第15話 飛行船(2)
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スパンは薄いベッドの中で、昼間の出来事を考えていた。自分の中に二つの記憶があるのか、それとも自分の中に誰がもう一人いるのか。そんなことを考えていたら、なかなか寝付けずに何度も寝返りを打った。ふと山に吹く風の音に気が付いた。スパンは風の音に耳を済ませていた。(山は良い。砂の音がしない)いつしか夢すら見ない深い眠りに落ちていった。
翌朝、博士が石のうえにぼんやり座って、景色を見ているようにも思えるし、何も見ていないようにも見える。口の中でぶつぶつとなにかを呟き、震えているようだった。
博士の様子の異変に気づいた、カーミラがみんなを呼んだ。
博士は、スパンの気配を感じると、ほんの少し目に生気が戻ったようだった。
「スパン」
博士が言った。
「夜中に彼らがきたよ。」
「彼ら?」
スパンはおうむ返しに聞き返す。
「君に未来を託すよ。スパン」
「博士。どうしたんです?」
「やっとくるんだよ。やっと」
「博士?」
なにを言っても話はかみ合わなかった。みんな困惑していた。突然、博士は震える指で、飛行船を差した。
「スパン、時間があまりない。もうすぐ、彼らがここへくる。君たちは、あの飛行船にのって飛び立ちなさい。あの飛行船は1000年前にここに着陸してから一度も飛んだことはない。物理的には飛び立てる。操縦士がいないだけだ。飛び立てる保証はないが、飛んでくれ」
スパンは、カーミラと顔を見合わせた。
「飛び立てって、どこへ…」
スパンは独り言をつぶやいた。博士はゆるりと立ち上がると、
「アクエリアスへ行くんだ。アクエリアスもこのマリアスと同じような人間が住める惑星らしい。1000年前のビーズの記録にはそうあった。ひょっとしたら、1000年前にリーやイブたちより先にビーズを旅たった人々が子孫を残しているかもしれない。」
スパンは不安になった。あの飛行船はほんとうに飛ぶのか。確証もないまま飛べといわれスパンたちは戸惑った。それに“彼らがここへくる”とはどういう意味だろうか。
スパンはトーイをみた。カーミラ、イブ、エヴァの視線もトーイに集まった。突然トーイは、マリアスを一望できる高台へと向かった。
「トーイ?」
「やな、音がする」
ザッツ・ザッツ・ザッツ・ザッツ
ざら、ざら、ざら、ざら、
サラ・サラ・サラ・サララ
ザッツ・ザッツ・ザッツ・ザッツ
サラ・サラ・サラ・サララ
ざら、ざら、ざら、ざら、
「す、砂!赤い砂が山を登ってくる!スパン。砂だ!」
トーイが、マリアスの大地を一望できる高台から、麓をみて叫んだ。
真っ赤な砂が大地のすべてを覆っている。真っ赤な海に浮かぶ孤島のようにここだけが、ぽつんと浮き上がっているようだ。
赤い砂はまるで生きているようにうごめいている。
遠く近くから、サラサラと乾いた音が風にのって、スパンたちの耳元に、こんどははっきりと届いてきた。
サラ、サラ、サララ、
サラ、サラ、サララ、
サララ、サララ
ザッツ・ザッツ・ザッツ・ザッツ
サラ・サラ・サラ・サララ
ざら、ざら、ざら、ざら、
サラ、サラ、サララ、
サラ、サラ、サララ、
エヴァが悲鳴を上げた。
ながーく、ながーく、細く哀しい、切ない悲鳴だった。
トーイはエヴァの手を掴み自分の傍に引き寄せた。スパンを振り返った。
「スパン!飛ぶぞ。」
そう叫ぶと、トーイはエヴァを抱きかかえ飛行船に向かって走りだした。スパンは呆然としていた。イブがスパンの腕を殴った。その痛みでスパンは我に返った。イブはすでに走り出していた。カーミラとスパンが同時に動いた。二人は博士の傍に駆け寄った。
「博士!」
スパンは博士に手を差し出した。カーミラも同時に博士の手を取った。
「さ、博士いきましょう。」
「一緒に」
博士は、カーミラの手を振りほどくと、力強く言った。
「いきなさい。彼らは私を迎えにきた。君たちは、アクエリアスへ行くんだ。早く。走れ。」
博士は突然、砂になった。霧のように。
真っ赤な血の霧のように、砂と化してその姿は失われた。スパンは、足が震えた。震える足で必死で走った。
「走れ!」博士の最後のその言葉が、スパンの体を巡る血を逆流させた。スパンは、先に飛行船に乗ったトーイたちに向かって
「コックピットに行くんだ。カーミラこの扉を閉めてくれ。出発するぞ!」
カーミラは、扉の横にあるレバーを強く引いた。
クイーン。
扉がゆっくりと、スムーズに閉まり始めた。この扉はいったいどれだけの時をへて動いたのだろうか。スパンはそれを横目に見ながら、コックピットへと走った。
「トーイ、きみはエヴァを頼む。その椅子に。
イブ、きみはあっちの椅子に座って。一人でも、大丈夫だな。」
イブは不安そうな表情をしていたが、強く頷いた。スパンはマニュアルを手にすると、操縦席に座った。カーミラが走りこんできた。
「カーミラ、きみはトーイの隣に座ってくれ。」
スパンは、飛行船のマニュアルをみながら、いくつかのスイッチをいれる。ランプが付き、コンピューターが動き出した。
薄暗かったコックピット内が、青緑色の光につつまれ、正面の壁が明るくなった。壁だった部分は透明になり、飛行船の外の景色を映し出した。スパンは、カーミラにコンピューターへの指示の入力をたのんだ。
「このマニュアルのここ、この通りに書き込んでくれれば多分大丈夫だと思う。」
カーミラは必死で入力をしている。コンピューターから応答があった。
“準備完了”
スパンは、レバーを引く。
“ERROR(エラー)”
赤く画面が点滅する。
レバーを戻す。
“準備完了”
もう一度レバーを引く。
“ERROR(エラー)”
赤く画面が点滅する。
レバーを戻す。
(なにが、間違ってる?!)スパンは焦った。カーミラが慌ててマニュアルをスパンに差し出す。(どこだ、何処が間違ってる。どこだ。)スパンは必死でマニュアルを調べた。
「スパン、ここ!」カーミラが指差した。
「そのスイッチ。赤の!」
その時、イブが悲鳴をあげた。
「スパン!砂ぁ」
スクリーンを見ると、さっきまでスパンたちがいた高台に赤い砂が押し寄せるところだった。スパンは急いで赤いスイッチを押した。そして、レバーを思いっきり引く。
ブーンブーンと鈍い音がする。なにかふわっとした感覚がある。
「飛んだ!?」
トーイが叫ぶ。スクリーンを見ると、確かに浮いている。でも、浮いているだけだ。
どうやって進むんだ。スパンは叫ぶ、
「カーミラ、推進方法は!?」
カーミラはマニュアルを探す。その間にも赤い砂は、この頂上のすべてを、飛行船すらも飲み込もうとする。
「スパン。そのポール。それが推進装置です。そっと廻してください。」
操縦席をはさむようにポールが立っている。
「これ?どうすんだ!まわすって何を」
スパンはそのポールを押したり、引いたりしてみた。ポールはビクとも動かない。飛行船はそのまま宙に浮いているだけだった。あちらこちらたたいてみた。するとカチッと音がして、先端から丸い球状のものが出てきた。思わずスパンはその丸い球状を強く押した。飛行船が大きく傾く。安全装置が働いているのか、地面に激突寸前に飛行船は水平を保った。
「ス、スパンさん!そっと!」
「ごめん。」
スパンは、そっと球を回した。飛行船は、ぐらっと傾きスクリーンに赤い砂と乾いた大地が迫ってくる。スパンは玉を慌てて反対に回す。今度は、急上昇する。
“落ち着け、落ち着け、スパン”スパンは一瞬強く目をつむる。
どこかで、声がする。
『違う違う、スパン。操縦玉はこう転がすんだ。ゆっくり、ゆっくり、焦らず…そうそう、落ち着いて…』
震える手でスパンは、球をそっと動かす。
飛行船は上空で滞空している。前にも後ろにも動かない。
その場で、クルクルと回っている。スクリーンにはマリアスの大地がはるか彼方までを映しだされている。
西も、南も、東も、北の山岳地帯も、すべて真っ赤に染まっている。空も空気さえも、血のように赤く感じる。
飛行船は、マリアスの最後をスパンたちの目に焼き付けさせようとするかのように、その場でクルクルと回転していた。スパンたちは、しばし言葉を失った。
スパンが生まれた町。暮らした日々。コニータと過ごしたビーチ。
記憶のすべてが、ただ、赤く染まっていた。
ふいに飛行船がゆっくりと動き出した。コンピュータ制御によって、自動運転が始まったらしい。ゆっくりとマリアスの大地の上を飛んでゆく。まるで、スパンたちにこの惑星とのお別れをさせてくれているみたいだ。
「人だ!」
カーミラがスクリーンをさしていった。
(まだ、人がいたのか?)スパンは一瞬、ラルを思い浮かべた。
「まるで、巨人だ…」
トーイが呟いた。その人型はあまりにも巨大だった。飛行船に向かって手を伸ばし、崩れ落ちた。赤い砂だった。砂になった人々が、自分たちも連れて行ってくれと懇願しているように、再び人の形になり、また崩れた。
崩れた砂は、砂に呑まれた人々の苦悩の表情のように赤い大地にちらばった。
スパンには、その砂が一瞬、コニータのようにも思えた。
飛行船は宇宙(そら)へと飛び出していった。
マリアスの創始者のリーとイブはなぜ、この飛行船をそのままにしていたのか?イブはなぜ、自分の子孫たちにこの飛行船を守らせたのか?
1000年経って、また同じような目的で宇宙(そら)へと飛び立つと予測していたのだろうか?この地を永遠の故郷と決めたのではなかったのか?
愚かな子孫は、自分たちと同じ過ちを犯す…そう予期していたのか。
スパンたちの思いをよそに、飛行船は静かで、凍りつくような寒さの死の世界、いや、神の世界の中を、アクエリアスへと向かって旅を始めた。
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