第3話 砂(2)

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事の始まりは磁気嵐だった。

東西の国のほとんどの人間が、その朝、軽い耳鳴りで目を覚ました。耳の奥で何かキーンという音が鳴っている。最初、人々は空を見た。周りを見回した。電化製品などの音を確認し、やっとその音が自分の耳の中で鳴っているということに気がついた。テレビは『ザー、ザー』という音と無機質な灰色の画面だけを写し、電化製品はいくらスイッチを押しても、ウンも、スンも動かない。聴こえるものは、自分たちの耳の奥でなるキーンという音と息遣いだけだった。

便利な文明に慣れきった人々は、急な不便な生活に最初苦痛を感じたが食品などのストックもあり、今すぐ食料などに困窮するということはなかったせいか、多少の不便は我慢することが出来た。

磁気嵐が去ればまた元の生活にもどるだろう。人々はみな、そう信じていた。

この惑星の人々は楽観的な性質をもっている。開拓者精神が、心の奥に潜んでいる。

今、その精神が目覚め、人々はパニックになることなく、じっと嵐が過ぎ去るのを待った。人々を悩ませたのは、体への影響だった。長引く耳鳴りによって、聴こえない声を聞き、見えない者に怯えた。幾人かは狂ったようになり、死亡した。さすがに政府機構もそのころになると静観することができずに、本格的な医療ケアを試みようとしたころ、磁気嵐は去り、ほっとするか、しないかの頃、雪が降り始めた。

それも十数日ほどだった。

その後は、雨が降り続けた。

人々はじっと耐えた。あれこれ心配しても、不安になってもしかたがない。過酷な自然の中で生き抜くには自然と対峙し、受け入れ、共に生きることが一番の早道だと本能的に知っているのだ。そして、月は火の月から、風の月をへて氷の月へと移り変わった。

気候は落ち着きを取り戻し、再び火の月が巡ろうとしていた。平穏が戻ってきた、が、そのまま月は動かなくなった。

火の月になっても、夜になると凍つくような寒さとなり、昼間は風の月をおもわせるような穏やか暖かさであった。

マリアスの気候は変化してしまったが、人々はすぐにそれに順応した。どんな状況や環境でもすぐに順応できるから、この惑星マリアスへの移住もうまくいったのだろう。いつもの平和な日々が戻り、人々がほっとしたころ、本当の、それが始まった。


それは、南の海岸で見つかった。血のように真っ赤な砂だった。最初の発見者は若いカップルで、彼らはそのまま最初の犠牲者となった。

とても仲の良い2人であった。名前を、マークスとリアンと言った。2人は休みになるとビーチに遊びに行くのを習慣にしていた。海で遊ぶにはちょっと寒いかもしれないが、東の国の人間はビーチで遊ぶのが大好きだった。波の音は人の心を癒し、優しい砂は人を自然に帰す。

マークスとリアンはいつものようにビーチの砂と戯れ遊んでいた。砂浜で寝そべるリアンにマークスは砂をかけ、リアンの首から下に砂の芸術を描いていた。気がつくと砂が赤っぽくなっていた。

「ふーん。珍しい砂だな。」

「どんなの?」

「赤い砂だよ。」

「赤い砂?」

「リアン、ほら、みて。」

マークスはそう言うとリアンにも見えるように赤い砂をつまんでみせた。

「ほら、とてもざらざらしていて、粒も大きいよ。こんな砂、はじめてみるね。」

「ほんと。」

そういうと、リアンはちょっと眠そうに目をしばたかせた。

「ね、マークスなに創ってるの?」

「うん。可愛い顔をした、怪獣!」

「もう!やだ。変なものをつくらないでよ!」

いつものように楽しげに笑いながら遊んでいたのだが、二人はいつのまにかうとうとと眠ってしまった。

マークスは、体のだるさで目が覚めた。

(体がだるい。なんかへんな感じ…)

マークスはリアンを見ようとしたが、焦点が合わなかった。目に映るものすべてがかすみ、歪んで見える。マークスはまだ自分は夢の中にいるのではないかと思った。そして、またうとうとと眠ってしまった。

どれくらいの時間がたったのだろう。5分、いや、2、3分かもしれない。マークスは体の皮のすぐ下を何かの虫がはいずるような気持ちの悪い、むず痒いような感覚で目が覚めた。目をあけたが、自分の目に映るものが何か理解できなかった。視界かすみ、歪んで見える。じっと目をこらし神経を集中すると、ぼんやりした頭が少しすっきりした。自分がここで何をしていたのか、なかなか思い出せなかった。唐突にリアンの顔が浮かんだ。

(そうだ、リアンと海岸にきていたんだった。)

ゆっくりと頭をめぐらすと、リアンの顔があった。

(リアン…)

リアンも眠っているようだった。マークスはリアンを起こそうと、手を伸ばしたが、腕を動かすのもだるく、思うように体は動かすことができなかった。とまどうマークスの耳に、リアンのかすかな声がする。

「砂…」

リアンを砂に埋めったままだったことを、マークスはようやく思い出した。リアンを砂から出そうと、砂をかき分けはじめたが、砂をかく指に力が入らない。

いくら、手を動かしても、マークスの手は砂の表面をなぞり、指の跡だけを砂の表面に残した。

(なんだ? 力がはいらない。)マークスは焦った。焦るとともに思考もしっかりしてきた。

(赤い…血のような砂だな。)

マークスの目に赤い砂が映った。

(…!血だ!リアンがなにかで怪我をしたんだ。大変だ。早く、早く助けなきゃ。)

マークスはパニックになった。リアンがつぶやく。

「砂を…お願い。助けて…」

マークスは自分の力ではどうにもならないことを知った。

「リアン、助けを呼んでくる。待ってて!」

マークスは、必死で走った。

マークスの足はふわふわと地面を蹴る。が、思うようには前に進まない。マークスはふらつく足取りで公園とビーチの境にある売店に向かった。

売店の屋根には色鮮やかな看板がかかっている。

『ジョーンズの店 自慢は自家製アイス!』

年配の店主が一人で店を切り盛りしている。マークスとリアンはビーチに行く前にかならず、この店でアイスクリームを買うのが習慣だった。ジョーンズの自家製のアイスクリームは評判で、ファンが多い。マークスとリアンもファンだった。そして2人ともジョーンズの店では常連でジョーンズとは顔なじみになっている。

ジョーンズは接客中だったが、ビーチの方からマークスが、ふわふわとした感じでやってくるのを見つけ、違和感を感じた。「走る」とか、「歩いている」というのではなく、『 ふわっ ふわっ 』と風に乗って運ばれてくる枯れ葉のような感じだった。

ジョーンズはその異様な雰囲気に嫌なものを感じた。思わずじっと見つめてしまっていた。その視線に気づいた客が、ジョーンズの視線の先を追い、マークスに気がついた。

「おい、大変だ血まみれじゃないか!」

そう客は叫ぶと、マークスのもとへ走った。ジョーンズも我に返り、急いで後を追う。マークスに近づくにつれ、その異様さに気がついた。ジョーンズは思った。

(マークスは確か16歳の若者だ。が、この姿は…。)

ジョーンズは眉間にシワを寄せた。マークスの体はまるでしぼんだ風船のようだった。一度空気を入れたあと時間がたって、空気が抜けてしまった風船。その風船を思わせるような肌だった。

マークスはジョーンズを見て安心したのか、そのまま崩れ落ちた。ジョーンズは目を見張った。くしゅくしゅの肌だけでなく、マークスが血まみれに見えたのは、体を覆っていた赤い砂だった。

まるで生きているような赤々とした砂がマークスの全身を覆っていた。

「どうした。どこか怪我をしたのか?」

マークスはビーチを指さした。

「リアン…が、助けて…リアン…お願い、リアンを助けて」

マークスはそのまま気を失ってしまった。騒ぎを聞きつけたほかの人たちもぱらぱらと集まり始めていた。ジョーンズは誰にということもなく、叫んだ。

「病院に!病院に連絡してくれ。マークスを病院へ!それから、誰か私と一緒に来てくれ!」

そばにいた女性が、ジョーンズの腕からマークスを抱き取った。ジョーンズは、マークスが走ってきた方向に走った。そこに必ずリアンがいるからだ。彼は走りながら2人のことが頭をよぎった。ジョーンズは独り者だった。残念ながら女性に縁がなくこの年まできてしまった。この仲良しカップルを見るたび、もし私が結婚していて、この子達が息子とその彼女だったらと想像してみることもあった。いつも2人一緒で、1つのアイスを半分こにする。ジョーンズがたまにおまけして、ひとつ余分に渡すのだが、それも半分こにしてしまう。あと数年もすればこの2人は結婚して子供が生まれ、その子供も一緒に私のところで、アイスを食べる。子供は私に抱っこされ楽しそうに笑うんだ。そんな想像をしては、1人で笑ってしまっていたこともあった。

ビーチの一角が真っ赤に染まっている。砂の上に顔だけだし、その体は真っ赤な砂でかたどられた妖精…。

(死んでいるのか?)

ジョーンズは、リアンの頬にそっと触れてみた。リアンまつげがかすかに震え、その唇は何か言おうとしているが、声はでない。ジョーンズはそっとリアンに話しかけた。

「私だよ。リアン。ジョーンズだよ」

リアンの口元が少し笑った。

「どこか痛いのかい?」

リアンはかすかに顔を左右に動かした。

「気分が、具合が悪いのかい?」

「砂が…」

リアンは声を絞り出した。ジョーンズはリアンの口元に耳を近づけた。ほとんど聞き取れないかすれた声。

ジョーンズは一緒に走ってきた人たちと赤い砂をかき分けた。もし彼女が怪我をしているといけない。そっと、そっと慎重に、砂をかきわける。

細い首、

きゃしゃな肩、

腕、

胸…

胸?

腹!?

ジョーンズは息を呑んだ。彼女の細い腕がすっと持ち上がり宙を彷徨った。人々の目の前で、彼女の腕が赤い砂になって風に運ばれていった。異様な光景にその場にいたものは、言葉を失った。

彼女の胸から下は存在していなかった。元からそこにはなにもなかったように。ただ、血でできたような真っ赤な砂が広がっていただけだった。

それから、数日。

リアンは病院に運ぶ間もなく、砂になって消えてしまった。その後のマークスや、その救出に協力した人々は、一様にしぼんだ風船のようになり、赤い砂となって消えてしまった。

一時、ニュースを賑わしたのだが、それもじきにニュースでは取り上げられなくなった。人々の興味がなくなったわけでは、決してなかった。また、保険機構からも政府機関からも一切の発表はなかった。

赤い砂はあっという間に世界にひろまった。

赤い砂に覆われた場所の植物は枯れ、じきに赤い砂と同化する。海の水は枯れ、その居場所を赤い砂に譲り始めた。空は赤い砂粒が空中に吹き上げられ、夕焼けのように赤っぽく染まっている。赤い砂は、東の国、西の国を問わずじわじわと着実に広がっていった。

その“事故”以降、新聞は一切赤い砂には触れなかった。テレビも同じだ。すべてが人々の目からその事実は隠された。

ただ噂だけは密かに、人の口から口へ、耳から耳へとささやかれていった。

“カルの町が赤い砂に埋もれてしまった。”

“リーベンの町に住んでいるルイの両親と連絡が取れないらしい”

“赤い砂が人を襲ったんだと。みたやつがいるらしい。”

“リプロの町も、禁止区域になったらしい”

“避難した人たちはどこにいるんだ”

どの噂も、真実かどうかわからなかった。確かめようもなかった。

噂になった街や、海岸方面は立ち入りを禁止され、誰も、そこへ行って真実を確認することはできなかった。その街の人々の行方も、避難先もわからなかった。日に日に、立ち入り禁止地域は増えていることだけは確かだった。





その日、“運命のその日”とスパンは思う。その日まで、人々は天変地異が起きてもきっと何とかなる。この1000年の歴史がそれを物語っているではないか。そんな楽天的希望をもっていた。その日を境にスパンたちは、“絶望”という言葉を知ることになった。

はじめての絶望。

未来を夢見ることを許されない。

それは人々の心に恐怖と闇を植えつけた。


正午、テレビは大統領を映し出した。

今回の一連の異常現象の政府の公式見解を大統領が直々に発表するという。大統領はテレビのカメラの前に座っている。

緊張した面持ち。

そして居住まいを正し、水を一口飲むと軽く咳払いをしてカメラに視線を据え、マイクに向かって静に、力強く語りはじめた。

「国民のみなさん、こんにちは。今日はみなさんにとても大切な話があります。落ち着いて、私の話を聞いていただきたい。」

大統領は、いつもの口調で、どこかもったいぶった、遠まわしな言い方をする。どこかすっきりしない物言いで、話を効くたびに、スパンは、『このタイプはどうも苦手だ』と思うのだった。今回もまた、テレビ画面から流れてくる大統領の話を聞きながら同じ事を思っていた。

大統領はまた一口水を飲むと、唇を舐めた。なにかとても緊張しているようで、唇が乾くようだ。しきりに唇をなめ、そして、小さくため息をつくと意を決したように一気にしゃべりだした。

「ここのところの異常現象の調査結果の途中経過が調査グループにより発表されました。そのご報告を国民のみなさんに、今からいたします。えー、その発表ないようですが、」

大統領は、おもむろに胸のポケットから眼鏡をだすと鼻先に引っ掛けた。そして手にもった紙きれを読み始めた。

「西の国と東の国の共同中央統合研究所の地下実験室で実験中に爆発がおこったのが原因の可能性が高いという報告がありました。爆発の原因は現在調査中です。その影響で地軸が多少ずれてしまったのではとの見解です。

多少です。たいした傾きではありません。そのために、磁気嵐のような異常現象が引き起こされ、国民の皆さんに大変な不安と不便を与えてしまいました。そして、その後の異常気象、現在、噂になっている新種の砂もその結果のひとつです。

いま東の政府と西の政府でこの事態の打開策を検討しています。」

大統領は、大きく喉をならして唾を飲み込み

「だから安心してください。すぐに今までの暮らしに戻れます。安心です。政府を信じて安心してすごしてください。」

何度も「安心」という言葉を口にする。少し声を大きくし強調しているのがわかる。大統領は、言葉を続けた。

「しかし、その暮らしに戻るまで、皆さんの協力が必要なのです。我々政府はみなさんにお願いがあります。みなさんには、たった今より政府の管轄下での暮らしをしていただきます。政府の管轄下というと大変難しい感じがしますが、当分のあいだ、政府の指示に従っていただきたいということです。

当分の間です。

いいですか当分の間です。だから、安心してください。

国民の皆さんは、現在お住まいの町の政府庁に行き、現在同居されているご家族の人数・年齢・氏名等の申告を行ってください。

その申告内容に沿って食料・飲料水等、必要な生活物質の配給を行います。

また、旅行中の方に関しましては、東西の国ともに、交通機関も規制に入ります。よって、ご自分の町にもどれるようになるにはしばらく時間がかかります。その間の生活の拠点として、政府の宿舎を提供させていただきます。荷物をまとめて身近な管轄政府庁に出向き、宿泊施設名、氏名、年齢、居住地の住居所在地などを申告してください。

その間の食料・飲料水等、必要な生活物質などは、みなさんが不自由ないように政府が責任をもって対処させていただきます。

慌てずに、行動してください。」

大統領はここまで言うと、ちょっと横を向いて合図した。

すると白い服征服に、右腕に青と緑のストライプの腕章をつけ、それぞれの手に猟銃や短銃をもった政府機関の人間が4人、画面の端の方から現れて、大統領の後ろにならんだ。大統領は、彼らをテレビ画面の見ている国民に紹介するような仕草をすると、強い口調で言った。

「この放送開始とともに厳戒令がひかれました。厳戒令という言葉を始めて聞く方々も多いでしょう。今、私の後ろに並んでいるのは、政府機関の人間です。彼らは皆さんもご存知の白い制服を着ています。今回から、右腕に青と緑のストライプの腕章をつけています。これは、今回の厳戒令において、皆さんに指示をだす政府機関の権限をもった人間のしるしです。彼らの指示に従ってください。政府機関の命令…いや、指示に従わない場合、みなさんを拘留することもありえます。政府機関の指示には必ず従ってください。

みなさんを守るためです。いいですか。決して勝手な行動をとることなく、政府機関の支持にしたがってください。そうすれば皆さん、安全です。

決して取り乱したり、パニックにならないでください。落ち着いて、政府庁に申告に行ってください。以上です。」

そういうと、大統領は口元を拭った。そして、テレビ放送がプツンと切れる。

スパンは、とまどい、慌てて他のチャンネルにあわせてみたが、いくら回しても何も放送していなかった。いいようのない不安が広がる。横にいるコニータも同じ思いだったのか、スパンの手を強く握っている。コニータの横顔は、今は青ざめている。

窓の外には、今までと何も変わらない穏やかな風景と、海岸線が広がっている。

蒼い、蒼い空もそのままだった。


スパンとコニータは街の様子をみるため、外にでた。街はざわざわとしていた。広場や道端で不安そうに立っている人や、スパンたちと同じようにスーパーや市場に向かって歩いていく人たちもいた。みんな不安そうな表情をしている。スパンと顔見知りの隣人もいたが、軽く会釈をする程度で話しはしなかった。

スパンとコニータも無言で歩いた。思い余ったように、コニータが言った。

「今朝、お水とアイスクリームを買いに行ったときは、何も変わったところはなかったわ。いつもと同じだったのよ。」

今にも泣きそうな顔。スパンは右手でコニータ右手を取り、スパンの左手でそっと、コニータの手の甲を、赤ちゃんをあやすようにたたいた。

「大丈夫だよ。コニータ」

根拠のない『大丈夫』。しかし、いまはその言葉しかおもいつかなかった。言葉にならない不安がスパンの心に重くのしかかっている。

スーパーの前には大勢の人々が集まっていた。みんな一様に不安な表情をしている。中には何でもめているのか、怒っている人もおり怒鳴り声がしている。

店の前には、軍隊がきていた。軍隊を見るのは初めてだった。

平和な国だ。10年ほど前に急に東西の国で軍隊を発足させた。

人々は軍隊自体が何かわからない。一部の学者が異議を唱えたがそれもいつのまにか立ち消えてしまった。スパン自身、授業のなかで軽くふれる程度で、新しい職業ぐらいしか認識をもっていなかった。兵士がマイクを使って、叫んでいる。

「ここの商品はすべて、国で管理し、配給制にすることに決定しています。商品を売ること、買うことは禁止されました。政府庁で配給の手続きを行っているので、みなさんはそちらに行ってください。」

スーパーの前は人であふれていた。みんなスパンらと同じ不安を抱き近くのスーパーに様子を見に来たのだろう。みんな一様に心配げな不安げな表情をしている。このままここにいても何も解りそうにも無かった。隊長や軍関係者になにか聞いたところで、政府庁に行くよう言われるだけのようだし、それにスパンより前に隊長や他の兵隊に何か声をかけている人たちは、皆、政府庁へ行くよう言われている。しばらくそんな様子を眺めていた。

「仕方ないよ」

スパンはコニータを連れて政府庁に向かおうとした。

「ここにいてもどうにもなりそうもないし…」

コニータは小さく頷いた。そのとき、一部の人々が暴れた。たぶん西の旅行者だろう。

「なぜ、軍隊がいるんだ。俺は自分の家に帰りたいんだ!」

「政府庁に行けって、そればかりじゃないか。俺はなぜ品物が買えないのか、これからどうなるのか、いまどうなっているのか、それを聞いてんだ」

そんなことを怒鳴っていた。急に国に帰るなといわれても困るだろうし、また、西の人は軍隊がどういう職業なのかという認識がスパンたち東の国の人間よりよく理解しているだろう。

スパンは、いや周りでその騒ぎを眺めていた東の人々は言い表せない不安に襲われていた。

なにかが、おかしい…

そんな不安に耐えられなくなった人たちが、怒鳴っている旅行者の味方をはじめた。

この国の人々は、開拓精神豊かだ。楽天的なものの考えをする。そうでないと過酷な自然と向き合って1000年もの間で繁栄することは不可能であっただろう。精神的な強さは、人々を常に前に押し出す。しかし、今は違った。慣れきった平穏と体験したことのない不安…それが一部の人々を突き動かした。不安は自己防衛本能を呼び覚ます。そして、それは人から人へと伝染し、大きな波となる。

「今すぐこの店の品物を売れ!」

「売れない。指示にしたがえ」

「なんだと!俺たちに命令するのか?!」

両者が衝突し、激しい言い争い、こづきあう。怒声がとび、悲鳴があがる。はじめて人が憎しみ、恐怖、不安、そういうマイナスのエネルギーを爆発させた。スパンははじめて見る光景にただ、呆然と立ち尽くすだけだった。コニータが震えながらスパンの腕にしがみついた。その痛みでスパンは我にかえった。コニータを守るように抱きしめたが、頭の中は真っ白で何も考えることが出来なかった。にわかに心の中に大きな恐怖と不安が広がり、ただ、この争いを呆然と見ているだけだった。

そのとき、「ズン」と鈍い音がした。銃声だ。その場にいた人々は、ほとんどの人はポカンとしている。兵士ともみ合っていた人々が、悲鳴をあげながら逃げだした。あるものは、泣きながらその場にしゃがみこんだ。銃を威嚇発砲した、兵士に詰め寄っている人々もいた。

「ズン」

再び銃声が鳴った。

若い兵士が銃を空に向かって撃った。一瞬ひるんだ人々は、その兵士の腕に飛びつき銃の奪い合いがはじまった。

「何するんだ。」

「俺たちを殺す気か!」

「や、やめてください。」

若い兵士は哀願するように、今にも泣きそうな顔をして、抵抗している。他の兵士も慌てて加わった。兵士も本当は怖いのかもしれない。怒り狂った人々と兵士達のあいだでは、罵声がとびかい、髪をつかんだり、小突いたりとひどい騒動に発展していった。

「ズン」ともう一度銃の音がした。

と、同時に肉のはじくような、つぶされるような変な、嫌な音が、した。兵士に詰め寄っていた人々から言葉にならない悲鳴が上がった。誰かが倒れ、その人を抱きとめて座りこんだ人が血で染まった右手をかかげ、悲鳴をあげている。その場にいた人々はそこに凍りついてしまった。

誰かが撃たれた。

撃たれた人間は力なく、全身の筋肉をだらんとのばしている。抱きとめた人は悲鳴をあげ続けていた。尾を引くような哀しい、哀しい、悲鳴…。

銃は200年ほど前に、西の国から多くの科学文化とともに東の国に持ち込まれた。いままでは危険な野生動物などから我々の身を守るためにのみ使うものだった。今、その銃が同じ人間に向けられ、危険動物と同じように撃ち殺されたのだ。

銃を撃った若い兵士は、その場に銃を握り締めたまま立ち尽くしている。

スパンはコニータにその光景を見せまいと、しっかりと彼女の頭を胸に抱く。コニータもスパンの胸にしがみついたまま眼をきつく閉じている。

隊長らしき兵士が若い兵士から銃をそっと取り上げた。若い兵士の頭を抱き寄せる。その若い兵士は隊長の手をすり抜けるようにその場にへたり込んでしまった。魂の抜けたような表情。たぶん彼は二度と自力では立ち上がれないかもしれない。

人々は、叫ぶことも泣くことも出来なくなった。

隊長がマイクをもって叫んだ。

「われわれの指示に従わないもの・われわれに反抗するものは、一般人・公人の別なく射殺せよとも命令が出ている。すみやかにわれわれの指示にしたがってください。」

誰も何も言わない。人々は、恐怖で顔を引きつらせながら、政府庁へと向かって歩き始めた。


政府庁につくと、配給の手続きのための長蛇の列ができていた。

配給の手続きの列に並びながら、スパンはコニータの肩をやさしく抱き、

「大丈夫、心配ないよ」

と、何度も繰り返していた。コニータは恐怖に青ざめた顔で、それでも必死に微笑を返していた。


厳戒令から、2年近くになる。町は、いや、おそらく世界はあの赤い砂で覆われているだろう。軍隊はいつのまにか消滅していた。政府も機能していない。人間や動物、昆虫、植物…生物はすべて…砂に埋もれたのか、吸収されたのか、わからない。もともと人や町などなく、すべてはスパンが見ている夢なのかもしれない。スパンは最近、ときどきそういう錯覚に陥るときがあった。

今の世界が現実で、眠ると、その夢の中で楽しい時間を過ごし、目覚めるとまた砂の中にいるのだと。ひょっとして、自分は人間だと思っているが、砂の中で生きる生き物であるのかもしれない。何が現実で何が夢で、幻なんだろう。自分が信じているものが世界の全てで、それが現実なのかと問われたら「そうだ」という自信はスパンにはなかった。自分がここにいる不安定な感じにとらわれている。

夢と現実の区別がつかなくなっているのだろうか。どちらが、夢でも現実でもそう大差はないのかもしれない。どんなに夢であって欲しいと願っても、楽しく幸せだった過去は去り、現実は、ひしひしスパンたち、生き残った人間達を追い詰め、そしてまだ見ぬ未来は閉ざされている。

スパンは最近、よく昔を思い出す。そして、スパンは笑ってしまう。軍隊も人もあっという間に、そう、たった2年で消えてしまった。厳戒令も政府の監視も全ては過去のものだ。

厳戒令。

食料、飲料水の配給。

あのとき撃ち殺された人。

撃ち殺してしまった若い兵士。

備蓄されていた飲料水や食料。

奪い合う人々の怒声も。

すべてが消え、いまわずかに生き残った人間ももうすぐ消える運命にある。スパンは時折、ポジティブな考えを持とうと、自分が世界の支配者になったと想定してみる。が、想定したところで、目に映るものは全て赤い砂に覆われている。この世界の支配者は赤い砂なんだ。いや、もともと世界に支配者なんていたのだろうか。

誰の物でもない世界、

誰のものでもない星、

誰のものでもない時間、

誰のものでもない…

この世に誰かのものなんてあるのだろうか。自然も星も、空気も、風も、海も。自然はもともとそこにあり、人が人として生きるまえからそこにあった。それでいいような気がする。力で支配しても、いつか、もっと大きな、人間の全知全能を越えた、大きな力によってリセットされてしまうのだ。世界は、赤い砂が支配者になろうとしている。人はあまりにも大きな力を敵にしてしまったのだろうか。

飲料水や食糧の備蓄庫も赤い砂に覆われてしまい、そこに蓄えられていたいろいろなものはすべて赤い砂と化してしまった。赤い砂に倉庫が覆われるまえに、スパンたちが運び出した飲料水や食料はわずかだった。が、食料が尽きるのが先か、赤い砂に飲まれてしまうのが先か。

スパンにはもう未来は見えなかった…



-5-


「何か食べようか。」

イブが明るい声で聞く。決してお腹がすいているわけではなく、一種のコミュニケーション的なものだ。一緒に食事をする。ただ顔をつき合わせているだけでも、なんとなく相手の考えていることや、体調などをそれとなく見ることができた。スパンも笑顔を作って頷く。

イブが密封ケースから食料を取り出すあいだ、スパンはテーブルの砂を払い落とす。

払っても払っても砂はなくならない。テーブルからはたき落とされた砂は、床に薄く、積もる。昨日より今日、今日より明日、そして、明後日と砂の量は少しづつ増えていく。

密封された食品ケースの蓋をあけ、中からすばやく水とシリアルクッキーの箱を取り出す。どんなにすばやく蓋を開閉しても、一瞬をついて砂は入り込む。

「容器の中にも砂が入ってる…」

イブはそうつぶやいているが、わかりきったことだった。べつにスパンに返事を求めているわけではない。

1日の食料は、総合ビタミン剤、鉄剤、カルシウム剤などのサプリメント。シリアル系の加工食品。ゼリー。2リットルの水。

朝食時に必ずサプリメントを飲む。それから、シリアルクッキーを2枚サラダボールに割り入れ水で浸す。シリアルクッキーは水を吸い込んでドロリとした感じになる。それをそっと、一口一口を時間をかけて少量づつ、用心深く、用心深く、口に運ぶ。からからに乾いた口の中では食事は一種の命がけだ。食品が口の粘膜に貼りついて、最悪の場合呼吸が出来なくなる。乾燥が始まって1年くらいたったころに、のどに食べ物が貼りつき窒息する事故死が多発した。が、食べないとそれもまた、いづれ死へとつながる。

スパンは、お皿にシリアルクッキーを割りいれ、その上から粉ミルクをかけ、水をそそぐ。正直食欲はない。唾液もほとんどでない。汗も、尿も、身体から水分をだすことは、あまりない。体の具合も悪く、皮膚も黄色くなっている。たぶん“病気”と呼ばれる状態なのだろう。そんな状態でも、まだ生きている。

命は不思議だ。こんなことで?と思うことで死んでしまうこともあれば、こんな状態でも生きている。生きる人と死ぬ人の違いはなんだろう。とっても不思議だ。運命なのか宿命なのか。それとも生態的に、なにかが違うのか。

スパンは最近とくにこんなことを考えては、歴史学より生物学を専攻しておけばよかったと思うことがあった。命の深さ、不思議さは人間の脳では理解することができない、触れてはいけない世界なのかもしれない。

食料はあと2季節くらいはなんとかやっていけるだろう。スパンたちの命はあと2季節か。いやそれより先に砂になってしまうか、それとも他の原因で死んでしまうか。

どっちでもいい、どっちでもいい、どっちでも…スパンはときおりなげやりになる。


食料の中に、フルーツの缶詰がある。中には今では手に入れることができない果物がシロップ漬けになっている。ラズベリージャムのビンもある。これを手に入れたとき、大事そうにしまいこむイブにスパンは言った。

「元気で生きているうちに食べないか」

「最後の日まで、食べない」

「最後なんて、いつかわからないのに?」

「そうよ。だから食べないのよ」

「じゃ、こうしよう。味がわかるうちに食べよう」

「スパンはよっぽど食べたいのね」

「いや、別にそういうわけじゃ…」

イブはおかしそうに笑う。

「最後の日までは、絶対に、食べないの」

と念を押す。

「よくわからないなぁ」

「これを食べるまでは死ねない。そう思ったら根性でがんばるでしょ。」

「根性で生きられるのか?」

「そうよ。人間、その気になればなんとかなるんだから。だからスパン、最後は、まだまだ先よ。」

最後がいつかなんで誰にもわからないのに、イブはまだ生きていたいと望んでいる。それも根性で。でもとスパンは思う。“最後”はそんなに先ではない。明日なんて、わからない。

いま、この地域の住人は全部で10人。多分最後の東の国の住人。スパンたち10人はこの町の中で、よりそいながら、それでいてなるべく顔を合わさないようにして、ひっそりと生きている。人は、助け合って生きるのが普通かなっ…て思うが、ここは普通ではない。助け合えば会うほど、支えあえばあうほど、その後に起きることが怖くてしかたがない。正気を保つことでさえ苦痛となる。スパンたちはすでに絶望し、生きる気力を失っていた。

スパンたちは必然的に、必要なとき以外は顔を合わさないようになっていった。

まだ、人が沢山いたころ、人々は備蓄庫を襲ったことがあった。

“軍隊が水を自分たちで好きなだけ飲んでいる。”

“配給をごまかしている。”

ほんとうか嘘かわからない噂が広がった。そして、いく人かの人々が備蓄庫を襲ったのだ。激しい争いだった。どこから手に入れたのか、銃などの武器を持ち、殺し殺されていった。

その軍隊も、反乱する人々ももういない。

数日前に、スパンはみんなを呼び集めた。気にしないように努めているが、やはり気がかりだった。最後に食料を備蓄庫に運び出しに行ったとき、17人いた。そして今は10人になっていた。消えた7人については、誰もなにも言わない。最初からいなかった。そう、気づいていない振りをする。そうしないとスパンたちは崩れてしまうだろう。

そのときアヤが、言葉を選びながら提案をした。

「空き家に残っている7人分の物資ををみんなで分けない?」

水や食料は貴重だ。もらえるならもらっておくほうがいい。集まったみんなは、視線を合わさないよう目をそらした。

残り10人。

自分たちは、食料がなくなるまで、あとどれくらい生きていけるのだろうか。結局、空き家の7人分の食料には誰も手をつけなかった。



この地域以外に人がいるのかどうかわからない。このサマーズには1季節ほどは新しい人間はやってきていない。

1季節前、イブとヨダがこの町にやってきた。ぼろぼろになって、砂と血にまみれた二人は、丸二日眠った。そして、2日目にイブは目覚め、ヨダは永遠の眠りについた。

ヨダとイブになにがあったのか、イブは話さなかった、また、スパンたちも聞きだすことはしなかった。ただ、『トーソンから来た』とだけイブはいった。旅の途中で食料も水も底をつき、やっとの思いでこのサマーズに辿りついたという。ヨダは怪我をしていた。怪我をしたヨダを引きずるようにして、イブはここに辿りついた。ヨダは背中をぱっくりと刃物で切られ、その傷口に赤い砂がたくさん付着していた。赤い砂は、ヨダの血を吸ってか、目にも鮮やかな、赤さを放っていた。

ヨダは安らかな表情を浮かべ眠るように死んだ。他のみんなと違って、ヨダは砂にはならなかった。恐怖や、苦しみや、いろいろなものから解放された人間は、こんな顔をするのだろうか。

スパンたちは、忘れかけていた“やすらぎ”という気持ちを思い出した。自分たちがやすらぎを感じたのは、どれくらい前だろうか。サマーズにいた誰もがそう思っただろう。それほどヨダの表情は“やすらぎ”と“安堵感”にあふれ、笑っているようにさえ見えた。スパンたちは忘れていたことを思い出し、そして思い知らされた。

生き物は死んでも赤い砂にはならない。

こうしてその屍を残し、“己は確かに存在している”のだということを誇示する。

「あのまま、砂に飲まれて、死を待つより、少しでもどこかへ行きたかった。どこへ行けばいいかわからなかったから、沈む太陽を追いかけてきたの」

イブは、ヨダを赤い砂が混じった地に埋葬したときに、言った。

枯れつつある草を供え、水をかけ、その冥福を祈った。

あまりにも沢山の人が、沢山の生きとし生ける命が赤い砂になって消えてしまった。


まるで その存在が 最初から なかったみたいに


コニータ…きみは本当に存在していたの…?


コニータ…

きみのやわらかい肌も、華奢な指も、オレンジ色の髪の感触も…

正直いうとあまり思い出せない。

君がどんな顔をして笑ったのか。

君がどんな顔をして泣いたのか。

君が、君がどんな声で話したのか。

みんな、みんな遠い、霞みの向こう側だ…


イブはそのまま、なんとなく、スパンの家に住み着いた。

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