第2話  砂

-1-


サラサラ…・

サラサラ…・

心地よい眠りの中に、乾いた砂の音が偲びこんでくる

サラサラ…・

サラサラ…・


夢を見ていた。

その中で、スパンは妻のコニータとリゾートビーチにきていた。ビーチベットで寝そべって本を読んでいるスパンを、遠くからコニータが、呼ぶ。

「…ン」

「…スパン」

スパンは、その声に本から顔をあげ、軽く手をあげて合図をしてみせる。コニータの伸びやかな肢体が夏の太陽を浴びて、きらきらと輝く。コニータは手を振りながら近づいてくる。まぶしい光のなか、たった今、海の泡から生まれた妖精のようだ。オレンジに近い、長く赤い髪を日の光がキラキラと飾りつける。毛先が、くるくると巻いている様は本当に可愛い。コニータは、「くせっ毛は、もつれるからイヤ」と気にしているが、そのくせっ毛も、スパンは、愛している。

「泳ぎましょうよ」

「ん?本を読んでるから」

「ほら。波がスパンを呼んでるわ」

そういって、スパンの本を取り上げる。困ったように見上げるスパン。笑っているコニータ。コニータはスパンのそばでいつも笑っている。コニータが笑っていてくれるなら、スパンは、どんなことでもできた。

ずっと、ずっと、この時間が続けばいいのに。

ずっと、永遠にこの時間が続くと信じていた。

サラサラと音がする。

コニータの笑顔を見つめているスパンの耳元で、乾いた砂の音がする。




スパン…スパン…

「スパン!」

どこかで、スパンの名を呼ぶ声がする。

浅く、深い眠りから、意識が呼び戻される。

「スパン…砂が、」

イブの声がした。

「…砂…?」

スパンはかったるい体をずり起こした。スパンの乾燥した体の上にうっすらと積もっている、砂が、サラサラと乾いた音を立てて床に散らばった。

ザラッとする嫌な感触。イブの悲しい声が、する。

「スパン。昨日よりずっと近くに砂が…ほら。昨日まであった木がなくなってる。」

スパンは、ようやくベッドから起き上がる。ザラ…ザラ…床にちらばる砂を踏みしめる音。足の裏から伝わる、嫌な感触。そして、懐かしい感触。サマーズのリゾートビーチにいる感覚がよみがえってくる。コニータ…もういちど君に会いたい…。

スパンは赤い砂を踏みながら、

『そうだ、サマーズのビーチの砂は、白かったな。』

と漠然と思う。『こんな、血のような赤じゃない。』

スパンはイブに寄り添うように窓の前に立つ。イブはカーテンの端を強く握りしめ、窓の外を睨みつけている。

窓には隙間から砂の侵入を防ぐために強力な粘着テープを貼っているが、どこからともなく砂は家の中に侵入してくる。窓の外…ついこの前まで…サマーズのビーチに続く公園があったあたりに、スパンは目を凝らす。


少し高台のその家の窓から見える景色は、歩いて30分ほどの距離があるサマーズの海のきらめきまで見える。時折、白い波が立ち、海鳥が舞う。

窓のすぐ外に目をやると、コニータが丹念に手入れした小さな花壇には、いつも薄いピンク色の花が風に揺れている。その庭から、通りに目をやると、カラフルな大小のパラソルを広げた露店がサマーズの海岸近くにある公園の入り口まで続いている。露天を冷やかす客や、商品を見ながら値切っている客がいる。店の人も客も楽しそうに笑っている。露店のパラソルの影になっているが、公園の入り口には噴水があり、水が高く吹き上げられると、子供たちの歓声とともに、パラソルの上にパラパラと水滴を降り注ぐ。時折、虹がかかる。噴水の向こうはビーチに続く道があり、沿道には赤、紫、黄色、オレンジ、ピンク、様々な色彩に溢れた花が咲き、虫たちが忙しそうに羽音をたててその間を飛び回っている。その先は公園になっている。背の高い木や低い木がいりまじり、海の青さと、濃い緑のコントラスは目を楽しませてくれる。空は、抜けるように蒼く、蒼く。

一瞬、スパンの瞳に、窓の外の景色が昔見た風景に見えた。まだ、夢の中にいるのかもしれない。

再び目を凝らす。


少し高台のその家の窓から見える景色は、歩いて30分ほどの距離があるサマーズの海は乾いた赤い砂で覆われている。赤い砂が太陽の光にきらめいている。時々強く吹く風が赤い砂を吹き飛ばす。

窓のすぐ外に目をやると、コニータが丹念に手入れした小さな花壇は枯れ果て赤い砂が積もっている。いつも薄いピンクいろの花が風に揺れていたが、今は茶色の固い茎が、(昔はここに私は咲いていたんだ)と告げている。その庭から、通りに目をやると、風になぎ倒され、破けて色褪せたカラフルな大小のパラソルを広げた露店の残骸が続いている。大小のパラソルや露店露天を冷やかす客や、商品を見ていたはずの人々は幻のように消えている。以前はパラソルでさえぎられていた噴水は、水を噴き上げることは無い。虹を掲げることもない。子供たちの歓声も人々のざわめきの変わりに、淋しい風の音だけがスパンの耳に聞こえる。噴水の向こうはビーチに続く道があり、沿道には赤、紫、黄色、オレンジ、ピンク、様々な色彩に溢れた花は姿を消し、虫たちの姿も消えて久しい。そのビーチに続く道は荒れ果て、その先は公園の背の高い木や低い木は、もう枯れ枝だけを広げている。どこまでも続く赤い砂。空は風に舞う砂のせいか赤茶けて見える。最後に青い空を見たのはいつだっただろう。

すべてが、真っ赤な砂に埋もれようとしている。じきにこのあたりも砂に埋もれてしまうだろう。

青く澄んだ水も、藍々と茂っていた木々も、飲み込まれたのか、吸収されたのか、赤い砂はすべてを、そのサラサラとした体の中に飲み尽くそうとしている。

最近では最初から何も無かったのかもしれないと、現実と幻の境にで想い出たちは彷徨っていた。


「3年…か」

ぼんやりとした視線でスパンがつぶやく。イブの手がスパンの手をそっと握る。

「私、昨日のことのように覚えてるわ。」

そうつぶやくと、まつげを震わせた。スパンもイブの手を握り返す。互いに弱々しく、でもしっかりと握る。離れてしまうとそのまま2度とその手を掴むことができないようなそんな不安が互いの手のひらに伝わった。

「あれは、突然現れたわ。」

「…」

「ほんとうに、突然に…」

イブは暗い目をして窓の外を眺めていた。




-2-


始まりは3年前。

マリアスの1年は3つの月に分けられる。

風の月・氷の月・火の月。

1つの月は、平均して42日間ある。

風の月は、強い風が吹きまとまった雨が降る。大地を潤した水は地中深く流れ込む。

氷の月、地中深くに溜まった水は凍りつき地中に閉じ込められる。

火の月、地中の氷は溶け、惑星全体が生命に溢れる。緑は茂り、果物を豊富に実らせ、動物たちは食料と水にありつく。そして、気温は一気に上がり、この惑星が太陽に一番近くなる季節。ほとんどの人々が、仕事も学校も休みにしてビーチで過ごす。


月は巡る。

日々は巡る。

暮らしは巡る

命は、巡る。


スパンの仕事は、学校で「マリアス創生歴史学」を教えている教師だ。

この惑星『マリアス』に人類が現れたのは、およそ1000年前。マリアスは他の惑星からスパンたちの先祖が移住し開拓した惑星だ。人間は誕生しておらず、植物と原生動物しか存在していない未開の惑星だった。何万年後には人間が出現したかもしれなかったが、そのマリアスの歴史を教えている。


惑星マリアスには東の国と西の国という二つの国がある。スパンが住む東の国と西の国は同じ種族でありながら、その歴史は大きく違った。

西の国は、科学技術の進歩を中心に日々のサイクルが出来ている。政府のあり方、社会機構のあり方、人の暮らしのあり方まで全てコンピューターで管理され、1分、1秒も無駄なく研究、開発に費やしていた。

東の国は、現在でこそ西の国と同様の技術をもっているが、200年ほど前までは自然と共存する生活を送っていた。自治体のあり方、しくみ、人の暮らし全てが自然から得る知恵とともに進化していった。


人類は外―宇宙(そら)―から降り立った。

この冒頭で始まる「東の地平創生話」という創世当時の歴史をつづった書物がある。


東の地平創生話 (原文)

私たちの飛行船はようやくこの惑星マリアスの周回軌道に乗った。惑星の大気や地表の状況などを調べた後、惑星を見渡すことのできる山の頂に飛行船を着陸させた。

私たち10名は二組家族だ。

私の名はリー。夫の名はスパン。長男・ゼリー17歳、次男・モー15歳、長女・ルイ13歳

もう1組の家族はマーリス、妻の名をイブ。長男・ダン13歳、長女・ミント13歳、次女・マム13歳

私たちが地表に降り立った時、東の地表には、もう夜の闇がせまっていた。大きな樹海があるのか、黒々としたその影が広がっている。南の地表には、広大な海がひろがっている。その海は西に沈もうとする太陽の、今日の最後の光を受け、キラキラと光っている。が、そこまで続く大地には、黒々とした渓谷がその深い裂けめをひろげ、すべてを飲み込むかのようにのびている。

北は山々が連なっている。険しい山々が我が一番というようにそびえているが、夜の闇につつまれ、もうその残影は星の輝きを抱いている。西の地表には、いままさに沈もうとしている濃厚なオレンジ色の太陽があった。広い草原と、森、大きく水をたたえた湖とそれにつらなる川。沈み行く太陽、その風景はこの惑星をユートピアとして我々の眼には映った。私たちが母星を旅立ってからずいぶんの歳月を宇宙船の中で過ごした。私たちには帰る故郷(ところ)は、もうない。私たちはここに新しい故郷をを築くために降り立ち、その喜びに沸き立っていた。

長い間の飛行船の中での暮らし。

“生きる”という使命。やっと、その場所をみつけ、明日への希望がわいてきた。

(中略)マーリスが狂かしくなってしまった。マーリスは、スパンを殺し、イブを殺そうとした。その後には子供たち、私もその手にかけてしまうのだろう。私は子供たちを守りたかった。明日の探査の準備をはじめていた地上車に身近にいた子供たちを押し込むと東に向かった。夜の闇が私たちの姿を消してくれるように、と祈りながら。

一方イブは、夫マーリスの狂気から逃れるために西へと逃げ出した。あの、わずかな沈み行く太陽の明かりに希望を託して。

そして、東の地平と西の地平でそれぞれの暮らすべきところを見つけたのだ。



以上が、「東の地平創生話」の最初の部分だ。「東の地平創生話」ではその後の暮らしぶりなどこの1000年の歴史が書き記されている。東の国の創始者・リーが最初に書き記した記録である。スパンは授業の中で、このくだりを説明するのが一番好きだった。初めて他の惑星から飛来した祖先は、この惑星での記念すべき第一歩をしるした。その部分を子供たちに、説明しながらスパン自身がこのときにことを思い浮べ、興奮する。つい授業にも熱が入ってしまうのだった。

スパンの持論は、こうだ。『リーは夫スパンをマーリスに殺され、身の危険を感じた。そして、そばにいた3人の子供を連れ惑星探査用の車に飛び乗り東を目指した。どれくらい樹海の中をさまよったのだろう。樹海を抜け海の側に住居をかまえ、自給自足の暮らしをはじめた。子供たちは子孫を増やし今の東の国を創ったとされている。ただ、リーの気がかりは、イブとその子供たちだった。リーが連れ出した3人の子供は、リーの息子のゼリーとモー。そして、イブの子供ミントだった。末娘のルイを連れ出せなかったことに、リーは気も狂わんばかりだっただろう。そして、創生話にあの一説を付け加えた。

“一方イブは、夫マーリスの狂気から逃れるために西へと逃げ出した。あの、わずかな沈み行く太陽の明かりに希望を託して。そして、東の地平と西の地平でそれぞれの暮らすべきところを見つけたのだ。”

これは、リーの希望、切なる望み。リーはマーリスの魔の手から、いち早く逃げ出した。その後のことは、何も知りようがなかった。これは、リーの孫になる、リトルルイが記している。

「リーおばあさまは、末娘のルイがイブに助けられて、西の国できっと幸せに暮らしていると信じている。」


創生話には、今から200年前の西の国の人間とのはじめての出会いも記されている。

西の国の人間との国交が始まったときの記述を読むたび、その興奮と戸惑いが伝わってくる。

200年前、両方の国の人々は出会った。

西の国の人間は、ある日、ふいに海からやってきた。

東の国の人々は驚いた。彼らは、東の国の住人と同じ言語で話した。人々がリーの創世話が事実であることを確信した瞬間だった。

『西に自分たちと同種族がいるのでは』という漠然とした思いはあったが、突然目の前にその人々が現れたのだ。それまで原始の暮らしをしていた東の国の人々に、文明の嵐が吹き荒れた。

同じ創生の歴史を持ちながらあまりにもその進む道、進歩の度合いは違った。

思想も、生活習慣も、なにもかも。東の国は自然と共存共栄で生活していた。

日々の暮らしで特に人々が好み愛したものに、絵や彫刻、詩がある。

東の国では、西の国の科学が浸透し、また、西の国には、東の国の芸術が浸透していった。それからの200年はめまぐるしいものがあった。人々の生活はガラリと変わったのだ。思想も、考え方も、社会の仕組みも。人々の心も。世界が変わった。


そしていまスパンがいる時代。

200年という時間のなかで、両国は刺激しあい、助け合い、そして競い合った。それは良い面も悪い面も生み出した。多少の摩擦はあったとしても総合的に見て、とてもいい関係を築いた。』


スパンはこのサマーズで生まれ育った。

この街で「マリアス創生歴史学」の教師の職を得、コニータと出会った。大切な人と暮らし、好きな仕事をし、スパンは幸せだった。


愛している人がいる。

守りたいものがある。

楽しい時間がある。


人々はそれぞれの心で、それぞれの幸せを感じていた。

3年前まで、東西の一般の人々はそう思っていた。


そして、誰も想像したこともない出来事が起きた。



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