第54話 真っ赤な私とブドウなアイツ

「い……」


 喉の奥がネバつく感覚。


「いったい、どういう意味だ」


 絞り出した声は、イルミ自身驚くほどかすれていた。

 しかしジュリアスの声はニュートラル。

 寄り添う必要もなければ、嘲笑う価値もない。なんのことはない。何もない。


「勇気がないとも言える」

「なっ!」


 彼女の頭に血が昇る。さっきからドギマギしたり、逆に血の気が引いたり。

 準備運動があったせいか、大きく振り切れる。


 そう、決して、

 図星だったとかではないはず。


「そこまで言われる筋合いはないぞ!」


 立ち上がって怒鳴りつけると、道行く学生や軍人、職員の視線が刺さる。

 人もだが、イルミは小さくなって座る。


「ほら」


 追い討ちをかける意図はあるまいが。

 ジュリアスはケラケラ笑う。


「何が『ほら』だ」

「普通はさ。そこまでいかれる人間に周囲は見えない。このまえ女の子に泣かれた時もそうだった。ストーブは自分でスイッチを切らない」

「そりゃおまえは泣かすだろうさ」


 日差しはまだ暑く、体を熱くさせるが。

 眩しくて細まる視界は、不思議と彼女を落ち着かせる。目隠しをされたニワトリがおとなしくなるようなものか。

 それにも増して。


 光をよく反射する銀髪だな。


「でも君は冷静に周囲を見た。気にせずにはいられなかった」


 指摘されるとまた、視線の刺さる感覚がある。もう誰も、行きずりの大声など覚えていないだろうに。


「結果とか、周囲にどう見えてるかが、すごく気になるんだろう。中の中とか順位にこだわるのもそうさ。強気なシャイだ」

「人を精神分析するな!」


 しかし、この嫌がり方も『見え方に怯えている』みたいで。


 ズルいやり口を!


 思い切り睨み付けてやると、ジュリアスはサングラスをかけた。

『見えてませんよ?』とでも言うつもりか。


「そこまで評価を気にする性質タチのミチ姉なのに。『教科書どおり』ってバカにされるのはそのまま。なんて決まってる」


 イルミにとっては人生の一大事な悩みというのに、彼は片手間、ポケットを漁る。

 こんなのでリーダーシップ論の点数取れているのだろうか。


「外した時の方が恥ずかしいからだ。突飛なことやってピエロになるくらいなら、そのままの方が安全だから」

「違う!」


 言わせておけば勝手なことである。

 彼女にだって考えはあるし、保身に走った小心者扱いは許せない。


「私はただ、戦いに勝つために! 最善の方法を取るべきだと思って! それが味方の命だって救うはずだと!」

「教科書に詳しいんなら、知ってるんじゃないの?」


 ポケットを漁る手が止まる。

 サングラスの向こう。糸目。

 それでも雰囲気が変わったと、イルミは苦しみを覚える。

 確かに打ちのめされにきたが。エリートとの差ではなく、自分自身を見せ付けられるとは。


「戦史もやったろ? そこには教科書とは違う勝利や敗北があったはずだ。ちょう李談リータンは籠城戦に勝機がないとみるや、3000の決死隊で打ってでた。軍人たちでは手も足も出なかった戦いを、農夫の娘ジャンヌ・ダルクが勝利に導いた。フョードル・ロストプチンはモスクワごとナポレオンの兵を焼いた」

「む……」

「全て教科書や常識ではあり得ない戦法だ。教科書や常識では勝てない相手だ」


 彼は『おまえは間違っている』とは言わなかった。『知ってるんだろ?』と問うた。

 だからこそ、自分が目を逸らしていたことを叩き付けられる。


「『正解』が決まっているなら。教科書の厚さで戦争すればいい。被告は皇国法全書で殴ればいい。教会には聖書の本棚だけあればいい」

「そう、だな」


 イルミは思わず膝を抱える。ジュリアスの言葉から身を守りたいのか、ショックで殻に閉じ籠りたいのか。それは分からない。


「私は、勝負から逃げ回っていただけだな。教科書を言い訳にできない勝負から。私自身が評価される舞台から。責任を背負うことから」


 ここに来て彼は何も答えなかった。

 ただ、静かに見守っている息遣いは感じる。


「なぁ、ジュリアス。教えてくれ。私はどうすればいい? どうすればおまえみたいになれる?」


 本当は分かっている。

 次の講義ででも、トンチンカンだろうと教科書にない策を考えればいいのだ。

 それは分かっている。


 だが、彼自身が言ったとおり。


 勇気が出ないのだ。

 勇気があって最初の一歩を踏み出すのではない。最初の一歩を踏み出してから勇気がついてくるのだ。

 だから、勇気のまえの、最初の一歩。背中を押してほしい。


 ついに年下に甘え出したか。


 顔を隠すよう膝を寄せる彼女に、返ってきた答えは。



「さぁ?」

「はぁ!?」



 思わず、俯いた顔も跳ね上がる。


「おまっ……! 散々言いたい放題して、急に見捨ててくれるな!」

「いや、知らないし。それに」


 彼はまたポケットを漁って、板ガムを取り出す。


「別に、変わることないんじゃない?」

「はぁ〜っ!?」

「だって、僕個人は教科書どおりが悪いとは思わないし」


 あんまりな。笑いながらガムを口へ運ぶ姿に絶句するしかない。


「今の講義じゃ教科書どおりだと評価されないってだけでさ。実際僕らが現場に出たら、どっちが上官に評価されるかって話。広告代理店Think differentじゃないんだ」

「それは、まぁ」

「それにさ。一人でなんでもできなくたって」


 ジュリアスは立ち上がりジャケットを肩へ掛けると、ガムを一枚投げて寄越す。


「おっと」

「僕がいてミチ姉がいるじゃないか。一つの艦の中には、たくさんの仲間がいるじゃないか」


 くれたのは、一つの房にいくつもの実をなすブドウ味。


「ミチ姉が苦手なところは誰かが補ってくれる。責任も、取るべき人が取ってくれる。だからミチ姉も、得意で誰かを助ければいい」


 彼の顔へ視線を戻すと、座っているイルミからは見上げる形。

 太陽が被って、ここ一番眩しい。神々こうごうしくすらある。


「特に僕なんて、チャランポランって言われるし、教科書覚えるの嫌いだし。逆にミチ姉は周囲が気になる、気配り心配りができる人」


 神々しいと言うのなら。


 あぁ、神さま。これ以上私を、悩ましくさせないでくれ。



「僕からしたらそういう人なんて、是非ともそのままでいてほしいけどなぁ」



 彼女の手の中で、キュッと板ガムが潰される。


「じゃあね、ミチ姉」


 言いたいことだけ言い尽くして、ジュリアスは去っていく。

 少しぼーっとしていたイルミだが。彼が見えなくなるまえに、かろうじて意識を取り戻す。

 彼女は立ち上がり、遠くなる背中に吠えかけた。


「『ミチ姉』言うな!」


 その言葉にジュリアスは、振り返りもせず立ち止まりもせず。

 片手をあげて流すだけ。

 イルミはその後ろ姿を、いつまでも睨み続けた。


 だって、ズルいじゃないか。

 私は『ジュリアス』って呼んでるのに、おまえからは『ミッチェルミチ姉』なんて。



『イルミ』って、呼んでほしいじゃないか。



 ブドウのガムは、どうにも甘酸っぱかった。

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