするといい。味方をつのるなり、有利な降伏条件を交渉するなり、な』



「後方敵艦隊、撤退していきます!」



 ひとまずは冷静に、勝負を急がないようだ。

 去っていく脅威に、『港町の眺めボルチモアビュー』艦橋内では歓声も上がらない。

 皆、心底肝が冷えて、ものも言えないのだろう。

 シルビアも今ごろになって、どっと噴き出す汗を感じる。

 しばらくはバーンズワースもカーチャも、追随していくケリュケイオン艦隊を警戒。何も言わなかったので、

 無音の緊張空間に一言、


「鼻血出そう」


 14歳の呟きが、妙に響いた。

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