第13話 世界の変転(5)
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長い、長い話だった。イブの話、ヨダの話し、ヤン博士の話し、創始者イブのメッセージ。スパンたちは気持ちが混乱し、重く沈むのを感じた。頭を整理しなければ、何をどう尋ねていいかわからなかった。
「すみません。僕の話もしていいでしょうか?」
カーミラが伏せ目がちに言うと、唇をなめた。彼は手のなかで冷め切ったクランベリーティーが入ったカップをくるくると廻した。そして、一口飲んだ。
「あの、僕はこの施設の調理人です。博士と2人になってからは博士の助手のようなことをしていますが、もともとは調理専門職の人間です。
西の国の現状はヤン博士が話したとおりです。マーリス山から沢山の人が救助に下山したのは、人手が多ければ多いほど仕事が速く済む、そう考えてのことでした。結果として、みんな赤い砂になってしまった。その。僕は思うんですが、あの赤い砂なんですが…その。笑われるかもしれませんが、意思があるような気がするんです。」
「意志?!」
「ええ」
「どうして?」
スパンたちは顔を見合わせた。スパンたちも砂に意志を感じていた。カーミラにもなにか感じることがあったのだろうか?
「いえ、西と東の両方の話を聞いていて、砂のなり方とか、砂が襲ってくるときの感じとか、そういうものがなんか変だなって。人間を選別しているような気がしたんです。僕は、専門家じゃないので、よくわかりませんがそんな気がします。」
カーミラは、目を伏せる。ゆっくりと目をあける。ため息をつく。ゆっくりと天を仰ぎ見る。そして、もう一度目を伏せる。
なにか、ひどく考え込んでいるようだった。そしてカーミラは何かを決心したような微笑を見せた。
「実は僕は一度砂のなかに飲み込まれたんです。気がついたら、山の施設にもどっていました。どうやって戻ったのかわかりません。ただ、砂に飲み込まれたときの記憶は、実はあるんです。」
博士は一瞬顔を動かしたが、再びうつろな瞳でぼんやりと前方をみたまま、自分の世界に閉じこもってしまった。
「博士は、大変優秀な方です。砂に襲われてからはときどき自分の心に閉じこもるようになってしまって。あなた方から来てからは以前の博士に戻ったようだったんですが…」
カーミラは切なかった。ヤン博士はまるで父親のようだった。温かく大きくて…。カーミラはヤン博士が大好きだった。
カーミラは砂に飲み込まれたとき、自分はこのまま砂になって死ぬのだと思った。
だが彼は砂の中を漂っていた。海を漂う葉っぱのようにただ、漂っていた。
その時、ふと誰かの気配を感じた。側に自分と同じように砂に飲まれた人がいるのだろうか?カーミラは手を伸ばした。その手は何にも触れずただ砂のざらっとした感触だけが伝わってきた。
だが、カーミラにははっきりと誰かの気配を感じることができた。1人、2人、3人…沢山の気配だった。ふと、知っている気配を感じた。カーミラの親代わりでもあったトロイの気配だった。
カーミラの両親は科学技術員だった。西では子供が生まれると幼児教育施設で育てられる。3歳までの人間形成の時期に同様の教育を受け、その後の適正能力検査が実施され、子供はふるいにかけられる。
知能指数。独創性。個性。従順性。協調性。その他数々の適正検査を経て、4つのグループに分けられる。そしてまた、4歳、5歳、6歳と1年ごとに適性検査を受け、選別される。能力に応じた職種につけることで、100%純粋な能力を引き出すためである。
必然的というべきか、科学技術員の子供はその能力は高いが、それ以外の職業の子供にも高い能力を発揮する者もあり、この選別方法は500年ほど前に実施されて依頼、今も続いていた。
また、子どもたちの親は、時間があるときに自由に自分の子どもに面会することができた。1時間ほどの短い時間だが、親子の絆を確認するには充分だと考えられている。
カーミラの両親も月に何度か面会にきた。1時間という限られた時間にどれだけ子供に愛情を注ぐか、親の課題でもあった。その1時間だけはどの親も仕事を忘れ精一杯の愛情を注ぐのであった。
カーミラの両親は必ず揃ってくることはなかったが、忙しい時間をやりくりしては、ほんの少しでもカーミラの顔を見に来た。面会に来た時は必ず、カーミラを抱きしめ頬擦りしながら『カーミラ、私の宝物』と言うのが習慣だった。
カーミラはその頬擦りが好きだった。パパのほお擦りはヒゲが痛くて少し苦手だったが、大きな手は暖かくて頼もしかった。
両親の話をする時のカーミラは、とても優しい目をする。スパンはカーミラのその優しい瞳に妙な懐かしさを覚えた。
「科学技術員や、研究員の子どもたちの中で、僕は…」
とカーミラは続ける。
科学技術員の息子としてのカーミラへの周囲の期待は年齢が進むにつれ、薄れていった。カーミラは離脱組だった。6歳の適正検査で不適格と判断され、科学技術員以外の職業につくしかなかった。一般職の中で親と違う職業に就くのはそれほど問題はなかったが、科学技術員は西では超エリートとされており、科学技術員の子供が不適格となる例はほとんどなかった。そのためカーミラの不適格は両親に大きなショックを与えた。
教育機関の判断で、カーミラは両親と会うことを禁じられた。また、両親には2人目の子供の出産計画が実施された。それ以後、カーミラは両親に会っていない。
以来、両親は会いに来なかった。
カーミラは新しい父親としてトロイという調理師の子供として育てられた。トロイとはじめて会ったとき、肩車をしてくれた。とても高くて世界が見渡せるようだった。
トロイはカーミラの味覚が優れていることから彼に自分の後を継がせた。
あるとき調理師なったカーミラの元に、実の両親がやってきた。他人の振りをして食事をし、涙を浮かべながら『美味しい』とつぶやいた。
それが両親と会った最後だった。その後、カーミラはマーリス山で調査団のために料理をつくった。
カーミラが赤い砂に飲まれ、自分の最後を覚悟した時、側にトロイの気配がした。
トロイが砂の中で言った。『カーミラ生きろ。生きてもっと旨い料理を作れ』そう声が聴こえ、ふわっと身体が高く持ち上げられた。
一瞬世界が見渡せるような錯覚に陥った。
気がつくと、マーリス山の頂上に戻っていた。
「スパン、その時僕は世界を見たんです。あなたがいる世界です。」
「僕が、いる世界…?」
「真っ赤な世界です。なにもかも真っ赤な。空も大地も空気も血の様に赤い。その中にスパンが立ってる。しばらくすると真っ赤な大地は血の海となり、波のようにうねりはじめました。血の海の上を赤い乾いた風が吹いていました。あなたはその血の海の上に立って、笑ってます。乾いた風を体一杯に受け、両手を広げて。今にも空へと飛び立ちそうな感じでした。そしてあなたは僕の方に手を差し伸べてくれました。僕はその手を掴みたかった。少し迷ってしまって。そうしているうちにあなたは消えてしまった。
“ここに未来があるんだ”なぜかそう思いました。気がつくと、ここに戻っていました。」
「夢?」
トーイが聞いた。
「いえ、夢ではありません。僕の意識はとても澄んでいましたから。」
きっぱりとカーミラは言った。スパンたちは考え込んでしまった。スパンは、ふと視線を博士に移した。博士ならなんて言うだろう。博士は、ぼんやりしている。
スパンは心配になった。
「カーミラ、博士は…」
「ああ…」
カーミラは軽く頷いた。
「心配いりません。いつものことなんです。博士が一人でここに戻ってきてから、ずっとこんな感じで。元気なころの博士のようにテキパキと仕事をこなすかと思えば、魂が抜けたようになってしまう。しばらくすると、またいつもの元気な博士に戻ります。」
4人は不安そうな目を交し合った。カーミラが笑って言った。
「大丈夫ですよ。狂しくなってもしかたがないと思いますし。」
「普通の神経なら、持たない…っか。」
スパンはつぶやいた。
「そうね、私の町の人も、ヨダの町の人もみんな狂ってた。」
イブが遠くを見るような目をする。トーイが、鼻先で笑うように言った。
「じゃぁここにいる俺たち5人は普通の神経じゃないってことか…その通りかもな。」
エヴァはそんなトーイを見つめ、寄り添う。スパンは、カーミラの方に身を乗りだした。別に誰に聞かれて困ることではないが、なんとなく声を潜めてしまった。
「カーミラ、君の話をきいて、その、実は、僕たちは、まだ話していないことがあるんだ。
君がみた世界のことなんだ。実はトーイと、コニータ…僕の妻がみた夢の話なんだ。」
「コニータ?イブさんが奥さんじゃないんですか?」
カーミラは不思議そうな顔をした。イブは、スパンを食い入るように見ている。
スパンはそんなイブの視線から逃れるように言葉を続けた。
「僕の妻コニータはずいぶん前に砂になってしまった。もう何十年もまえにいなくなってしまったような気もするし、まだすぐ側で寄り添ってくれているような気もする。
2人がみた夢はとってもよく似ているんだ。真っ赤な空間。空も大地も空気さえも真っ赤で、そこに吹く風も赤く乾いている。その真ん中に僕が赤ちゃんを抱いて立っているという夢なんだ。僕たちはその夢になにかの意志というか意図というべきか、そういうものを感じたんだ。」
「な、これは…なに?!」
スパンは、ゆっくりと首を左右にふる。
「わからない。ただ、運命に翻弄されているとは思わない。確かに絶望しかないここ(マリアス)で、運命を引き寄せたいと思っている。僕たちの心のあり方に運命が左右されている気がするんだ。エヴァの妊娠が僕たちを勇気付けた。『命が生まれる限りそこに未来はある』って。絶望の中の未来…きっと未来はある。そんな気がしないか。」
カーミラは瞳にうっすらと涙を浮かべている。小さくつぶやく
「未来…あるんだ。未来が。」
スパンは、心のすみでイブを思った。家族のように寄り添って暮らしていて、その実、家族と認めてはいなかった。イブのことを可愛いと思うし素敵な人とは思うが、愛ではない。知らん振りしていた“イブの気持ち”。
あえて無視をした“イブの想い”。
スパンにはコニータしかいなかった。イブの食い入るような視線が痛い。スパンは、イブと目を合わせることはできなかった。
博士は考えていた。心の世界に閉じこもったまま、彼らの話を聞いていた。
“彼らはまだ若い、彼らに未来をみせたい。あの飛行船なら可能かもしれない…”
いつのまにか夕刻になっていた。スパンたちはこのマリアスの大地を見下ろせる場所に立った。マリアスの大地は夕日をあびて燃えるような真っ赤な大地だった。
1000年前、あの飛行船でこの惑星に着陸した、リーやイブが見たあの風景とはまったく違ってしまった風景だった。
スパンは惑星マーリスを、そして、運命に翻弄された人々を思った。
(コニータ、君の魂に誓うよ。僕は運命を引き寄せる。必ず奇跡をおこす。)
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