第119話 決別、餞別
「はぁ!?」
アンヌ=マリーはシルビアが知るなかで、一番取り乱した声をしている。
「あ、あ、あ、あなたは何を言っているんですか!!」
彼女だけではない。
予想していなかったのだろう。カーチャすら、意図を測りかねた渋い顔をしている。
が、ジャンカルラは堂々と。
シルビアだけを真っ直ぐ見つめ、ゆっくり近付いてくる。
「シルビア、君は言った。あの児童養護施設慰問の時だ」
彼女の瞳には、強い意志が宿っている。
しかしそれは、
「覚えてるか」
「どれのこと? いろんなことを話したじゃない」
「そうだな。あれは皿を洗ってる時だ」
自身の意志というよりは。
きっとジャンカルラには、あの日の誰かの強い意志が映っているのだ。
「覚えてるか」
「覚えてるわ」
あの時は二人しかいなかった。
なので周りは誰も内容が分からない。
が、アンヌ=マリーすら口は挟まなかった。
ただひたすら、成り行きを見守っている。
割って入るべきでないと知っている。
「あの時君は言ったんだ。『もし私が、皇国に戻ることがあったら』」
「『必ず皇帝になって。この戦争を終わらせるわ』」
「そうだ」
ここでジャンカルラはようやく、静かに微笑んだ。
それから背を向けると数歩離れ、落ちている花壇のレンガの破片を蹴る。
「だったらもう行ってしまえ行ってしまえ。この現場は見なかったことにしてやる。応援はロビーにしか呼んでない。裏口から行ってしまえ」
「ジャンカルラ」
何か返事を返すまえに、リータがシルビアの手を握る。
カーチャも静かに囁く。
「悪いけど、決まったなら急がないとね。行くよ」
「でも」
「遅れれば遅れるだけ、情報も回るし応援も来る。脱出は困難になる。ここを逃せば私たちも二度と迎えに来れないし、逃がさない用意が整えばそれだけ。わざと逃したとバレなくても、彼女らの責任が大きくなる」
そこまで言い含められても、彼女は思わず同盟の二人へ目を向けてしまう。
ジャンカルラは背を向けたまま、少し目線を上げて何も言わない。
アンヌ=マリーも、さっきまではあんなに同盟軍人として反対していたのに。
今は静かな瞳で、何も言わずに彼女を見つめている。
帰るのがシルビア自身の思いと目的なら。
友だちだから、あなたの決めたことは尊重する、というように。
その愛情が、思い起こさせる短くも温かい日々が。
体を引き裂かれるような思いをもたらす。
「ね、ねぇ。よかったら」
すがるように、あり得ないことを。
ともすれば、二人に対して褒められたことではない言葉を溢しかけたその時。
それを掻き消すように、力強い風圧と音。
「何っ?」
シルビアが空を見上げると、ヘリコプターがこちらへ高度を下げてきている。
リータが彼女の腕を引っ張ると、カーチャが諭すように親指でヘリを指す。
「お迎えさ。あれで宇宙港まで直接飛んで、すぐにシャトルで離脱する」
時間だ、とでも言うように。
シルビアはまたも振り返る。
少しアンヌ=マリーが揺れて見えるのは、風か視界の問題か。
すると彼女は少し微笑んで、足元の箱を拾った。
フラッシュバンのあと彼女を庇う際にシルビアが落とした、プレゼントの箱。
アンヌ=マリーは中身が風で飛ばされないよう丁寧に箱を開けると、
アーガイルチェックのマフラーを取り出し、シルビアの首に巻く。
「これ……」
「私から、あなたへ。友情の証を、旅立つ友へ」
「そんなっ!」
もしかしたら彼女には、途切れた言葉の先が分かっていたのかもしれない。
だからこそそれは、甘く優しくも、シルビアの期待を丁寧に死なせてあげる祈り。
「次に会う時は友と呼べなくとも。たしかに友であることは覚えておくために」
「忘れやしないわ!」
「では、それはそれで私たちの思い出や愛と同じように、大切にしてくださいね」
アンヌ=マリーはマフラーを巻き終わると。
結び目があるシルビアの胸に、そっと手を乗せた。
愛を込めるように。別れを惜しむように。背中の代わりに押すように。
「……必ず。さすがに冬しか巻かないけれど」
「あら、残念です」
「おーい、そもそもそれ、僕が君に贈ったやつだぞ」
『僕は何も見ていません』としていたジャンカルラが、思わず少しだけ振り返る。
「それはまた買ってください」
「えぇ?」
「なんですか。シルビアさんへの餞別に、あなたもいっちょ噛みさせてあげようって言うんですよ?」
「ちえっ。聖女サマはお優しいことで」
彼女はまた背を向けてしまう。
それを合図のように、アンヌ=マリーも一歩離れる。
引き留めてはいけない。引き留められてはいけない。
それでも別れられない。
「そうだ。せっかくだから最後に、一度くらい歌ってくれてもいいのよ?」
シルビアの時間稼ぎは、
小さく左右へ振られた首に、優しく断られる。
「時間がないのでしょう? それは、またの機会に」
「聞きたかったら、早く戦争終わらせてフランスにでも行くんだな」
それが最後。
「シルビアさま」
リータがヘリから降ろされた縄ハシゴを握らせると、彼女の体はふわりと浮いた。
「アンヌ=マリー!! ジャンカルラ!!」
返事はなかった。ヘリの音でかき消されたのかもしれないが。
やっぱりなかったと思われる。
ジャンカルラは彼女らしく意固地に見ないフリするし、
アンヌ=マリーは彼女らしく柔らかい所作で手を振っている。
「アンヌ=マリーっ!! ジャンカルラーっ!!」
小さくなっていく二人の姿を、シルビアは必死に目に焼き付ける。
風圧で散っても散ってもまた湧いてくる涙に負けず、必死に。
もう会えないかもしれないからではない。
また会えた時、真っ先に見つけ出して抱き付くために。
実はそれとほぼ同時刻のこと。
皇国の首都たる星、カピトリヌス。
その中心、『黄金牡羊座宮殿』外苑。
こちらは地球、北半球のカレンダーに合う、寒い冬の昼中。
「ケイちゃん!」
「お待たせ。よし、これで全員揃ったね。ついてきて」
「ねぇ、私たちこれからどうするの?」
「それは難しい質問だね」
皇国第五皇女、ケイ・アレッサンドラ・バーナードは、震える親友を抱きかかえてやる。
「とにかく、ルーキーナへ向かおう。あそこなら、信頼できる軍人さんがたくさんいる」
バーナード朝の歴史でも、指折りの大事件が起きていた。
──『悪役令嬢と戦場の聖女たち』完──
──『動乱の四月編』へ続く──
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