摂領アラタ

「へー、それでここまで調査に」

「ええ。全く人遣いの荒い先輩ですよ。こっちの予定なんて微塵みじんも気にしてくれないんですから」


 食事中、クジは盛んにシエンの身の上話を聞きたがった。注文の砂糖うどんを食べ終わってからは在席の名分を得るために残った汁にネギを足してつまみつつ質問を続けた。


「ね、ね、その先輩ってなんていうの?もしかしたら知ってる人かも」

「テンドッグって名前です。いや、基本は優しいんですけどね。ときおり無遠慮というか……」

「うわー、テンドッグ!懐かしい!知ってる知ってる。確かにそういう所があるわよね、あいつは。変わらないなー、もう三十代だっていうのに」


 クジは腕を組んでうんうんとうなずきながら思い出を懐かしむように目をつむる。

 二、三秒のちょっとした間が空いた。質問が途切れたとみて今度はシエンの方がクジに尋ねる。


「クジさんはどうしてナミルに来られたんですか?」

 その質問を受けて、それまで嬉しそうに微笑んでいたクジが一転してまじめな顔になる。

「……」

「あ、いえ、すみません。答えたくないようでしたら……」


 返事をせず黙ったクジに対し、不興を買ったかとあわてて弁明をするシエン。それをさらにクジが手を挙げて静止する。

「ああ、いや、少し考えをまとめていただけです。こちらこそ申し訳ない」

 再びニコとほほ笑むクジ。挙げた手をそのまま顎にあてて数秒考えてから口を開く。

「そうね、どこから話そうかしら。……あまり公には言えないのだけれど、私の知り合いが部下からこの街で呪薬が大量に使われた可能性が高いという報告を受けたと教えてくれてね。何か不穏なことがないか個人的に調べようと思ったの。ついこの前も西国で呪術を使った事件があったばかりだし気になってね」

 学術的には魔法は魔術と呪術に大別される。道具を使わないものが魔術、使うものが呪術である。魔法によってつくられた薬を呪薬と呼ぶ。

 王国の統制がゆらいだ近頃は、不法に流通する呪薬に歯止めが利かなくなってきているのだ。


「そういえば、テンドッグ先輩がここの奇病を魔法関係のものかもしれないとおっしゃっていましたが……」

 クジが眉をひそめる。

「なくはない話かもしれないけど……夢に関係する呪薬っていうのは聞いたことないわね」

 再び会話が途切れた。今度は二人ともがどちらからともなく考え事にふけり始めたせいだ。どうやら、この二人はそういうが似通っているようである。


 二人が考え込んでいる内に、店の外からやかましい音が聞こえてきた。雰囲気から察するに、どうやら近隣の家や店に怒鳴り込んでいる者がいるらしい。そいつはどんどん近づいてきて、遂にシエンらのいる店にも入ってきた。

 頭上にある黒色の冠を見るに地方ここの下級役人である。

「摂領様の御屋敷の外塀に落書らくしょを行った不届き者がおる!もしここに居れば潔く自首しろい!」

 摂領または摂領主とは、その名の通り領主代理のことである。各領主がその裁量で摂領を置くことができ、複数の町をもつ大領主が一部を任せたり、ここナミルのように病身の領主が職務を代行させたりするために設置される。

 怒鳴った役人はじっと店内を見渡した後、すぐにきびすを返して去っていく。その後少ししてから、店外から同じ役人が「おい、こら」と怒鳴りつける声が聞こえた。

「犯罪があったときに領民への周知を兼ねてをするのは珍しくはないけど……」

 クジがそう話し始めた時、店内の緊張はすでにとけてガヤガヤと客の会話が再開していた。

「たかだか外塀への落書でここまでするとは意外ですね」

 クジが言外に留めたところをシエンが補足する。最近は領民の不満の吐き出しを兼ねさせてある程度は黙認する領主も多い。加えて領主層の財政難で見回りが縮小されがちなことで、領主邸の外塀というのは落書のされやすい場所となっていた。現にナミルでも、十日前に同じく外塀に落書が見つかった際は高札を立てて非難文を貼りだすだけに対応をとどめたのだ。

「よほど気に入らない内容が書かれたのかな」

 そう言ったクジに対して、野次馬ごころを駆り立てられたシエンが誘い掛ける。

「もしこの後お暇でしたら書かれた落書を一緒に見に行きませんか?」


 食堂から出た二人は、まず町内のハブとなっている船着き場へ向かいそこから商家の建ち並ぶ通りを経て摂領の屋敷に向かった。

 さて、この時代は領主の邸宅が役所を兼ねている。従って普段から一定の人通りがあるのだが今日はいつにも増して多くの人がいた。

 人だかりのある方へ向かうと召使いたちが落書の掃除をしているところだった。消されていない部分やうっすらとかすれて見える部分をつなげて内容を察するに、要は生活苦と役人への不満を書きなぐったものらしい。

 ところが奇妙だったのは落書の一部が――といっても両腕を広げたくらいの広さはあるが――黒々としたで塗りつぶされていたことだ。召使いらが消すのに苦労しているのもこの部分である。

「何やら一部が炭で塗りつぶされているようです。一体だれが何のためにあのようなことをしたのでしょう?」

 小走りで先に様子を見に行ったシエンが後から追いついてきたクジに状況を説く。

「あら本当……うわ、すごい。真っ黒じゃない」

 はじめはさして興味を示さなかったクジだが、ここまでして消された内容が何なのか気になったのか、近くに駆け寄って塀をみつめる。

 腕組をしてしばらく見つめるとシエンの方を振り返る。

「頑張ればちょっとは読めそうだよ。若干だけど色が違う」

「えー、なんだ?んー……あっ、ここの部分は、道徳を、だね」

 解読を始めたクジに話しかける者がいた。

「それは私が消したものだ。そういうのはやめてくれないか?」

 振り返って見ると、どこから現れたのか明らかに群集から浮いた男がそこにいた。青白色の着物を黒い帯でしめ、赤い冠をかぶっている。冠の赤は下級の領主にのみ許された色だ。ナミルの摂領、アラタである。シエンの見立てでは、年の方は二十を少し過ぎたくらいであった。代理とはいえ領主ではあまり類を見ない若さである。


 予想外の人物の登場にクジもシエンも困惑を隠せない。周りの人たちも今まで気づいていなかったようで、三人を中心にしてどよめきが走る。

「こ、これは失礼いたしました。まさか摂領様が消されたものだったとは……」

 クジが急いで頭を下げて謝罪する。

「謝らずともよい。こちらも貼り紙くらいしておくべきだった」

 それに対してアラタは手で顔をあげるように促す。怒っているわけではないようで、穏やかな顔をしている。

 アラタの言葉に甘えてクジは顔をあげるが、一応重ねて詫びる。

「申し訳ありませんでした。少し考えれば思い至ったところを……私の不徳の致すところです」

 二人も他の野次馬も、その場の群集の誰も予想しなかっただろう。その発言で空気が変わることを。

「不徳?」

 アラタが聞き返す。シエンの目に彼が少し身震いするのが映った。

「は?ええ……」

 クジの返答を聞いてアラタが顔をしかめる。更に聞く。

「何故?」

 嫌な沈黙が流れる。次の返答をする前にクジは何が目の前の男の気に障ったのかを懸命に考えた。たった数呼吸の内では、とんと分からなかったが。

「な、何故?……摂領さまのご配慮に気づかずに塗りつぶされた箇所を読もうと」

 そこをアラタが遮る。

「それはつまり、根本的には何がなのかね?」

 何に対してこうも怒気を発し始めたのか、シエンを含め傍でみていた全員が戸惑った。しかし一番混乱したのは尋ねられたクジである。何が聞きたいのか分からず目が泳ぐ。それから数呼吸してから、黙っているのもまずいと思って答えようとする。

「……じょ、状況把握能力のふそく」

 そこで発言は止まった。顔面に衝撃が走ったからである。倒れそうな所を踏ん張って、痛みのする頬を抑える。驚きと共に前を向き直すとクジの目に蹴りを飛ばしてくるアラタの姿が映った。

 飛ばされ、今度こそ倒れる。

 周りのものは巻き込まれまいと急いで立ち去る中、シエンは倒れたクジの前に進み出て弁護をする。

「申し訳ありません。何がお気に障ったか分かりませんが、このあたりでご勘弁を頂けないでしょうか」

 気がせいて早口になる。

 アラタもクジが倒れたところで一応差し止めるつもりだったのか既に攻撃の構えは解いていた。依然不快さを顔に残したままだったが。

 今度は割って入ったシエンの方をねめつける。

「その服はタンの弟子だな」

 自分が話題の中心になるとは思っていなかったシエンはひどく驚く。

「は、はい。そうです」

 ハッと軽蔑したようにアラタが吐き捨てる。

「俺の嫌いなやつらだ。やたらと善悪論を持ち出すな輩よ」

 この横暴な摂領はそう言い捨ると、憤懣ふんまんやるかたなしといった様子で立ち去っていく。

 一方クジの方は、右手で腹を抑えながらもようやく起き上がったところだった。

「う、くっ」

 クジは倒れた拍子に頭から三角巾がとれたのに気づくと、左手で額をおおいながら落ちたそれに手を伸ばす。白かった三角巾は土汚れがついて茶色がかっていた。

 それを着け直しながら、クジは最後の台詞を残して立ち去ったアラタについて考えた。


(そうか。今のでようやく分かったぞ。やつは道徳関係の話題を出すことを嫌っているんだ……!確かに落書の塗りつぶされた箇所も道徳うんぬんという内容だった。)


「大丈夫ですか?」

 シエンが三角巾を着け直しているクジの方を振り返ってそう問いかける。

「ええ、まあ何とか」

 そう答えて三角巾を着け終わると、立ち上がってパンパンと服をはたく。その後ふう、と一息つくと、クジは改めてシエンの方を向いた。

「実は私、ここの町はずれに家を持っているの。場所を教えるから明日そこまで来てくれない?」

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