動乱の四月編

第120話 人は変わるものよ

 シャトルがカンデリフェラやステラステラの勢力圏を脱した頃。


 実はリータは困惑していた。


 本日ようやくシルビアと再会したわけだが。

 出会ってからほぼ常に一緒にいた二人が再会するのは、実に二ヶ月ぶり。

 それも計画されていたり心の準備があったものではなく、唐突な別れから。


 そうでなくとも。

 シルビアは普段から逮捕されても誤認と言い切れないスキンシップをする。

 禁断症状などと寝言を言って彼女の髪の匂いを嗅ぐことなど、ごとである。


 彼女は今日、人目もはばからずことになると、正直覚悟していた。


 なんなら。



 シルビアが突然失踪したあの日。

 行方不明のまま流れた日々。

 調査によれば、同盟に拉致された、と聞かされたあの日。

 その後の動向も分からず、実質戦死判定となったあの日。


「ああああ!! ああ!! うあああああ!!」

「ロカンタン中佐! ロカンタン! リータ! リータっ!!」

「ああ、ああ、あぁ……」


 どれだけ嘆き悲しんだか。泣いて喚いて叫んだか。

 ロクなプランもないまま、とにかく宇宙へ飛び出そうとしてカーチャに抱き留められ。

 涙を首筋に感じたと思ったら、次に目を覚ましたのは医務室のベッドの上。

 時計を見れば丸一日経過していた、なんてこともあった。



「なんだとこの野郎!?」

「貴様こそそれでも軍人か! こうせねばこの戦争には勝てん!」

「そんなに殺し合いが尊いなら、今ここで気が済むまでやってやる!!」

「バカな! 甘えたことを!! 皇国軍人の、方面派遣艦隊司令官の、元帥の、セナ家の! 自覚はないのか!!」


 あまりの憔悴しょうすい具合に、前線を離れさせるか、貴重な戦力としてルーキーナに残すか。

 左腕の折れたカーチャと右腕の動かないコズロフが殴り合いをしたこともある。

 止めに入ったバーンズワースは口の中を切った。

 シロナは悲しさと虚しさに泣いた。

 イルミはその晩「私が養うから退役していい」と言いに来るほど悩んでいた。


 それでも、自分が軍人として必要とされているなら。

 戦力を大きく損耗した皇国軍で、この歳で取り立てられるほど期待されているなら。


「それに見合う、より一層の活躍を期待している」


 コズロフより新たな軍装を受け取った日、静かに自分を殺した。



 それがある日。


「ロカンタンちゃん!」

「どうなされましたか」

「これ! これ!! これを見ろ!!」


 カーチャが見せてきたタブレットの画面。

 そこに、


「シルビアさまっ!?」


 それでも忘れ得ない姿を見つけて、どれほどだったか。

 うれしいとか幸せでは言い尽くせない、脳が全て溶けてオキシトシンになったような。

 タブレットの画面ライトが、勝手にどんどん明るくなる錯覚すらあった。


「これは!?」

「同盟軍の広報サイトだ。どうやらあの要塞の向こう、カンデリフェラでのことらしい」


 この頃ギプスが取れたカーチャの、肩に置かれた手の温もり。今でも覚えている。


「そっちなら他の星経由で遠回りにはなるけど、観光客のフリして潜入できる」


 向こうもリータの体温を覚えているという。


「彼女を、バーナードちゃんを連れ戻しに行こう」



 それから入念に計画を練り、

 St.ルーシェに潜入し、

 現地の潜入工作員や親皇国派とも協力してシルビアの動向を探り、

 彼らが捕まるアクシデントがありながらも調査を続け、

 ついに彼女が住んでいるホテルを発見し、

 カーチャがロビーでチェックインしている時に、



「ぁ!!」



 愛しい愛しい、待ち望んだその姿を見かけた時。

 どれだけ必死に声を我慢したか。

 どれだけ駆け出したいのを堪えたか。

 どうしても脆くて、心労でまた一段弱ってしまった体が卒倒しそうになるのを。

 どれだけ必死の思いで繋ぎ止めたか。



 その全てを越えて。

 今シルビアが壁の向こう、宛てがわれた部屋にいる。



 正直、リータ自身が止めどない感情の応酬を望んですらいる。



 だが、彼女はその一歩を踏み出しはしなかった。

 恥ずかしいのではない。


 ただ、静かに静かに。

 受け取ったマフラーを撫で続けるシルビアに。

 カシミヤの手触り以上の何かから手を離せないシルビアに。


 踏み込むことができなかったのだ。






 実はシルビアは困惑していた。


 今、隣の部屋でリータが着替えている。

 先ほどのワンピースを脱ぎ、軍服に袖を通しているのだろう。


 それがシルビアのメンタルを不安定にさせる。


 今まで一緒に風呂に入ったこともある。

 同じ部屋で着替えるのも日常だったし、同じベッドで寝るのが常だった。

 それを隣の部屋で着替えている程度、何を今さら。

 そう彼女自身も思う。


 しばらく会わなかったから、距離感を失っているのか。

 なるほど、それも一理あるだろう。

 が、二ヶ月程度でそこまで見失うほど浅い半年ではなかったし。

 考えれば考えるほど、違う答えが見えてくる。

 そして今シルビアは、その答えを振り払うのに必死になっている。



 久しぶりに会ったリータは、変わっていた。

 背が伸びたわけではない。

 声が低くなったとも思わない。

 性格はまだ分からないが、向けてくれる愛情は変わらないだろうと思う。


 ただ、顔が少し。

 頬が痩せたとか、そういうことではない。

 物理的に具体的に何がどう変化したということはないが。


 苦労、したんでしょうね……


 表情に影を忍ばせるような。表情筋に染み付いた形があるのかもしれない。

 それを単純に、「かわいそうに。優しくしなきゃ」とでも思えたらいいのだが。



 シルビアにも変わったことがある。

 彼女には、アンヌ=マリーと過ごした一夜がある。

 重なった一夜がある。


 愛情がある相手だった。それは事実。

 が、しかし、それは友愛であり親愛だったはずで。

 それを、酔いと神秘的な悲劇の話、秘密を共有した喜びがあったとは言え。


 越えた。


 深く越えた。

 友を、愛する人を、命を助け合う人を。

 聖なる者を。大人と少女性の狭間にある彼女を。

 抱いた。



 ずっと、細かいことの記憶はなかった。

 状況証拠で「そうなんだろうな」と察していたにすぎない。

 だが。


 久しぶりに、シャトルに乗って落ち着いてリータを見た時。

 全て蘇った。


 少しだけ顔付きが変わって、大人へ一歩近付いた、同じフランスの少女に。

 想起してしまったのだ。



 だから、困惑している。

 少し不安定になっている。

 着替えているという事実だけで。


 今までは、怪しいながらも『愛でる』とか『スキンシップ』と言えた触れ合い。

 そこにとどまれる自信がない。


 衝動に駆られるというよりは、胸を張って大丈夫と宣言できない。



 結果、何故か経験してかえって童貞くさくなったシルビア。

 素直に甘える機能に乏しい孤児が、少し大人になったリータ。


 二人がまともに会話できたのは、カーチャがあれこれ世話を焼いての二日後になった。

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