第7話 小さな体に大きな愛を
「くそっ!」
理解が追い付かないうちに青年はナイフを引き、再度突き出す構え。
そこへ
「失礼っ!」
リータがシルビアのパンプスを脱がせ、相手の顔面へ投げ付ける。
「わっ!」
「逃げるよっ!」
「あ、ちょっ!」
もう片方のパンプスも脱がせて走りやすくすると、シルビアを引っ張り起こす。
小柄には似合わない、結構な腕力。
「待てっ!」
直撃したらしく、左目を押さえながら追おうとする青年に
「おまけっ!」
二足目のパンプスで追撃を見舞い、そこからは振り返らずに来た道を駆け戻った。
辺りはすっかり暗い。街灯こそあれど、どこまで戻ってきたか分からない。
そもそも走り慣れていないし靴もないシルビアには、ゴールが見えないのは相当キツい。
「ちょっ、ちょっと、待って、リータっ……!」
「向こうは男! 止まってるとすぐ追い付かれます!」
「でもっ、そっ!」
加えて、自分より足の速いリータに引っ張られ、ペースも何もなく限界。
ついに足が止まる。
「それ、ならっ、宿舎、逃げた、方がっ」
膝に手をつき、肩で息をするシルビア。さすがにリータも足を止める。
「宿舎は人がいないかもしれませんし、学校なら武器もあります。そちらの方が安全です」
「武器って、あなたも何か、持ってないの?」
「元帥府は武器の携帯禁止です。いちいちチェックはされませんが」
説明しつつも冷静に、走れないシルビアを街路樹の陰へ。
少し余裕を持てたこのタイミングで、ウエストのベルトを外す。それが唯一、武器らしいもののよう。
鞭のように扱えば金具もあって威力は出るが、ナイフと戦うには
「そんな無理しなくても、暗いしやり過ごせない?」
「や、無理ですね。血の跡を追ってくる」
「血? きゃっ!?」
「静かに」
混乱と自分のことで頭がいっぱいだったシルビア。
ようやくリータの顔を見ると、顔の右半分が真っ赤に濡れている。元来の赤い頬ではない。
「大丈夫」
静かに、と言った手前、囁くリータ。しかしそのために寄せられた顔の、赤色の主張が増す。
「ちょっとかすっただけ。顔は少しの傷でも、いっぱい血が出るから」
「そういうことじゃなくて!」
「シルビアさま、先に逃げる? 私が時間稼ぐから。で、そのあいだに助けを呼ぶとか。うん、その方がいいかも」
そのままむしろ目立つように道路へ出ようとする袖を、シルビアは反射的につかむ。
「危ないわ! そこまでしなくても!」
「や、私の方が戦えるし。それにあれ。軍服の私を先に潰すより、シルビアさまを狙うのを優先した。ターゲットはあなただから」
「そうじゃなくて!」
今度は肩をつかんで、無理矢理振り返らせる。見たくはないが、血染めの顔を正面から見据えなければならない。
「危険なのよ!? なのにどうして、そこまで体を張るの!? 私狙いなら、あなたは逃げたっていいじゃない! 誰だって普通そうするし、子どもなんだからそうするべきよ!」
対するウルトラマリンブルーは、真剣そうに細まる。
「だって、軍人だから」
「軍人だからって危険なことしなきゃいけないってないでしょ!」
「別に危険なことがしたいんじゃなくて」
小首を傾げた振動で、あご先から雫が飛ぶ。
夜の木陰、壮絶な絵面なのに。
「大切なものを守るのが軍人。仲間を死なせないのが士官。そして、それ以上に私は。友人を、帰る場所を。あなたを守りたいのです」
彼女の笑顔は愛らしく眩しかった。
思わずシルビアが黙っているうちに。
「しっ」
リータが人差し指を口元へ。
石畳を叩く軍靴の音。血の跡を神経質になぞる、内科検診で見るような小型ライトの光。
(さっさと逃げればよかったのに)
リータはほぼ息だけの声で呟く。
(そんなこと言ったって!)
(とにかく、私が時間を稼ぎますから)
(でもベルト一本じゃ!)
(うーん)
少し考えるように視線を下げたウルトラマリンブルーが、一点に向かって止まる。
先には、押し倒された時に折れたのだろうか。ドレススカートのワイヤーが生地を突き破り、飛び出している。
(借ります!)
(えっ?)
ワイヤーを引っこ抜いたその時。
「そこか? 木の陰だな? いるんだろ? おとなしく出てこい!」
すぐ近くで青年の声がする。
思わず震えたシルビアに、リータは優しく微笑んだ。
(大丈夫。任せて)
彼女が頷くより先に。
少女は先手必勝とばかりに、自分から飛び出していく。
勢いそのまま、右手で振りかぶったベルトを脳天めがけて叩き込む。
しかし、
「やはりそこにいたか!」
パンプスで顔への集中狙いをしたからか。相手も予想していたように防御姿勢を取る。
金具のガシャッと弾かれる音とともに、背が低いリータへナイフを突き下ろす
より一瞬速く。すれ違いざまに彼女の左手が突き出され、
ガラ空きの腹部にワイヤーが突き刺さる。
「あい゛っ!?」
動きが鈍ったその瞬間、今度はベルトで西部劇のようにナイフを弾き飛ばす。
武器を失った混乱も重なり、青年はいまだに体勢を整えられない。その隙に背後から首へベルトを掛けると、膝を蹴飛ばしバランスを崩させる。
うつ伏せに倒れかけた体が、ベルトに引っ張られて止まる。ちょうどキャメルクラッチをかけられたような体勢。
「うぐうぅ!」
変則的な首吊りになった青年へ、リータは大声を張る。
「私がベルトを放したら、もしくはこのまま強く踏み付けたら! あなたは地面へ倒れてワイヤーが深く刺さる! そうなりたいか!」
「ぐ、ぐぐ……!」
「イヤなら投降しろ! そして質問に答えろ!」
「しつも……?」
「しつこく追ってきたからには通り魔じゃないだろう! シルビアさまを殺すこと自体が目的だな!? 一士官にそこまでの理由があるとも思えない! 誰の差し金だ! 吐け!」
推理を効いた瞬間、青年の目が見開かれる。
直後、彼の体がぐにゃりと力を失った。
「しまった!」
「ど、どうしたの? 絞め殺しちゃったの!?」
思わずシルビアも飛び出したが、少女は小さく首を左右へ。
「や、自殺です」
「自殺!?」
「口の中に青酸カリのカプセルが。暗殺者やスパイの古典的な最終手段ですね」
「あぁ」
ウルトラマリンブルーが申し訳なさそうに伏せられる。
「ごめんね? 黒幕が聞き出せなくて」
しかしシルビアには、そんなことどうでもよくて。
「いいのよ」
彼女はドレスに血が付くのも
「あなたが無事だった。それだけでいいのよ。全部、全部。ありがとう」
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