7 爆弾
「手を挙げな!観念しろ。お前はお仕舞だァ!」
物騒な怒鳴り声で犬丸は飛び起きる。頭までかぶっていたタオルケットが乱暴に引きはがされて明るさに目がくらむ。かなり外は明るい。黒いマスクをして、全身黒ずくめの服に身を包んだ背の高い男が、犬丸の額に拳銃を突き付けていた。
「な、なんですか、人の家ですよ」
若干寄り目になりながら犬丸は両手を頭の位置まで挙げて抵抗の意志がないことを強調する。黒々とした銃口がまっすぐ眉間を狙っている。
「なんですかもなにも、俺だよ。楽しく遊んでやろうと思ってなァ……って、ん?!お前は一体誰だ!」
男は犬丸の顔を見てぎょっとする。
「こっちのセリフです」
「何?ええい、やっぱり誰でもいい。お前、この部屋に他に誰かいないだろうな」
「他にって、それは、」
言いかけてふと、犬丸の頭に昨日の遠野との会話がよみがえる。一人で寝てとは、もしかして、夜のうちにどこかに行くということだったのか?ということは、遠野は奥の部屋にいないのだろうか。それとも、いるけれど一人暮らしのふりをしろということだったのだろうか。
「いないんだな。ちょっと気の毒だが、このことは黙っておけよ。じゃないと、あー、あれだ。殺すぞ」
男は拳銃を犬丸に向けたまま後ずさりして玄関のドアを開ける。玄関のドアの番号をしきりに確認しては首をひねっている。
「何が目的なんです?朝っぱらから強盗ですか?」
「うるさい、これは本物だぞ」
男は玄関のドアを閉めてリビングに戻ってきた。
「おい、お前、この部屋に女を隠してるだろ。いや、お前が頼まれたのか?なんでもいい。隠してないで出せよ」
「コノエさんのお知り合いですか?」
「ちょっと野暮用が」
男がソファーの近くまで来た時、犬丸はタオルケットを投げつけてすばやくソファーから下りて床に転がる。男がひるんだ一瞬で距離を詰め、拳銃を持つ手をひねり上げようとしたが、男の反応は早かった。犬丸の伸ばした手を反対の手でたたき、距離を取る。犬丸はソファーの陰に飛び込んで撃たれないように隠れる。
「やんのかテメェ!」
男がすばやく撃鉄を起こし、ソファーの裏へと走ってこようとする気配があったので、犬丸はソファーの陰から飛び出してアイランドキッチンへと走る。男が発砲し、調理台の上の白ワインの瓶がはじけた。男はひらりと調理台へ飛び乗る。犬丸は棚の中から取り出した赤ワインの瓶でその足を薙ぎ払うように殴った。瓶が割れて男の足からの血とワインとガラスが飛び散る。
男は調理台から飛び降り、すぐに犬丸に照準を合わせようとするが犬丸は転がって避ける。流し台の中から昨日の夕食のときに使った皿を取って男に投げつける。男は皿に向かって発砲し、皿は空中で粉々になる。銃弾は天井にめり込む。二人はアイランドキッチンの周りをけん制しあいながらぐるぐる回った。
犬丸は調理台の中の収納棚に飛びついて中から包丁を取り出す。男が棚に発砲し、犬丸の手すれすれに銃弾がめり込む。犬丸は包丁を持って振り返ったが、男はもうすぐそばまで迫っていた。しゃがんだ状態で、リーチの短い犬丸と、包丁がすぐには届かない位置で拳銃を構えた男。犬丸は包丁を投げたが、男はかわした。
「殺す予定はなかったけど、今後のためだ。死んでくれ」
犬丸はぎゅっと目を瞑ったが、発砲音はしなかった。代わりにゴッ、という何か固いものがぶつかるような鈍い音がした。目を開けると、男が白目をむいてゆっくりと前方に倒れるところだった。
男の後ろにはハンマーを持った遠野が立っていた。
「ほんと最悪」
遠野はまとめていない髪をかき上げながら乱れたキッチンを見てぼやいた。
📱 📱 📱
「この人と知り合いなんですか?」
犬丸はソファーに座って足の裏の傷に包帯を巻きながら聞いた。男は長袖長ズボンで靴のままだったが、犬丸は半そで短パンの寝巻姿で裸足だったために、先ほどの攻防で散らかったガラスや陶器の上を走ったことで足の裏がかなり痛々しい状態になっていた。男はソファーに転がしてあるが、まだ気絶している。
「うん。時々必要な道具を調達してもらったり、いろいろ仕事をさせたりしてる、まあ言うならば私のアシスタントみたいな人だよ」
遠野は割れたガラスを片付けながら答える。
「アシスタント?あれが?会った瞬間から僕を殺そうとしてきましたよ」
「私の部屋に侵入した怪しい奴だと思ったのかもね」
「どう考えても怪しいのはあっちですよね。ていうか、あの人が来るってこと、知ってたんですか?最初からコノエさんが出てきてくれればこんなことにはならなかったんです」
遠野は肩をすくめる。
「だって、銃を持ってくるたびに毎回あのノリで来られるの、だるいし」
「僕は死にかけたんですよ!」
遠野はそれ以上犬丸の話は聞いていないようで、ガラス集めに集中しだした。裸足のままキッチン周辺を歩くので心配になる。
「……危ないので靴履いたほうがいいですよ。せめて靴下とか」
「靴下苦手なんだよね」
男が隣で身じろぎをしたので、犬丸は身構える。気が付いたかと思ったが、ただ身じろぎをしただけで目を開けることはなかった。男の負った怪我と言えば、犬丸がワインの瓶で殴った左足と、遠野に殴られた後頭部だったが、後頭部ははたから見てもなんとなくわかるほどのコブができていた。男がしている薄い黒の手袋が取れかかっていた。よく見ると、手の甲にタトゥーが入っている。丸文字ゴシックで、『みぎ』と彫られている。
「変なタトゥー……」
犬丸が思わずつぶやいたとき、アシスタントの男がビクリと身じろぎをして起き上がった。男はとろんとした目で辺りをきょろきょろと見回し、何気なく後頭部に手をやって、その手についた血にぎょっとする。やがて男の視界は犬丸を捕らえる。
「よお、おはよう」
男は血のついた手をひょいと上げて犬丸に笑顔で言った。
「あ、目が覚めたんだ。自分がこの部屋に来た目的くらいは覚えてるよね?」
遠野が言う。
男は遠野の方を見て、数秒考えて、合点がいったのか、大声をあげた。
「ああ!そうだった!遠野、久しぶりだな!注文されたブツはちゃんと持って来たよ」
「ならいいんだけど」
「玄関に置いたボストンバッグの中だ。で、このガキ臭い男は一体誰だ?彼氏にしちゃあ、趣味が悪くないか?」
「アシスタントっていうか、使い走りみたいな。その辺で拾ったの。あなたと同じ立場だよ。一緒に革命活動をしてくれてる。今回、一緒に仕事をするんだし、お互い挨拶しておいたら?」
男は犬丸を上から下まで品定めするかのように眺めると、血のついた手袋を外し、犬丸に手を差し出した。
「
「犬丸祐樹です」
犬丸も手を差し出すと、葦苅は食い気味に犬丸の手をつかみ、ぶんぶんと振ってすぐに離した。
「犬丸とは一緒に住んでるのか?」
「そうだけど。何?嫉妬?」
「同情だよ」
葦苅は立ち上がって玄関に行くと、ボストンバッグを持ってリビングに戻ってきた。ジッパーを開け、ローテーブルに中身を並べていく。拳銃が3丁、箱状で、タイマーのようなデジタル数字を表示させるパネルのついた黒い機械が2つ。
「さすが。注文通りそろえてくれてありがと。これで計画が実行に移せるね。さっそく今からにでも仕掛けに行こっか」
「ちょ、待ってください。この黒い箱ってもしかして、爆弾ですか?」
犬丸は平然と言う遠野に慌てて聞く。
「そうだよ。これを街に仕掛けてスマホ中毒者たちをまとめて片付けるの」
遠野は当然でしょと言わんばかりの表情で答える。それを運んできた葦苅も平然と頷いている。
「爆弾なんて。立派なテロじゃないですか。人が死にますよ。コノエさんは前は、復讐は骨折までなんて言ってたじゃないですか」
「大丈夫だ。そこまで殺人的な爆弾じゃないし、相当打ちどころと運が悪くなきゃ死なない程度になってるから」
葦苅が言う。
「てことで、大丈夫みたいだし、明日に向けてさっそく準備していこっか」
📱 📱 📱
「ほんとに爆発は小規模なんですよね?」
ひっそりと静まり返った深夜の雑居ビルの中を歩きながら、犬丸は隣を歩く葦苅に聞いた。
「まあ、大丈夫だろ」
葦苅は軽く言う。
葦苅は懐中電灯でひとつひとつ横引きシャッターの閉じた店舗を照らしていく。やがて一つの店舗の前に立ち止まった。スマートフォンのショップだ。ビルの3階、ビルを出てすぐの大きな交差点を見下ろせる角に位置している。ここに爆弾を仕掛けるのだ。
葦苅はリュックサックからチェーンカッターのような大きなハサミを取り出して、ためらいもなくシャッターの骨を断ち切り始めた。その音の大きさに犬丸は思わずきょろきょろと回りを見渡してしまう。
犯行はあっさりと終わった。人が入れるだけの隙間をシャッターに開けて、店舗内に侵入し、窓際の観葉植物の造花の鉢植えの中に爆弾を仕掛けてタイマーのスイッチを入れた。表示は12時間とあるので、おそらく明日の昼2時ごろに爆発するはずだ。
「見つかりませんかね」
ウッドチップをそっと爆弾にかけながら犬丸は不安げに言う。
「造り物の木の鉢植えの中を見る奴なんかそうそういないよ。お、これ新モデルじゃん。かっけー。一個もらってっちゃおうかな?」
葦苅は最近販売が開始された新型のスマートフォンの見本を見ながら言った。
「葦苅さんはスマホ嫌いじゃないんですね」
「ん?そうだよ。むしろ一日の半分以上いじってる依存症。新型が出れば、良さも意味もわからんけどとりあえず買うみたいな、普通な人間だよ。遠野は俺を軽蔑してるけどな」
「それならどうして軽蔑されてまでコノエさんに協力するんですか?」
「んー、面白いし?」
葦苅は軽く答える。
「なんですかその理由」
葦苅が店舗から出ていくので、犬丸も慌てて後を追う。雑居ビルから出て交差点の手前で信号を待つ。深夜の交差点に車は少ないが、道にはちらほら夜遊びをする若者や、酔っ払いが歩いていた。
「さっきの続きだけどさ、遠野が薬を飲んでるのは知ってるか?」
信号の赤い光を見つめたまま葦苅が言った。
「それは、はい。知ってます。精神科の薬ですよね」
「そう。それも理由の一つ。医者の性って言うのかな、なんとなく定期的に様子を見てやらないといけない気がして。ただ狂ってるようにふるまっているようには見えるが、心にもろさを抱えてるような気がする」
「お医者さんだったんですか」
「医師免許を持ってるだけだけどな。どの世界にタトゥーした医者がいるんだよ」
「医者としての技術は見た目に関係ないと思いますけど」
「イメージの話だよ。まあ、それも理由の一部ってだけで、俺が遠野に嫌われても構わずつきまとって勝手に協力してるのは、ただ面白いからって理由がほとんどだ。あれほどイカれた奴はなかなかいないからな。近くで観察してたいっていう知的好奇心かも」
「そうですか」
信号が青になった。二人はすぐ歩き出す。葦苅の足に何かがぶつかってよろける。見ると、足元にいつの間にか酔っ払いが寝そべって寝息を立てている。
「クソ、酔っ払いが!寝るとこくらい選びやがれ、轢かれっぞ馬鹿が!」
葦苅は悪態をつき、酔っ払いを歩道へ蹴り飛ばした。
犬丸はその間、交差点の真ん中のマンホールの周りに素早く三角コーンを立てて囲った。三角コーンはちなみに、近くのファミレスの駐車場から拝借してきたものだ。自分のリュックサックからバールを取り出し、マンホールのふたを手際よく外す。葦苅が犬丸のもとまで走ってきて、爆弾を取り出すと、マンホールの裏に取り付けた。犬丸はそれをそっと元に戻す。
すべては信号が青から赤に変わるまでの出来事だった。二人は警備員とも、工事現場の人ともとれる服装をしており、反射板のついたベストを着ていた。もし、その様子を見ていた人がいたとしても、マンホールを管理する業者が少し点検をしたようにしか見えなかっただろう。二人が準備を終えてコーンを片付け、交差点を渡り切った瞬間、また信号は赤になった。
「なあ、喉乾かねえ?」
芦刈は言った。
「確かに、乾いてるような気もします」
爆弾をビルに仕掛けるだなんて非日常的な体験の後で、夢を見ているようだった。
「そうか。俺もだ。俺は、ブラックのコーヒーがいいな」
芦刈は自動販売機を指さした。
「僕が買うんですか」
「喉乾いてるんだろ?」
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