第5話 西へ2

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4年前、スパンは学術調査のためにこの地にきていた。

西の国から、マーリス山に入山しようと思い、ヤナギ渓谷を越えマーリス山の麓まで言った。山の入り口には大きな建物が立っていたし、道路も整備されていた。そして、銃を持った警備局の人間が多くいた。

マーリス山は、立ち入り禁止になっていた。その時までスパンはマーリス山の状況を知ってはいなかった。東の国では、誰もマーリス山に近づくことはない。

それは、「マリアス創生歴史学」にもあるように、魔の山として恐れられており、一種の聖域として扱われている。

この惑星に着陸したときに、リーはマーリスが狂ってしまったことで、この山をマーリス山と名づけて、決して近づこうとはしなかった。そして子孫たちにも決してマーリス山へは近づいてはならない。と、言い伝えていた。

“悪”の“危険”なそんな聖域だった。4年前、スパンがマーリス山を訪れたのは、長い、長い間の憧からだった。

ひょっとしてという思いがスパンにはあった。飛行船が着陸した痕跡を見ることができるかもしれないという期待は大きかった。1000年という時間は、スパンたち人間にとっては長い時間だ。しかし、物にとってはどうだろう。一瞬の、そう、瞬きより短い時間かもしれない。そう考えるといても立ってもいられず、マーリス山に向かったのだ。

西の国への旅券をとり、バスにのってヤナギ渓谷までやってきた。

そこからは徒歩で鉄橋を渡り、西の国に入った。そこから、またバスに乗り3日かけて麓まで行ったのだった。

その麓でスパンを待っていたのは、「入山禁止」の看板と、銃をもった警備局の人間だった。西の国の一部の技術者や研究者、警備局の人間だけが出入りでき、一般人は誰も入ることを許されていなかった。

スパンは警備局の人間や、西の国の政府局に入山の許可を求めた。どこも断られ、途方にくれてしまったが、どうしても諦め切れなかった。予想外のことにスパンの好奇心はずいぶん刺激さてしまったようだった。

生物とは不思議なものだ。ダメだとわかるとなんとかならないかと、いろいろと創意工夫を凝らし、知恵を絞り、試し、その結果なにかを得るようであった。人に限らず全ての生物にいえることなのだろう。それが、進化であったり進歩という形で現れるのだろう。

このときのスパンも、同じだった。どうしてもあきらめることができず、東の国に戻り政府庁へ行った。そこでマーリス山への登頂の申請を行なった。許可証さえあれば、あの縦のものは決して横にはしないぞというような顔をした、堅物の警備局の人間も登頂を認めるだろうと考えていた。

そのとき、マーリス山への登頂の目的をきかれたので、

「マーリス山に登って、学術的な調査をしたい。」

と言った。担当者は資料を調べながら、

「あれ、マーリス山は東の麓からすべて西の境界に入ってますね。」

「ええ、そうなんです」

「なるほど。あなたも変わった人ですね。マーリス山に登ろうなんて。」

一瞬むっとしたが、まあいいとすぐに納得した。東の人間なら、ほとんどの人間がそう思うだろう。

「じゃ、許可証を発行しましょう…あれ?」

急に担当者は難しい顔になった。スパンはどきっとした。不思議なもので、別にやましいことがなくても、こういう時は妙に居心地が悪くなり、不安になる。

「マーリス山は西の政府管轄の立ち入り禁止区域になってますね。」

「?どういう意味ですか…?」

「許可証があっても、立ち入れないようですね。」

「なにか、特別な申請でもすれば…」

「いや…えーと」

担当者はしばらく資料に目を通していたが、困惑した表情でスパンを見た。

「ここではわからないですね。とりあえず担当部署へ行ってもらえますか。」

「はぁ」

「えっと、担当部署はですね、このカウンターに沿って、まっすぐあっちにいっていただくと、突き当たりますから、突き当たりの廊下を左に折れて、次の筋を右へ、それから、2つめの角を右に、すると各種の特別申請の受付カウンターがありますから、そこの17番に行ってください。」

それからが大変だった。どこの部署でも、マーリス山への登頂許可は知らなかった。あちらこちらに廻された挙句、結局、政府局で調べて、後日連絡するとのことだった。

丸1日を棒に振って、スパンはひどく疲れてしまった。いったいマーリス山にはなにがあるんだろうか。期待と失望が入り混じった思いで数日を過ごした後に、スパンの手元には政府庁から1通の通知が届いた。

「東の国は、マーリス山の全ての権利を放棄しており、入山許可は西の国の決定により、一般人、および関係者で無い者には、一切の入山の許可が下りないということが判明いたしました。」

タイプ打ちされた、その活字を見てスパンはため息交じりにあきらめたのだった。



マーリス山にはなにがあるのだろうか。いまでもまだあの山は封鎖されているのだろうか。スパンは行ってみるしかないと思っていた。その意見には、トーイもイブもエヴァも賛成だった。ここまできて、サマーズに戻ることはしたくなかったし、また、ここに留まる気持ちもなかった。

翌日、カフェやホテルから必要なものを探しだすと荷物に詰め込んだ。魚や野菜の缶詰、紅茶の葉などがあったのが嬉しかった。しばらくはシリアルクッキーからは開放されそうだ。

ヤナギ渓谷に沿って、北へ進行方向を決めた。

正面にマーリス山が見える。それほど高い山ではないが、その先には、遠く影のように大きな山が連なっていた。スパンたちは黙々と車を走らせた。

途中から、舗装のされていない土がむき出しの荒れた道になった。ときどき大きな石があり、トラックはひどくがたがたと揺れた。ヤナギ渓谷を出て、2日目に小型トラックは動かなくなってしまった。トーイが工具片手に奮闘したが、砂がエンジンに入り込みうんともすんともいわなかった。

スパンとトーイ、イブ、エヴァは、ここからは徒歩でマーリス山へ向かうしかなかった。マーリス山はもう目前だ。車なら、およそ1日の距離、徒歩なら2日、3日ぐらいはかかるだろう。

スパンたちは、背負えるだけの荷物を背負い、歩き始めた。

ただ黙々と。

このあたりの地面は、赤い砂がうっすらと積もっている程度だった。後ろを振り返ってもサマーズの町は見えなかったが、すぐそこに、たったいま乗り捨てた車が、とてもさびしく見えた。

荒涼とした荒地を歩きながら、少しづつだがマーリス山が近づいてくることが、スパンたちを前に推し進める原動力となっていた。

夜の冷え込みに毛布にくるまり、4人で寄り添っていると、くるまった毛布の中でイブがつぶやくように言った。

「固形燃料とかコンロ、少しだけでも持ってくればよかったね。そしたら寒さも少しはしのげるし、ライトの代わりにもなったわね。温かい飲み物だって…」

「残念だけどしょうがない。」

「そうね」

スパンも同感だった。もてるものには限界があった。どうしても必要なもの、水や缶詰はかなり重い。何度も何度も休憩しながら進んだ。2日から3日と予想したが、この調子ではもう少しかかるだろう。食料や水にこだわりすぎて、やむなくコンロを置いてきたが、さすがに夜は冷える。温かい飲み物が飲みたい…。

「マーリス山にはなにがあるの」

エヴァがきいた。スパンは静かに首を横に振った。星明りだけの闇の中ではスパンの動作がエヴァに伝わったかどうか判らないが、言葉がでてこなかった。スパンは静かに目を閉じる。

マーリス山は先祖が宇宙から降り立った山だが、もう1000年も前のことだった。何かあるかもしれないという希望。何も無いかもしれないという不安。スパンの心はひりひりと痛み、苦しかった。

エヴァはスパンが眠ったとおもったのか、それ以上何も聞かなかった。


スパンはマーリスの麓についていた。

その険しい山肌は鉄の柵で囲まれ、乗り越えるのは一筋縄ではいきそうもなかった。

「どうしたものかな…?」

思案にくれていると、山の中から声がした。

「おおい。そのこきみ」

スパンはびっくりとした。山の中は薄暗く、スパンに声をかけた人影は見えなかった。

「ここは、立ち入り禁止区域だよ。無理に入ってくると、西の政府に逮捕されてしまうよ。」

「そこまで、砂が、赤い砂がきています。入れてください。」

「無理だよ。ここは西の領域だよ」

「お願いします。もう、西も東もないでしょう。こんな状態なんですから。お願いします。」

「ダメだよ」

スパンは後ろから、赤い砂の、さらさらという音を聞いた。恐怖が背中を走り抜け、鉄柵を掴んだ。をよじ登ろうともがいていると、山の中の人物が現れた。

「むりだよ。スパン。」

「ほら、もう私たちも砂になっているんだよ」

真っ赤な人型をした砂がスパンの周りを取り囲んだ。うじゃうじゃとスパンにしがみついてきた。

「いかないでくれ、スパン。」

「いかないで。」

「置いていかないでくれ。」

「見捨てないで…」

急な寒さでスパンは目をあけた。汗をかいていた。汗で濡れた服に夜の寒さがしみこんでくる。暗い中で、静に寝息が聞こえた。それにまじってさらさらと砂の音が遠くから聞こえた。スパンは小さく身震いをした。もう、眠れなかった。


うす赤い地面の上をとぼとぼと、歩いている。もともと荒野だったこの土地は草も木もろくにない。ごつごつとした灰色の岩が、ここかしこと転がっている。マーリス山は手に届きそうなくらい近くに見えてはいるが、一向に近づいてこない。

単調な歩みだった。誰もあまり話をしない。なにか楽しい話でもと思ったりもするが、口が重たく話す気分にはなれなかった。話をしても思い出話くらいだ。それは平和な日々を思い出させ、余計に辛くなりそうだった。

ただ黙々と、うつむきかげんにスパンらは歩いた。

時々、妄想に囚われる。

背後から、赤い砂が大きな口をあけ、スパンたちを飲み込もうとそっと忍び寄ってきていないか。はっとして、そっと後ろを振り返る。

遠くに真っ赤な砂の砂漠が見えるが、スパンたちと赤い砂の砂漠の間には、乾いた白茶けた大地が横たわっている。

スパンは恐怖で壊れそうになる。不安になる。

みんなを、町から引っ張りだし西へと、マーリス山へと、誘ってしまった。もし行き着くことができなかったら? 

万にひとつ行き着いたとしてそこも、サマーズや他の町となんら変わらなかったら? 

未来も希望も失く、絶望と死が待ってたら?

自分はみんなをとてもひどい旅に誘い出したのではないのか?

あのままサマーズにいたほうがまだましだったのではないか?

(コニータ、僕は正しかったのか。君がいなくなったあと、僕は毎日毎日後悔していた。サマーズの町を早くでて、もっと…、どこかへ逃げていれば、君はまだ生きていたかもしれない。イブが生き残ったように、まだ生きていたかもしれない。毎日後悔ばかりしているんだ。)

スパンは黙ってうつむいてあるきながら、コニータを思っていた。単調な歩調と疲労が夢遊病的な感覚となって、スパンを夢の中へ誘う。



-4-


サマーズの町で砂に怯えながらスパンとコニータと暮らしていた。それでもその頃はサマーズには、まだだいぶ人がいたし、食料や水の配給もちゃんとあった。砂に怯えながらも、

政府がなんとかしてくれるのでは?

突然砂が無害になることもあるのでは?

と根拠のない期待を持つだけの気持ちの余裕があった。ある日、コニータが小さな悲鳴をあげ、スパンにしがみついてきた。ひどく怯えている。

「どうしたの?コニータ?」

コニータはその大きな瞳でスパンを見つめた。そして、長い髪をそっとかきあげた。右の耳がなくなっていた。スパンは思わずコニータの右耳があったあたりを手で包んだ。

(耳が、耳が。)

「コニータ…」

スパンは、呆然として、言葉が続かなかった。コニータは目に涙をためていった。

「本を読んでたの。そうしたら、本の上に赤い砂が降ってきて。どこから降ってきたのか判らなかった。しばらく砂を眺めていたんだけど、ふと、耳を触ったら、耳が…」

コニータの声は震えていた。恐怖がその顔色を青白く染めていた。スパンは恐怖で喉が貼りついたようになって、声がでなかった。その恐怖からコニータを強く抱きしめただけだった。

コニータがいなくなるその日まで、スパンはコニータに寄り添い片時もはなれようとはしなかった。暗い顔をして、ずっと彼女の胸に顔をうずめ、小さな鼓動を聞いていた。小さくかすかな鼓動。砂になり始めてから、鼓動は小さくなり、温もりも冷めていった。時々コニータの鼓動が止まる瞬間がある。

スパンは怖かった。彼女が消えてしまうのがたまらなく怖かった。ただ、胸の鼓動を聞くしかできない自分の非力さを呪い、置いていかれる恐怖を思って震えていた。小さなか弱い動物のように。

姿をみせないスパンを心配したトーイが訪ねてきた。そのころには、コニータは足と腕の一部が砂になっていた。もうスパンを抱きしめることはなかった。

それでもコニータはスパンをみつめては、微笑んでいた。その微笑みは恐怖で凍りついた心を癒し、そして、恐ろしい悲しみももたらした。トーイはコニータの姿をみて、スパンの肩を強く揺さぶった。

「しっかりしろ!スパン。いったい何をしてるんだ?」

トーイの姿をみてスパンは弱々しく笑った。コニータは静かに目をつぶったままだった。

「トーイ。コニータが…」

スパンはそれ以上言葉にならなかった。トーイはスパンとコニータの姿を見て、一瞬、頭に血が上ったが、スパンの悲しみの大きさを思うと何もいえなかった。トーイはスパンが好きだった。同じくらい、コニータも好きだった。

初めてトーイにコニータを紹介された時、心になにかが突き刺さったような気がした。スパンの恋人でなければ…と思うときがあったが、それ以上にこの2人には自分が入り込む隙間もないほど、深い心でつながっているように感じていた。コニータに愛されているスパンをうらやましく思いながら、また、この2人が永遠に幸せであることを強く望んでもいた。

トーイは、スパンの気持ちを推し量ってみた。その悲しみは自分の心の中のいろいろなものを集めても、それ以上のような気がした。結局トーイはスパンの横に座り込み、肩に手を置くのがやっとだった。どれくらい2人でそうしていたのだろう。眠っていたコニータが、ふっと目を開けた。トーイの顔をみると弱々しく笑い、ささやくように言った。

「スパン。少しのあいだでいいのトーイと2人で話をしたいの」

スパンは少し驚き、コニータの側を離れるのを嫌がったが、結局彼女の願いを拒みつづけることはできなかった。ほんの少しのあいだ、コニータはトーイと何かを話していたが、トーイはかすかにうなずき、そっとコニータの額にふれ、立ち上がった。

3人で楽しく過ごした時間がトーイ、スパン、コニータの間に、まるでスクリーンに映る映画のコマのように、瞬の間、映った。3人は同時に瞬きをした。

それからまもなくコニータは砂になった。

最後の瞬間、コニータは弱々しく微笑むと、残った腕をさしだしスパンを抱きしめようとした。スパンはコニータの腕をそっと握りしめる。白く細く長い指があったあたりにキスをする。

「コニータ、大丈夫。大丈夫だよ。」

スパンは何度も何度も繰り返した。「大丈夫」という言葉はすでに意味をもたない。ただおまじないのように繰り返し、繰り返しつぶやいた。

「スパン。もう消えるときがきたみたい。」

コニータはかすかに笑った。

スパンは震えが止まらなかった。

「大丈夫よ。スパン。大丈夫よ」

今度はコニータが繰り返しささやいた。

「私自分が消えるのが怖いのじゃない。あなたに会えないのが哀しい。」

「僕もだ。コニータ。君がいなくなった世界で僕は…生きていけないよ」

「スパン。私の最後のお願い聞いて。」

「最後なんて言うな」

コニータは微笑み、首を横にふる。コニータを見つめるスパンの目は恐怖で怯えていただろう。反対にコニータは涼しげな優しい眼をしてスパンを見つめている。

「砂になるといろいろなことが見えてくるみたい。苦痛とかそういうものが全然なくて、恐怖もないわ。ただ、あなたにあえなくなることが哀しい。だからスパン私の最後のお願い。あなたは、最後まで生きて。何があっても、どんなことがあっても。

最後の最後まで、その瞬間まであきらめないで。お願い。スパン。生きるのをあきらめないで…」

スパンはコニータを抱きしめた。コニータの体のどこかが砂になった。サラサラと乾いた音を立てている。

「スパン生きて。最後まで、生きて。」

コニータはもう一度そうつぶやくと、表情が凍りついた。

スパンはコニータを抱きしめたまま。何度も繰り返しコニータにささやいた。

「絶対にあきらめないよ。君の分まで、あきらめない。絶対に君の分も生きる。だから…だからお願いだ。砂にならないで。消えないで。お願いだ。誰か…誰か…お願いだから、助けて。」

スパンの涙がコニータの頬に落ち、シミを作ったが、そのシミはすぐにコニータの皮膚に吸収されていった。スパンはただ、コニータの頭を両手で抱きしめた祈るように繰り返し、繰り返し「消えないで」と呟いていた。

スパンの腕の中でコニータがサラサラと音を立てて崩れてゆく。小さくて可愛い唇も、形のいい鼻も、大きな瞳も、美しいオレンジ色の髪も。スパンの手には、かけらさえも残さず、コニータは砂になった。


(ねえ、コニータ。僕は約束した。絶対あきらめないって。だけど、挫けそうだよ。本当にみんなを連れて町をでてよかったのか…。コニータ。答えをくれ。僕に答えをくれ…ないか。)

ぼんやりとそんな思いを抱きながら歩いていると、コニータが両手を広げて微笑んで立っていた。

「コニータ…!」

スパンは、駆け寄ろうとした。強い腕がスパンの肩を掴む。

「スパン。どうした!。スパン?」

トーイだった。しだいにスパンの意識ははっきりしていく。

(ああ、そうか僕は…。)

「いや、ごめん大丈夫だよ。夢を?見ていたらしい」

「スパン…急に走りだしてビックリしたわ」

「夢って…歩きながら眠ってたの?」

トーイが笑って、スパンの肩を強く掴んだ。

「スパンはね、器用なんだ。」

「ときどきね。」

「やだ、スパンったらぁ」

イブもエヴァも笑っていた。トーイの目は笑っていなかった。



-5-


マーリス山は随分近づいてきたが、予定より数日がかかりそうだった。それほど彼らの歩みは遅く、思うようにたどり着くことができなかった。夜も歩き続ければ早くマーリス山に到着するはずだが、疲労と体力の消耗は思った以上に大きかった。また、イブの身体も気がかりだ。

ただ、日数がかかれば重い荷物は軽くなり、歩くのは少し楽になる。何度も、何度も荷物を捨てたいと思い、実際に荷物が減って、軽くなると今度は食料や水がなくなったらどうしようと、不安になってしまう。


四人で寄り添って、残り少ない缶詰の中から、ミックスフルーツを1つ開けた。柔らかい果肉と、甘酸っぱいシロップが疲れ果てた身体と心を癒していった。クッキーをエヴァが差し出したが、誰も手にとろうとはしなかった。

エヴァは「そうよね」と誰にも聞こえないような小さな声で呟くと、毛布に包まって身体を丸めて眠ってしまった。それに寄り添うようにイブも横になった。二人はじきに寝息を立てた。

トーイが目で合図を送ってきた。

スパンとトーイは彼女たちが目を覚まさないようそっとその場を離れた。すでに宇宙(そら)には満点の星が広がり、空以外は、真っ黒な闇だった。。

「スパン。さっきのことだけど。夕方の。」

「…」

「コニータのことを思い出していたのか?」

「…」

スパンはどう答えてよいか分からず、黙ってトーイを見つめていた。トーイは、スパンが答えないのは、精神的に落ち込んでいるせいだと勝手に思っていた。

「俺は、スパンがうらやましいよ。」

「うらやましい?」

「ああ。みんなの憧れのコニータを独り占めできて…そして、今も独り占めしている。ふたりは、本当に愛し合ってるんだなって。今もずっと愛し合ってるんだな」

トーイはかみしめるように言った。

「コニータの幻をみてたんだ。」

「幻?」

「ああ」

「幻か…幻でも会えたらいいな」

「コニータとの約束を思い出してた。」

「約束…か」

「ああ。最後まであきらめないって約束したんだ。なのに、不安でしょうがない。僕はどうしようもない臆病者だ。ただ怖いから、その怖さから逃げるために何もない振りをして、強がって、今まで同じように暮らしてみて、その結果がコニータを守ることすらできなかった。砂から救うこともできなかった。僕は、ただ怖いから、考えたくないから、めんどうだから、どうにもならないから、自分は非力だから…数えあげるときりがないな。自分の悪いことはいやってほど数えられるよ。まったく僕ってやつはどうにもならない奴だ。そうして嫌なことから逃げていたんだ。知ったような顔して…さ」

「そんなことはない」

強い口調でトーイがいう。その口調にスパンは苦笑しながら、

「そんなこと、あるんだ」

「いや。スパン。ほんとうに自分がそんなんだと思ってるのか?俺はスパンを小さい頃から見ていた。俺たちはずっと一緒だったろう。お前が平気な顔をしていると、なんとなく平気な気がしてくる。俺だけじゃない、他の奴も、いまは、イブとエヴァしかいないけど、お前を知っている奴は、みんな思ってるよ。スパンが平気なら、平気なんだ。たいしたことないって。それにスパンがいま挙げた欠点って、誰もがみんな持ってるものじゃないか。

俺だって、もってるぞ」

スパンはちょっと自嘲気味に笑う。トーイは両手のひらをスパンの目の前に広げると

「お前のいいところ数え上げたら、きっとこの両方の指でも足りない…はずだ!」

「はずって?おい」

「いや、だから、たぶんそうだ」

「なにがだよ」

「ま、そういうことだ」

「なんだかわからんが、トーイにそういわれると、そういう気になるから不思議だな」

はははと、トーイが笑った。スパンも笑った。いつもそうだった。トーイは口下手なのだが、妙に説得力があった。今の会話もどこかかみ合っていない気がするのだが、スパンは自分の心が元気を取り戻してきたのを感じていた。トーイの不思議な力だと思う。トーイのそばにいると、なぜか元気になる。

トーイは笑いながら、スパンの頭をくしゃくしゃとする。スパンも負けずと自分より少し背の高いトーイの頭をくしゃくしゃにしようとして、ぴょんぴょんと飛び跳ねるような格好になっている。2人の笑い声で、エヴァが目を覚ましたが、2人がじゃれているのを見て、毛布に包まったまま、笑った。笑いながら、ちょっとトーイに嫉妬した。自分ではあんな風にスパンを笑わせることはできないだろう。笑いながら、少し、淋しくなった。

星明かりのなか、スパンはトーイの思いには気づかなかった。

(俺も…)とトーイは心の中でつぶやく。(コニータと約束がある。)コニータが俺の目を見つめて言った。“スパンはやさしい、それは弱さでもあるわ。私がいなくなったあと、スパンを支えて”コニータはそう言った。(俺は、約束したコニータ。君の分までトーイを支える。だから、だから…)そのときのコニータの瞳。ガラス細工のような、美しく透き通った瞳。忘れようとしても忘れられない瞳だった。トーイの胸が熱くなった。


朝食を食べながら残り少なくなった食料を横目で見て、スパンは明日にはマーリス山に着きたいと思った。そうでないと今ある食料は、頂上に着く前には尽きてしまうだろう。山の輪郭がはっきりしてきた。そこに生えている木々が、枯れてはいる葉を、まだ枝にとどめているのが見て取れた。赤い砂も、このあたりにはまだ押し寄せてはいないようだった。

山を登る自分たちの体力を考えると気がめいるが、4人で力をあわせればきっとなんとかなる。それにまだ砂に覆われていない頂上には、西の国の研究所がある。多分食料もあるはずだった。別に根拠があるわけではないが、なんとなくそんな気がするのだった。

マーリス山が近づき、4人は元気を取り戻してきた。最初歩き始めた時は随分と遠い距離に感じたが、こうやって目の前に迫ってくると、目的を果たしたようなホッとした気持ちと、反面、先の見えない不安に、ふと暗い気持ちになるのだった。

イブが、つまらない話をしては、みんなの気持ちを盛り上げようとしているが、ふっとした瞬間に、言葉がとぎれ沈黙が続く。気持ちがどんよりと重くなりそうになると、エヴァが鼻歌を歌い始めた。一緒にイブも歌い、つられてトーイやスパンも歌った。トーイは思ったより歌が下手で、時々音をはずしてはイブやエヴァに笑われた。照れくさそうに笑うトーイをスパンはちょっとかばったりする。なんとなくピクニック気分になって少しは気持ちがまぎれていくのだった。

思いつく話も、歌も途切れてしまった時、イブが思い出したようにトーイに聞いた。

「ねぇ。トーイ。私ずっと気になってたんだけど、エヴァの妊娠をどうして知っていたの?」

トーイはちょっと照れ笑いを浮かべた。

「うーん…夢をね、みたんだ。」

「夢?!」

「うん。変な、とてもいやな夢。それでエヴァが赤ちゃんを産む。そう直感したんだ。」

「ね、ね、どんな夢よ」

「あまりいい夢じゃないよ」

「あ、でも知りたい」

「私も。」

トーイはちょっと上目づかいになにか考えていたが、

「空も大地も真っ赤なんだ。」話はじめた。

「真っ赤な空間。そこにエヴァが真っ白なドレスをきて立ってるんだ。とっても幸せな顔でね。ところが、エヴァの下腹部のあたりが血で染まってる。もうおびただしい血なんだ。なのに、エヴァは笑ってる。その隣で、スパンが笑いながら、でも泣きながら赤ちゃんを抱いてる。そんな夢を見たんだ。」

スパンは、トーイの話をきいてハッとなった。(コニータが見た夢と似ている。偶然?なのか)スパンの表情に気づいたのかトーイが心配そうに声をかける。

「スパン。どうしたんだ。」

スパンは小さくかぶりを振った。

「ああ、いやなんでもないよ。」

「不思議な夢ね。」

「なんか、血って、怖くない?」

(偶然だ!偶然だ!偶然だ!)スパンはそう自分に言い聞かせた。スパンはしばらく手を拳骨にしたり、開いたりしていた。

イブやエヴァたちは、まだ何か話していたが、スパンの耳にはなにも聞こえてこなかった。

ふと、スパンはエヴァにどうしても聞いてみたい衝動にとらわれた。

「ねえ、エヴァ?」

「なに?」

エヴァが少し小首をかしげる。

「コニータが、その、昔夢をみたんだ。」

「コニータ?」

「ああ、えっとコニータは、その…」

「亡くなった奥様ね」

「ああ、そうだ。それでコニータが夢をみて妊娠したって喜んでたことがあって。僕たちは結婚1年目でね、早く赤ちゃんが欲しかったんだ。」

エヴァはうなずいている。当時のことを思い出しながら考え考え話す。いつのまにか、トーイもイブも真剣に聞いているようだった。

「だけどコニータは、妊娠していなかった。いや、妊娠の兆候はあったんだよ。お腹が張るとか、吐き気がしたり体温が高くなったり。でも妊娠していなかった。その、想像妊娠…てやつだったんだけど。」

エヴァは、あどけない瞳でスパンを見つめている。スパンはエヴァを傷つけないよう言葉を選んで話そうと思っていたが、いざ口にしてしまうとどういう言葉を選べは相手が傷つかずに話せるのか、言葉につまってしまった。どんなに言葉を選んだとしても、きっと傷つけてしまうだろう。

やはり聞くのは辞めよう、そう思ったが、みんなの視線が早く先を続けろとせっついているように思えた。スパンはもう後には引けないことを悟った。

なるようになる。スパンは腹をくくった。

「その、君の妊娠は、そのなにか、そういう…その確証っていうか、トーイは夢をみて君の妊娠を確証している。イブは君と話してそう確証している、でも、その、ぼ、僕は…その、どういったらいいんだろう」

干からびた手の平にほんの少し汗のようなものが滲む。

「単刀直入に言うと、エヴァきみは自分が妊娠したってどうやって確認したのかな…って」

(ああ、僕はなんてこと聞いてんだ。こんなこと聞いてもし本当に想像妊娠や妄想なら…妄想なら…)

「ああ。なんだそんなこと?」

「うん」スパンは赤くなった。

「私が想像妊娠してるかもって?」

エヴァはいたずらっぽく笑う。

「いやそうじゃない。コニータはそうだったけど君はそうじゃない。」

スパンはしどろもどろになり、こんな質問するんじゃなかったと思った。みんなの視線の中、小さくなって姿を隠したかった。

「妊娠検査薬って知ってる?」

スパンはちょっと首をかしげる。聞いたこと在るような無いような…

「女性はね妊娠すると、特殊なホルモンが尿に混じるの。そこで、そのホルモンに反応する薬をいれて、反応を調べるわけ。で、反応があれば、「おめでとう。」なければ、「残念」と言うわけなんだけど。前に医薬品のセットを開けたときにその薬が箱の中にあったの。その時はこんなもの必要ないって思って、すっかり忘れてたんだけど。」

「はあ、なるほど…」スパンもトーイも思わずうなずいていた。

「あ、でも何で調べようって思ったの」

「ある日ね、自分の体に異変を感じたの。お腹の、そう調度子宮のあたりでなにかとなにかがぶつかり合って、爆発して、そのエネルギーが広がっていく。そう、西の国の科学書の中に、“ビックバン”という宇宙の創生の話があったと思うけど。そんな感じ。ビックバンってよくわからないけど、これってそういう感じなのかなって。

なにかがぶつかって、爆発して、そしてそのエネルギーが広がっていって。そして、しばらくして、こんどはなにかの細胞分裂を起こしているような感覚。

私。覚悟したの。もう砂になるときがきたんだって。トーイとお別れの時が来たって。

死ぬというのになんか、子宮が暖かいの。“ほわほわ”とした感じで。不思議なエネルギーを感じたの。なんだかとってもあったかくて、死ではなく、生という感覚?。

正直、戸惑ったわ。何なのって…。で、ある日、信じられないけど、だめもとで妊娠を思ってみたの。」

「そこで試してみたんだ?」

「そ。医薬品セットの中の妊娠検査薬をひっぱりだして、検査してみたら、ドンピシャって感じでね。う~んすっごく嬉しかった。死ぬんだとおもっていたら、新しい命がいたんだよ。」

エヴァは自分の下腹部の手を置くと嬉しそうに笑った。そして、トーイへ視線を移す。その視線は、とても愛らしく、また幸せそのものの瞳だった。トーイもとびっきりの笑顔をイブに返した。


夕刻にはマーリス山の麓についた。

マーリス山はフェンスで囲まれてはいたが、荒れ果て、ところどころフェンスが破れている。なぜこんなに荒れ果てているのだろう。砂に襲われふうでもないし、誰かが意図的に破壊したとしか思えなかった。あたりの木々は不規則に折られ、立ち入り禁止の看板はへし折られていた。

ただ、誰かがいる気配はまったくなかった。枯れた木々とむき出しの地面が頂上へと続いていた。

すぐにでも登り始めたいところだったが、暗い山道は危険だった。明朝、夜明けとともに登り始めることにして、その夜は山のふもとで夜を明かした。

夜の闇の中、スパンは満点の星をみながら、トーイの夢、コニータの夢、エヴァの話を思い起こしていた。なにかの力に操られているような不可思議な感覚。ちらほらと見え隠れするキー。何かを指し示しているように思えるそれ。スパンの中で、何かのスイッチが入った。そう、カチリと音がした。

スパンは一人で笑った。(ばかばかしい。僕は何を考えているんだ)唐突に、ラルの言葉がよみがえった。「未来はそこにある。エヴァ。君の体の中に。」この絶望しきった世界に未来なんてあるのか…死が充満している世界。未来とは無縁の世界。

明日はこの山を登る。

山を登った経験がないことが、必要以上にスパンの不安を煽った。自分たちはちゃんと登れるのだろうか。何日くらいで頂上までたどり着けるか?食料はたりるのか?そう考えて、食料の残りを計算して…そして、なにより考えたくもない恐ろしい考えがそっとスパンの側に忍び寄る。考えまいと気がつかないふりをするが、どうしてもその考えはスパンの脳を巡ってくるのだ。「マーリス山の頂上には何もなかった」スパンは背筋が凍るほどの冷たい恐怖が這い上がってくるのを感じる。

軽く頭を振り、その考えを振り払おうとするが、頭の中に出現した考えは、消えるどころかだんだん肥大化して、恐怖のどん底に落としていく。

スパンは震えが止まらなくなり、自分の両手で強く自分を抱きしめた。



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