第52話 顔がいいな……!

 どうしようもなく心がすさんだイルミは、図書館へ行くのをやめた。

 しかしその判断の裏で、不安になる自分もいる。


 所詮『教科書どおり』しか取り柄のない人間だ。

 その私が教科書すら捨てて、何になれると言うんだ? 悪化するだけじゃないのか?

 そもそも分からないんだよ。

 教科書は長年の人類の歴史で吟味されてきた、学ぶべきことが載っているんだろう?

 じゃあそれが一番じゃないか。それでいいじゃないか。

 むしろそこを外れて、どこに正解があると言うんだ。

 教えてくれ。

 その答えは、教科書には載っていない。






 そのまま当てなくキャンパス内をフラフラしていると。

 何かのスポーツのコートでもない、とりあえず芝が植えられた広場。正直ぼーっと寝転ぶか擬似ピクニック以外に、使い道が分からないエリア。


 そこにまさしく、ぼーっと仰向けに寝転ぶ青年がいた。


 遠目で顔まではよく分からない。

 が、それでもイルミには彼が誰だか分かった。

 実はまともに話したことはない。グループワークやサバイバル実習で同じ班になったこともない。格闘技訓練で組んだことだってない。講義で近くに座った記憶すらない。

 今みたいに、遠目で見たことしかない。


 それでも嫌でも印象に残る存在。

 このプル・ガーデンキャンパスに二人といない、他所でも見かけたことがない、


 やや弱った夏の日差しを照り返し、秋風の卵に揺れる、銀髪スパイラルパーマ。


 だ。


 彼女は少し心臓が主張するのを感じた。

 ある意味、今一番会いたくない相手である。

 羨望や嫉妬、レベルの差。それらによって浮き彫りになる、自分の小ささ。

 実物を遠巻きに見ているだけで、順位表の文字列より痛みを与えてくる。

 服飾規定に触れる、シャツの前開け。堂々と全開で赤い肌着を晒す余裕の解放感すら、敗北感を呼び起こす。


 が、あえて。


 イルミは彼へ近付くことに、話しかけてみることにした。

「話を聞いて役立てよう」とかいう向上心ではない。

 ただいっそ、徹底的に打ちのめされたくなったのだ。

 むしろ逆の、投げやりな感情。失恋直後の純情な乙女にも似ている。






 明らかに真っ直ぐ自分へ向かってくる人影があっても、彼はまったく気にしなかった。

 気付いていない、ということはないだろうが、視線を向けもしない。

 軍人として警戒心が足りないのか、むしろ肝が足りているのか。

 もしくは、絶対にあり得ないはずだが、


 私程度、取るに足らないということか?


 今のイルミは、卑屈ゆえに攻撃性を孕んでいる。

 一周してムッときた彼女は、空を見る彼の視界へ無遠慮に割り込んだ。


「こんにちは」


 教育番組のおねえさんか、遊園地のキャストか。

 もはやそのくらいでないとほどの笑みで、仰向けの顔を覗き込むと


「こんにちは。いい天気だね」


 彼もティアドロップのサングラスを下げて微笑む。

 露わになる柔和な表情は童顔、なのではない。

 実際それなりに年下なのだ。



 特殊な事情のシルビア。ギフテッド枠のリータ。名門の英才教育で品質保証済みのカーチャ。あとは皇族の社会勉強と形だけの『我々も戦っています』。

 そういったものを除けば、基本的に士官学校へ直で入ることはない。

 徴兵され、前線で能力を認められ、上官の推薦が司令部へ、司令部の推薦が上層部へ。段階を踏むものである。

 特に推薦を得るには、個人単位の武功をあげにくい艦隊勤務では数年かかる。

 よって士官学校に年齢の制限はないものの。

 大抵の場合、最年少と中央値はそう大きく離れない。



 その中にあって、明確に年下の彼。

 貴族ではなかったはず。おそらく孤児院のテストか、訓練兵か新兵で推薦をもらえるほどのスコアを出したか。


「そうだな、いい天気だ。少し秋晴れに近付いて、すごしやすくなったか」

「うん。実に美人な天気だ」

「なっ!」

「ん?」


 バチバチに視線を合わせてやろうと思っていたイルミだが、思わず目を逸らしてしまう。

 自分の顔を見ながら美人などと。一瞬ドキッとしてしまった。

 彼女の顔が見えることを評したのか、空に対する擬人法か。どちらとも取れる言い方なのもニクいが、


 こいつ、顔がいいな……!


 それが一番ズルい。

 なんならさっきの言い回しだって、美形だから許される内容である。


 事実、女子生徒のあいだで彼は評判。今日みたいに一人でいる方がめずらしい。女性教官たちの奢りラッシュで、長いことキャンパスの食堂を利用していないとの噂も。

 それなら先ほどのような口説き文句も、心得があって不思議はない。


 落ち着け! そういう意図かも分からない年下に翻弄されてどうする!


 顔が熱くなっていないか、思わず両頬を抑えるイルミ。

 なんだかもう、すでに敗北した気がする。こういう方向で打ちのめされたかったのではない。


「で、何かご用?」

「あっ」


 話しかけておいて、相手の言葉で我に返るとは。

 が、もうここは第一ラウンドをくれてやって、第二ラウンドで巻き返すしかない。

 一人勝手に戦っている感は否めないが。


 と思ったが、いざ切り出そうとすると。


 何を話すってことも、考えてなかったな。


 しかしここで詰まると挙動不審な女。今までの自己嫌悪とは違うダメージを負うことになる。

 とりあえず何か言わなければ。


・バーンズワースくんだな?」

「残念、ジュリアスなんだ」

「ぐっ」


 しかし空振り。自分のペースにならない。


「君は?」

「えっ?」

「君の名前」

「あ、あぁ」


 どころか、向こうが話を進める。


「イルミ・ミッチェルだ」

「ふぅん、イルミ……。フィン語なら確かに『Juliusユリウス』だね。ま、座りなよ」


 バーンズワースはサングラスをペン回しみたいに弄ぶ。


「詳しいな。バーンズ……」


 イルミが隣へ腰を下ろしながら相槌を打つと、


「ジュリアス」

「えっ?」


 彼はにっこりと、人懐っこい笑みで顔を覗き込む。



「ジュリアス。覚えて。いちいちユリウスと間違われてもだから」



 くっ! やっぱり、顔がいいな……!


 イルミのマイナス感情は、第一印象でぐちゃぐちゃになった。

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