あるまじきこと
翌日、摂領アラタの屋敷。
その一室でこの家の主が一帯の商人ら十数人の訪問を受けていた。アラタが領主である祖父から領政を
事前に取り決めた代表らしき壮年の男がアラタに具申を行っている。
「領主様が病床に伏せられて以来、恐れながらナミル近辺の治安は悪化する一方です。特に北西の
ここまで言うと、商人は更にかしこまって本題に入る。
「発足時は猛威を振るった濾布党の賊兵も、年月が経ち今は往年の強さはないでしょう。ここ数年は付近の領兵との小競り合いがある程度です。数年ぶりに本格的に領軍をおこして征伐なさってはいかがでしょうか?」
アラタは渡された嘆願書を読みながら男の話を聞いていた。
「……軍を出すにも金がかかる。君たちには得しかないのだろうが、果たして領地全体として釣り合いがとれるものだろうか?」
「一時の損はあるやもしれませんが、向後賊の影響を受けなくなると思えば、総じてみるとプラスでしょう。我ら商人にもうけが出れば領内の税収も増えます」
商人の説得にアラタは瞑目して考え込む。それを逡巡とみて商人はさらに説得の言葉を重ねた。
「近頃は珍しくもなくなりましたが、本来賊徒を放置するというのはなすべきことではありません。また我々がこれをお願いしますのも、ただに己の利得のみのためではありません。商人組合としましても賊徒征伐の援助は惜しまないと決議しました。ぜひとも天下正道のために賊の悪事をこれ以上――」
そこまで聞いたとき、つむっていたアラタの目がガッと開いた。怒色満面の形相で目の前の相手をにらみつける。それに気圧されて商人らはいすくまるが、それを気にする人物ならば昨日クジを殴り飛ばしてはいない。
立ち上がって一足飛びにその発言をした先頭の商人のもとへ行くと、そのまま
そしてアラタは再び目をつむり考え込む。殴られた商人の様子も落ち着いたころ、ようやく言葉を発した。
「よかろう。そなたたちの要望受け入れた。近々詳細を決める会議に呼ぶからそのとき代表三人を決めてもう一度来たまえ」
そういって商人らに退出するよう手で促す。商人らは摂領の変わり身に困惑したが、ほとんどの人はこの摂領に怖気づいて促された通り帰ろうと立ち上がる。ところが一人そうせぬものがいた。
「摂領様。失礼ながら一つ聞かせて頂いてよろしいですか?」
殴られた商人の息子だった。年のころはアラタと同じく二十と少しといったところである。父親は焦って息子を制止しようとしたが、アラタは逆に父親の方を止めて発言を促した。
「父に失礼があったのだとは思いますが、何故にこうもひどく打ち付けられたのかを教えて頂きたく存じます」
その問いにアラタはどうしてそんな簡単なことを聞くのかと呆れたような様子を見せる。
「俺は道徳どうこうを理由にあげる輩がおぞけが立つほど嫌いだ。一方で世間一般では道徳に従うことが良しとされる。だが俺の不快感は消えないし、かといって俺もそれを伝えて同意を得るだけの能を持たない。要は相容れないから暴力での抑圧を試みた、それだけのことだ。害獣への対処と同じさ。……逆もまたしかりだとも思いはするがね。どれ君、俺と殴り合いをするか?」
そう言ってハハと笑う。一体、その場の誰が彼の言い分に納得できただろうか。尋ねた本人は絶句して良くないと思いながらも無言のまま退室したし、立ち止まって話を聞いていた他の商人はとんでもない人が摂領になってしまったと心中で嘆いた。打ち付けられた商人は、息子が殴られるようなことがなくてよかったと安堵するばかりであった。
商人が退室すると、摂領は目をつむってじっと動かなくなった。
しばらく時間がたつと、今度はアラタの部下が報告にやってくる。
「昨日の二人の住処が分かりました」
下座で告げる部下に摂領は目を開いてそうか、と返事をする。
「いつも通りやれよ」
その命令を受けて去っていく部下を見やりながら、この悪徳の人は再び考え事に沈んでいった。
一方そのころ、シエンは昨日クジに言われた通りの場所に来ていた。やや粗末ながらそこそこの広さを持った家だ。狭い庭になぜか二つある井戸が目を引いた。
クジには事前に入っていて良いと言われていた。庭を通って入口まで行き。戸を引いて中を覗く。
「おじゃまします」
中から返事はない。内装は寂れた感じで玄関にはクモが走っている。それなりの広さはあるものの、外から見た印象よりシエンは狭く感じた。
そのように四、五秒観察していると、「どうぞ」と後ろから声がする。振り返ると、まず白い三角巾が目に入る。この家の主人、クジがそこに立っていた。
「どこから出ました!?」
道中に人の気配など感じなかったものだからシエンは驚いてそう尋ねるが、クジは「いいから、いいから」と中へ行くよう促すばかりで答えない。
そうして促されるままに家の中に入り、奥の一番広い部屋に案内される。
シエンを部屋に入れると、クジは「お茶をついでくるから」と言って台所の方へ消えていく。
それを待つ間、シエンは暇つぶしがてらに部屋を見わたす。家具は座布団とちゃぶ台があるだけの質素な部屋だ。北側の壁は押し入れになっているが、隅にたまった埃がしばらく使われていないことを物語っている。板張りの床が晩夏にも関わらず、なお少しつらく感じる。
「お待たせ。あら、遠慮しないで座っていいわよ」
そんなことを思っている内に戻ってきたクジがそう言った。両手で盆をもってお茶を運び、右腕には紙袋をぶら下げている。
「そういえば、あの後体調は大丈夫ですか?」
二人して座った後、シエンがアラタに殴られた昨日の件に触れる。
「ああ、うん。今はもう何ともないわ。お気遣いありがとう」
茶をすすりながらクジが答える。
「……それで昨日おっしゃっていたお話とはなんでしょうか?」
シエンがいきなり本題に切り込んだ。こういう時、他に適当な雑談をできないのは彼の自認する短所の一つである。もっとも一方で彼のそういう明快さを好む人も少なくないのだが。
「そうね。見てもらった方が速いと思うのだけれど」
そういってクジは持ってきていた袋から木箱を取り出す。ふたを開けると中には小瓶がいくつも入っていた。小瓶の中身は、無色から色付き、粉から液体と幅広い。
「呪薬ですか!それもこんなに……」
シエンは驚いて木箱の中身とクジの顔を交互に見やる。
「私がここに来た目的が、この町で使われているだろう呪薬について調べることだということは昨日話したわね?」
「知り合いの方からナミルでの呪薬の不正流通の話を聞いたんでしたよね」
「そう、これはそのために持ってきた検査キットよ。要は呪薬を調べるための呪薬ね」
「ほー、これが。知識としては知っていましたが、実物は初めて見ました」
そう言ってシエンが好奇の目で瓶をのぞき込む。
「確かに珍しいかもね。本当は昨日見せてもよかったんだけど、ちょっと外せない用事があってね。今朝外から戻ってきたところなの」
シエンは顎に手を当ててしばらく箱の中身を見入っていたが、やがて顔をあげる。
「……とすると、話というのは検査の手伝いですか」
そう尋ねるシエンに向かってクジはにいっと笑う。
「さすがに察しがいいわね。そう、呪薬の検出っていうのはすごい大変なの。そもそも呪薬の使用法自体がスタンダードな水溶から油溶、はては大気中散布や生物経由と幅広いからね」
そこまで言うと肩をすくめて、
「今回みたいなどんな呪薬が使われてるか分からないときは特にサンプル採取が地獄級の面倒さなの」
とため息交じりに愚痴を言う。
「どちらにせよ手伝いは構いませんが……ひょっとして私に頼むということは、ナミルの奇病は呪薬によるものだとお思いですか?昨日はそういう風なお考えではなかったと思いますが」
シエンが問い尋ねる。クジは確信めいた顔でうなずく。
「十中八九そうだと思っているわ。そうじゃなければ君に頼まないわよ。といってもどういう薬が使われているかは依然分からないけれど。どちらかというと奇病が人為的なもので、その手段が呪薬だと思っている感じかしら。……踏み込んだことを言うと黒幕と予想しているのは――」
ガタン
クジの話を遮るように大きな音がする。人が何かにぶつかったような音。そいつも音を立てたことに慌てたのか、急いで走り去るような音が聞こえる。
反応が早かったのはシエンの方だった。
「誰だ!」
と叫ぶと、面をば拝まんと外に走り出ていく。家主のクジもシエンを追うように外へ向かう。クジが外へ出たときにはもうその何者かは去った後だった様で、姿はなくタタタタタという音が徐々に小さくなっていくのが聞こえるだけだった。
しかし先んじて外に出たシエンは違った。去っていく男をしっかり目にとらえた。
「クジさん」
男の去った方角を見つめたまま、シエンが背後のクジに話しかける。
「あなたが先ほど言いかけた黒幕、誰か当てましょうか」
服装こそ全く違ったが、男の横顔は間違いなく昨日二人の居た食堂に怒鳴りかけてきた役人だった。
そしてシエンは見た、走り去る役人の左手に空の薬瓶が握られていたことを。
「あなたの予想する黒幕、それは――」
そこまで言うとクルリと振り返ってクジに正対する。
「ナミルの摂領、アラタですね?」
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