Blood harena(ブラッドアリーナ)

painyrain

第1話 ■プロローグ

「…んっ?」

ララ博士は目を落としていた資料から、顔をあげた。軽い地鳴りがして、机の上のフラスコやビーカーがかすかに震えて、カチャカチャ鳴った。

「ここのところ、多いな」

ララ博士は、研究塔の最上階の部屋にいる。

この研究室の入っているビルは、地上5階建て、地下2階の構造となっており、地下2階はLタイプ・エレベーターの搭乗ホールとなっており、そこからさらに地下層へと続いている。地下は何層まであるのかいまだに増殖し続けている構造物である。地下2階のホールは円形になっており、並んだ4基のエレベーターと周辺には待合所、売店、カフェなどが並んでいる。Lタイプ・エレベーターはそこからさらに地下へ十数キロ伸びている。Lタイプ・エレベーターの到着する先には、アリの巣のように、各階に枝分かれした部屋には様々な研究設備が入っている。そしてLタイプ・エレベーターの到着する最終地点には、巨大なドームがあり大型の実験室となっている。

その実験室での爆破試験が佳境にはいっているのか、ここのところ頻繁にビル自体が、かすかだが揺れるほどの衝撃があった。

テーブルのコーヒーカップの中の液体が、ぷるぷると震えている。ララ博士はカップをとると一口すすった。コーヒーはすっかり冷めている。仕事をしながらコーヒーを飲むといつもこうだ。彼はは温かいコーヒーを入れなおそうかとちょっと迷ったが、立ち上がるのはなんとなくめんどうだった。再び読みかけの資料に目を落とした。

かすかな、地鳴りと揺れを感じながら、ララ博士はいつのまにか資料に読みふけっていった。

〈瞬間〉

突き上げるような大きな衝撃が走った。ララ博士は、椅子から投げ出され、床に叩きつけられる。あまりに不意打ちであったため、身体を支えることもできずに右肩を強く打ちつけてしまった。そのララ博士の上に、机の資料がなだれのように落ちてきた。

棚の本や書類はばらばらと音をたてて床に落ち机の上のフラスコやビーカーも床に割れて散乱している。中の薬液があちらこちらに飛び散っていった。ララ博士は飛び散るガラス片や液体をスローモーションのように眺めながら、「やっかいなものでなくてよかった」とおもった。危険(やっかい)なものは全て地下で、研究されていた。衝撃はすぐに収まったが、部屋は散々たる状況だ。ララ博士はようやく立ち上がると、読みかけの資料を拾い上げた。コーヒーがこぼれてベトベトになっている。痛めた肩をかばいながら、白衣の裾で書類のコーヒーを拭った。

「やれ、やれ。まいったなぁ」

少し離れていたところに座っていたはずの助手が、博士の声に答えるように机の下から顔をだした。

「ララ博士、大丈夫ですか。」

「ああ。大丈夫だ。君も怪我はないかい」

「はい。大丈夫です。あー。書類が…」

助手は自分の机の上の書類をつまみ上げた。実験中の試液とフラスコの破片でぐしゃぐしゃになっている。

「今の大きかったですね。地下でなにか事故でもあったのでしょうか?」

助手は不安そうに言った。

ララ博士はちょっと考えた。ふと、クルー博士の丸い顔に似合わない鋭い目を思い出した。

「悪いが、ちょっと片付けておいてくれるか?」

「はい…?」

「地下の実験の様子をみてくる。」

「わかりました。」

ララ博士は、軽く白衣の汚れを払うと歩き出した。その後ろ姿に助手が声をかけた。

「お気をつけて」


クルー博士は爆薬の研究をしている。背が高く、身体の幅も広い。

かなりの大男だったが、がっちりというより、ぽっちゃりというタイプだった。その体躯に似合わない真っ白な長い髪と鋭い目が特徴だ。その目が物語るように気難しく少々波のある性格ではあったが、打ち解けるとなかなかの好人物だった。

「今、声をかけるときっと不機嫌だろうなぁ。」とララ博士は考えた。クルー博士の片方の眉を持ち上げる仕草を思い浮かべ、気後れしたが、さきほどの大きすぎる揺れへの、不安な気持ちのほうが強かった。


Lタイプ・エレベーターホールは先ほどの衝撃で混乱していた。地下へのエレベーターは動いてはいるが、使用を制限されている。最下層で警報がなり、そのため警備省の人間や、負傷者がいるのか救急部門の人間も来ていた。

ララ博士は、人でごったがえしているホールの中で、さて、どうしたものかとしばし途方にくれた。ぐるりっと周りを見回し、喧騒のなかにクルー博士を見つけた。混乱している人たちを押しのけクルー博士に声をかけた。博士は警備省の人間となにか緊迫した様子で話をしていたがララ博士に声を掛けられろと、左の眉をちょっと上げた。

「クルー博士どうしたんだね。さっきの揺れは?」

「ララ博士。いや、詳しいことはわからない」

不安な気持ちに、いらただしい感情がまざっている表情で、ちらっとLタイプ・エレベーターに目をやる。

「実験場は?」

「助手のラピット君に任せてある。」

「地下におりるのかね」

「ああ」

「では、私も」

エレベーターはなかなかあがってこない。4基のうち3基が止まっていた。

「私は打ち合わせがあったので2階の会議室にいたんだが…企画経営部の企画委員から呼び出されたんだよ。実験は今が佳境なのに、まったく。彼らは一刻もはやく結果を求める。そのために必要な実験を中途半端にすることも当たり前だとおもっている。」

「ああ、まったくだ。」

「くだらん話ばかり、それも同じ内容の繰り返しだ。あげくに、これ以上時間がかかるなら予算を削ると言い出す始末だ。」

「彼らにとっては、それが仕事だ…とはいえ、無駄に時間を費やす我々の気持ちにもなってほしいよ」

「きみは、あいかわらず穏健派だね」

ちくりと嫌味をこめた感情で言われ、「はは」とララ博士は、乾いた笑いをし、あごをさすった。

「私が会議で抜けるからといって、いま実験を休止するわけもいかないのでね、ラピット君に頼んできたのだが…あの揺れ異常だ」クルー博士はぴりぴりした表情で言った。

「新型の実験だっけ?」

「ああ。これが成功すればこれからの研究にぐんと加速がつく。」

「ラピット君は優秀だ。心配ない。大丈夫だ。」

クルー博士は、また、左眉を挙げた。

二人とも同じことを考えていた。

いままでにないひどい衝撃だった。下手をすると地下研究所は跡形もなく消えている可能性だって否定できない。

ララ博士は、『大丈夫』と根拠のないことを言ったことを後悔していた。が、それ以外にいま言える言葉が思いつかなかっただけだった。

やっとエレベータが到着したが、乗り込むエレベーターには救助隊や警備省の人間でいっぱいになっていた。なんとかクルー博士は乗り込めたが、ララ博士は次のエレベーターに乗るしかなかった。

閉まるドアの向こうに消えるクルー博士の顔を見て、急にララ博士は言いようのない不安が心一杯に広がるのを感じた。

次のエレベーターはなかなか戻ってこなかった。その間にホールは、ますます人が集まり異常なほどにごったがえしていった。やっと戻ってきたエレベーターにララ博士は無理に乗り込んだが、最下層の実験ドームに行き着くことはできなかった。途中でエレベーターは停止し、しかたなく、螺旋通路を降りることになった。ウィルス研究層に入る手前で通路に人が溢れていた。警備省の人間がここより先には入れないことを告げている。

ララ博士は混雑する人を押しのけ前にでた。

「いったなにがあったんだね。」

警備省の人間はララ博士のIDカードを一瞥すると、

「ララ博士申し訳ありませんが、ドームの実験による地震で、ウィルス研究所に被害が出ました。安全が確認できるまでここから先には誰も通すなという命令です。」

「さきほどクルー博士が通ったはずなんだが、

「いえ、私が警備を任されてからはどなたも通っていません。」

「私がここに到着する、その前のエレベーターに乗っていたはずなんだが…」

「つい先ほど、エレベーターの休止命令がでましたので、先に降りられた方々は、最下層までいかれたんではないかと思われます。おそらく、ドームで待機されていると思いますが。」

堅苦しい話し方をする警備省の兵士だった。そのとき、通路の奥から、よろめくように人が現れた。

ウィルス研究所の研究員だった。研究員は皆がひしめき合っている場所から、ある一定の距離をとると立ち止まった。顔に、なにかの傷がある。

「おい!警備省いるか!」

乱暴な口の効き方をする。

「はい!」

「非常事態だ。電話ブッコワレチマッテラァ。ハハハッ!」

なにが可笑しいのか、その人物は急に笑いだした。笑いながら、

「いますぐここの隔壁をしめろ。そして誰一人この通路を通すな。 トウシヤガレ! だめだ。いいな。 ナニガイインダ。コノヤロウ。 うるさい。 ヒャハッハハハ。キレテヤガル。 この階層より下の人間は、誰一人通すな。通るものがいたら、射殺しろ。いいか殺せ。一人残らず。エレベーターも、通路も誰一人ここを通すな。コローセ、コーロセ」

「どうしたんだ!君。」

「誰だ!」

「私は、ララという。植物の研究をしているものた。」

「ララ…博士か? ラララ~ラ♪ッテカァ!」

「なっ?!君は誰だ?」

研究員は肩で息をして苦しそうに身体をよじった。

「大丈夫かね?」

「ああ。大丈夫だ。俺は…俺は…」

また、苦しそうに身体をよじる。

「俺は…誰だ? イヤ~ネェ、オレハアタシヨ♪」

研究員は途方にくれたような表情になった。

「そんなことはどうでもいい。早く知らせないと。そうだ。そうだった。」

研究員は一人で会話をしている。

「みんな、よく聞け。いますぐここを閉鎖して、ここから去れ。そして誰も近づけるな。地震のせいで全てが…いや、そうじゃない。そうじゃない。こんなものだとは知らなかった。いや、この惑星の大気のせいかもしれない。原因はなんだ? シラネーヨ。テメエニキキナ しらん。そんなことを俺にきくな。こんなことになるとは思ってなかった。ヘーソウ。ホントニ? 知ら…なかったんだ」

研究員は、はっとしたように顔をあげた。顔の傷がズルリと動いた。

「君…その傷は…」

「通路の隔壁を閉めろ。エレベーターも封鎖だ。」

「エレベーターはもう止まっている。それより、その傷…」

「そうか。それなら、よかった。ずっと。…ずっと、永久に、この階より下は封鎖しろ。いいか絶対だ。イヤ、タスケテクレ。ダメダ。 うるさい!だめだ!。こいつを外にだすな。

「どうしたんだ。」

「どうした?どうしたんだ。俺は、あ、そうだ!実験中のウィルスが漏れたんだ。もう中の人間は1人のこらず死んだ。いや、死んだようなもんだ。死んだのか? オメエガコロシタンジャネエカ。 違う、自殺だ。 チゲーヨ。オマエガ、ヤッタンダヨ 違う。俺じゃない。俺は…知らない」

研究員は考え込みながら、ぶつぶつとつぶやきだした。

驚いたように顔をあげると。

「空気感染の心配はない。が、感染した人間には一切触れてはいけない。すぐに隔壁をしめろ。」

「詳しく説明してくれ。その傷と関係があるのか?その傷が今動いたように見えたが…」

研究員は左右に頭を振った。傷がまたズルリと動いた。

「こいつは、傷ではない。もう時間が無い。この隔壁をしめてくれ。もしこいつが、そっちへ抜けたら… ヘー、オレガヌケタラ?ドウダッテンダヨ。みんなおしまいだ。 アア、オシマイサ」

研究員は泣き出した。泣きながら、手を伸ばした。

「銃を、投げてくれ」

「え?」

「銃だ。投げろ」

「は、はい」

銃をもった警備省の中年の兵士がおそるおそる、研究員に銃をさしだしながら研究員に近づいた。

「ばか、来るな」

兵士はびっくりしたように立ち止まったが、すでに研究員の前に立っていた。

「ばか!なぜ入ってきた」

「いや、しかし…」

兵士は研究員の顔を見て、青ざめた。

言葉がでないのか、くちをぱくぱくさせている。研究員の顔の傷が広がり、兵士の顔に張り付いた。兵士は取り除こうと暴れた。手に持っていた銃で兵士はその傷のようなものを撃った。銃弾はそれを貫通し兵士の顔も貫通した。研究員はその場に倒れた兵士の手から銃を奪い取ると、自分の顔に向けた。

倒れた兵士の顔からズルリと傷が動き、研究員の足から腰へ…と這い登りだした。研究員は悲しげな顔をして笑うと、ララ博士を見据えて、ささやくように言った。

「早く、閉めろ」

ララ博士は、おもわず中へ踏み込もうとした。研究員はなんの迷いもなく、ララ博士に向かって銃を発砲した。弾丸はそれたが、ララ博士は驚いたはずみに、そのまま床に尻餅をついてしまった。

「死んだ人間は幸せなんだ。すまない。すまない。これしか方法はないんだ。はやく、隔壁をしめろ。そうしないと、俺は、そっちへ逃げ出したくなる。たのむ。早く。」

他の兵士が隔壁を閉めるボタンを押した。鈍い音をたてて、隔壁が下り始めた。ララ博士は床に尻もちをついたまま研究員をみつめていた。ゆっくりおりる隔壁の向こうで、研究員はララ博士を見て、ほんの一瞬だが、顔をゆがませた。それは笑っているようにも、泣いているようにも、苦しんでいるようにも見えた。研究員は震える手で銃を自分の顔に向けた。鈍い音とともに床に血が飛び散り研究員の身体はゆっくりと床に崩れ落ちた。

隔壁が重い音をたてて閉まった。

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