第73話 されど提督は不運と踊る

「はい。はい。なるほど。たしかに報告させていただきます」


 ナオミは無線機をオペレーターに返す。


「ありがとう」

「いえ」


 彼女の声が落ち着いているのは、精神力よりは元来のマイペースと起伏のなさ。

 よって、聞いた内容がどんなものであれ。

 焦ったり急いだり走ったり声を張ったりせず、落ち着いて上司の元へ。


「提督」

「何かな?」


 ここは『地球圏同盟』連合艦隊旗艦、『一級品ブランド』艦橋内。

 ゴーギャン提督は頬杖をつきリラックスした状態。

 正面のモニターに目を向けたまま、気さくな声を返す。


「アマデーオ提督より、フェーズシフトの打診が」

「おやぁ? だいぶ早いねぇ」


 さすがの彼も、チラリと目線を副官へ向ける。

 対する彼女の目には、アマデーオを不甲斐ないと咎める色はない。


「右翼艦隊でしたからね。一面の銀世界に飲まれたようで」

「あぁ、彼か。怖いなぁ、怖いねぇ」


 が、両者とも。言うほど同情的な温度もない。

 艦隊からしても、『同情するなら許可をくれ』ではあろうが。


 しかしゴーギャンは急がない。

 あごを撫でる。余裕の仕草。

 余裕があるからするのではなく、まず仕草をすることで脳が騙される。

 実力と経験を兼ね備えていても、余裕がなければ正しい判断はできない。

『ダシとカエシが上等でも、麺がないとラーメンじゃないよね』理論である。



 ※以下、ネーミングを初めて聞いた提督諸兄のリアクション※


 ガルシア 「は?」

 ニーマイヤー 「分かるように言え」

 アマデーオ 「オレは味噌ラーメン派かなぁ」

 アンヌ=マリー 「ラーメンの食べすぎで脳の血管が詰まった、という話ですか?」

 ジャンカルラ 「えっ? 今ラーメン奢るって」



 とスベったギャグ扱いだが。

 考えることは冷静、冷やし中華である。


「アマデーオ提督はそうしたいとして、観測手レーダーちゃん」

「はいっ!」

「左翼艦隊、どうなってる?」


 苦しい思いをして戦っているのは、アマデーオだけではない。

 そのうえで。苦しい思いをして負けさらす者と、苦しい思いを越えて成果を出す者。

 天秤に架けるのなら。


「ほぼ拮抗状態と思われます」

「うーん。ナオミちゃん、我々は?」

「ご自身でモニターご覧だったのに分からないんですか」

「手厳しいね。デレてもいいのよ?」

「キモいな」


 答えは拮抗状態である。

 正直指揮する立場としては悩ましい。

 負けているなら仲よくお手て繋いで逃げればいい。

 有利に進めているなら彼には『軍人にしちゃ長生きした』ってことで。

 が、拮抗状態となると。

 どちらの選択にもメリット・デメリットが存在する。


「そうさねぇ」


 となれば、せめてデメリットの埋め合わせが期待できる展開は。


「ガルシア提督は好青年だけど。ニーマイヤー提督とアンヌ=マリーちゃんは怒るだろうねぇ」

「あの二人も、存外お優しい方なんですよ。閣下以外には」

「えー」


 過酷な決断をするには、軽口にかぎる。

 お気楽さんになることで決断しやすくなるし、周囲へのプレッシャーも減る。

 そこにドツき漫才で乗ってくれる彼女こそ、彼にとって最高の副官ピースである。

 ゴーギャンは艦橋内へ声が通るよう、ヨッコラセと立ち上がる。



「全艦隊に通達! 予定より早いが、我々はこれよりフェイズ2ツーに移行する。少し長めの撤退戦となるが、各員奮戦すること」



 腰を下ろした彼の横で、ナオミはポツリと呟く。


「地獄を見ますね」

「ま、アマデーオ提督が本物地獄に行くくらいならね。『庭』も、全体で退いて、連中一網打尽にしなきゃ意味がないし」


 今度ばかりは、彼女の声もやや強張っていた。






「『一級品ブランド』より全艦隊へ! 『これよりフェイズ2に移行する』とのことです!」


日々の糧を作るベーカリー』艦橋内。

 喜べばいいのか、緊張すればいいのか。判断がつかず焦りだけを残したオペレーターの声が響く。

 が、


「おぉ! 許可が出たか!」


 老練なアマデーオの反応は、といったところ。

 すぐさま振り返って副官に、と思えば向き直ってオペレーターに。

 水を得た魚のように、テキパキ指示を飛ばす。


「みんな、よくここまで持ち堪えてくれたぞ! もうひと踏ん張りだ!」


 もちろん撤退戦。今までよりここからが過酷なのである。

 が、『ここを乗り切れば』は特効薬。

 麻酔なしで足の骨を削るより、麻酔ありで開腹である。

 希望に湧き立ち、力みなぎり、勇躍するアマデーオ麾下だったが。


 後世の歴史家はこう書き残している。



『この時の悲劇は我々に、重要で興味深く、やるせないことを教えてくれる』

『“敗北の歴史には実力差やミスと同じくらい、運の巡りが悪かった”が潜んでいる、と』



「うん? ま、待て! いかんぞ!!」






 アマデーオ艦隊が沸き立っている頃。

 対照的だった人物がいる。



「ここに来て撤退だと!?」



『地球圏同盟』右翼艦隊、もう一人の提督。

 ジャンカルラ・カーディナルである。



「くそっ!!」



戦禍の娘カイゼルメイデン』艦橋内。

 彼女は艦長席のデスクに帽子を叩き付けた。


「提督!」

「あと少し、あと少し耐えてくれさえすれば……! 勝利の女神を連れ帰ったものを……!」


 ラングレーの声も耳に入らない。

 いかれるジャンカルラの現状はというと。


 右翼艦隊とまとめられていた悲劇。

 彼女自身は混成艦隊勝負を制し、敵を討つべく前方へ突出していた。


 それも決して、当初の作戦を忘れて猪突猛進したわけではない。



「アマデーオ提督! ゴーギャン提督! 何故僕を待てなかった!!」



 早急に前方の敵を駆逐し、バーンズワース艦隊の横っ腹を強襲。

 窮地の味方を救い勝利せしめるのに、最善の手段を選んだにすぎないのだ。


「てっ、提督っ!」

「うるさいっ!!」


 部下にいと慈悲深き彼女も、さすがにこの状況で副官を気遣えない。

 何せ自らの目論見が外れただけではなく、






「いっ、いかんぞっ! 撤退中止! 中止だ!! 中止!!」

「提督っ!?」


 腕を振るい声をあげて、希望を一気に反故にするアマデーオ。

日々の糧を作るベーカリー』艦橋内も、にわかに慌ただしくなる。


「何故ですか、提督っ!? これ以上我が艦隊は持ち堪えられません!!」

「損耗率、20パーセント!!」

「いち早く撤退を!!」

「ゴーギャン提督も、『指示が出たら可及的速やかに撤退せよ』と厳命を!」


 副官もオペレーターも、負けじと声を張るが、


「分からないのか!」


 彼はモニターを指差し、大喝する。


「カーディナル艦隊が前に出ている! ここでオレたちが撤退したら!」

「あぁっ!」



「取り残された彼女たちは、皆殺しにされてしまうぞ!!」






「提督!」

「ラングレーくん!」

「はっ!」

「こうなってはもう、どうしようもないなぁ! ならば僕ら、できることをしよう!」

「というと!」


「総員! アマデーオ提督が無事にお逃げあそばされてから死ね!!」






「艦隊! 何度もすまないが、ここが正念場だ! カーディナル提督が安全なラインへ戻ってくるまで、踏みとどまって援護する!! 頼むぞぉ!!」






 連絡の一つもあれば、と思うが、残念ながら。

 戦場の歴史においては、無線はこういう大事な時に限って通じないことが多い。


 それにしても。


 あぁ、不幸な善意のすれ違い。

 悲劇とはこういうことを言うのだろう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る