第133話 敵か味方か
「敵かしら、味方かしら」
艦橋へ急ぐリータの背中を追い掛けながら、シルビアは投げ掛ける。
純粋な疑問ということもあるが。
頭を動かす予備運動にもなる。
「おそらく敵でしょう」
彼女へ振り向かずに答え、エレベーターの◁▷スイッチを押す。
「でも、敵だとしたら早すぎない?」
「声明を出してから三日ですからね。ルーキーナからの帰還中で、近くにいた艦隊なら来る頃です」
「でもそれは、味方でもあり得るんじゃない?」
エレベーターが目的の階に着き、ドアが開くと。
「ないとは言いませんが」
リータはようやく彼女へ視線を向け、薄く笑う。
「フォルトゥーナへ向かう我々の前方から、フォルトゥーナへ馳せ参じる艦隊が?」
「あっ」
はっと固まるシルビアを置き去りにするように。
彼女は艦橋へ向かって飛び出していった。
「状況は?」
リータが艦長席の背もたれにタッチすると、予習していたような副官の説明。
「シグナルはカルメンタ方面派遣艦隊のものです。数は」
「数はいい。一隻対艦隊ってだけでお腹いっぱい。向こうから何かお電話は?」
「ありません」
彼女は椅子に座りつつ、自身の両頬をむにむにする。
表情筋のマッサージか何かか。
「味方になりたいのであれば。普通は目に見えた時点で、真っ先にごあいさついただけるはず」
「ということは」
「サムライは射程手前で名乗る。殺し屋は急に撃ってくる」
静かに、副官とシルビアへ言い含めるように呟いていたかと思えば。
急に、先ほどのマッサージが効いたような大口。
声を張り上げる。
「総員、第一種戦闘配置! 180度回頭! 少しでも距離を取る!」
三十六計なんとやら。
射程に入ったら蜂の巣なのだ。射程に入らないようにするしかない。
「逃げ切れるかしら」
「さぁ。『フランス語に“不可能”という語彙はない』とか聞きますが。真面目に言うと、敵の高速艦次第でしょうか」
言っていることはナポレオンでも、やっていることは真逆の判断をしたその時、
「敵艦隊よりシグナル! 通話を要求しています!」
通信手がこちらを振り返る。
「リータ」
「サムライの方が、殺し屋よりはマシですかね。ブシドー」
「でも実際の武士は『犬とも言え、畜生とも言え』とかいうなんでもありだったそうよ?」
「じゃあ無視するとあとが怖そうですね。回線開けっ!」
「はっ!」
すると、待ちきれんばかりに。すぐにもスピーカーから響き渡る声は、
『戦艦「
「えっ」
「この声、は」
これでも歴戦シルビアとリータ。
二人の体がたった一言でギクリと強張る。
『こちらはケイ・ノーマン両殿下追討軍及び、ケリュケイオン方面派遣艦隊指揮官』
忘れもしない、いや、忘れられない。
絵に描いたような威厳と威圧感を発する、深く強い声。
声だけで顔や体格、人となりが想像でき、かつそのとおりの姿を、
いや、それにしては思ったより若い、あの
『元帥、イワン・ヴァシリ・コズロフである』
「閣下……」
その名前だけで。艦橋内の空気が変わる。
ただでさえ相手は艦隊、逃げるしかない絶望的状況だったというのに。
まだ底があったとは。
これはいけないわ。
シルビアは艦長席の、応答用の無線機を手に取る。
黙っていては空気が詰まる。それだけ部下が不安になる。
「ごきげんよう、閣下」
『む。卿はロカンタン中将ではなく、バーナード少将だな?』
「声でお分かりいただけるのは光栄ですわ。それだけ蜜月の
『オレの立場は、一番目立つ位置に言葉を配置したはずだが』
いいわよ。この世界の人間は、なんだか凝った言い回しを好むじゃないの。
その直球に固くない会話が、少しでも緊迫感を溶かしてくれる。
だからこういう時こそ、積極的にジョークを仕掛けるのだ。
カーチャの元で
ジャンカルラやアンヌ=マリーの隣で
自分自身が戦い抜いてきた経験で
軍人としてどこまで成長できたか分かりもしない彼女が。
せめて人を率いる立場としては学んできたことである。
それ以外にも狙いはあるのだが、
『それより、まずは艦を止めたまえ。話がしたいのだ。逃走の時間稼ぎを図らんことだ』
「あらやだ」
そこまでは通用しなかったらしい。
目論見を看破されては流れが怪しくなるが、
「昔、孤児院の先生が。『男性の“話をしよう”“何もしない”は政治家の“不正はなかった”と同じ』って」
リータがすかさず、精神的なせめぎ合いを混ぜっ返してくれる。
『はははは、男ながらぐうの音も出ない。が、さすがにオレも、バーナード少将よりは少女に安全な男だぞ? それよりだ』
返事を待たずに話題を切り替える言葉。
『艦を止める気がないならそれでもかまわん。話を聞け』
これ以上の無駄話には付き合ってくれないらしい。
すーっと深呼吸の音がしたあと、
『投降しろ。オレと卿の仲だ、悪いようにはせん』
「はぁ」
リータの気のない返事は、今までの軽いノリのようだが。
その実、努めて返事に
『まさか本当に逃げ切れるとは思っていないだろう。そして、逃げられたなら、こちらも撃たぬわけにはいかん。そうなると、結末は見えている。そうだろう?』
「そうでしょうか?」
『そうなのだ』
コズロフの声が少し大きくなる。
おそらく受話器に身を乗り出しているのだろう。
真摯に説得しようとしているのは分かる。
『ならばオレに賭けるのが賢明だろう。どうだ』
「いやー、あー」
またも歯切れの悪い少女の返事。
だが、今度は困っているというより、少しおちょくるような色合い。
「本当ですかぁ?」
『何を疑う』
「『オレと卿の仲』なのでしょう? 『オレと卿らの仲』ではないでしょう?」
『それが』
「そんな暗に『卿一人ならなんとかできる』みたいな。私がなんのために誰と
『む』
「それとも、あの誇り高きコズロフ閣下が。『両殿下と主人を売って生き延びた』と言われる結末を、本気で『悪いようになってない』と? あの? コズロフ閣下がぁ?」
数秒間。返事はなかった。
ただ、少しマイクから離れた位置で、鼻から大きく息を吸う音がしたあと。
『交渉決裂、だな』
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