6 悪戯

「起きて起きて起きて!!」

 叫び声とともに激しく体を揺さぶられて犬丸は飛び起きる。目の前には遠野の顔がある。


「朝だよ!さあ、今日も街に繰り出して革命を起こしていこう」


 窓の外に目をやるが、まだ暗い。壁に掛けられた数字のないシンプルな時計は4時40分ごろをさしていた。昨日も駅が開く時間に合わせて起きたので、起床はこれくらいの時間だったのだが、やはりまだ暗いうちは頭が働かない。遠野はすでに着替えて化粧まで終えているようだ。


「今日は何をするんですか」


「まずは駅に行こうかな。あとはその辺をプラプラする」


 二人は新宿の駅に向かった。犬丸は長い地下通路の床のタイルに遠野から渡されたシールを貼っていった。今回もまた、関係者のビブスを着て、監視カメラにはスプレーを施してある。シールというのは、5㎝四方ほどの正方形で、QRコードになっている。それを数メートルおきに床に貼る。かなり存在感があるので、たとえスマホを見ていても視界に入ってきたら気になるようなサイズ感だ。一度気になっても、歩いていたらそのまま通り過ぎてしまうが、それが通路の先まで等間隔で貼ってあったら歩きながらでも読み込んでみたいと思うだろう。


 シールを全部で50枚ほど貼り付けた後、犬丸は広告などがよく印刷されているような横長の垂れ幕をいくつか天井から吊るす。その垂れ幕にもでかでかとQRコードが印刷してあり、その隣には『歩きスマホは骨折しろ』と書いてある。


 計画はこうだ。歩きスマホの人がまず床のシールに気付き、読み込んでみる。そうすると、『上を見ろ』というメッセージが表示される。そこで上を見ると垂れ幕があって、そこのQRコードを読み込むと、勝手に写真アプリが起動され、インカメラで写真が撮られる。その写真にはすでにフィルターとして文字が入力されていて、『スマホ中毒の馬鹿の顔』と書いてある。写真は強制的にスマホの待ち受けとなる。糸に引っかかって転ばされるよりは体のダメージは確かに少ないように思えるが、地味に嫌だ。


「歩きスマホは死ねとか、歩きスマホは地獄に落ちろとかじゃなくて、骨折しろってのがシュールですね」


「私の中では、どんなに嫌な奴にでも、復讐は骨折までだって決まってるんだ」


「そういえばこの悪戯は成果を確認できなくないですか?前回はビデオカメラで映像を撮って楽しみましたけど」


「革命の本質は、思い切りバカにすることだよ。私たちがわざわざその目で読み込んだことを確認しなくたって、読み込む奴はわんさかいるに決まってる。読み込んだ全員が屈辱の表情を浮かべるだろうと想像しただけでもう最高だね。もう、今からおかしいよ。笑っておこうか」

 遠野はそう言うと急にその場で腹を抱えて高笑いをした。


「この仕掛けを作る、それ自体がバカにすることなんだ。それを確認しないで放置してあげることは、奴らを最高にバカにしてると思わないか?」


 通行人が来るのが見えたので、二人はいそいそを荷物をまとめてその場から立ち去った。


「次は浅草に行くよ」

 遠野は電車に乗りながら言った。犬丸のズボンのポケットにステッカーの束をねじ込んでくる。


「なんですか、これ」


 先ほど通路の床に貼ったQRコードのものではない。ポケットから一枚引っ張り出して見ると、一般的なスマホと同じが一回り小さいくらいのサイズで、『スマホばっか見んな馬鹿』と太字のゴシックで書かれている。


「今から私たちは浅草寺を観光する。で、写真撮ってくださいと言ってスマホを渡してきた奴らの画面にこれを貼り付けてやる」


「結構粘着強いですよ、これ」


「旅行中くらいは相手との会話や食べ物、レンズ越しじゃない景色を楽しめばいい」


「まあ、確かにそれは一理あるような気もします」

 犬丸はステッカーをポケットに戻した。


 浅草寺に着くと、遠野は着物を着たいと言い出し、レンタルをした。真っ赤な着物に身を包み、髪は編み込みをしていた。靴は履いてきたサンダルのままだった。


「そんな目立つ格好で嫌がらせ行為をしてたらすぐ捕まりませんか?」


「雰囲気だよ、雰囲気。せっかく観光するんだから、着物のほうが周りに溶け込めるし、なにより気分が上がるでしょ」


 それから午後まで時々写真を撮りつつ、寺の周辺をうろうろした。スマホを返すと、すべての人がステッカーに気付いて「何するんだ!」とブチギレた。そのたびに二人は人込みの中を笑いながらダッシュして逃走した。


📱 📱 📱


 それから二週間、毎日そんな悪戯をして過ごし、時が過ぎた。カフェに行っては無料充電用ケーブルを切り、歩きスマホの人にはぶつかってやった。遠野のやりたがる、世間一般の言葉で言う迷惑行為のネタは尽きることがなかった。遠野はすべての悪戯を嬉々としてやり、心底おかしそうに高笑いするのだった。犬丸にとっても、やっているうちにだんだんと、スマホが使えなくなって顔を真っ赤にして狂ったように怒り出す人々の異常性を感じていた。スマホを手放して生活しているだけで、時間というものが驚くほどゆっくりと流れるように感じられ、一日のうちにできることの量が各段に増えたような実感がある。


「最近、誰が狂っているのかわからなくなってきました」

 遠野の部屋で夕食を食べながら犬丸は言った。メニューはローストビーフとサラダで、野菜たっぷりのソースまで手作りである。やけにしゃれたガラスのコップにはペットボトルから注いだいちごミルクが入っている。静かな部屋の窓の外ではスカイツリーが光っていた。


「洗脳しているつもりはないんだけど。急なデジタルデトックスのせいかな」


「コノエさんは、スマホを憎んで、それ以外の他人の都合などお構いなしに破壊しようとするヴィランそのもののような行動原理ですよね。でも、あなたの行動はまるで、『あなたの周りにはこんなに面白い世界というものが広がっているんですよ、もっと世界のことを見て』と必死にアピールしているかのようにも取れます」


「それは健気だね」


「あなたのことを言ってるんですよ」


 遠野はフォークの先端を口元に当てて、少し考えるようなしぐさをする。

「世間のスマホ中毒者たちは、自分の目を通して世界を見ようとしないんだ。自分に一番近い、自分の目を通して見える範囲の事からは目をそらす。目の前で虹が出ても、きれいな花が咲いていても、死体が転がっていても、見向きもしない。それよりも、スマホに映ってる、はるか遠くの出来事に夢中だ。奴らが虹や花や死体を見るにはレンズを挟まないといけない。そしたらやっと初めてそれらを見る。全部スマホ越しなんだ。虹に向かってスマホを構える人の群れはぞっとするよ。それが気に入らない」


「自分の目で世界を見たほうがいいと」


「それは知らない。スマホを通したって見える物は変わらないかもしれない。目で見れるものをわざわざスマホを通さないといけない、スマホを通してあの長方形の中にトリミングした情報じゃないと見ないってのがキモいってこと」


「写真撮ってシェアしたいんじゃないですか?」


「隣の奴と共有しろよ。それか、帰った後電話して話せばいい。これは私の思想なんだ。ピザの上のパイナップルを許せるか許せないかと同じような。気に入らないから私は除去しようとする。平気で食べている人をバカにする」

 フォークがサラダの上のオリーブの実を突き刺す。

「ああ、そうだ、犬原君」


「犬丸です。もう僕の名前覚える気ないんじゃないですか」


「今夜は一人で寝てね」


「は?あの、今夜はって、一度も一緒に寝たことないじゃないですか」


 遠野はオリーブを口に含む。

「わかったね」


 遠野はソファーから立ち上がると、奥の部屋に消えて行った。

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