第113話 聖女の秘められし

「はっ!」


 ラングレーの威勢よい返事とともに、


「うわぁ! 突っ込んでくるぞ!!」


 もはや銃も撃たず、目の前の集団に殴り込み。

 体格のいい彼と看守を実績のあるジャンカルラ。そして空手黒帯のアンヌ=マリーが先手を切る。


「うわっ!」

「ぐへっ!!」


 一気に数人薙ぎ倒し、突破口を作ると。


「さぁ!」


 アンヌ=マリーがシルビアの手を引き、先に行かせる。


「エレベーターを呼んで!」


 姿を見られた以上、階段を切り替えても無駄と判断したのだろう。

 数人先に行かせて、自分たちは到着までの足止めをするつもりのようだ。

 人数はちょうど互角くらいか。

 それでも急いだ方がいいことに変わりはない。


「エレベーターは、あった!」


 目的のものは、意外と角を曲がってすぐ。

 ボタンを押すまではよかったが。


「速く、速く!」


 ここは高層階。そんな何十階とかではないが、それでも来るまでに少し時間がある。

 いや、実際は1分もしないが、シルビアにはとんでもなく長く感じられる。


「がっ!」

「ぐえっ!」


 殴り合いは圧倒しているようだが、そんなのは関係ない。

 ゆっくり1階ずつランプがともる表示を、シルビアは心の中でカウントダウンする。

 嫌がらせのようにと右へ流れる数字が『7』に来たところで、


 キン、と音を立ててドアが開く。


「来たわよ!」


 思わず角まで戻って報告するシルビア。


「了解!」


 それを受けてアンヌ=マリーが離脱しようとしたところで、


「待てっ!」


 親皇国派の男が手を伸ばし、


「うっ」


 彼女のマフラーをつかんだ。

 瞬間、元々ほどけかけていたのもあって、



 はらりと、マフラーが彼女の首を離れた。



「あ」


 唐突なに、シルビアの思考がフリーズする。

 が、アンヌ=マリーの方は冷静か、むしろ勢いか。


「このっ!」


 無理にマフラーを取り返さず、男を蹴飛ばすと、


「ぼさっとしない!」


 そのまま突っ立った彼女の手を引いて、急いでエレベーターへ駆け込んだ。


 最後にラングレーが飛び込むと、エレベーターのドアが閉まり、1階へ動き出す。


「まさか、外部から止められたり、しないでしょうね」

「フロントは、もう重装隊が抑えたんだ、心配ないさ」


 さっきまで格闘していた女性提督二人、さすがに肩で息をしているが。

 それでもエレベーター内は、安堵の空気に包まれていた。

 1階に着けば多人数の味方兵士が待っている。もう安泰である。


「Alléluia. これで、一件落着、ですね」


 リラックスした様子でシルビアに微笑みかけるアンヌ=マリーだが。


「……」


 彼女の意識と視線は。

 あごを上げたことにより、反って強調される

 汗をまとい、胸と連動して呼吸に合わせわずかに震える



 剥き出しの白い喉に釘付けだった。






 それから一行は総督府へ行き、テレビ電話でゴーギャンに顛末を報告。


「私の油断によってこのような事態となってしまいました」

「いいえ。私が忠告を聞かなかったから」

「あなたは少し黙っていなさい」

「あなたこそその説明はなんのつもりよ」

「いいから!」

「よくないから!」


『えー……』


 庇い合い、というよりは責任の奪い合いめいた会話で向こうをドン引きさせ、


『まぁいいよ。そりゃ今回の件、問題はあったけどね。それでアンヌ=マリーちゃんを処分してるほど僕らも余裕ない』

「感謝します」

『でもまぁ、謹慎じゃないけど。引き続きホテルからは出ないようにね』

「はっ!」


 主に大人の懐の広さで、なんとか状況終了となった。



 それからホテルに戻りシャワーで汗を流し、ベッドで意識を失う。

 朝から起きていたし、疲労困憊だし。






「ん……」


 目を覚ますと時刻は、


「20時……20……何分でもいいや」


 針で指すタイプの時計。細かいことはどうでもいい。

 大体の時間が分かればだし、はっきりしているのは


「晩ご飯、もうやってないわよね」


 ホテルのビュッフェは18時から、何時までだったかは忘れた。

 ギリギリやっていたとしても、何も残っていないかもしれない。

 何より、もしスタッフさんが片付けモードに入っていたら気が引ける。


「売店、か……外のお店はやってるでしょ」


 モゾモゾと起動しはじめるシルビアだが、


「外……」


 昨日の、どころか今日の今日。


「アンヌ=マリーに相談しましょ」


 よく見たら今の格好は下着とTシャツだけ。

 ジーンズを履き薄手の桜色カーディガンを羽織ると、隣の部屋へ向かった。






「アンヌ=マリー、いる?」


 軽くノックすると、ややあってカチャリと鍵の開く音がした。


『どうぞ』


 相変わらずの優しい声。

 シルビアが中に入ると、彼女はテーブルへ戻るところだった。

 そこには、


「あら」


 赤ワインとデキャンタ。チーズ。クラッカーにブルーベリージャム。チョコレート。ドライフルーツ。


「実は寝落ちしてしまいまして。夕飯を食べ損ねたのです」

「私もなの」

「あら。では一緒にどうですか?」


 向かいの椅子を指し微笑むアンヌ=マリーも。

 なるほど白のタンクトップに黒のショートパンツ。

 寝起き頭でいろいろ並行作業していたのか、髪も右だけいつものシニヨン。


「いただくわ」



 そういえば、結局昼も食べそびれていたのだ。

 寝起きの頭に空きっ腹。そこにワイン。

 すぐに心も体もほくほくしてくる。


「今日のワインはちょっと渋いのね」

「ボルドーの上物じょうものですよ」

「でも渋いわ」


 しかしそれがチーズのまろ味やフルーツ、チョコの甘さにいい。

 なんだかんだ進んでいると、話が今日一日の総括に。


「それにしても、今日は大変だったわね。お疲れさま」

「お疲れさま」

「本当にありがとう。おかげで助かったわ」

「いえ、お気になさらず」

「えぇ。でもやっぱり一度、ちゃんと言っておきたかったから」

「そういうことでしたら。ま、なんにせよ、あなたが無事で本当によかった」


 アンヌ=マリーは優しく目を閉じ、ワインの香りを吸い込み、口に含み。

 ゆっくり味わい、飲み込む。


 その動きに合わせて、静かに動く、喉。


 彼女はマフラーをしていなかった。

 昼間に取られて代わりがないのか、それとも『もう見られたから』ということか。

 とにかくアンヌ=マリーの首筋は照明のもとに晒されていて、

 シルビアが思わず見つめても、少しも隠す素振そぶりがない。


「おや」


 目を開いた彼女は、視線に気付いたらしい。


「気になりますか?」

「あっ、いえ。ごめんなさい」

「構いませんよ」


 やはりもう気にしていないようだ。

 となると、シルビアはもう少し踏み込みたくなる。

 心の距離かもしれないし、お酒のせいかもしれない。


「じゃあ、近くで見てもいい?」

「あらまぁ急に図々しい」

「そ、そうよね。それはさすがにね」

「冗談ですよ。どうぞ。私は勝手にワインをやらせていただきますが」

「じゃ、じゃあ失礼して」


 彼女は椅子から立ち、アンヌ=マリーの横につけて首筋、

 喉笛のところを覗き込む。

 そこにあるのは、


「ねぇ、これ」

「なんでしょう」


「フランス語?」



 びっしり横書きの文章の、タトゥー。

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