第112話 逃走、突破

「エレベーターは、やめておこうか」


 ジャンカルラは小声で呟くと、階段の方へ顔を向ける。


「静かに慌てず急ぐんだ」


 冷静かつハイペース。軍人には必須技能だが、そう簡単なものではない。

 黙っていると息が詰まりそうで、メンタルバランスを欠く予感。

 シルビアは小声でアンヌ=マリーに話しかける。


「そういえば」

「なんでしょう」

「一つ安心して?」

「何がですか?」


 小さく首を傾げる彼女へ、シルビアは微笑む。

 会話をして気を紛らわせたい、というのもあるが。

 それ以上に、これだけは伝えておきたいということがあったのだ。


「あなた、まえに『市民はイデオロギーなんてなんでもいい。だから私は無用な戦争を起こさない』『でもテロリストがいる現状、そんなの幻想かも』って言ってたけど」

「はい」

「自信持っていいわよ。そいつらの方が、幻想に生きる狂信者なだけだったから」

「は、はぁ?」


 アンヌ=マリーには意味が通じなかったようだが。

 ジャンカルラはいろいろ察したらしい。


「まぁ、こういう治安悪いところは、タチの悪いドラッグも流通しやすいからな。おかしい奴がいてもおかしくない」

「ドラッグ」


 そういえば最初にカンデリフェラへ降りるまえ。

 将校サロンでカジノがドラッグがと聞いたが、否定はされなかったのを思い出す。


 だからあのアニタとかいう人も、急に発狂して拳銃取り出したのかしら。


 納得がいくと同時に、『親皇国派だからおかしいのではない』ということに安心する。

 一方で、ジャンカルラに『治安悪い』と言われるような区画。そこを根城にしていた親皇国派。

 ドラッグが蔓延しているのではないか、手を出すような境遇に置かれてはいないか。

 本当は梓であって皇女ではないシルビアにも。

 なんとも言えない不安、心配、後味の悪さが残る。


 そんな彼女に追い討ちを掛けるように。


「なんだ、今の銃声は」

「おおっ! アニタのところの連中が転がされている!?」

「窓ガラスも割れてやがる! 誰かが侵入したんだ!」

ひがし区の! 連中は階段の方に行った! 追えっ! 国賊と同盟軍の提督がいる! 確実に殺すんだっ!」

「よし、分かった! 追えっ!」


 階段に差し掛かったところで、不穏な会話とともに複数人が走ってくる足音がする。

 2、3人ではない。こちらはシルビア含めて7人。1ダースなどは勘弁してほしいところだが。


「急げよっ! 急げばそう追い付かれない!」


 ジャンカルラの言葉は、励まされるようにも急かされるようにも感じる。

 さっきまでは早歩きか小走りくらいだったが、今は階段を駆け降りる。


「提督!」


 彼女と並走する、アメリカの路上でヒップホップしてそうな格好のラングレーが囁く。


「いざとなったら自分と複数名で足止めします」


 が、彼女は首を左右へ。


「勝手に判断するな。死んでほしい時は僕から言うさ」

「しかし」

「なぁに、重装部隊も上がってきてる。ちょっと走ったらすぐ合流するんだ。悲観するこたぁない」


 その会話に、『頭は建設的に使うべきだ』というようにアンヌ=マリーが割り込む。


「ジャンカルラ。我々がこの階段を使っていることはバレています。数階分降りたら廊下に出て、別の階段かエレベーターに切り替えましょう」

「そうだな、それがいい」


 言っている間にも踊り場へ差し掛かったその時。


 コン、と軽い音で、上から何かが落ちてきた。


「あら?」


 シルビアにはそれが、スプレー缶かドリンクのロング缶のように見えたが、



手榴弾グレネード!!」



 ジャンカルラが叫んだ瞬間、シルビアの体は吹っ飛んだ。

 その事実を認識する間もなく。ホテルの廊下らしい、柔らかいカーペットの床材に叩き付けられる。


「ぅぐっ!」


 そのままゴロゴロと転がり回った直後。


 踊り場から凄まじい爆音がする。

 聴覚がオーバーフローを起こし、爆発が直撃したと錯覚するレベル。


 が、天使や閻魔が現れることもなく、すぐに四肢の感覚が戻ってくる。

 後頭部も手を回されていたため、強打はせずに済んだ。背中にも抱き付くように回されている。

 が、そのどちらも自身の手ではない。

 シルビアが目を開けると、


「無事ですか?」


 被さるようにアンヌ=マリーがいる。

 どうやら吹っ飛んだのは、彼女が咄嗟にタックルしたからのようだ。

 踊り場から一気に階下の廊下へダイブ、そのまま角へ。ダイナミックに緊急回避したのである。


「おかげさまで」

「全員無事かっ!」

「多少負傷したやつはいますが、支障はありません!」

「よしっ!」


 他の面々も廊下に飛び出していたらしい。人数分の顔が見えて、シルビアも一安心である。

 ジャンカルラは素早く現状確認をすると、すぐに頭を切り替える。


「せっかくだ。ここから別の階段かエレベーターに切り替えよう」

「そうしましょう」


 止まっている暇はない。素早く立て直し、走り出す一行。

 走り出してようやく一息、もおかしいが。

 シルビアも思考が混乱から解放されて、ようやく相手を気遣う余裕ができる。


「アンヌ=マリー、あなたも大丈夫?」

「特に怪我はありませんね」


 平気そうに答える彼女だが。


「あら」

「どうかしましたか?」

「マフラーが」

「あぁ、本当ですね」


 さっきのアクションで多少ほどけかかっている。

 少し喉元へ寄せる仕草を見せたアンヌ=マリーだが、


「ま、見えていないのでよしとしましょう」


 彼女の中ではセーフらしく、結びなおすのはあと回しにする様子。


 と、そこに、



「ん? おあっ! い、いたぞ! 例のやつらだ!」



 進行方向の廊下の角の先から、おそらく親皇国派と見られる新手が現れる。


「チッ、特殊部隊の到着を見て、フロントが知らせやがったな」

「どうしますか」


 アンヌ=マリーの問いに、ジャンカルラの走りは加速する。


「引き返せるもんか! 連中、不意の遭遇で準備ができてない! 正面突破あるのみだ!!」

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