一人一点

荒糸せいあ

ナミル騒動編

港町からの奇風聞

 王国の末期である。種々の理由による民衆の困窮は慢性的な治安の低下をもたらすに留まらず、ときに爆発的な暴力となって政権を襲う。五紫十三年二月には政務中の右大臣が殺された。

 統治制度は改善を加えられながらも未だ事態の根本的解決には寄与せず、官民で個人々々の裁量に頼ることが増えつつある。

 諸侯は独歩の兆しを見せはじめ、民草の内からさえも不羈ふきの心を持つものが頭角を現し始めている。

 それでもなお多くの人は王国による秩序を望んでいた。才徳のある人は高志を叶えようと尽力したし、そうでなく自己の利益を図る者でもやはり大方はそうした秩序の中での栄達を望むのである。

 しかし、そう上手くはいかない。すすんで公利をわたくしする不届き者や、あえて法を犯す不埒者が勢を得ることもしばしばだ。更にそうでなくとも騒擾が起こることもあった。社会の分化は否応なしに人々の価値観、倫理観を多様化させ、色々な場所で摩擦を引き起こしていたのである。

 そうした時代であったから、世の中の多くの人はこう嘆くのである。

「ああ、世の中に徳が行われなくなってどれだけ経っただろう。いつこの世は正道に帰すのだろうか」と。

 自身の素行、価値観が他者から見た時には非難の対象たり得ることには目をつむりながら。



 寿安二年の夏、ある宿屋。

 ゆったりとした寝間着の青年が朝日にあてられた床に寝そべっていた。

「う、うーーん。あっあああーーーーーああ」

「ふう」

 顔に当たった光がまぶしかったのか、目を覚ました青年は細身の体で思いきり伸びをしてから大きく息を吐く。そのまま体をねじってうつ伏せになるようにして手を伸ばし、枕元のペンとノートを取る。

「……十四日目。宿の三階から飛び降りてムカデになる、魔術師に襲われて落とした目玉をハメ直す、塾のテストで赤点っと……後なんか見たっけなぁ」

 寝ぐせのついた頭をポリポリと掻きながら、つい今さっき見た夢の内容を帳面に書き込む。

「全く、こう手がかりが無くてはどうしようもないなあ」

 そう青年はぼやきながら三週間前のこうなった経緯を思い出す。


「ナミルの港町で奇病が流行っているという話を知っているか?」

 塾の同門で今は朝廷で高官についている先輩に呼ばれて真っ先に聞かれたことがそれだった。

「いえ。すみません。どうにも寡聞なもので……」

「なんでも悪夢を見る者が増えているらしい。奇妙なのは親を殺してしまう夢だとか、子供を捨ててしまう夢だとか、とにかくそういう非倫理的な内容が多いことだ」

 話の筋が見えず、はあ、と気のない返事をする僕。先輩は机の引き出しから重そうな袋を取り出して近づいてくる。

「世情への不安がもとになって気の病を患うものが増えているのだといっている者もいるが、どうもきな臭い。最近は魔術、呪術を使って悪さをする輩もちらほらいるしな」

 先輩がさらに近づいて僕の手に袋を持たせる。ジャラリと音が鳴った。

「一ヶ月分の旅費をやるから事の次第を調べてきてくれ」

 面倒くさそうな話に思わず顔をしかめてしまう僕に有無を言わさぬよう先輩が続ける。

「どうせ最近はタン先生の手伝いばかりだろう?小留学とでも思って……な。俺もいきたいが生憎忙しくてね。ということで一人で頑張ってくれ、シエン君」

 先輩は言いたいことだけ言うと、返事も待たず歌をうたいながら部屋を出ていく。

 僕は思わず心中で叫ぶ。

 全く!なんて人遣いの荒いお人だ!


 さてお気づきの通り先ほどからのこの青年がシエンである。

 都で私塾をやっているタンの門下生で今は他の門下生同様その運営の手伝いをしている。大体の人はそうしている内に仕官の話が来たり、あるいは自分から売り込みに行ったりする。塾頭のタンは国内でも無類の有名人なのだ。

 シエンはあれから二日かけて旅支度、五日かけてナミル港まで来た後、住人に聞き込みをした。その傍らあまりに手掛かりがないので噂の夢でも見られれば、と夢日記をつけていたのである。

 夢日記を書き終わるとシエンは寝間着を脱いで平服に使っている塾の制服に着替える。汚れが目立たないように紺を基調にしていて、しかも丈夫で動きやすいので結構重宝する代物だ。

 えりを整えて帯を結ぶと宿部屋の扉横にかけてある鏡の前に立つ。

「おっ。今日は寝ぐせがたってないじゃないか」

 申し訳程度に髪を手櫛でときながら部屋を出る。宿は食事なしなので外に食べに行かないといけない。先輩からもらった金は宿を食事つきにするには少なかったのだ。

 最近通っているお気に入りの食堂に向かう途中、シエンは今後について思いを巡らせた。

(ほとんど進歩もないままもらったお金も残り半分……。聞き込みも夢の内容が聞けるだけで肝心の原因はいまだに手掛かりもないし、どうしたものか……)


 シエンがこの港町に来てから二週間。件のに関してシエンが新たに得た情報は、夢の設定にパターンがあるということだけだった。

 例えば、夢の中で喉が渇いていたと。目の前には綺麗な池があるが柵でおおわれている。

 ある人は侵入してこれを飲み、ある人は躊躇しているうちに気絶し、また別の人は他所に行って別の池を見つけた一方で、同様にしても見つけられず行き倒れたという人もいた。

 例えば、自身の子供が山上の小屋に縛られていると。何をしても解放できずどうしようもない。

 ある人はそれから毎日往復に六時間かけて水と食事を運ぶ夢を見たと言ったし、また別の人は解放しようと四苦八苦しているうちに死なせてしまった夢を見たと言った。この夢で酷かったのはしばらくして諦めてしまい置いてけぼりにしたと言った人だ。この人は聞き取りの後、自責のあまり遂に本当の病気になって寝こんでしまった。

 こういった悪夢を連日見る者が大勢いるのだから、なるほど病気というのも「さもありなん」である。


 食堂についたシエンは夢日記とは別にこれらの内容をまとめたノートを眺めながら、注文した食事を待っていた。

 そこに声をかけた人がいる。

「もし。よろしければ向かいに座らせていただいてもよろしいですか?」

 シエンが見上げるとえらく中性的な見た目の人が立っていた。三角巾を額を覆うようにかぶり、その後ろからしばった長い髪を背中にたらしている。黄色の生地に梅花の描かれた服は身体に対してかなり大きめでゆったりとしており、随分余裕があった。

「あ、はい。どうぞ、構いませんよ」

 失礼します、と言ってその人が腰掛ける。その後店員に声をかけて砂糖うどんを注文するとまたシエンの方を向いて話しかける。

「どうも。私はクジっていうの。あなた、タン先生のところの塾生ね。懐かしいわ、私も昔すごいお世話になったのよ」

 クジと名乗ったその人は、にこにこと笑いながら親しげにシエンに話しかける。

 今はまだ知る由もないが、後年のシエンはここが人生の転機の一つだったかもしれないと振り返るのだった。

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