シエン対アラタ

「他人の物を盗んで、随分と好き勝手してくれるじゃないか」


 不意にしたその声の方を振り向くと、そこに立っていたのは摂領アラタその人だった。

 左手にはクジのと同じ白玉を持っていて、手慣れた様子で繰り返し上に放り投げてはキャッチする。男はそうしながらまた、クジとシエンを舐めるように交互に視線を向けた。


「あ」


 クジが愕然として焦りを含んだ声を上げる。シエンがちらと見やると、青ざめた顔をしたクジと目が合った。


「ごめん、任せた」


 そう言い残すと、ぷつと糸が切れたようにクジの体が傾き始める。


「え、ちょ……」


 シエンは慌てて地に倒れ伏そうとするクジの体へ手を伸ばす。

 支えるのが間に合ったことに安心するが、ほぼ同時に後背を敵に見せてしまっていることに猛烈な不安と後悔の念を抱く。

 一瞬の間に危機感を山より高く積み上げる。風を切るような音が耳に入った直後、シエンの目に、倒れこんだクジが未だその腕に抱え込んでいた白玉が先ほどの様に淡く光を放つ。

 それを目の端に留めて、クジを抱えたまま顔だけを勢いよく振り向ける。

 眼前十センチのところに鈍色にびいろの物体を二、三みとめる。矢先についたやじりだった。しかしそれに気づいてシエンの肌が粟立った頃には、すでに飛翔する矢は白光となって消えうせて影も形もなかった。


「ふうん。流石に上手いことはいかないか」


 アラタが呟く。いつのまにか左手は弓に持ち替えていた。先ほどまで持っていた玉は、懐のふくらみにでもしまったのだろう。


 シエンは急いで、しかし傷つかないよう丁寧にクジを地面に寝かせる。その際、クジが抱える白玉を手に取った。状況から推察して、この道具の力で今の窮地を逃れたことが明白に思われたからだ。

 次いでここにきて、いつの間にやら佩刀していた刀を抜き放つ。


「おっと、そういうつもりでを渡したんじゃあないぞ」


 アラタのその言葉と同時に、先ほど飛んできた矢と同様の光となって刀が消えうせた。


「くっ……!!」


 左手にある白玉以外は徒手空拳となったシエンは、咄嗟にはどうしようもなくアラタに面と向かうしかない。

 一方のアラタはというと、シエンに仕掛けの手がないと見るや、ふふふと笑みをこぼしてシエンに語り掛ける。


「まあ、まあ。折角だ。まずは話というのも悪くないだろう」


 言うと、片手を軽く握りゆっくりと歩き始める。


「この前広場に置いた高札に貼った序文でも察したと思うが……俺は生来、善悪論というのが嫌いでな。いや、まったく。個々の人の場合の能力環境の程度を無視した批評の世間に溢れかえっているのを、君も気持ち悪いと思わないか?」


 目線だけをシエンに向けたままにして、背を向ける。


「これは邪推だったかもしれんが……しかも大体の場合、そいつらが自分が同じ立場になったときはそれと同等か、いやそれ以下の振る舞いを取る者も多いにも関わらず、だ。」


「だから夢の中で見させてもらったのさ。他人を批評するにたる高潔さを身に着けてるのかどうかをな」


 講釈をたれる目の前の男にどう対して良いか分からぬシエンは、ただじっと彼の方を見続けた。

 一瞬、アラタの姿が揺らいだように見えた。錯覚かと思ってもう一度よく見ようと目を凝らす。


「ところでお前ら二人……ここまで嗅ぎまわられると当然生かして返せない」


 そう言われてはっとして身構える。今度は目を凝らすまでもなくハッキリとアラタの姿が揺らいだのが見える。


「女の方は賊として殺せるからいいとして……流石にお前の殺害は屋敷の中の者にも気取られてはいけない。屋敷の中で客人が突如意識不明……こういう筋書きにさせてくれ」


 話す間もアラタの周りの揺らめきは大きくなっていく。シエンはここで初めてそれが陽炎によるものだと気づいた。


「つまり……どういうことかと言うと……だな。さっきので分かってると思うが……ここで……」


「お前を殺す!!」


 それまで顔だけをこちらに向けていたアラタが遂に体をこちらに向ける。

 それまで隠れて見えなかった彼の両手が見える。手の平から、猛然と炎が立ち上がっていた。


(しまった!話の間に魔術の準備をしていたのか……!)


 気づいたころには遅かった。既にシエンの周りを彼の背丈よりもなお高い炎がとりかこんでいる。

 アラタが腕を動かすのに同期して炎の輪はその径を縮める。やがて完全に覆われて見えなくなる。


「さあさあ、最期だぞ。悪いなあ、苦しい死なせ方にさせてしまって。ははは……」


 だがアラタの笑いも長く続かなかった。


「……なにっ!」


 炎陣の中から人間大の水球が勢いよく飛び出す。水球が崩れてその場の地面をぬかるみに帰ると同時に水濡れで上裸のシエンが姿を現す。

 アラタが茫然としている間に、シエンは走って距離を詰める。あと一歩というところで我に返ったアラタが引き下がるが間に合わない。


「なんか、さっき世間に対して気持ち悪いと思うかどうか聞いてたな」


 追いついてアラタの胸倉を左手でつかみつつシエンが言う。そのままアラタを押して進みながら右手をアラタの顔前に出す。その手から水が湧き出始めて水球を作る。


「僕はどうも、さっきから自分だけ安全圏で偉そうにしているお前の方が気持ち悪いやつだと思うね!お前の方が、よっぽど!酷い!」


 シエンの右手から水が勢いよく飛び出てアラタを吹き飛ばす。背中から地に落ちたアラタはそのままの勢いで転がってからふらふらとして立ち上がる。


「あうっ、いた……え、えんっ!はな、水が鼻に……」


 手で抑えてふんっと鼻をかみつつ、怒りを宿した双眸でシエンをにらむ。


「はあっ……魔術師だったのかっ!」


「お互い様。……というか本当に水の魔法使えて良かった。マジで危なかった。魔法に限らず人に火を向けるなと教わらなかったか?」


「黙れ!」


 アラタが五、六個の小火球を放り投げる。

 シエンが大きく弧を描くように右手を振ると、軌道に合わせて幕状に水が飛び出しす。火球を消した水幕はそのままアラタに覆いかぶさってその服を濡らす。


「んんんんっ!!」


 アラタが激昂してとびかかってくる。とても小なりとはいえ一つの領地の施政を担う人間の品格とは思えない。

 だが服が水にぬれた分動きが鈍る。またシエンは自身がそうなるのを回避するために――恥ずかしいのでは履いたままだが――服を脱いでいたのでつかみかかるところがなかった。

 従ってもとの実力からしてもシエンに敵うはずがなかった。炎を振りかざしながら飛びかかったところをまた服をつかまれ受け止められる。

 格闘技術には決定的な差があったのだ。


「おい、ここからの出方を教え……あっつ!っツー、あっっっつ!」


 抑えられた後もアラタは無造作に手を振り回して炎を出した。出した火はほとんどがそっぽへ行ったが、その一片が偶然シエンの腹を焼く。

 思わずシエンは抑えを解いて投げ飛ばす。

 それと同時にアラタの懐から白玉が落ちてくる。思わず拾おうとシエンが手を伸ばしたが、アラタが投げ飛ばされながらも放った炎に阻まれる。

 その間に起き上がったアラタが先回りして一瞬の差で白玉を蹴飛ばす。


 二人の距離が格段に近くなった。既に足と足が触れるほどの距離である。

 魔術は発動にやや時間がいる。

 そのようなことはお互い百も承知だから、機先を制そうと互いに思った結果、そのまま殴り合い、蹴り合いになったのだが、腹を焼かれ分今度はシエンが不利だった。

 アラタの攻撃に対して守勢にまわった展開が続く。


「ぐっ、ぐっ。う。!つぅーー」


 アラタの前蹴りをよけようと腹をねじったところ、痛みが走る。火傷の痛みに気を取られた隙にみぞおちに一撃もらう。

 ふらついて倒れこむ。

 好奇と見たアラタが魔術の大火球をつくる。


 先ほどシエンが火傷を負ったのを油断とするなら、今度はアラタが油断した番だった。確かにシエンは倒れ伏し、起き上がるまでの間に魔術の行使に移る時間的余裕はあったのだが、いかんせん距離が近いままだった。

 シエンは倒れたまま足払いをしかけた。

 そのまま、シエンは起き上がる。シエンは転ぶ。

 アラタがこの夢の中で最後に見たのは、自身の魔術の火球を突き破って眼前に迫る靴の裏であった。

 

 アラタが呻き声を上げながら顔を抑えて倒れ、起き上がる気配がないのを確認すると、シエンは腹に続けて火傷した左足を引きずって先ほどアラタが蹴飛ばした白玉を取りに向かう。

 脱出のカギの第一候補はやはりこの白玉に思われたからだ。

 数分間色々試してみた後、放置していたクジの方に向かう。倒れこんだクジの方もまたはじめ炎陣に囲まれたが、シエンが自身が炎陣から出る前に水球に包んで大火の外へ放り出しておいたのだ。

 向かう途中塾服のズボンのデカポッケからクジが持っていた方の白玉を取り出す。よく考えればこっちの白玉で出られないのだろうか、夢の主客が違うので全く同じとは限らないが、少なくともクジはこちらで出入りしたはずなのだ。そう思って二つを両手に持って見比べようとしてみる。

 二つ持つことが条件だったのか、あるいはその動作のうちのどこかがトリガーだったのだろうか。その辺りでシエンは不意に周囲の空間がぼやけていく感覚を感じる。今度は陽炎ではない。


 シエンが眠りにつき意識を手放したのはアラタに食事を供されていたときだった。当然動かされていなければ、目が覚めるのもそこのはずだ。

 果たしてその通りで、次に視界がはっきりした時最初に感じたのは、食膳の味噌汁が顔についてしまったことによる冷たさとべたつきのダブルパンチによる気持ち悪さだった。

 顔に違和感を感じたので触ってみると、鼻にはわかめが付いていた。

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