悪役令嬢と戦場の聖女たち

第89話 聖者、死者、花、郵便

 少し、それも30、いや、20分もしないくらいさかのぼる。


「アマデーオ提督が戦われたのは、このあたりですね?」

「僕の記憶が確かならね」


 一隻の戦艦が宇宙空間に静止している。

 銀とも艶のある白とも言えるような艦体を、大きく斜めに走る紫紺の十字。


 何より、戦場に不釣り合いな。

 艦首に備えられた、女神像ならぬ教会の鐘。

 大きな鐘。


 この時代のミリタリーオタクが見れば、一目で特定可能なデザイン。


『地球圏同盟』軍籍・ユースティティア方面軍旗艦

主の庭は満ちたりヘヴンフィル』である。


 ちなみに火星──木星公転軌道間にある小惑星ユスティティアとは別の星である。


 本来ならこの艦は一人の指揮官が戦場を駆けるためのものだが。

 今は平時に、二人の提督を艦橋に抱えていた。


「艦の残骸も多い。ここと見て間違いないでしょう」

「アマデーオ提督の戦場をお探しなら、彼の麾下に案内させればよかったんじゃないのか?」


 脱帽し胸に添える、フランス国旗みたいなジャケットを着た人物。

 足は肩幅で腕を組む、イタリア国旗みたいなジャケットを着た人物。

 そのどちらも若い女性。


「そうかもしれません。が。あなたも本当は来たかったのでしょう? アマデーオ提督に、あいさつをせずにいられる性分ではないはずです」

「へーへー。さっすが聖女サマですヨー」


 アンヌ=マリー・ドゥ・オルレアンとジャンカルラ・カーディナルである。

 元々女性提督は人数が少なく、ゆえに以前から仲のよい二人ではあったが。

 今戦線ではただ二人ということで、完全にニコイチと化している。


「艦載機ハッチオープン」

「了解。艦載機ハッチオープン」


 復唱に合わせて、ゆっくり艦底の一部が開く。

 しかし、そこから出るのは戦争のための道具ではない。


「整備員の皆さん、お願いします」

『了解! せーっ! のっ!』


 元気のよい、それでいて穏やかな掛け声とともに宇宙へ飛び出したのは。


 赤、黄、青、白、ピンク、色とりどりの

 花々。


 星とはまた違った輝きが、暗いキャンパスを咲き乱れていく。


「こりゃカンデリフェラの花屋は儲かって仕方ないな」

「それがまた、美しい花や人を育むでしょう」


 アンヌ=マリーは目を閉じ、両手を組む。

 いかにも宗教家らしい振る舞いでもあるし。

 そうでなかったとしても、彼女は宇宙に花を撒き祈るだろう。


 少女趣味、とは言うまいさ。

 たとえそうだとしても、それなら少女趣味も嫌いじゃない。


 童顔以外に少女らしさのないジャンカルラも、情感くらいは残っているようだ。


「歌わないのかい? 讃美歌とか」


 彼女からは相手を見ずにボソッと呟いたが。

 アンヌ=マリーはムッとしてジャンカルラの方を向く。


「分かっていて言っていますね?」

「分かっているから、こんな時くらいはいいんじゃないかと思うんだよ」


 それなりに自信のある『口説き文句』。

 それでも彼女には通じなかった。

 アンヌ=マリーはギュッと口元を覆うようにマフラーを寄せる。

 さすが聖女サマは身持ちが堅い。


 代わり、にはなんだが。

 艦首の鐘が大きく揺れる。

 宇宙空間、音が鳴らないのに、大きく揺れる。


 きっと、散っていった戦士と、弔う者にだけ、鐘の音が聞こえる。



 と、宇宙を流れる花びらのように時が進む艦橋内を、



「レーダーに不審な反応あり!」



 観測手の大声が横切る。


「数は?」

「えぇと、増え……ません。一隻のみです」


 こちらへ近付いてくるにつれて後続がワラワラと、そう思っていたのだろう。

 彼の声は逆に困惑している。


同盟我々の識別シグナルではないのですよね?」

「はい。それも」

「それも?」

「熱源反応から見るに、軍艦ですらない……民間船の規模です」

「ふむ」


 さすがに口元のマフラーを少し下げるアンヌ=マリー。息苦しくては思考もままならない。

 同時に、横目で内側を覗こうとしたジャンカルラの軍帽を、鍔をつまんで下げる。


「ぐえっ」

「すけべ」


 緊急時にしょうもないをしつつ。

 マフラーを下げた手が、あごに添えられたような彼女が出した答えは。


「だとしても、同盟国籍でないのなら。国際チャンネル! 当該アンノウンに警告!」

「はっ!」


 まぁ至って常識的なファーストタッチ。

 そのあいだに情報も増えていく。


「アンノウン、モニターに映します」

「お願いします」

「おや、これは」


 映像を見て呟いたのはジャンカルラの方。

 この艦はアンヌ=マリーが指揮官であるため、彼女は何か口出しする立場ではない。


「郵便船じゃないか。なんだってこんなところに?」


 なので逆に、迂闊なことが言えない艦長に代わって。のんきなコメンテーターでもしておく。

 誰もが緊張状態で口をな非常時の艦橋内。

「あ、同じこと思ってる人いるんだ」というのは、結構気が楽になる。


「所属不明の郵便船に告ぐ。こちらは『地球圏同盟』軍所属、

主の庭は満ちたりヘヴンフィル』である。貴船は間もなく、我々の警告宙域に差し掛かる。今すぐ転進されたし。さもなくば……」


 通信手が穏当な段階を踏んでいる裏で、提督はそうもいかない。


「総員戦闘配置。コンディション・オレンジ、本艦はこれより警戒態勢に入ります」


 その横でジャンカルラは腕組み、ヘラヘラ笑う。


「おや、あんなキュウリに猫の反応だね。たしかにラブレターは積んでなさそうだけど」

「分かっていて言っているでしょう。ああいうのにブービーやダーティーを仕掛けるのが好きな連中はいるものです」


 怪しいやつは撃ち落として、としないのはマナーだけではない。

 ミミックだったらあとが怖い。

 実態が分からない現状。判断し得るかぎり最大の備えだけして、あとは様子見するしかない。



 そうして数分経過したが。


「提督。郵便船からの返答がありません。というよりは、通信が繋がっていない模様」

「レーダー上では、進路変更の様子もありません」

「ふむ」


 人差し指で唇を叩くアンヌ=マリー。


 もっと魅惑的なリップを塗ってやりたいね。


 チャラ男みたいなことを考えるジャンカルラだが。

 何も完全にお客さん気分でいるわけではない。


「常設チャンネルすら切られているということは」

「明らかな航宙法違反、は置いといて。怪しいマネがしたいなら、明らかにやましい要素は減らすはずだ」

「ですね」


 彼女は腕組みしたまま肩を回す。ここからは少し、世間話というように。


「とすれば。優しい聖女サマはこう考える。『もしかしたら、何か船体にトラブルが発生しているのでは? それで成す術なく、こちらへ流れてきているのでは?』」

「……」

「すると博愛主義者は、途端に自分より向こうの方が心配になるわけだなぁ」


 何が言いたい、というようなジト目が向けられる。

 別にジャンカルラとて、彼女の高潔さをバカにしているわけではない。むしろ尊敬すらしている。

 もちろん辟易することもある。

 それは今はいいとして。


「僕に人員と小型艇を貸せよ。こっちから出向いて、様子を見てくる」

「はぁ? 何を言っているのですか。危険ですよ」


 少し低いアンヌ=マリーの声。

 対するジャンカルラは、すでに艦橋の出口に立っている。


「それも現状じゃ分からない。情報がないと何も分からない。それじゃ判断できない。最終的に、あれを撃っていいのか悪いかも」


 反論のない聖女サマに、彼女は渾身のウインクを飛ばした。


「戦争は情報だろ? ま、僕に任せておけ」


 今度ばかりは、口説きに成功したらしい。

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