第32話 逆さまの『ヨブ記』をポテチ片手に

 シロナが生まれた街で一番信仰されている宗教に、『ヨブ記』という説話がある。


 具体的内容は、彼女を通せば侮蔑的で中立性を欠いた筆致になる。

 宗教問題だし、ちゃんと読めば示唆に富んだ内容なのは間違いない。

 なので細かくは各自調べていただくとして、大雑把に言うと。


『義人の苦難』。

 つまり『悪いことをしていないのに、なぜ苦しまなければならないのか』というテーマ。

『この世は決して勧善懲悪因果応報ではない』というテーマ。


 まぁ、普通に生きていれば「そりゃそうだ」「知ってる」という話。

 これをその宗教に置き換えると、


『なぜ神は全知全能で尊く正しいお方なのに、このような目に遭わせるのか? 助けてくださらないのか? 信仰だけ搾取してはないか?』


 対する説話の中でのアンサーは、


『人間ごときが、神の御業みわざについて口出ししてはいけない』

『全知全能たる神は、その完璧なる計画において。いちいち人間など構いはしない』

『「神が祝福をくださるのだから、不幸も受け取ろうではないか」』


 幼い少女には細かいことが分からない。

 とにかく。

 母に手を引かれ、『何かオルガンが鳴ってる場所』へ連れてかれてるような彼女には。


『人生には、自分は悪くないのに酷い目にあうことがある』

『神さまはなんでもできるくせに、なんだかんだ言い訳して助けてくれない』


 としか思えなかった。



 それから10年しないうちに。

 母は病気で他界し。

 父は借金をこさえた挙句、逃げるように入営し。

 戦死者の遺族年金すら、他所の女と子どもが受け取り先になっていたと知った時。


 彼女は止められた電気の代わりに、一冊の本を燃やした。






 連中は容赦がない。白昼の往来だとか気にしない。


「待てやこのガキが!」

「放してっ!」

「どうせ身寄りも金もねぇんだろうが! 働く場所くれてやるってんだよ!」

「住む場所もねぇんだろ? じゃなきゃ、三日も同じ格好で広場の隅にゃいねぇよなぁ?」

「だったらウチで働きな! 仕事のまえとあとはシャワーが浴びれるし、毎日ベッドで寝れるんだぜ? 知らねぇオヤジの添い寝付きでなぁ!」

「いやあぁぁ!!」


 本来ならこんな人拐い、警察が許しはしないだろう。

 が、誰も何も言わない。


「戦時下だから、そんな子どももいるだろう」

「かわいそうだけど、ああやって生きていくんだろう」

「生きてるだけ、まぁ、なんだ。がんばれ」


 そんなことばかり思って、動きはしない。

 よく『戦争は殺人を合法化している』なんて批判を聞くが。

 とんでもない。それどころじゃない。

 戦争は人々が荒れるのを正当化し、治安が乱れるのを看過し。より多くの罪をなかったことにしてしまう。


「しかしですよ旦那ぁ。こんなガキ、ホントに売りもんになるんすか?」

「馬鹿野郎、こんなガキだから買うやついるんだろうが。それにな、オレは数日こいつを観察してたがな。食えてねぇわりには悪くないサイズだ」

「ホントっすかぁ?」

「なんならここで脱がして確かめっかぁ?」

「誰かぁ! お母さんっ!!」


 しかしその罪には、天罰さえも下らない。代わりに少女へ追い討ちすることはある。

 勧善懲悪など、因果応報などない。

 神は人を、搾取すれど救わない。


 その時、



「あ、ちょっといーい?」



 明確にこちらへ向けられた、女性の声。

 ややクセのある、『下町で人気のチャキチャキ看板娘』といった感じ。


「あんだぁ?」


 あまり敵意もなければ、威圧感など欠片もない声。

 完全に呑んでかかったか。ガラ悪く振り返る連中だが、


「えっ」

「うげっ」

「だ、旦那!」


 軍帽にマント、半笑いの若い女

 を中心に、10人ほどの屈強な軍人。


 対する男どもは3人。明らかにたじろいでいる。


「そうカッカしないでさ。タバコでもいる?」

「ぐっ、軍のお偉いさんが、いったいになんのようで?」

「いやさぁ。おっきい声がしたからさぁ。楽しんでる?」

「え、へぇ、おかげさまで」


 さっきまでの威勢はの中にしまい込む男ども。


「そりゃよかった。でも最近じゃ『ハロウィンで人が暴れても警察はピザ屋に電話してる』ってんで。ウチらに通報んだよねぇ。だからさ君らもさ? ご近所から騒音騒ぎで訴えられない程度にね?」

「へ、へぇ」


 そうやって手が離れたスキに。

 女性はシロナの目の前までくる。

 旦那と呼ばれている男は割り込もうにも遠慮がち。やむなく女性の耳元で小声。


「あのー、ですね? あっしらこれが商売なんで……。その、あんまりせんでほしいんですが」


 すると、ほんの少しだけ。

 女性の声が、五線譜の白い一列の半分くらい低くなった。


「冷たいこと言うなよぉ。おまえら人拐いだろ? 兵隊かっ払う私らと同業他社じゃないか。締め出しは感心しないなぁ。それとも談合でもする?」

「じょ、冗談キツいっすよ……」


 正直旦那も腹に据えかねてはいるだろう。女性がドスも効いていない声で何を言っても、怖くはないだろう。

 それでも、チンピラと本職には天地の差がある。人数差もある。下手したてに出るしかない。

 だから女性も決定的に、あーしろこーしろとは言わないが。これはこれで意地が悪い。


「そうだな。こういう時はあれだ。ライセンス持ってる側がどっちと契約するか決めるんだよね」

「えっ」


 そのうえ、話を少女へ投げてくる。とんでもないことである。


「お嬢さん。君はどっちに何を売る。このオジサンたちに『女』を売る?」


 反射的に首を左右へ振るシロナ。

 女性は笑みを浮かべる。笑顔が「優しくない」というのは、正直初めて。


「じゃあ私たちに売る? ちなみに言っておくけど、我々は君に『何か』を『切り売り』するようには求めない」

「はっ!? ずるっ」


 男が何か言いかけたが、屈強な兵士に睨まれ黙る。

 そのあいだにも。上質な白手袋に包まれた手が、そっとシロナの頬へ伸びる。


「その代わり。我々は軍人だ。最後の最期、時には。『君』を『丸ごと』、嫌でも差し出してもらうことになる」


 婉曲えんきょくな言い方だが。意味するところは、学校に通えなかった無学な少女にも分かる。

 首筋を伝ったのは女性の指か、自分の汗か。


「それでも、こっちに、売る、かい?」


 なんと悪魔のような笑顔をするのだろう。

 脅かしているとか、悪意だとかではない。


 どっちに賭けるか見透かしているからこその、ある意味もっと性格の悪い光景だ。


 それでも。

 今喉がゴクリと動いたのは、他ならぬ自分の動き。

 しかし恐怖などではなく。

 決意に対する武者震い。


 神は助けてくれない。このサタンのような人も、助けてくれるわけではない。

 が、



「売ります! あなたに、命を、丸ごと!」

「グッド。商品名は?」

「シロナ・マコーミックです!」



 神さまに騙されるくらいなら、この悪魔に騙されたい。

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