第13話 女神が微笑むか、自ら女神となって微笑むか

 サッと全身から血の気が引く感覚。この地獄を見たあとで、まだ引く血があったとは。

 すでに手が冷たいのに、痺れすら感じ始める。


「リータっ!?」


 見回しても姿がない。

 小柄な少女である。まさか一撃でバラバラに……。

 他の士官には悪いが、目の前の光景よりもイメージした映像の方が耐えられない。

 振り払うように立ち上がって


「リータっ!!」


 もう一度叫ぶと、



「こっちです、こっち」



 操縦席でうつ伏せのロッホが、リータの声で答える。



「えっ?」

「ちょっと手伝ってください!」


 違う。大柄のロッホに隠されているだけで、向こう側に本人がいるのだ。


「無事なのねっ!?」


 慌てて駆け寄ると、彼女はロッホを押したり引いたり。


「Jさん、意識がありません。早くどけて、艦を動かさないと」


 確かに巨体はうんともすんとも。息はあるようだが、頭から血を流している。

 蹴飛ばしていいのなら、一人でも動かせたかもしれない。が、状況はデリケートなようだ。


「手伝うぞ!」


 カークランドも艦長席から駆け降りる。少女と令嬢の細腕では無理と判断したのだろう。

 屈強な上半身を少しだけ台から浮かせ、そのあいだにシルビアが回転椅子を回す。操作盤が少し見えると、リータが素早く手を差し込んでVTOLを噴かせる。


「せーのっ!」


 ロッホを安全に椅子から下ろすため。カークランドが脇に手を入れ上半身、シルビアが膝に腕を通して下半身を持ち上げる。

 と、


「お……」


 かすかなが聞こえた。

 まだはっきりしたものではないが、意識が戻りつつあるらしい。


「J!」

「しっかり! その調子よ! あと少し! あと少し耐えてちょうだい!」

「死角に入りました! 今のうちに距離をとります!」

「行けるかっ!?」

「距離と生きているエンジン、互いの速度さなら……。多少の時間稼ぎには!」


 逃げ切れるとは言えない塩梅に、カークランドの眉がしかめられる。

 しかし、


「シルビア」

「何かしら」

「おまえ、さっきからずっと『あと少し耐えればなんとかなる』って」

「令嬢ですけれど、頭お花畑なことを言ってるわけじゃないわよ?」

「……信じるぜ」


 今はできることを積み重ねるしかない。生きるにしても死ぬにしても、「やるだけやった成果だ」と言えるかが全て。

 さっそくその成果か。何筋もの光が離れた位置を通過していく。


「おおっ! 効果テキメンだっ! 連中も当たらねぇのに撃ちまくって、焦ってやがる!」

「ここが勝負どころ!」


 操縦桿を、軽い体重全てを注ぎ込むように押し倒すリータ。


 しかし、


「ん?」

「どうしたの?」

「んんっ!」

「そんなにやったら折れるわよ?」

「でもっ……!」


 彼女の視線が少し動いたので、シルビアもつられて追う。

 そこには速度計。


「あんまり加速してなくないですか?」

「本当だわ! どういうこと!?」

「なんだって!?」


 カークランドも顔を寄せて、操縦席の密度が増したところで。

 隣の席でヘッドホンを握り締め。息も絶え絶え目の焦点も合わないエレが呟く。


「機関室より……2番エンジン……止まります……」


「このタイミングで!?」

「そんな!」

「チックショウ!!」


 思えば、執拗にシルビアの命を狙う連中である。細工をエンジン二つ程度で済ませるわけがないのだ。

 しかし今はそれより。

 これでは想定していた速度の半分しか出ない。であれば作れる距離も半分。被弾のしやすさを考えれば、稼げる時間は半分以下。


「ここまで、なの……?」


 さすがに前向きな言葉も途切れ、諦めが溢れるシルビア。

 しかし、



 そもそも誰も、『まだまだ時間を稼がなきゃ足りないぞ』など言っていない。

 女神が微笑むには、時間も努力も勇気もじゅうぶんだったようだ。



 全体重をかけるため、操作盤に乗り上げていたリータ。操縦桿に覆い被さるような体勢の視線の先。


「レーダーに感あり! 4時方向、新手の艦隊です!」

「くそっ、増援を呼びやがったのか!」

「いえ!」


 何時間ぶりだろうか。



「識別コード! 友軍です!」



 リータの、向日葵の笑顔が咲く。



「来たっ!!」

「うおおおおお!! マジでかぁぁぁぁぁ!!」


 歓声が質量を持って現れたわけではないだろうが。


 量が多すぎてもはや束となった光線。あっという間に殺到し、後方を通り抜け。



 敵艦隊を一瞬で飲み込み、消化してしまった。



「やっ! やったぞおおおおお!!」

「助かったんだあああああ!!」

「お母さあああん!!」



 艦橋内に響き渡る歓声。誰かの感極まって泣き出す声。

 それらを聞き流しながら、シルビアはつい数日まえのことを思い出していた。






『確かにそれは。仮にも将校、それも基地司令官が立案したにしては。お粗末すぎる』


 ちょうど訓練航海の内容を聞いた日の晩。リータと『怪しい』という意見を共有したあと。

 シルビアはすかさずバーンズワースに相談していた。もらったビデオ通話のアドレスで。


「はい。ですので何か、含みがあるのではないかと。このまえの暗殺未遂のこともありますし」

『そうだねぇ』


 画面の中でチラッと視線が逸れると、そこからイルミも現れる。

 前世でのリモートワークみたいに背景素材は使われていない。つまり居場所がそのまま見えている。

 なかなか遅い時間だが、重役だけあって二人とも執務室のようだ。


『こちらから働きかけて、訓練航海の内容を変更させましょうか』

『それがいいかな』


 どうやら手回しをしてくれるようだが、


「お待ちください」


 シルビアはあえて『待った』をかける。


「閣下自らが動かれますと、訓練航海の内容をお耳に入れた者がいる証拠になります。ひいてはエポナ方面軍、『閣下の部下に作戦の機密を漏らす者がいる』と」

『確かに。それはよくない』

『ミチ姉』

『閣下お一人の保身だけではありません』

『だとしてもだ。じゃあ君はどうするつもりなんだい』


 リータと目を合わせると、彼女も深く頷く。

 シルビアは決心して、二人で考えた計画を口に出す。



「ここはあえて罠に乗りましょう。何もなければそれでよし、問題が起きれば司令官を譴責けんせきする口実となります。そこで尋問し、黒幕を吐かせましょう」

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