第37話 手負いの獣
「総員、配置についた? 軽巡が戦艦より遅れて出るなんて許されないわよ!」
「全員準備OKです!」
「機関室から応答! いつでも行けます!」
「システム・オールグリーン!」
「よし! 機関全速! 軽巡洋艦『
2323年11月10日。皇国宇宙軍ネリオー基地は慌ただしい。
何せ、
「今回は大きな戦いになるわ。気を引き締めていくわよ!」
シルビアとリータが前回とは別件の名代任務(という名の二度目のバカンス)から帰ってきたのは、ほんの数日まえだった。
階級こそ高くはないが、バーナードという名前の格をカーチャは重宝がる。
お土産のバナナジュレロールを持って元帥執務室を伺うと。彼女は相変わらず書類に電話に忙しそうだったが、
何やら表情が違う。
「いかがされましたか?」
「あぁ、お帰り」
ドア前で名乗って、それを受けて「どうぞ」と招いたくせに。たった今シルビアたちに気付いた様子。
それだけ、目の前のことに意識を取られているらしい。
「こちら、お土産です」
「こりゃどうも」
「それで、いかがなされたのですか?」
「あー」
カーチャは紙袋を受け取るも、中身を見ることなくシロナへ回す。
あの心遣いの達人がこの態度。答えを聞かされるまえから緊張が走る。
「帰ってきたところ悪いけど、出撃だよ」
予想は悪い意味で裏切られなかった。
元帥閣下も説明がてら、一息つくことにしたらしい。一旦書類をどけて、カップに紅茶を注ぐ。
「どうやら『地球圏同盟』艦隊がユーノー基地から出撃したらしい。問題は、向こうの提督はこちらが戦死させたからね。後任としてプロセルピナ方面から引っ越してきたのが」
「ジャンカルラ・カーディナル……」
「お、知ってたんだ。耳ざといね」
「えっ、あっ、いえ」
そりゃ以前会っているのだから知っている。
そのうえで『刺し違えるチャンスあったけど逃げました!』なんて言えない。
思わず何かありそうな、怪しいリアクションになってしまう。
しかしカーチャは、まぁ、あるいは全部知っているのかもしれないが、
「まぁ誰も隠しちゃいないしね」
適当に流した。それより、というように身を乗り出す。
「厳しい戦いになる」
「それは」
シルビアは今もはっきり覚えている。
「閣下が以前おっしゃっていた、『命知らずのカーディナル麾下』。その相性の問題がある、と?」
「まぁそれは大いにある」
彼女はデスクに置かれたボウルから、ブラッドオレンジのキャンディを摘み上げる。
が、包装も剥かずにいじいじ。
やがてリータに渡してしまうと、少女は受け取りながら疑問を呈する。
「しかし閣下。それは得意なドクトリンとはいえ。数ある戦法の一つが有効でない、ということでしかありません。それに我々は前回、連中をポテトチップのように粉砕したところです。一ヶ月と少々のこと、脅威になるほど駒が揃っているとは思えません」
「うむ」
それは閣下もあっさり認める。
そのうえで、
「プロセルピナから遥々、いかに瓦解した方面軍を立て直すためとは言え。そっちの方面艦隊丸ごと引っこ抜いてきたってことはないと思う。おそらく直属の麾下艦隊くらいだろう」
間を取り、頭を整理するように紅茶を飲む。その姿は『すでに読み合いは始まっている』とでも言うよう。
「当然、我々の方が有利だ。殴り合ったって、そうそう負けやしないだろうさ」
「でしたら」
「でもそれくらい、カーディナル自身も分かってるはず。普通は仕掛けてこない。それを踏まえたうえで、理由を考えると」
カーチャは紅茶にミルクを落とし、スプーンでくるくるかき混ぜる。そうやって頭も回転させているのだろうか。
いや、彼女のことだからすでに結論は出ているのだろう。それをもう一度脳内で回して、確認しているのだ。
「おそらく上からせっ突かれたな。さっさと失地回復してこいと。ここネリオーは温泉以外にも魅力はたくさんある。以前の大敗、着任直後から言われてたと仮定すれば。かわせた方じゃないのかね?」
将校同士、似たような苦労があるのか。
元帥閣下は「お察しします」と言うようにため息一つ。
それから紅茶を一口飲んで、渋い顔。本当に茶葉の渋みが出ているわけでも、ミルクの量を間違えたわけでもないだろう。
「だとするとやはり、厄介だねぇ。
ソーサーに下されるカップ。カチャリと鳴る無機質な音が、いつも以上に温度なく聞こえる。
「命知らずどもが無理を通しに来る。覚悟しとかないと、痛い目じゃ済まないぞ」
「シルビアさま?」
「えっ?」
艦隊左翼も端の方、前衛。『
結局膝に座ってくれなくなったリータに、横から話しかけられて現実に戻る。
「お加減悪いですか? それとも、緊張なさってます?」
ウルトラマリンブルーの瞳。この状況では、やや不安そうな色に感じられる。
が、青は人を落ち着かせる効果もある。
艦長としての使命感とリータが天性与えてくれるもの。
シルビアは冷静を取り戻す。
「えぇ、そうね。緊張はするわね。でも大丈夫。ちょっと何日かまえのこと思い出してただけよ」
深呼吸をしていると、
「艦長! 元帥閣下から通信です! 暗号、ではなく平文!」
「世間話かしらね。内容は?」
「はっ! 『もし前回のように考えがあるなら、ぜひ献策されたし』」
「あやま」
少女の抜けたリアクションと同時に、どっと艦橋内が湧き立つ。
「艦長! えらく信頼されておりますな!」
「なぜ参謀長殿がこのような軽巡洋艦に!?」
まさかカーチャも、本気でアテにしてはいないだろう。
だがこうして、一瞬でクルーたちの詰まった胸間を開いてみせた。
これが艦どころか一方面。多数の命と国家の戦略を背負う存在の嗜みなのだろう。
そう思うと同時。差は大きけれど同じ率いる立場となった今は、もう一つの気持ちが分かる。
「通信手! 返信平文で! 『次のバカンスは一週間くださるなら』!」
ジョークの一つも言わないと、自分自身息が詰まって仕方ないわよね。
みんな意識して笑おうとしている側面はあろうが、艦橋内がまた湧く。
まさか彼女に、お笑い芸人のようにギャグの出来栄えを気にする日が来ようとは。
「艦長、我々の分もねだってくださいよ」
それらを隠しながら、クルーのために余裕で陽気で振る舞う。
そりゃ半笑いにもなるわ。
シルビアは口角を上げる代わりに、ペチペチと両頬を叩いた。
ジョークにいい感じで乗ってくれるアイカワもいることだし。
ここは腹を括るしかない。
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