11 デスゲーム

 そこはまるで異世界のような雰囲気をたたえた場所だった。たくさんの太く高い柱が天井である地上を支え、どこか青っぽささえ感じるような薄暗がりの中で、どこから入ってきているのかわからないひんやりとして少し黴臭い臭いの風が犬丸の頬を撫でて行った。自分が普段歩いている地上のすぐ真下に、このようなだだっ広く不気味な空間があることを犬丸は初めて意識した。靴音が少し反響している。


「さて、このあたりかな」

 前を歩く遠野が言って、前方を指さした。目をやると、薄暗い世界に一筋明るい陽射しが差し込んでスポットライトのようになっているところに、こんもりとした小山のようなものが見えた。近づいていくと、それの正体がはっきりしてきた。それは人間の折り重なって倒れて出来上がった山だった。交差点の真ん中に開いた大きな穴から漏れる光がそれを照らしている。下には体操などで使われがちなマットが敷いてあり、転落死のリスクは回避されているらしい。


 黒いスーツを身にまとい、サングラスで目元を隠した屈強そうな男が一人、遠野のそばに駆け寄ってきた。耳にインカムをつけている。辺りを見渡すと、そのような恰好をした男たちが、ぐるりと小山を取り囲んでいるということがわかった。


「準備は出来ています。始めますか?」


「うん、始めようか」

 遠野が言うと、男は一つ頷き、手である方向を示した。遠野はそちらの方向へ歩いて行き、男は持ち場に戻った。犬丸と、荻本を抱えた葦苅もとりあえず遠野を追う。


 遠野の行く手には一台のミニバンがぽつりと停めてあった。普通のミニバンではなく、車体の上に人間が乗るところが取り付けられているタイプの、いわゆる選挙カーのような車だった。遠野は選挙カーの上によじ登る。


「犬田くんはこっち。葦苅は運転よろしく」


「なんですか、この車。ここで何をするっているんですか?」


 選挙カーの上には、拡声器とトランシーバーなのか、なんらかの連絡機器とタブレットが置いてあった。


「うーん、デスゲーム、かな」

 遠野は顎に人差し指を当てると、あっさりとした顔で言った。


 遠野はトランシーバーを構えると、指示を飛ばした。

「みんな、配置についたね?それじゃ、邪魔が入る前に始めちゃおっか」


 タブレットの画面が光って、地下のどこかの様子が映し出される。おそらくリアルタイムの映像だろう。交差点でスマホを構えていた人々が折り重なっている小山と、その奥の景色を映している。小山の奥にはたくさんの自動車が同じ向きを向いて駐車場のように置かれていた。


 ホイッスルのような鋭く、空気が震えるかのような大音量の音がして、犬丸は心臓が跳ね上がる。画面の中で小山の上で倒れていた人たちも飛び起き、我に返ったようにきょろきょろと辺りを見渡して状況を判断しようとした。黒服の男たちが両手を繋ぎ合って輪になり、小山を囲んでいるので、人々はその輪から抜け出すことはできなかった。たっぷり十秒ほどホイッスルが鳴り響いて、その後に放送が始まった。


『みなさんこんにちは。地下の世界にようこそ。今日はみなさんを素敵な地下の世界へとご案内しまーす』


 横を見ると、遠野が拡声器に向かって、某テーマパークの案内人のようなテンションで挨拶をしていた。


『みなさんにはそこに停めてある車にお一人様から四人までご乗車いただき、ゲームをしてもらいます。しかし、自動車免許をまだ持っていないお友達は、お呼びじゃないので、スタッフになんなりとお申し付けください。お出口まで速やかにご案内いたします。とっとと帰れクソガキが』


 画面の中の人々は顔を見合わせ、恐怖と不安でざわめき始める。黒服の男たちが制服を着た中高生や、小さい子供の腕を引っ張って立たせ、輪の外に出す。輪の外に出された瞬間、やみくもに駆け出す少年もいたが、大多数の子供はおとなしくしているか、現在置かれている非日常的な状況を映像に残そうとライブ配信を始めようとするかしていた。「やっほー、今、緊急でカメラ回してます」スマホに向かって手を振る。危機察知能力が無いのか、単に豪胆なのかわからない。


 小山を囲んでいない黒服が子供たちを統率するとバスに乗せた。バスは発車し、どこかに走り去って画角から消えた。


「何が始まるんだよ」

 葦苅が運転席の窓を開けて、上を仰ぎ見てくるが、遠野は気にしない。葦苅もこの後の計画については知らされていないようだった。

「あの男たちは誰なんだよ。雇ったのか?」


「うるさいな、私が今一生懸命司会をやってるのがわかんない?お察しの通り、あの男たちは雇ったの。人手が必要だったから、そういう人手を派遣してくれるとこにちょっとお願いしたの。仲間があなたたちだけな訳ないじゃない。私の計画はこれからが本番なの」


「少しくらい計画を話しておいてくれてもよかったじゃないですか。巻き込んでおいてそれは無責任ですよ」


「面白いから見たほうが得だと思うけど」


「話が噛み合ってない」


 遠野はまた拡声器のスイッチを入れる。

『運転免許を持っている人には一人一台ずつ車をプレゼントします。いろんな車種を取り揃えてあるから、早い者勝ちで好きなの持って帰ってよ。十数メートルの落下と、午後の予定がパアになったお詫びにしてはお釣りがくるようなプレゼントでしょ?』


 ざわめきが大きくなる。タブレットのスピーカーと、犬丸の耳に直接という両方から音が聞こえるほどだ。多くは困惑して怪しんでいるが、一部の大人はもう目をぎらつかせて車が停めてある方を見ていた。よほどのブランドものの車も置いてあるのだろう。


 そんな金がどこから出ているのか、と犬丸はいぶかしんだが、遠野はそんな犬丸の視線も気にせずに続ける。


『ただし、車を持ち帰れるのは、この地下から無事に脱出できた人だけです。ガソリンは満タンだし、タイヤも新品だから、車が壊れちゃうなんてことはないと思うけど、今からゆっくりと出口の門を閉鎖していって、ちょうど30分後には完全に締め切り、この地下水道に水を流します。だから、あんまり悠長にドライブしてると溺れちゃうかもね。あと、当然だけど、人を轢いた人も失格。人を轢いた、と車が認識したら、その時点で車は動かなくなるように設定してあるから、あんまり急いで前方不注意なんてことにならないようにね。あと、カーナビは通じないよ。それじゃ、はじめ~!』


 黒服はいっせいにつないでいた手を離して小山の人々を自由に動けるようにした。


 人々の行動はさまざまなものだった。狙っていた高級車に飛びつく者、これはどういうことかと黒服に詰め寄る者、動画を撮影し始める者、誰かに連絡を取ろうと電話を始める者。


 犬丸が見ているタブレットの画面の右端にはデジタル時計のカウントダウンが始まっている。あと29分。


「水を流すってどういうことですか」


「それは嘘だよ。本当は水なんか流さない。火が点いたら水を流すのは危ないからね」


「火が点く?」


 ズン、と腹の底が揺れるような衝撃を感じて顔を上げると、向こうの方でオレンジ色の光と煙が上がっているのが見えた。車同士がぶつかって炎上しているのだろうか。


 柱だらけで視界が悪く、狭くて薄暗い道を、複数の車が高スピードで走れば、事故が起きても不自然ではなかった。


 ズン、とまた別のところから衝撃があって、そちらからも火の手が上がった。間髪入れずにまた別のところでも炎上が起きる。なにかおかしい。叫び声が聞こえる。遠野の顔は少し笑っているようにさえ見えた。オレンジの爆炎に照らされて狂気的な笑みが漏れている。


「車に何をしたんですか」


「車にはなんにもしてないよ。ただ、人を轢かないでって教えてあげただけ」


 犬丸はタブレットを見る。車内と前方をどちらも映すタイプのドライブレコーダーのリアルタイム映像が映っている。狭い道を進んでいく車。カーナビは機能しないが、電波は届いているようで、運転手はマップアプリを開いて、現在地と、今向いている方向を頻繁に確かめながらハンドルを切っている。

 運転手が見るスマホの画面に突如として、ノイズのようなものが走った。運転手は思わずそのノイズを目で追う。その瞬間、柱の影から黒服の人影が飛び出してきてボンネットにぶつかった。直後、爆発音が鳴り響き、カメラの映像が乱れる。


「細工をしたのは……!」


「そう。私が細工をしたのは車じゃなくてスマホの方。穴に落ちたスマホの全部をウイルスに感染させて、大事な瞬間にノイズが走るようにしたの。ああ、安心して。さっき爆発したのは本物の人間じゃなくて、自動車安全講話とかで実演に使われる人形だよ。ただ、爆発物は積んでるけど」


 カメラは、車のフロントガラスから吹っ飛んで近くに転がり、炎上した車を映している。画面を血まみれの男がうめきながら通り過ぎた。


「人が死にますよ」


「自動車事故に遭ったらそりゃあただじゃすまないだろうね」


 冷たい声に背筋がぞっとする。

「コノエさんは以前僕に言いましたよね。復讐は骨折までだって。これはもう悪戯や啓蒙活動の範疇を超えています。これでこの人が死んだら、ただの殺人なんですよ!」


 遠野は少し首をかしげるようにする。

「骨折して、血が出て、死んで、火葬する。これはなんら特別なことのない自動車事故の流れだよ。君も自動車事故のことを殺人って言うんだね。私も割とそれは同感かな」


 感情のこもらない声。タブレットの映像が血しぶきに染まった。柱の影から出てきた車に、倒れた男が轢かれたのである。犬丸は後退りしようとして機材のケーブルにつまずいて尻をつく。


「事故ったのは、スマホのよそ見が原因じゃん。自業自得だよね。犬丸くんはさ、スマホが憎いでしょ?これはスマホ依存者に捧げる、再教育なんだよ。わかってくれるよね?」


 こんな時だけ正しく僕の名前を言うんですね、と軽口を叩こうとするが、恐怖でうまく声が出なかった。犬丸はほとんど転がり落ちるようにして選挙カーの上から下りる。


 逃げよう。犬丸は夢中で助手席のドアを開けて、荻本を引っ張り出す。


「あ、おい、犬丸!どこへ行くんだよ!」

 葦苅が荻本のシャツを掴むが、荻本が抵抗し、犬丸が全力で引きずり出したので、その手から逃れる。


 犬丸は荻本を後ろから支えるようにして走り出す。走りながらタオルのさるぐつわを外す。荻本は肩で大きくぜえぜえと息をついた。あまり呼吸ができていなかったらしい。


 柱がたくさん密集している場所へと飛び込み、柱と柱の隙間をジグザグに走る。選挙カーからできるだけ離れたかった。


 柱にはよく見ると、矢印と丁寧な道案内が書いてあることが分かった。注意深く柱の一本一本を見ながら運転していれば最初からカーナビなどというものは必要なかったということだ。道案内はくねくねと曲がり、どの場所からスタートした車も交差点でかち合うことがないような一方通行の道で、何秒おきに人が出てきます、という表示さえある。スマホ依存者をとことんまであざ笑おうとする遠野の策略に寒気がした。


 この設計は、気付いた人が何人いようと、一人でも気付かないで柱に書いてあることに従わない者がいると、たちまち事故が起きる仕組みとなっているところも恐ろしかった。GPSを使った地図アプリは、目的地までの最短経路を示してはくれるが、目の前に書かれた独自の仕組みについては教えてくれない。


 犬丸は後ろを振り返ったが、選挙カーは追ってきてはいないようだった。荻本の息を整えるために柱の陰で休憩をする。


「荻本、お前の言う通りだ。僕はどこか騙されていたのかもしれない。昨日までの僕はどうかしていた。よく考えれば、あんなサイコパスたちの言いなりになっていたんだなんて信じられない。いくらスマホ依存症が気に入らないからと言って大勢の罪なき人を殺すのはいけない。ここを急いで逃げ出して警察に行くよ」


 荻本は肩で息をしながら頷いた。犬丸は荻本の後ろ手に縛られた結束バンドを外そうと試みるがうまくいかない。

「はぁ、はぁ、お前が正気に戻ってくれてうれしいぜ」


 犬丸と荻本の目の前で二つの車が正面衝突した。割れたサイドミラーが転がってきたのでそのガラスで何とかバンドを切る。


「よかった、手が自由になるだけでもずいぶん走りやすいな」


 パトカーのサイレンの音が聞こえる。地上の穴の周りに警察がやってきて、上からの侵入を試みているのだろう。


「警察はあっちだ。行こう」

 犬丸は柱の陰から顔を出して安全を確かめてからまだ火が点いている車の残骸を飛び越えるようにしながら走り出す。荻本も続く。


 その時、犬丸のポケットから何か落ちる物があった。

 それは、犬丸が荻本から奪い取ったスマホだった。スマホは角からコンクリートにぶつかり、ケースの弾力で跳ね返ってくるくる回りながら転がっていく。


「あっ」

 荻本はそれを反射的に追ってしゃがみ込む。その手をすり抜けて道の真ん中にスマホは落ちた。


「そんなのいいから!」


 かっと前方からヘッドライトの明かりが差して、荻本は道の真ん中でしゃがみ込んだまま硬直する。


「荻本!」


 荻本の身体ぎりぎりで車は止まった。間一髪だった。ゴムの焼ける匂いがする。荻本の手の中でスマホはロック解除されてホーム画面を映していた。


「もう!急ブレーキ掛けるから落ちそうになったじゃん!安全運転してよね!」


 頭上からブチギレた声が降ってきて振り仰ぐと、それは選挙カーだった。遠野と目が合う。


「ねえ、君はどうしたいの?」

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