9 交差点
「こんなにも似たような通報があるとなるとやはり同一犯でしょうかね」
男性が方をいからせながら出て行った後の交番のドアを見ながら
「恐らくそうですね。ここ二週間ほどでこういう訴えがぐんと増えました。誰か愉快犯がやってるんでしょう。手口が似通っていて、さらに小規模、狭い地域に集中してることからグループの犯行ではなく、数人か、もしくは単独犯な気がします」
手元の資料には先ほどの男性が訴えていった事件について書かれている。男性は昨日の夜に電車に乗っていたところ、居眠りをしてしまい、起きたら握っていた自身のスマートフォンに悪戯がされていて、スマホが壊れていたという。この男性に限らず、その男性の知り合いにも同じ被害に遭った人がいて、スマートフォンは高価で、さらに生活に密着したものであるため、なんとしても警察に犯人を捜査してほしいとのことでやってきた。似たような訴えをしてきた人が今週だけでも5人いる。その他にも、この近辺の駅で、膝の下あたりの高さにタコ糸が張ってあったり、歩きスマホに相当な恨みを持つであろう人間がやった悪戯が報告されていた。
「この地域の治安と市民を守るために、奴を絶対に捕まえないといけませんね」
桐生は鼻息を荒くして息巻いた。
「桐生君はスマホをよく使うの?」
「いえ、自分はほんとに親しい人との連絡くらいです。家帰ったらスマホよりもやりたいことがたくさんあるので」
「桐生君の筋トレ好きは病的と言っていいくらいだものね」
「そうですね。何よりまず、体力がないと始まりませんから!」
「そう。僕もね、あんまりスマホは使わない方なんだけれど、娘やその婿が家でずっといじってるんだよ」
「そうなんですか」
「最近は妻も。家族の会話なんかそっちのけでスマホにご執心の時はさすがにキレそうになることもあるし、スマホ依存者を憎む犯人の気持ちはわからんでもないけれど、器物破損や公共の場所での悪戯はれっきとした犯罪だからね」
藤森のスマホが震えた。
「藤森さん、なんか連絡来てますけど」
「ん?あ、京子からだ。もしもし?ハニー?あ、今日の夕飯、うーん、君の作ってくれるものならなんでも嬉しいよ」
藤森は先ほどまでと打って変わって甘い口調でスマホに語りかけた。
「プライベートな電話は職務外でやってくださいよ」
「後輩に怒られちゃうからさ、あんまり長くは……、え、違うよ、君といつまでも喋っていたいよ。うーん、ちゅっちゅっ」
桐生は高齢者の投げキッスにのけぞりが押さえられない。液晶に反射して飛んできそうな気がしたので、むやみに空中で腕を振り回す。
「よし、スタンプ送信完了、と」
「え、メッセージだったんですか、電話じゃなくて?!」
「そうだよ、職務中に電話は良くないだろう」
「職務中のむやみな投げキッスも良くないです」
「良くないかな」
「良くないです」
その時、二人の耳に爆音が届いた。振り返ると、交番を出てすぐの通りに人だかりができていた。思わず耳をふさぎたくなるほどの音量で、誰かがホイッスルを思い切り吹き鳴らしたかのような音だった。ホイッスルの音はたっぷり10秒ほど鳴り響いた。桐生は机をひょいとアクロバティックに飛び越えて交番から飛び出し、藤森も慌ててスマホを放り出し、その後を追った。
「なんだあれ?」
交差点に立つ人々は皆上を見上げ口を開けていた。見上げると、交差点に影を落とす高い商業施設の雑居ビルの壁に、プロジェクターを使ってか、映像が映し出されていた。そこに映し出されているのはどうやら、その交差点を上からリアルタイムで撮影している映像のようだった。見上げる人々の困惑した顔が見える。
『皆さん、注目!今からものすごい非日常な現象がこのビルで起こります。今ここにいらっしゃる皆さんはこんな現場に立ち会えてすごくラッキーですね!目ぇかっぴらいて、一瞬も見逃さないようにちゃんと見ててくださいね』
ボイスチェンジャーを通したであろう歪んだ声がした。しかし、どこか女の声のような雰囲気がある。交差点内にざわめきが広がる。桐生はあたりを見渡す。よく見ると、交差点の周りにいくつかのスピーカーが設置されている。
声が聞こえたのか、人はどんどん集まってきた。
「なにこれ、ドッキリ?」「ビルの宣伝かな」「なんか面白そう」
人々は交差点の中で立ち止まり、今の状況を映像として残そうとスマホのカメラを向ける。信号は既に赤だったが、交差点の車に乗っていた人たちも車から降りて異様な状況にきょろきょろしている。
「藤森さん、まずいですよ。交通が完全に遮断されてます」
既にかなりの高密度の人込みが出来上がり、少し身動きがとりづらくなってきていた。
「警察です!交差点内では立ち止まらずに歩いて下さーい!」
藤森が叫んで誘導を始めようとする。桐生もそれに倣い、交差点内から人を動かそうと声をあげるが、人々は二人の姿を見ても、鬱陶しそうに顔をそむけるだけで一向に交差点から動こうとしない。
プロジェクターの映す映像はいつの間にか人々ではなく、大量の悪趣味な骸骨の映像に切り替わっていた。スマホを構えたたくさんの骸骨のうつろな目がビルの壁から交差点を見下ろしている。
「まさか……?」
桐生がつぶやいたとき、骸骨の口が一斉に笑うように吊り上がった。次の瞬間、何かが破裂するような音がして、轟音が空気を震わせた。悲鳴が上がる。見ると、ビルの3階ほどの高さの階から白い煙がもうもうと立ち上り始めているところだった。壁は完全に吹き飛び、ガラス張りだったのか、大量のガラスが砕けて落ちてくる。
「危ない!」
桐生は必死で人込みをかき分け、ビルのすぐ下にいる通行人の元に向かう。
「なんだこれ……」
藤森は交差点の人込みを見て思わずぞっとした。悲鳴をあげながらも、そこを一歩も動かず、スマホを爆発現場に向け続ける人々。まるで、足がコンクリートに埋められて不本意にも逃げられないでいるか、そうでなければ、皆そろって田んぼの稲のなりきりごっこをしている以外考えられない、奇妙な光景だった。人々の目は、爆発、いや、爆発を映しているスマホの画面に吸いつけられたまま離れない。誰一人そこを動かないのだ。機材トラブルで映像が止まったのに、音だけは流れ続ける映画を観ているようだった。藤森は後退る。
二度目の爆発が起こったのはその直後だった。足元が急に地震のように大きく揺れた。藤森の視界から稲穂たちがふっと消える。
「あっ」
交差点にいた人々は、突如として無くなった足場に驚く間もなく、爆発で開いた大きな穴に、上を見上げたまま直立状態ですとんと落ちていった。
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