第2話 弟子

「私と楽器屋をしませんか?」

 先生が言い出したのは突拍子も無いことだった。


 3年制のギタークラフト科に入り、卒業までもう半年だと言うのに私は未だ就職先が決まっていなかった。早々に地方の楽器工房に決まった人や、大手楽器メーカーや楽器店に一般職採用でも入社が決まった人は言わば花形である。その影でこの学校とは全く関係のない職種を選んだ子もいるし、とりあえずはフリーターでいいやって子もいて残念ながらこちらは多数派だ。私はしぶとくも何とかここで3年間学んだことを活かせる仕事をと諦めずに就活を続けていた。

 そんな中、担任の先生との就職面談中にあろうことかその先生自身が突拍子もないことを言い出したのだった。

「あ、いや。その、変な意味とかは無くてですね。あっ。プロポーズみたいなこと言ってしまいましたか?あーごめんなさい、そういうつもりじゃないんです。私には妻も子供もいますし。その…」

 その言葉に私が呆気にとられている内に、先生は一人でしどろもどろになって言い訳を始めていた。勿論、プロポーズなんて思ってはいない。さすがにそれはない。先生は私の父親と同じくらいの歳のはずである。私はファザコンを拗らせてはいないのだ。…ロリコンは拗らせては無いよね?てか、そもそも21歳はロリコンに入るのだろうか?

「先生、それは分かってますから。それでさっきの話、どういうことかちゃんと説明してもらってもいいですか?」

「あ、はい。その、進藤さんと私は同郷なのは知っていますよね?」

「はい。1年の最初に私が自己紹介で四名出身ですって話した時に、先生が私もです。っておっしゃってましたし。」

「はい。そ、それでなのですが、小山楽器ってご存知ですか?」

「小山楽器?…四名のですか?場所ってどの辺ですか?市内ですか?」

「えーっと一番街通りの、あーなんでしたっけ。んー、シャインです。英語でSHINE。小山楽器が名前変わって今はシャインです。」

「一番街通りの?あー、はい。上がスタジオのとこですよね。はい。シャインなら知ってます。私、あそこでギター買いましたから。」

「確認ですが、そこって髭のおじさんが店主の店ですよね?シャイン。合ってますか?」

「口ヒゲのお爺さんですよね?」

「…そうですね。口髭のお爺さんです。」

「で、それがどうかしたんですか?」

「そのお爺さんからあの店を、私が店長として譲り受けることになりまして。」

「えええええ!!」

 思わず芸人のようなリアクションをしてしまった。それくらい話がぶっ飛びすぎている。新垣先生がシャインの店長さんになるの?どういうこと?てか、この学校はどうすんの。つーか、先生って大物のアーティストさんの専属ギターテクとか、若手の有名ギタリストのギターの設計とかもしてたよね?それにプロ相手のリペアマンの仕事とかもしてなかったっけ?確かドームツアーで学校休んだこともあったよね?そんな控えめに言っても業界では大御所の新垣先生が四名のシャッター商店街で楽器屋さんをするの?意味分かんないんですけど。いやいやいや。それについさっき、私と楽器屋しませんかって言ってなかったっけ?どゆこと?どゆこと?意味分かんなすぎるんですけど。あー意味分かんね。頭が爆発しそう。

「そのですね。落ち着いて、順を追って説明させてください。」

 パニックになった私を落ち着かせながら先生が淡々と話してくれたのは、そのシャインの口ヒゲの三郎さんと言う店主さんとの出会いからの話だった。店主と客という関係で先生が高校生の頃に知り合い、その三郎さんに導かれるようにクラフト科のあるこの学校に入学。そして卒業し先生はこの業界のキャリアを積んでいく。その後も交流が続き、ふらっと新垣先生が言った『いつか自分の楽器屋を持つのが夢』という言葉を三郎さんが覚えていたので、その三郎さんがリタイアのタイミングで先生に連絡が行き、シャインを引き継ぐことになったという流れらしい。

 なので、新垣先生は今年で学校もこの学校の親会社も辞めるということになるらしい。そして先生の奥さんと二人で四名に引っ越し、シャインの店長さんをするということだ。そして新たにスタッフを募集するにあたり、教え子で同郷で且つ未だ就職が決まっていない私に白羽の矢が立ったと言うことらしい。 

「先生、学校辞めるってそれ、本気ですか?」

「はい。本気です。もう学校にも会社にも報告していますし、来年の4月には私はシャインのお店に立っています。あ、でも、4月は三郎さんと一緒に引き継ぎや常連さんへの報告を兼ねて一ヶ月を過ごさせていただき、5月から工事が入り準備期間を経て全てが上手くいけば6月1日にリニューアルオープンという形になります。まだ先のことですし、あくまで机上の空論ですけれどね。」

 淡々とただ報告をするだけのように話す新垣先生は、普段の先生とはどこか別人のように見える。でも言葉の端々にどう説明をすればいいのか分からないような強い決意のようなものが垣間見えた。本気なんだこの先生。

「それでもし、もしも進藤さんが良ければですが、四名で一緒に楽器屋をしませんか?」

 そして話はここに戻る。

「進藤さんはお若いですし、まだ東京に居たいと言うのでしたらそれはそちらを優先していただいて結構です。どうでしょうか?四名に戻る予定はありますか?」

 そもそも私は東京が嫌いだ。住んでみて実感したがここは人が多すぎる。それでも東京で仕事が見つかれば残ることも考えるが、もし東京で仕事が無ければ私は迷わず四名に帰る。特段四名が好きと言うわけではないが、カレシもいないし仕事も無いのに東京にいる価値を私は見出せない。四名には地元に残った友人達もいるし、それはそれできっと楽しいと思う。と、それくらいの感じである。

「四名へは東京で仕事が無かったら帰ろうと思ってましたから。それは問題無いんですけど。」

「勿論、必要であれば進藤さんの親御さんへは私から直接説明させていただきます。普通じゃあり得ませんから、担任が生徒に一緒に店をしませんかというのは。」

 先生がうちへ来るの?実家に?なにそれ?どんな家庭訪問よ?

「いや、それは大丈夫ですし私が説明しますから。それでその、…なんで私なんですか?」

「あーそうですね。まずは同郷且つ私の生徒だと言うことが大きいです。この3年で打ち解けているかは分かりませんが気心は知れているはずですし、楽器屋やリペアの仕事にも理解があるでしょう。そして私ももうそろそろ50近いと言うことが一つ。プロのクラフトマン、リペアマンとしては先はそんなに長くは無いと思っています。…以前、三郎さんと話をしていてふと思ったんです。私だって歳をとるんだと。なので、…これはあくまで個人の意見と言いますか、願望ですので気負わないんで欲しいのですが、私が動けるうちに信頼のおける弟子をきちんと育ててみたいと言うのがあります。その点、進藤さんは既に卒業までの3年間、既に私の生徒として過ごされてますし、私の見立てだと腕も悪く無いと思います。それに勉強も熱心ですし知識量では他の生徒よりも群を抜いていると私は思っています。あ、勿論、仕事つまらないから辞めたいとか独立したいと言うのがあれば、それはそれでその時にお力になれると思います。ただ。」

「ただ?」

「シャインはリペア専門店ではなく楽器屋ですので、基本的に進藤さんには売り子、通常の楽器店の店員の仕事をメインにしていただくことにはなると思います。そして空いた時間にでも私で役に立つのでしたら引き続きリペアの仕事を教えられたら良いなと思っているのですが。」

 全然悪く無い話である。本音を言うとまだまだ新垣先生には指導を受けたいと思っている。

 楽器というのは木の材質や使うパーツなどもだけれど、調整の良し悪しで全然違う楽器になることを多くの人は理解が出来ていない。この新垣先生がここまで有名なのはその調整が神懸かっているからなのだ。

 以前に授業でではあるが、他のクラスメイトが調整した30万超えのブティックギターと、先生が調整した売価3万の木もパーツも大したことのない大量生産の楽器を実際に弾き比べさせてもらったことがある。しかしあれは誰がどう見たってどう聞いたって3万のギターの勝ちだった。上手く言葉に出来ないが先生の調整が入ると楽器が明らかに高らかに鳴り始める。変な表現だと自分でも思うが、そうとしか表現出来ないような仕上がりになるのだ。そうなってくると、もはや楽器の質なんてどうだってよくなり、先生が調整したか否かの問題になってくる。そして楽器自体の作りの差とはその調整が行われた後のクオリティの差だということを知ったのだった。しかしその技術を習得出来ている人間はおそらく学校おろか中々世にはいないだろうと思う。それほど繊細で感覚の問題なんだろうなとはこの学校のクラスメイトの全員が感じていることであり、先生の近くでその仕事を見ることが出来れば、見続けることが出来れば、いつか私もその境地に辿り着けるかも知れないと思う。そしてその高みに到達したいと願うのは全ての技術者の願いだろう。

「もし良かったら、考えてみては貰えないでしょうか?」

「分かりました。ちょっと考えてみます。それで、その。」

「はい?」

「私の他にも従業員って雇うんですか?」

「あー、それなんですけどね。あのお店の普段がどれくらいの客入りなのかが私の方で掌握出来ていないので、三郎さんと一緒に入る4月に見極めて…。そうですね、必要なら1人くらいはバイトを採ろうかなとは考えているのですが、三郎さんは2人でもなんとかなるとおっしゃってはいたので、特に急いではいません。」

「そうですか。それでその、…私ってバイトですか?」

「いえ、進藤さんは社員でお願い出来ればと思っています。」

「シャインだけにですか?」

「はい?」


 家に持ち帰り改めて考えてみる。やはり悪い話じゃないと思う。まぁ田舎の楽器屋なので先生の言うとおり給料は知れているだろう。それは十も承知だ。しかしあそこが職場なら実家から通うことになるし、とりあえずお金のことはそんなに心配しなくて良いとは思う。

 一応のことだしと、実家に電話をかけてみた。

「それでどうするの?」

 それについての意見を聞きたかったのだが、母親に聞き返された。

「なんで私に聞いちゃうかな?」

「だってあんた自身のことでしょ?その先生とあんたの関係とかお母さん分かんないし。」

「そりゃそうだけどさぁ。」

「咲ちゃんももう21なんだから自分で決めなさい。うちに戻ってくるのは全然OKだから。部屋もずっとそのまんまだし。」

「知ってる。」

「じゃあね。一応お父さんにも話しとくけど、良いよね?」

「うん。」

「じゃあ切るよ?おやすみ。」

「おやすみ。」


 翌日、私は先生に話をしに行った。

「先生、昨日の話ですけど、お受けさせていただきます。」

「そうですか!それは良かった。」

 3年間生徒をしていて、今まで見たことないくらいに分かりやすく先生の顔が明るくなった。

「それでは、また追々詳細を説明しますが、一応内定と言うことでお願い致します。」

「はい。よろしくお願いします!」

 そんなこんなで意外な形で私の就職活動が終わった。


 3月になり卒業式が終わるとすぐに私は実家に引っ越した。3年という時間は思いの外で、同じ部屋に出戻っただけなのに何故か荷物が入りきらなくなっていた。

 3月中に一度下見に行きませんか?という先生の計らいで3月の下旬、私は先生と一緒に現在のシャインを訪ねてみることにした。ここはこれから私が働く職場である。と言ってもここは中学高校の頃に何度か来たことのある店であり、見知った風景で特に違和感はない。もし違和感があるとすれば、ここにリペアマン新垣武仁がいることだけである。

「あ、三郎さん。今日はご挨拶に上がりました。紹介させてください。私の教え子で地元四名市出身の進藤咲さんです。」

「初めまして進藤です。宜しくお願いします。」

「これはこれは、小山です。でも進藤さんは初めましてじゃないですよね?昔にうちでTLのギターを買われませんでしたか?確かお父さんといらして。それからもここにたまに来られてたでしょう?」

「え?はい、そうです。もう何年前だろ。ギター買ったのは中学生の頃なので随分前だと思うんですけど。…全部覚えてらっしゃるんですか?」

「はぁ。まぁね。仕事ですからね。その人の顔と楽器のイメージが一致出来ればね、覚えているってことになるんですかね?」

「へええ。すごい!」

「この進藤さんと一緒に来週からこちらで働かせていただきます。進藤さんはこの4月中に頑張って三郎さんから仕事を覚えてください。レジ周りのことや接客のコツなど学ぶことは多いと思いますので。よろしくお願いします。」

「気負わなくても大丈夫ですからね。私みたいなジジイでも出来る仕事ですから。ははは。」

「よろしくお願いします!」

 その後、先生に新店舗の見取り図を見せて貰いながら話を聞いたところ、店のレイアウトを変更し新たに常設のリペアブースを作るとのことで、塗装関係は店舗で行わず今の店主さんが依頼しているところか、私たちの元居た学校の系列会社に委託すると言うことだ。ドラムは上の階に専門店があるので、ここにはギターベースとアンプ、エフェクターと小さいスペースになると言っていた鍵盤類だけである。そうして店内を見ながら実際の店舗を想像してみた。


 あっという間に4月になると、三郎さんと一緒に働く1ヶ月間は覚えることがありすぎて目が回るような忙しさだった。…いや正確には忙しかった訳ではない。お客さんはそんなに来ないし暇っちゃあ暇だ。ただ色んな引き継ぎや、上下の階の従業員さんとのコミュニケーション、それに付随する覚えておかないといけないことが多すぎて、店は暇なのに私一人がテンパっていたと言うのが正しいんだろうと思う。シャインのバイトの人は3月一杯で退職されており、私は三郎さんに付きっきりで楽器店の仕事を1から教えてもらった。

 そしてその間、私でよければと調整の仕事もさせていただいた。そんなに難しいことはせずただ弾きやすくするためだけの至って普通の調整なのだが、それでもお客さんに喜んでいただけて、なるほど現場のリペアマンってこんな感じなんだと実感することが出来た。

 一方、先生は4月の2、3日間こそきちんと出勤されていたが、以降はお店に顔を出すことはあまりなく、忙しく日本中を飛び回っていると言う話である。今までの知り合いやコネをフル活用し、楽器に携わる仕事をしている元教え子や古い知人、先生が学校に来る前に働いていた頃の昔の取引先の楽器メーカーなどに直接出向き、挨拶回りをするという営業職のようなことをしているらしい。あの新垣武仁がである。それはそれで来られた方もびっくりするんじゃないかと思う。


 そんな中からでも先生からはメールで色々指示が飛んでくる。先生はお店をより良くするためのアイデアが欲しいんだそうだ。私は一人、家に帰ってからも考える。お店を良くする為のアイデアか。うーん。

 先生が新店舗になるにあたり、最初に宣言したのはリペア料金を可視化しホームページと店頭で提示するということである。確かにこれは大型店では当たり前にされていることだけれど、こう言う地方の店ではまず情報が出てこないだろう。それをあえて可視化することで気楽に相談してもらいやすくしようと言うことである。

 次に、メンバーカードと購入者カードの発行。メンバーカードは既にシャインにもあり、一回の買い物が三千円以上でスタンプ一個。10個貯まれば千円分のお買い物が無料で出来るというあれである。そして購入者カードは楽器を買った人とその楽器との組み合わせに限り、生涯、調整だけは無料というシステムを作りたいらしい。要はお店に来る割合が増えれば小物なりちょっとした物でも買ってくれるでしょと言うことである。それに調整をするのは、あの新垣先生だ。その無料の調整目当てで楽器を買う人もいるかも知れない。これはすごく良い作戦だなと思う。ただしそれに伴い問題も出てくる。それは旧シャイン期に購入された楽器はどうなるのかと言う話である。新シャインだけのサービスなのか旧シャイン期に購入された楽器も含まれるのかという話で、一応は販売履歴は残っているので旧シャイン期の分もそれで新しく購入者カードを発行し対応となったのだが、それはそれで100点のサービスとはいかない気もする。

 他にも楽器限定の通販サイトへの登録をするということを提示された。これをすることで全国のインターネットの前の人がお客さんになると言うことである。今の時代では当然だけれども、それでも四名のような地方の楽器店では異例のことなのかも知れない。ただし先生は全国にお客さんを作ると言うよりも、誰もが見れる形の店頭販売商品のカタログを作ると言うことに意味があると話していた。

 そして私から提案をさせていただいたのは、若い世代をターゲットにした学生証割引である。商品を割り引くことは出来ないけれど純粋な技術料だけの調整ならどうだろうか?と提案させていただいた。先生は「それは良い案ですね」と返信が返ってきた。

 他にも購入者に限り、一回のみ弦交換のお手伝いと言うのはどうだろうかというものを提案してみた。購入者カードの特典として最初の弦交換の際にお店に来ていただき、初めての弦交換が不安なら私なりが横について実際にアドバイスをしながら本人に弦交換していただくという、ぶっちゃけ暇な店だから出来るサービスである。それも「良いですね」と返信が来たが、「弦交換の様子を動画サイトにあげるのはどうでしょうか?」とも返って来た。

 先生は引き続き不在なので、結局私が実際に弦交換を説明しながら実演するのを撮影することとなった。エレキはブリッジ毎に3種、さらにアコギと一応クラシック弦もである。そしてそれを持ち帰り、私が編集し字幕を付けという作業をした。この動画は現在進行形で依頼を出しているこの店の新しいホームページに載せることになっている。

 そうして4月の最終週、ようやく先生がお店に戻ってきた。日本中を飛び回って忙しくしていた所為か、先生は一見して分かるほどやつれており少し心配したが2、3日もすると元に戻ったので一安心である。


 4月最後の営業日、午前中からこのビルの他の階の従業員さんの手伝いも借りて全て楽器がひとまずオーナーさんの所有する倉庫へと片付けられ、空っぽになった1階フロアがパーティー会場になる。

 その夜、お店では昔からの常連さんや市内や県の内外からの関係者達が集い、三郎さんのお別れ会が行われた。そのパーティーには先生の奥様や、三郎さんの奥様に息子さん家族も参加され、私は改めて初めましてのご挨拶をさせていただくことが出来た。

「長年、ここ四名で楽器屋を営んでまいりましたが、理想の形でその最後を終えることが出来ました。それもこれもご愛顧頂いた皆様のおかげだと思っております。素晴らしい思い出をありがとう。…本当にありがとうございます。」

 声を詰まらせながら口ヒゲの老人のスピーチが進む。

「そして、このシャインを引き継いでくれるのが私と古くからの知人であり、全国的にも名のあるリペアマンである新垣くんであることを私は生涯の誇りに思います。新垣くん本当にありがとう。そしてみなさまに於かれましても、新しいシャイン、否、新店舗であるソウルシャインを引き続きご贔屓くださりますよう、どうぞよろしくお願い致します。」

 ソウルシャイン?とザワザワしだした。

「あ、新店舗の名前はまだ内緒でしたか。申し訳ない、新垣くん。思わず口を滑らせてしまいました。」

 先生はドリンクの入ったグラスを片手に、先生の奥様の隣で静かに笑っている。

「ちょうど良い機会ですし、新垣くん、皆様に改めてご挨拶しますか?」

 先生はグラスを持ったまま、私に手招きをしてマイクの前に向かう。私はそれに従い先生の隣に立つ。

「今ご紹介に預かりました、新垣武仁と申します。私が三郎さんと出会ったのは私が高校生の頃でして、もうかれこれ30年以上もお付き合いさせて頂いていることになります。最初、三郎さんからお話をいただいた時には大変迷いました。私はもうすぐ50になる年齢です。そう、新しく何かを始めるには遅すぎると言っても良い年齢でした。それでも三郎さんは私を指名して下さった。そして私はここにいる進藤咲さんという四名出身で私が東京の楽器制作の専門学校で教鞭を執っていた頃の最後の生徒と共に、これからこの楽器店を受け継いでいくことになります。」

 急なことなはずなのに、先生はすらすらと堂々とこなれているように話す。先生がこんなにスピーチが上手だとは全く知らなかった。私は隣に立たせていただいているだけなのに少し誇らしく感じる。

「そしてこの店を譲っていただくにあたり、三郎さんから提示された条件は一つだけ。それは店名を変えることでした。おそらく三郎さんは新しく私なりの楽器店を自由に想像させて下さろうと、店のイメージを引き摺らないようにと仰って下さったんだと思っております。しかし私は、三郎さんがここで店を構えてらしたその名残こそ私たちやこの街にとっての宝で、それこそが私がこの店を引き継ぐにあたりこの街に残しておきたいものだと考えました。そこで私はシャインと言う名前を残しつつ何か新しい店名はないかと考え、個人的に大好きなアーティストの曲のタイトルから名前を頂くことにしました。その歌詞は、英語の歌詞なので内容を説明するのが少し難しいのですが、要約すると『苦しい時悲しい時こそ、魂を輝かせなさい』という内容です。そして、三郎さんが残してくれたここ四名の街に根付いた音楽の魂を、これからここにきて下さるお客様の魂を、輝かせるお手伝いをさせていただけるお店になるようにと言う願いを込めまして、『ソウルシャイン』と言う店名に決めさせていただきました。改めまして三郎さん、今まで本当にお疲れ様でした。三郎さんの思いを引き継ぎ、私たちはこれから頑張っていきます。皆さんにもう一度、三郎さんへお疲れ様でしたのご発声をお願い致します。グラスを手に。それでは、お疲れ様でした。三郎さんに、乾杯!」

 ものすごい大きな乾杯の声とお疲れ様でしたの合唱が始まる。それを見て口ヒゲの老人は満足そうな表情で瞳に涙を溜めていた。


 翌日は先生と2人でざっとパーティーの後片付けをし、残りのその週は丸々お休みになった。「ゴールデンウィークですので、進藤さんもゆっくり休んでください」と先生は言っているが、その先生はアーティストについて東京で行われた音楽イベントに仕事で参加されていた。

 先生と我が母校の会社との契約は今までとは別の形で残っており、先生が手がけたギターデザイン関係はそのまま委託だか外部だかの職員として引き続き手がけるらしく、夏休みや冬休みには特別講師として母校で特別授業を受け持つことも決定しているらしい。一方でこのゴールデンウィークの仕事など、アーティストさんのギターテックやリペアマンとしての仕事はこの店所属の新垣武仁として参加するらしく、コンサートのパンフレットや映像作品に先生の名前が載る場合は「新垣武仁(SOULSHINE)」というクレジットになるらしい。そんななので、その間は私一人で店を回すことになるだろう、やはりバイトでも採ろうかと言う話を先生はしている。

 そうして連休が明けると、オーナーさん紹介の業者による本格的な工事が始まり、内装業者さんだかの大工さんが来てくれて、リペアブースの箱型の大きな枠だけ作ってくれた。そしてその後は私と先生の2人で内装工事の続きをすることになった。まず大工さんが作ってくれたリペア専用の箱型のブースの枠の中に先生が何処かから買い付けてきた、学校の授業でもお馴染みだった大型の器具が入る。そしてブースが仕上がると、レジのカウンターの位置を決め、店の中心には休憩スペースのような広場というか低いテーブルと椅子の空間が取られた。弦交換のサービスはここでして貰えるし、遊びにきた常連さんがクダを巻くのにも良い場所でしょ?と先生は話していた。他にも買ってきた装飾品を並べたり、木工で作れるものは自分たちで作ったりと2人であれこれ意見を言いながらとても楽しい日々を過ぎていった。

 そしてここでようやく楽器の搬入である。先生が車でオーナーさんの倉庫まで引き取りに行くのを、私はその助手席に乗り積み下ろしをお手伝いさせていただいた。今までのシャインで閉店セールを過ぎても売れ残り、返品の効かなかったものはセール価格で引き続き店頭に出る。その他は、先生が選んだ主に国産のメーカーのエントリー価格帯の楽器が順次運動会社から運ばれてくるのを私たちが受け取り検品をし管理をした後に、先生と分担をして全ての楽器の調整を行った。そしてこれからが大変だったのだがその楽器の一つずつを数枚の写真に撮ってデータを入力し、コメントを考え楽器限定の通販サイトへの登録をするという途方も無い作業を必死で行ったのだった。

 5月最後の日の夜。ようやく最後に先生自身の手で表の看板を取り付ける。いざ取り付けてみると周りの壁に比べ新品の看板だけが浮いて見えた。そして取り外した古いSHINEの看板は、写真となってお店に飾ることとなった。


 そんなこんなでなんとか間に合ったリニューアルオープンの6月1日。本来ならオープン記念のパーティーなども当初予定にあったのだけれど、結局パーティーを開いても来て下さる方々はこの間の三郎さんのお疲れ様会と同じようなメンツだろうということであのお別れ会の後に早々にキャンセルとなり、至って普通に開店すると言うことになったのである。

 しかしオープン当日、店の前は大変なことになっていた。開店祝いの花が6月1日の今日に合わせてとんでもない数、送られてきたのである。その花の列は店の前だけでは収まらず、隣の空きビルの前は勿論、その周囲一体に及んだ。それは各種楽器メーカーから古巣の学校、さらにレコード会社や芸能事務所、大物アーティストやギタリストの個人名義など錚々たる名前やブランドが並ぶ、田舎の楽器屋のリニューアルオープンとしてはありえないようなとんでも無い光景だった。

 それに目をつけたのが地元ローカルのテレビ局と新聞社に地元のタウン雑誌社である。オープン初日の開店から3時間後には取材の申し込みを受け、私たちは新しく店舗をオープンしたと言う宣伝をまんまと無料ですることが出来たのだが、中でも地元テレビ局はダメ元でその大物アーティストの事務所宛に「一言電話越しでも構わないのでコメントを貰えないか」と連絡したらしく、当たり前のように無下に断られた後になんとアーティスト本人から直接テレビ局宛に折り返しの連絡があり、「タケさんの力になれるのなら」と無償でコメント動画を提供したらしい。その一連の様子がその日の6時と夜の9時台のニュースで、『大物アーティスト御用達のリペアマンが四名に戻ってきた!』と言う形で放映されると、それからの数日は明らかに楽器に興味が無いような野次馬を含む多くの人々が押し寄せ、しばらく混乱が続いた。

 それが放送された翌日、先生がそのアーティストさんに一応お礼の電話をかけると「やりすぎた?」と電話先で笑っていたらしい。先生は先生で電話をしながら、なんとも言えない顔をしていた。


 そんなこんなで『楽器販売&リペア SOULSHINE』ようやく開店である。

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