ダンジョンの最深部にしかないエルフ喫茶へいこう
ににしば(嶺光)
田中ダンジョン
「どういうことだ?」
わたしは身を乗り出した。
ダンジョンといえば、最近は近所にあらたにできたダンジョン「田中ダンジョン」が頭をよぎる。
「田中ダンジョン」は田中さんの家の床が抜け、巨大な朝顔が生えて空まで伸びた天空ダンジョンだ。
羽ばたき浮力を生む巨大な羽虫が大量についたツタが雲まで伸び、広い葉っぱの上は体育館くらいあるらしい。
すでに複数の探検隊やYouTuberが配信しており、多数の葉っぱ階層が判明している。
そのどこかに、秘密のエルフ喫茶があるらしい。
「だから、どういうことだ」
パソコンのまえで、我々はざわついた。みんなSNSで追いかけているようだ。
エルフ喫茶……どんなエルフがいるのだろう。ダークエルフかな。ダークエルフだといいな。
「空にいるんだから、きっと空にまつわる魔法なんかを知っているかもしれない。」
わたしは登山セットを着込んで旅立った。連休は混むだろうから、早めに有休とって。
手土産はあったほうがいいな。何がいいかな。賞味期限は遠いほうがいいか。
空のエルフなら、きっと駅前の名店菓子なら喜ぶかもしれない。
羊羹持っていこう。きっとよろこぶぞ。
「はいはーい、ひとり3000円ね、グループさんは2500円でいいよー、YouTuberさんは600円ね」
金取るのか!こちらの田中さんはぬけめがないようだ。
実家の住所がバレて苦労したであろう田中さんは、かわりにさぞかし儲かったのだろう。もう別の家を借りられているのだろう。
「あ、これ誓約書。これを書かないと登れないよ。」
誓約書。
そこには、何があっても責任はとれない旨が記載され、同意がないと進めない感じになっていた。
色々書いて免許証で本人証明したら、田中さんは書類を手にうなずいた。
「お気をつけて、落下死だけはほんとにやめてくださいね。ヘリとか出されたらうるさいですし」
……さあ、スカイエルフを目指して出発だ。
いくつかのスマホカメラが天を見上げている。地上撮影班だ。YouTubeにでも上げるのだろう。ニコニコかな。
あれ、いざ見上げてみると、かなり高い。
文字通り、雲を突き抜ける高さだ。ふつう人間の登る高さではないのかもしれない。いや、登山とかでもありうるし。登山ならなれているつもりだ。形だけなら。
すると、空から何かが落ちてきた。高い叫び声が響く。さらにあちこちでそれにつられるような叫び声。注意を引くようなそれらは、落ち行く何かを警告するようだった。
「人が落ちてるぞ!」
かろうじて何を言っているかわかるときには、わたしは目をつぶっていた。しかし、予想される音はない。いまだざわめきは響く。どよめいて、歓声が上がった。
「あれがスカイエルフだ!」
人々が指差す方向。首を巡らすと、ようやく見つけられた。
2枚の羽根を生やした銀髪の人影。鳥のように舞い、雲間にきらめいて、消える。
「すごかった……」
「会いたいな」
人々はあたりで感想を述べあっていた。わたしも手に持つピッケルに力が入った。つい装備を確認した。
スパイクブーツ。体にハーネスでつながったカギ付きロープ。ペットボトル。あとは……。
おや、足元になんかある。紙?
その薄い紙は、どうやらなにかハーブのいい香りがする。そして古代文字のような字と、エルフらしき人物の絵があった。
「これは……」
わたしはそれを持つ手を思わず震わせた。
「エルフ喫茶のチラシだ!」
わたしは駆け出した。
田中さんちの元居間からお邪魔して、巨大な朝顔のツタを掴んだ。
そして、登山が始まった。
登るときはとにかく無心。とにかくだ。やがてすぐに酸素が薄くなる。山と違い、直線で登れる。幼い頃から高いところは好きだった。親が気絶しかけるわ、数か月同じ話題で怒られた挙げ句数十年は身内に語り継がれるわと地獄の日々だった。しかし、こんなところにまで登ってしまうのだ、仕方ないだろうとは思う。我ながら。
「おっと」
草汁で手が滑る。誰かが先にツタに傷をつけたか。あまり装備も使わず手で登ってしまっている。落ちたら終わりだ。振り返るとかなり高い。いまの自分の高さは、昔上った東京タワーくらいな気がする。
「見てください、見たことない謎の球体が!ここが朝顔っぽいことから、きっと朝顔の種のカタマリかと!」
YouTuberらしき人が頭にカメラをつけて声を出している。種っぽいのは手で触れると開き、パラパラと地に落ちていった。また田中さんちの庭が大変なことになる。
「タネでした!やっぱり!持って帰って食べてみようかと!……さあ、これでカット。つぎは……うわ!」
YouTuberが滑った!上半身が外れ、不安定によろけるYouTuber。
「危ない!」
後ろから思わず片手を出す。これで助けられる保証はない、馬鹿だ自分。
でも、手を伸ばしてしまった。
YouTuberは手を伸ばした。上半身が空に投げ出され、下半身が上になる。
「がんばれ!」
わたしは急いで上り、上からカギ付きロープをかけて降り始めた。YouTuberはまだ股関節で持ちこたえているようだ。
「ほら、手を」
YouTuberは手を伸ばした。わずかに届かない。
「もうすこし……ほら、もうちょっと」
すると、急にYouTuberの体が持ち上がった。カラフルな登山服が近づく。
「あ?あえ?」
「…………」
その時、何を言ったかはわからない。鈴のようなきれいな声がした。
「あなたは……」
ため息とジト目、そしてすぐに身を引く人影は、空に溶けるような空色の服。この高さから考えると、すごい薄着。
まったく、人間は手がかかりますね、もうすこし気をつけましょう。
そう言いたげに一瞥くれると、スカイエルフは立ち去った。
「待ってくれ!」
わたしが手を伸ばすも、エルフは空のひかりの中にまたもすばやく消えた。
「さっきの人だろうか……」
わたしは考えこみながら、さらに手を上にかけた。下ではYouTuberがパニックになりながらまたカメラを回している。もうさっきのことのせいで、わたしたちはお互いを忘れてしまっていた。
「さっきスカイエルフが……!スカイエルフが……!」
YouTuberは言葉もまとまらない様子だった。わたしも上の空でツタに手をかけていた。
スカイエルフか……。
わたしはまた見えないかと首をめぐらし、空に目を凝らした。たまにキラキラと光るきれいな羽虫のような人影が遠くにきらめく。あっという間に飛び回るそれは、しかしまったく自分に近づいては来なかった。
「自分から近づくしかないか……」
やがて、ブログなどでも紹介された有名なスポットにたどり着いた。巨大な葉っぱが日光を浴びて広がる。体育館くらいある広さは本当だったようだ。
「はは、葉の表面がふさふさだ、産毛が多い」
わたしはそこを歩いた。ふさふさの葉の表面は柔らかい毛でいっぱいだった。
座り込み、コンビニで買ったおにぎりを食べた。風が強く、ゴミを飛ばされそうになったが、どうにかリュックに押し込んだ。
「ん?」
ふと寒気を感じ、見ると、羽根をつけたエルフが弓矢を引き絞っていた。自分に。「ゴミは片付けましたよ」と両手を目のまえでふると、エルフは無言で踵を返した。また飛び去る。
「クールだな……」
わたしは嘆息を漏らした。エルフか。見た目は非常に可愛かった気がする。いままでで最も近くで見られた。しかし、すこしでも嫌われていれば、弓矢でやられていたにちがいない。
風が強い。足元の葉っぱは絶えず揺れていた。シーソーやブランコの一種だと思っていたが、やはりちょっと酔う。
しばらく風景を眺めていると、日は沈みはじめた。
「つかれた、寝るか」
わたしは準備を始めた。ツタの葉の付け根に寝袋をぶら下げ、ミノムシのようにぶら下がる。葉っぱの上で寝ることも考えたが、寝相が悪くて落ちたら大変だ。トイレは寝袋の中でペットボトルにすます。鍛えているから大丈夫だ、たぶん。
「おやすみー」
適度に日記をつけ、寝た。明日はエルフに会えるといいな。
「大丈夫ですか?」
「うーん……」
ゆっくり揺れる寝袋。その振動はだれかの近づきに乱れ、やがて小さく揺さぶられた。
「生きてます?」
「うーん」
「あ、生きてた。じゃ、がんばってくださいねー。……生きてました!ここでカット、と」
カメラ向けの発言らしきセリフ。あのYouTuberか。ここまでこれたのか、あの人も。わたしは寝袋から出て、寝袋を片付けた。葉っぱによじ登ると、YouTuberが食事の準備をしていた。
「エルフ、いますかね。」
「昨日会いました。」
「ほんとですか?」
「……まあ。」
「可愛かったですか」
「そうですね。」
会話は苦手だ。しかしYouTuberはさらに話しかけようとしてきた。謎のフライパンのようなものの上に、巨大朝顔のタネや葉っぱの上のよくわからない羽虫を乗せ、レンズのようなもので光を集めて焼いている。もう眼下には雲海。太陽光はくさるほどあった。
「手製の空用フライパンです。葉っぱの上で焚き火はできませんから。ここの羽虫は食べられますよ。雪虫の仲間みたいですけど」
「食べないよ、ふつうは」
「きっとエルフもたべてますよ」
「そうかな……」
すると、また視線を感じ、ふと見た。ツタの葉っぱの根元の影にエルフらしき人影。また弓矢を引き絞っていた。
「汚したりはしてませんよ」
と声をかけると、エルフは退いた。
「なにかいましたか?まさか、エルフ?」
「そうらしい」
わたしが言うと、YouTuberははしゃいで急ぎ食事を食べきり、カメラをまた回し始めた。
「またいたらしいです、エルフ!」
「あ、わたしは行きますから……」
カメラを逃れたく、わたしは立ち去ろうとした。YouTuberは察したようで、手を振って無言で別れた。すこし残念そうだったが、仕方ない。
わたしはYouTuberを置いて、ひとりまた登った。いや、仕事はさておき、オフではひとりコミュ障でありたいのだ。仕方ない仕方ない。
「ん?」
しばらくすると、目の前に風に揺れるチラシが見えた。ツタにぶら下がった紙はバタバタと翻っている。
「なになに?エルフ喫茶の地図か?」
地図……かもしれない図。朝顔のツタや葉っぱ、花などが描かれた図。その途中に、ひときわ大きな花がある。その根元に、ぶら下がるような小屋が描かれていた。
「これかな」
わたしはふたたび上りはじめた。
エルフ喫茶……はやく行きたい。
「いらっしゃ、ませ」
ここか。
風が強すぎてわからないが、かすかに声がした。揺れる花。ツタの先が情緒なく振り回されている。根元の小屋も揺れているが、まだあまり激しくはない。
「えさ、ここ」
美人なエルフが、顔を出して手招きしている。つたない日本語。どうやって覚えたのだろう。
「あ、おじゃまします。はじめまして、これ、おみやげです。ひよ子って知ってますか」
「あり、がと」
エルフは羽根をはやしていなかった。しかし小さな鳥かごのような小屋の、すみっこにそれらしいものがあった。ほかにはドライフラワーや読めない本、なにかの瓶詰め、鍋やツボなどがある。ちょっとした魔女のような部屋だ。しかし、喫茶店というにはあまりに狭かった。
「ひと、ひさしく、うれしい、あなた、のんで」
エルフは香り高いハーブティーを出し、微笑んだ。
「ありがとうございます」
飲むと、非常に甘い。
そして、強烈な眠気に襲われた……。
「目覚めたようですね」
「うーん、あと5分」
「まだみたいですね」
何だ?この展開は……眠った?あの場面で、急にわたしが?
エルフは?まさか、あの子が盛ったのか、薬を?
「あの、わたしは一体……」
「あ、お気づきですか。体に異常は見られませんが、数日は眠っていたんですよ」
「ここは?」
「病院です。こちらはあの田中ダンジョンのすこし駅前寄りにある、虹谷医院です」
「あったんだ、そんなとこに病院……あ、すみません」
「とりあえず、もう大丈夫そうなら、すぐ退院してください。入院費の支払い時に、保険証の提示おねがいします」
「あ、はい」
わたしはあっというまに退院した。自宅に帰ろうとして、はっと気がついて駆け戻った。
「あの、わたしの荷物は」
「え?」
「……え?」
「ありませんでしたよ、そんなの」
田中ダンジョンの経営者は首を横に振った。
「誓約書にあるように、あらゆるダンジョン内のトラブルは責任を負いかねます」
「やられた……」
わたしは自宅に戻った。幸いにも実家ぐらしで、家族に家を開けてもらって帰宅できた。
「リュック全部やられたのかい。エルフだかなんだか知らないが、馬鹿だね。そんなやつに気を許すなんて」
「すみません……」
肝っ玉を絵に描いてすこし誇張しすぎたような母が、思い切り馬鹿にしてきた。勢いに勝てず、頭を下げっぱなしになる。
そこへ、2階からドタバタと足音。弟だ。
「お兄!エルフの動画上がってるよ!」
「え?」
弟が見せるスマホを覗き込むと、あのYouTuberが作ったらしき動画が上がっていた。あの田中ダンジョンの回のようだ。
『あれがスカイエルフ……だったのかもしれません。先に行った人はすでに見知った様子で、言葉をかけていました』
「ね?」
目を輝かせる弟。空の景色は改めて見ると高く、すこしくらくらした。
『そしてあれがおそらくエルフのカフェ……?あっ!人が!落ちていきます!』
動画が進み、あの鳥かごからエルフがでかい人形のようなものを放り捨てるのが見えた。あの登山服は、わたしのだ。
「あ、お兄、捨てられた!お兄が死んじゃう!」
「生きてるだろ、いま」
青ざめる弟は私を見た。わたしはその表情を真正面で見て、「そっか」と言って表情が戻るのを見届けた。
『そして、これが地上カメラの映像だ。刮目!なんとエルフに捨てられた人は……』
わたしは、田中ダンジョンのある田中家の庭に落ちるころには、ふわりとゆっくり舞い降りていた。地上にふれても、『うーん』とうなり、目覚めない。
「お兄、生きてた!よかったね!」
「だから生きてるだろ」
「そっか」
また表情を戻す弟。動画は進む。
『じつはあの朝顔のうえのエルフは、魔法をかけて人を落とすと言われている。すでに多数の挑戦者やYouTuberが語って、または伝えているが、じつはこのダンジョンには、死傷者がいない。これはエルフの魔法によるといわれている……。』
やがて動画は終わる。後半はエルフの言い伝えや噂話でもちきりだった。
「すごいね、エルフって」
「荷物は奪うけどな」
わたしはリュックの中身を思い出した。銘菓ひよ子のほかには、あまりいいものは入っていなかった。奪われるならせっかくだし、もう少しお土産を用意しておけばよかった。
「宅配便でーす」
そこへ、玄関から声がした。
リュックが届いていた。
中身は……財布だけがなかった。かわりに、ハーブの詰め合わせらしき瓶と、花の蜜の瓶らしきものが入っていた。
「まあ、おいしそう」
母は喜んだ。財布にはあまり入れていなかったし、まあいいか。
あとで母に出されたハーブティーは美味しかった。それから数日、一家で深く眠りこんでしまったが。
ダンジョンの最深部にしかないエルフ喫茶へいこう ににしば(嶺光) @nnshibe
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。ダンジョンの最深部にしかないエルフ喫茶へいこうの最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。