10 落とし穴

「あっ」

 犬丸は自分が声を出したことに気付いて両手で口を覆った。目の前の画面で、交差点にいた大量の人間が突如として画面から消えた。交差点の下にはもともと大きめな空洞があり、アスファルトを爆破したことで陥没が起きたのである。


「……っ」

 少し静かな間があって、こらえていたものを我慢できなくなった遠野が笑い出した。


「ハハハハハハハ!」


 遠野は手に持っていたマイクを放り出し、腹を抱えて床を転げまわり、苦しそうにひいひい喘いだ。


「い、いやまあ、爽快でしたけど!それよりまず、大丈夫なんですか?」

 犬丸は暗がりで機材の操作をしている葦苅に聞く。三人は爆発したビルの向かい側、交差点を見下ろす今は使われていないビルの最上階にいた。よくもまあこんなにこの演出をするにあたって最適な場所を見つけてきたものだと感心するほどだ。ここでプロジェクターの操作や、音響の調整、動画撮影および観察、いや、見物をしていた。


「どっちのこと聞いてる?」


「どっちもですが」


 遠野はまだ息が荒いが、立ち上がった。今日、遠野は黒のパーカーのフードをかぶり、黒のスキニーズボン、黒の厚底スニーカーという真っ黒な服装なため、薄暗い部屋の中で白い肌が目立っていた。乱れた髪を無造作に手櫛で梳く。


「私も落ちた人も大丈夫だって。葦苅、ふふっ、あは、はぁ、……もうウイルスの送信は済んだ?」


「完璧だ。そろそろ撤収しよう」


「ウイルス?」


 犬丸の疑問には答えず、葦苅は手早く機材を金属バットでたたいて壊し始めた。少なくない機材なので、データだけ取り出して壊してしまった方が足がつかないという判断だろう。遠野はまだ笑いながら足元がふらつくまま葦苅を手伝おうとして、近づくなと怒鳴られている。葦苅と犬丸も今日は全身黒い服装に身を包み、指出し手袋をしていた。


「おい、犬丸。ずらかるぞ」

 葦苅は顔を隠すつもりか、黒いサングラスをかけると、ビニールに入った黒いマスクを犬丸に渡して言った。


「僕は人生で、これほどまでに冗談抜きのずらかるぞを聞くハメになるとは思いませんでした」


 まだふらふらヘラヘラしている遠野を担ぐようにして葦苅はビルの非常階段を下りていき、マスクをつけた犬丸もその後に続く。


 犬丸の足がビルとビルの間の細くて薄暗い道の地面に着いたときだった。


「おい、お前、犬丸だよな?」


 背後から声がして犬丸は足を止める。それは、聞き覚えのある声だった。荻本だ。


 駆け寄って来る気配がして肩を掴まれ、乱暴に振り向かされる。犬丸は荻本の顔を見ることができずに目を逸らした。前を歩いていた葦苅と遠野が振り返る。


「なんでこんなところにいるんだよ」


「荻本には関係ないよ」


「嘘だ。俺は見たぞ。お前ら三人がなんかの機械をこのビルで高笑いしながらぶっ壊して逃げようとしてるところを。相当疚しいことが無ければ今こそこそと逃げるような真似をしていないはずだ。お前らが交差点の陥没を起こしたんだろ!?」


 荻本は犬丸の両腕を掴むとゆすぶる。パトカーのサイレンの音がしている。


「高笑いしてたのはこいつだけだと訂正はさせてほしいな」

 葦苅は言ったが、荻本は無視する。


「お前、大学にも行ってねえし、バイトも飛んだだろ。それで久しぶりに姿を見せたのがここか?」


「離してやってよ。犬好いぬよしくんは私たちの計画に必要なアシスタントの一人なの」

 遠野が言った。


「アシスタント?犬丸、お前は何か騙されてるんだろ。逃げよう。それで、警察に正直に事情を言えばきっと何とかなるよ」

 遠野は後ろから犬丸の肩を抱くようにする。


「警察に?本当にそんなことして大丈夫かな?ねえ、大丈夫だと思う?」


「僕は、行かないと」

 犬丸はうつむいたまま言った。


「犬丸!」

 荻本は叫ぶが、犬丸はその手を振り払った。

「荻本、ごめん。このことは黙っていてくれないか。この人たちは極悪人というわけではないし、少し過激ではあるけれど、ちゃんと芯の通った考え方は持っている人なんだ。常識や現行の法律なんかでは測れない、そういうことをしようとしているだけなんだ」


 遠野は犬丸の言葉に満足気に目を細める。荻本は愕然とする。三人は駆け出す。


「お前らの顔を写真に撮ったからな!これをSNSで拡散してやる!すぐに捕まるさ」

 荻本は逃げていく三人の背中に向かって、紋所を突き付けるかのようにスマホを突き出すと叫んだ。


「拡散?」

 遠野は勢いよくUターンする。

「手荒なことをする予定はなかったけど、これはしょうがないね」


 葦苅が荻本にとびかかって組み伏せる。荻本は暴れたが、葦苅の身のこなしの方が一枚上手だった。

「犬丸、こいつからスマホを没収しろ」


 犬丸は、今にも投稿ボタンを押そうとする荻本の手からスマホを奪い取った。葦苅は遠野が差し出した結束バンドで荻本を手早く拘束した。


「えーと、タオルとかあったかな、タオル、タオル」

 遠野は悠長な手つきでカバンを漁る。そこで初めて荻本は声を上げて救けを呼ぶという選択肢の可能性に気づいたらしく、大きく息を吸い込んだが、叫び出す前に葦苅の手で口を塞がれた。


「あったあった」

 遠野はタオルをカバンから取り出すと、荻本にさるぐつわを噛ませた。


「あーあ、SNSで拡散するより先に110していれば多少早く救けが来たかもしれないのに。だって、すぐそこに交番もあるしね。それに、大きな声で人を呼んでいれば誰かに届いたかもしれないよ?あんたが救けを呼ぼうとしたときにスマホ、特にSNSを選択肢の一番最初に置いてしまっているのが自業自得だね。これがスマホ中心に考え方を歪められた人間の末路か。愚かしい」


 荻本は身体をくねらせながら何か言ったが、タオルに阻まれてもごもごという籠った音を出しただけだった。


「さあ、地下に落っこちた愚かなスマホ中毒者の様子を見に行こうか」

 冷ややかな目で荻本を見下ろしながら遠野は言った。

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