6.Professionals.

「……いい加減にしてくれませんか。一体何なんです?」

よく見かけるチェーンストアのカフェの一角で、その青年は腹立たし気に言った。

普通の社会人なら、仕事を終えて食事に行くか、飲みに行くか、まっすぐ帰宅するような時間帯、向かいに腰掛けた人物は、今が始業時間と言わんばかりの熱意に溢れていた。その見開かれた両眼は、こちらの疑わし気な表情に対し、得体の知れない真剣さを突き付ける。どちらも二十代前半の若者、飾らないシンプルな装いもよく似ていたが、顔つきは対照的だった。真剣な目の青年は、いよいよ胡散臭そうに眉を寄せた青年に向けて、少しも怖気づくことなく言葉を続けた。

「ですから、貴方のお姉さんがテロリストの活動に巻き込まれているんです。早く見つけないと、ひどい事になるかもしれないんです!」

「何度も言っていますが、僕に姉は居ません」

首を振って目を落とすのは、眼前の青年が手元に置いた警察手帳だ。

こんな問答に時間を割く他ないのも、皆この手帳の所為だ。偽物も疑ったが、そんなこと確かめようもない。

終業後、オフィスから出たところを捕まった点や、誰にも口外せずにいる姉の話を持ち込んできた辺りは本物の気配がするが、七年前に行方不明になった姉がテロリストになっているなど、話が突飛すぎた。相手があまりにも必死だから話を聞いたが、その内容は要領を得ず、捜査本部が立っているわけでもないという。

この話も“ある情報網”からのタレコミだと言うし、何故この警官が単独で捜査しているのかもはっきりしない。嘘にしては具体性に欠けていて、真実にしては曖昧過ぎる。金の話や新興宗教の話にかすりでもしたら席を立とうと決め、亀井かめい 勝巳かつみは改めて小場こばと名乗った同世代の男を仰いだ。

彼はこちらの気を知ってか知らずか、周囲をはばかりつつも熱弁を振るい続けた。多分、本気で言っているのだろう。

知っている正義を正義と疑わない、苦手なタイプだ。

「小場さんは、姉がどんな人間かご存じなんですか」

居ないと言うのも面倒になってきて尋ねると、小場はきょとんとして首を振った。

「え、っと……お写真は拝見しましたが、お人柄までは……」

「それならどうして、姉がテロリストに関わると思うんです?」

「いえ、まだお若い彼女に、テロに関わる動悸があるとは思えません。悪い連中にそそのかされているか、脅されているのだと思います」

実直な回答に、勝巳はあざける様な溜息を吐いた。

「姉は、そんな事に参加できるような人じゃないんですがね」

これまでにない強い口調だった。不意の変化に、警官は息を呑んで押し黙る。

「あの人は、他の人の言う事なんか聞きません。誰もあの人の言う事を聞かなかったんですからね……コンプレックスの塊だったんだ。励ましも慰めも否定して、殻にこもってた人が集団行動なんかできるわけがない。周囲に憤ってたのは間違いないけど、一番憎んでたろう親父も母ちゃんも死んだ今、誰を狙おうってんだよ?」

「そ、それは……しかし……」

「仮に、貴方が言う事が本当だとして、俺には何もできませんよ。俺はあの人に何も言えなかったし、あの人だって、居なくなる前に何も言わなかった。ガキに言っても無駄だと思ったんだか、わかんねーけどさ……!」

消えゆく語尾を振り払う様に、勝巳はどんと背もたれに身を預けた。小場は何も言えずに、その顔色を窺う様に見つめた。

「勝巳さんは……お姉さんを助けたいとは――……」

「……だったら、七年前にやらなきゃ意味ないだろ!」

微かに荒く響いた声に、数名の客とスタッフが振り向くが、声を掛ける者は居ない。

「警察も警察だ。あんたに言ったって意味ないだろうけどな、親による虐待には手出しできない、学校のイジメは学校で解決しろって出来ない文句を並べた挙句、仕事の範疇の捜索は成果ゼロ! 笑わせんな……! 女子高生一人捜せやしない無能の集まりが何を今さら『助ける』って? 何も知らない癖に、イイ子ぶってんじゃねえよ!」

言いたいことを吐き出したが為か、勝巳は勢いのまま椅子を立つと、上着をひったくるようにして店を出て行ってしまった。

後に残された小場は、その背を目で追うしかない。

カフェ特有の穏やかなメロディが流れる店内では、静かになったことにほっとした空気が漂う。警察官は火が消えたように固唾を呑み、叱られた子供のように膝に目を落とす。しばらくして、店内に颯爽と入って来た男がその肩を叩いた。

「コバ、どうだった?」

まろやかな声の長身の外国人に、小場は俯いたまま首を振った。

「すみません……ミスター・フラム……彼は何も知らない様です」

「謝ることはない。我々は、Aが身内の元に行ったか確認したいだけだ」

そうだった。

Aこと、亀井秋菜が、唯一の肉親の元に行っていないかわかれば、それで良かったのだ。それを自分は、勝手に熱くなって余計な所まで踏み込んでしまったらしい。

「行こう。見咎められると面倒だ」

低く促す声に、小場は従った。

勝巳が、この話を誰かに――警察に漏らすとも限らない。

「本当、ダメだなあ……俺って……」

車に戻り、運転席のハンドルに項垂れ、思わず弱音を吐露した。

警察として事情を説明し、最近、彼女に会ったかどうか確認する――いくら刑事課ではないとはいえ、そんな簡単なこともできないとは。

助手席に腰掛けたフラムは、後部座席でイビキをかいている同僚を確認してから、ちらりとこちらを見て首を振った。

「君は役に立っている。そう落ち込むことは無い」

「……ありがとうございます」

勢いと燃えるような正義感が売りの警察官は、弱々しくはにかんだ。車はスムーズに滑り出すが、しばらく走った後に小場は独り言のように言った。

「その……違うんです。不甲斐なく感じてしまって……」

「何を?」

「笑いませんか?」

苦笑混じりの小場に、フラムはニヒルに微笑んだ。

「俺、貴方みたいな海外の警察官に憧れて、この道に入ったんです」

映画で見た捜査官や警察官は皆、タフで、ハンサムで、圧倒的な悪と渡り合っていた。様々な困難に直面しながらも、市民や家族、愛する人の為に正義を貫く姿は、フィクションだとわかっていても憧れた。

「わかるよ。私も憧れた。同僚にも大勢居る」

「本当ですか。嬉しいな……日本じゃ、あんな凄いカーチェイスや銃撃戦はありませんけどね。悪の組織なんて、せいぜい、振り込め詐欺をやるような小狡い連中や、暴力団ばかりですし」

残虐な事件が無いわけではない。日本とて、殺人事件は日常茶飯事――その起こり方が、痴情のもつれや、弱者への当たり散らし、無差別を狙った自分勝手な行動など、卑小な理由が多いだけだ。その多くは、警察官が出て行く前に、周囲の対応がほんの少し違っていたら防げたような事例も有り、歯がゆい思いをさせられる。

一方で、ヤクザ者や暴力団は態度はでかいわりに臆病で、逮捕につながる様な尻尾は簡単には出さない。いくらこちらにやる気があっても、ドラマのような大捕物なんてそうそう無いものだ。

「わかっていても、警察官になれた時は、嬉しかった。市民の平和を守る誇りを持って、正義の味方みたいに働けるって」

「立派な心掛けじゃないか」

尤もらしく頷くフラムに、小場は恥ずかしそうに笑った。

「でも、思った以上に、現実はギャップがありました……」

実際は、市民を犯罪から守るのではなく、起きた事件の捜査や、未然に防ごうとするパトロールで、守る筈の市民に疑いの目を向け、違反者に注意すると「国家の犬」だの、「税金泥棒」だのと唾吐き捨てられる。事件となれば昼夜問わずひっきりなしに呼び付けられ、概ね平和な交番でも、あっちでは近所トラブル、こっちでは騒音トラブル、家庭内害虫に呼び出された事さえ有る。いつ何時だろうと、何とかしろ、何とかして、警察官だろうと、頼られるより罵られる。

いや、それでも市民の為になるならと奮い立ち、振り込め詐欺の被害防止PRに取り組み、講演や動画投稿もした。しかし、被害額は毎年、過去最高額を更新し、呼び出された先で説得を試みる度、高齢者たちに不審と嫌悪の目で見られるのだ。

知りもしない警察官の汚職の話をし、お前たちは信用ならんと首を振る人も居る。

実際、警察官による痴漢、盗難や暴行事件があるのも事実であり、寄り添いたい市民から人望を得られぬまま、警察と名の付くものは身を粉にしろ、いざ危険な時は市民の盾になれ。虚しくならないといったら、嘘になる。

「亀井さんが語られたことも、俺の話ではありませんが、その通りなんです。きっと、秋菜さんはご両親やご友人との関係に苦しみ、何度もSOSを出したのでしょう。そんな女の子一人、助けることも、見つけてあげることもできないのなら、警察官なんて国家権力を笠に着た役立たずの嫌われ者に決まっています。俺なんて、一般人の些細な交通違反ぐらいしか見えない程度で、何を偉そうに喋ったんだか……情けなくって……」

フラムはハンサムな容貌を皮肉に歪めた。

「君の真面目なところは美徳だ。後ろのうるさい奴に見習わせたいよ」

「はは、ミスター・ドルフは凄いですよ。俺だったら、外国での危険な捜査で居眠りなんてとてもできません」

「此処は平和な国だからね。君たちのおかげで」

何気ない一言に、ぐっと表情を引き締めて小場は頷いた。

「……ありがとう、ミスター・フラム。その一言で、俺は元気が出ます」

「それは良かった。君の熱意に報いる良い知らせがある」

自身の端末を見つめながら、冷静沈着な捜査官は微笑んだ。

「協力者が、何か情報を掴んだ。ホテルで待っているそうだ」

小場はハンドルを握りしめた。先程の鬱憤が嘘のように胸が高鳴った。



 その夜。

外套を引っ掛けたハルトを、未春が不思議そうな顔で見た。

「交番に行くの?」

「ああ」

断じて、逃げるわけではない。急に家を空けた相手への意趣返しでもない。

……断じて。

「室月さんの話聞いて……ちょっと気になることが出来た。コバちゃんの件と合わせて聞いてくる」

「わかった。いってらっしゃい」

一転して物分かりの宜しい――いや、もともとはこうだったか? さらりと送り出す同居人を背に、冷たい夜の手が頬を撫でるベースサイドストリートに出た。

数分後、オレンジの外灯に照り映えてやかましい国道を背に、ハルトは白々と明るい交番前に立っていた。

出迎えてくれた山岸の苦笑いだけで、新米警官の状況は明らかだった。

「コバちゃん、まだ行方不明なんですね」

「困った新入りだよ、まったく」

そこは往年の警察官か、山岸の口調に焦りは感じられない。彼はいつもそうするのか、自分の分と一緒に熱い緑茶を出してくれた。自身も茶を喫しながら、世間話のように言う。

「車の目撃情報はあるんだが、移動が多くてどうにもね。小場の車があれば分かりやすくなるが、あちらさんで保管してくれてるそうで」

指し示すのは米軍基地を囲む壁だ。ハルトは頷いた。

「スマートフォン……携帯電話は?」

「車には無かったよ。位置情報はわからん様だからね、電源切って持ち歩いてるんじゃないかな。あの世代は使うなって言われても手放せないもんねえ」

「向こうが接触してきてくれれば、交渉の余地もあるんですが」

「いいのいいの、ハルトくん。正体不明のテロリストに捕まったわけじゃないんだし、自業自得でもあるんだから」

「自業自得……ですか?」

やや厳しくも思える言葉だが、山岸は皺の多い顔をやんわり笑ませて頷いた。

「私が言うと変かもしれんがね、警察官の一番の仕事は市民の生活を守ることだよ。特に我々は地域をよく見て、何事も起きないように心掛け、起きた時には迅速に動けるようにするのが鉄則。それをFBI捜査に舞い上がるなんて、いやはや全く……身の程知らずもいいとこだ。その上、騙されているんじゃあ、目も当てられない。詐欺の注意喚起をしてるのは何処のどいつだと言われてしまうよ」

どうやら小場は、振り込め詐欺に気を付けるよう注意を促すセミナーに参加し、詐欺の手口や被害を説明していたそうだ。勢い任せの講師でも、若手がやると喜ばれるし、明るくハキハキした小場は高齢者には人気があるらしい。

そう、彼は警察官としては誠に適切と思われる、真面目な熱血漢なのだ。

今回の件も、その真っ直ぐな正義感が災いしたわけだが……悪気は無いだけに、少々気の毒だ。

「確認しておきたいことがあるんですが」

ハルトの前置きに、山岸はほのぼのと笑って片手で促した。

末永すえなが警部のことだろう? なあに、彼はこの件には入って来ない。世の中には、一般人による一般人を巻き込んだ事件が山ほどあるんだ。御多忙の警部がヘマこいた部下の世話までしちゃあいられんさ」

「うちの上司ほどお節介じゃないなら安心ですね」

「君らにかかっちゃ、警部もトオルさんも形無しだねえ」

山岸は笑ったが、警察官の鏡として磨く場所も無さそうな男が出しゃばってこないのは朗報だ。前回は“表向きの悪”に対して十条が牽制に利用したが、今回はBGM同士のやり取り――入って来られるのは困る。リリーの人捜しを勘繰られるのも面倒だし、日本に不慣れであろうクリス側がボロを出せば、こちらも被害を被るだろう。

「ところで、要件はそれだけかい?」

「すみません、もう一つ。例の人捜しの件なんですが、亀井秋菜の周囲に、ウチの関係者が居たかわかりますか?」

「この子の身内や近所に?」

はてねえ、と山岸は眉を寄せて首を擦った。既に、犯罪者関係も調べが済み、当時の彼女の周辺に怪しい動きはなかったという。

「トオルさんに聞くのが一番早いと思うがねえ……そうしたくないから、私のとこに来てるのかな」

「ご理解頂けて有難いです」

「はは……まいったね、私はあの人の信奉者なんだがなあ」

さすが、死んだと思っていた十条の妻子が生きていたことにも怒らなかったという山岸だ。ぼやきながらも眼鏡をかけ直し、自身の端末をちょいちょいと不慣れな手つきで操作すると、しばらく唸ってから首を振った。

「多分ね、居ないと思うよ。一番近いビッグネームはトオルさんだが、彼女が失踪した頃、トオルさんは小牧家の件やお店のことで忙しくしていたからねえ……他のスタッフは指示無しには動かないし、私はそうした話にはタッチしないことになっているしなあ」

言わんとする部分を理解してハルトは頷いた。十条はアマデウス同様、清掃員クリーナーに対し、表の職業に響く任務は控えさせるタイプだ。現に、それなりに人手不足と思われた前回の件でも、役に立ちそうな保土ヶ谷には表の仕事を優先させ、一切関わらせていない。山岸の職業は事件時の情報秘匿に役立つが、その彼に誘拐をやらせるのはハイリスクだ。

「日本のスタッフは、ほぼ十条さんが選んでるんですよね?」

「その筈だよ。最近はホラ、あの仕事ができる彼がスカウトは頼まれてるそうだけどね、どんな末端も、新規加入の場合は必ずトオルさんが会うのが決まり。君や未春くんは特別だろうけど、ホントはあの人の情報統制は厳しいんだよ。端から端まで把握していないと気が済まない人だから」

「なるほど……」

アマデウスの北米支部はもう少し緩やかなシステムだが、十条は適当そうに見えて徹底している。さすがにキリング・ショックが『計画プラン』というだけ有り、隙が無さそうだ。

つまり、山岸がベラベラ喋ってくれる話は、十条の許可が通っているものに限られる。都合の悪い内容には嘘が含まれる可能性も有るが、今の会話はこちらが尋ねたことへの回答だ。全てが嘘ということはまず無いだろうし、嘘が含まれる場合は隠したい事実が有るという意味で有用だろう。

「彼女の失踪に、うちの関係者が関わるのかい?」

「まだ憶測の段階ですが、俺はその可能性が高いと見ています」

山岸に隠しても意味が無いので説明すると、彼はふんふんと頷いてから首を捻った。

「だとしたら、トオルさんの可能性は低いんじゃないかな」

「何故ですか?」

「いや、なに……トオルさんっぽくないなあって」

おどけた様子でくしゃりと笑うと、山岸は眼鏡を外して軽く拭いた。

「あの人は『誘拐』みたいな真似はあんまり似合わないよねえ……その子を『保護』したっていうんなら、”らしい”けどねえ」

「保護……?」

ハルトは山岸の言葉を反復し、顎を撫でて俯いた。

「そうか。保護、か……」

もし、それが理由だとしたら。



 ホテルの駐車場に現れたのは、妙齢の女性と若い男だった。

どちらも、日本人又はアジア人らしい。ビジネスホテルに居ても何ら違和感のない、シンプルなスーツを纏い、自分たちのものらしい車に背を預けている。女の方は飾り気のないコートを羽織っていたが、髪はきちんと後ろで纏め、若さよりも年季を感じる化粧をしていた。若い男の方はといえば、ごくありきたりなビジネスバッグを提げ、よく見かける黒縁の眼鏡をかけ、普通の防寒用と思しき手袋をしている。申し訳程度に梳いた髪やどこか頼りない目つきも、一般サラリーマンとしか形容できず、印象に残らないタイプに思えた。

女の方が、フラムの姿を認めて歩み寄り、物静かな握手を交わした。

「お久しぶりです。ミスター・フラム」

自信に満ちたハスキーな声の女に、フラムはどんな女性も落としそうな笑みを浮かべた。

「ご協力感謝します、ミス・サトウ。アメリカでは、お世話になりました」

「フフ、イイ男が三人も立ち往生ではお気の毒ですから。もっと早く呼んで下さっても良かったのに」

「お忙しい貴方を呼ぶのは気が引ける。――紹介しましょう、同僚のドルフと、協力して下さっている警察官、ミスター・コバです」

サトウと呼ばれた女性は、無愛想なドルフとにこやかに握手を交わし、緊張気味の小場の手をしなやかに握った。

「初めまして。サトウ・アンと申します。警察の方に詳しく申し上げることはできませんが、この方のような人を支援しています」

「そ、そうなんですね……初めまして」

どぎまぎと挨拶した小場に、サトウはこなれた笑みを浮かべ、品定めするように見つめた。女の目はごく一般的な日本人らしい茶色だったが、中東系の女性に見られるくっきりした形は強い印象があり、何人なのか判別し難い。一方、男の方は動く気配はおろか、喋ることもなく、眼鏡の奥から一同を静かに見つめている。

「愛想がなくてごめんなさい。ウチの新人なのだけど、ロボットみたいにシャイなの」

サトウの取りなしにも、男は無表情のまま軽く頭を垂れただけだった。彼は気にしないでと微笑む彼女に、小場もロボットのように頷くしかできない。

「危険な任務に付き合うなんて、日本警察にしては勇気が御有りなのですね」

「き……恐縮です」

言葉の通りに縮こまる男を楽しそうに見つめ、サトウはフラムに向き合った。

「時間が惜しいわね。要件を話しましょう」

「部屋に行くか?」

「いいえ、日本の防犯カメラは優秀です。只の顔合わせに証拠を残す意味はありません。アレをお渡しして」

女の指示を受けた男が、バッグの中から何の変哲もない茶封筒を取り出す。

ポケットに入るほどのサイズのそれは、何か重量のあるものが収まっているようだが、中は見えない。

「基本は通信で。書類は確認したら廃棄を。……ああ、防火装置に引っ掛かるから、燃やすのは禁止。流すこともできる紙にしてあるから宜しくね」

受け取ったフラムが上着のポケットに納めて頷くと、それでは、と二人組は車に乗り込み、流れる様に駐車場を後にした。映画の一場面を見ているような心地になりながら、小場は赤いテールランプを見送っていたが、声を掛けられて我に返る。

「あんな人たち、日本に居ると思いませんでした」

「日本に居るとは限らない。私もさほど詳しくは知らないが、彼女は世界中を渡り歩いている筈だ」

「なるほど、スパイみたいですね……」

「その類の出だろう。昨今のスパイは軍事よりも産業相手が主体だ。君のやる気の為に会わせたが、本来は職業柄、互いに深入りしない方が良いと思う」

釘を刺されたような気がして、小場は頭をかいて苦笑した。きっと、名乗ったのも本名ではないのだろう。サトウなどという名前は、日本全国一位レベルの姓だ。フラムの読み通り、こちらの気分は高揚したが、あの女は犯罪者に近い雰囲気が有る。

部屋に戻ってから、二人の捜査官は封筒の中身を確認した。一枚入っていた書類には細かな英文が散っている。そして重量を感じさせていたものは、一台のスマートフォンだった。電源を入れると、小場も見慣れたそれと同じような画面が映った。

「コバ、これは君に」

何の変哲もないスマートフォンをきょとんとした小場が受け取ると、フラムは英文の書面を見つめながら、椅子に寄りかかった。

「君の電話の代わりにそれを使ってほしい」

「えっ……でも、……」

自身のスマートフォンは、位置情報を拾われない為に基本的にオフにしていた。それを気にしてかと思った若者に、フラムは首を振った。

「気遣いではない。それでやってほしい事が有る。勿論、我々に関わることでなければ、ネットの閲覧などは自由にして構わない」

「嬉しいですけど……何をすれば良いんですか?」

「AのSNSが見つかったそうだ。TAKEテイクというプラットフォームに」

「TAKEに……!」

テロリストにしては、随分とポピュラーなものを使う。日本では若者を中心に、無料通話アプリケーションとしても使用度の高いものだ。犯罪を企てるならば、もっと複雑な暗号化が可能な秘匿性の高いアプリケーションを使うものだと思うが。

小場の疑問に答えるようにフラムは頷いた。

「見た方が早いと思うが、TAKEに上がっている情報はテロの関連情報ではなく、若い女性が撮るような写真やコメントだそうだ」

「な、なるほど……ということは、彼女は通信を制限されていないんですね」

連絡が取れはしないかと、指定されたページにアクセスした小場だが、さすがに通話はブロックされていた。しかし、アップされているスイーツの写真やファッション、エンタメ情報などへのコメントは、今時の若い女性を思わせる。

名前も「AKINA」とそのままだ。

「……こんなふうに情報発信するのは、Aにとって――或いはその仲間には、不利益じゃないのでしょうか……?」

「何とも言えないが、彼女のSOSという可能性もあるな」

「あ、そうですね……」

フラムの機転に感心しながら、ページをスクロールしていくが、SOSらしきものは見当たらない。強いて言えば一番最初の投稿はたった一週間ほど前だ。若い女性なら、もっと早く始めていそうなものだが……まあ、未だにSNSを使用しない若者も居るので、一概には決められない。それ以降は、かなりの頻度で投降している。本人のコメントがないので何とも言えないが、ざっと見たところ……危険を感じる内容ではない。日本人として違和感のないご飯にお味噌汁の和食の写真や、青空の写真、コーディネート中らしき衣服の写真、テーブルに置かれたメイク道具……

「コバ、憶測で悩んでいても仕方がない。君はそのSNSを注視し、コンタクトを取れそうなら警察官として試してほしい。我々がやるのが筋だろうが、この国の若者の常識には詳しくないんだ。君が見た方が、何か妙な点に気付けるかもしれない」

「わかりました。こういうのを見るのは得意です、任せてください!」

胸を叩く警察官に笑い掛け、フラムは頷いた。

「今日はもう休んでくれ。我々は明日の捜索ルートを決めておく」

やる気を取り戻した警察官が意気揚々と退室していくと、ソファーにふんぞり返っていたドルフがぐいと前に体を起こした。

「で? さっきの連中は?」

「アレは本当に顔見知りの清掃員クリーナーだ。……お前も知っているだろう、TOP13の一人、イギリスのボス・スターゲイジーが指揮する調査会社ブレンドの連中だ」

「スターゲイジー……!? なんでそんなビッグネームが出てくるんだよ?」

ボス・スターゲイジーは、BGMの中ではアマデウスやステファニー同様、顔が広い。六十代ほどの恰幅の良い男は、前身が国家レベルのスパイ。

現在は調査会社BLENDブレンドを運営し、BGMでは非常に珍しい、表の仕事も裏の仕事も同じ会社を通して行う。理由は簡単、この調査会社がどちらの社会でも人気だからだ。調査の内容は様々で、国勢、企業、市場、浮気、犯罪、流行、自然……等々、イギリスらしく、賭け事の調査もやる。

そして無論のこと、調査に留まらない殺しにも手を伸ばす。

「調査員の派遣は、スターゲイジーの意志だそうだ」

煮え切らぬ調子でフラムは言った。

「今回の件には関係ない。……目的はどうやら、最近の日本で起きた件だ。結果的に無傷だったが、アマデウスを狙った元・米国海兵隊や、十条の動向も調べていると。同時に、北米と南米、双方への牽制でもあるようだ。先の件では、南米も協力したアマデウスのマグノリア・ハウスが原因の一つだし、ロスカ・カルテルは日本の海上で武力騒動を起こしている。十条が上手くやらなかったら、BGMの存在が表に出兼ねなかった。コンタクトしてきたのは、釘を刺しに来たんだろう」

「へっ……自分は堂々と秘密結社を開業してる癖に、よくやるぜ……」

「だからだ。ブレンド社は世界の全てを把握しないと気が済まない組織だ」

もともと、ブレンド社の調査員は全世界に散っている。報道やリークの目的を持たなくても、何か起これば調査し、ファイリングするのが彼らのやり方だ。

「コバの件も話してある。気にすることはない。スターゲイジーはアマデウス寄りだが、奴の味方ではない……こちらの目的に関しては、歓迎されている」

「そりゃあ、連中も紙に書く仕事じゃねえだろうしな……じゃあ、さっきの端末はイギリス紳士からボーイへのクリスマス・プレゼントか?」

「否定はしないが、SNSの存在は事実だ。“リリーの件”は日本人に任せておけばいい」

「ソッチは?」

野太い指が指す書類に、フラムは小場に浮かべたのとは別の笑みを浮かべた。

「お前の出番だ。まず、一ケ所。景気よく頼む――ボーイに気付かれるな」

ずっと不機嫌だった顔の男がニヤリと笑った。

「Vale.(了解だ)」



「リリー、話がある」

交番から家に戻るなり向かいに腰掛けたハルトに、ダイニングテーブルでスマートフォンを弄っていたリリーはきょとんとした顔を上げた。

「Funny stories?(楽しい話?)」

「違う。例の人捜しの話だ。秋菜さんは、何か身の危険を感じるような件に巻き込まれてはいなかったか?」

「Well……」

人形のように小首を捻り、リリーは考えている様子だったが、すぐに首を振った。

「I can’t remember(思い出せないわ)」

「もう少し頑張りなよ」

いつの間に居たのか、廊下からぐさりと来るのは未春だが、何故かその言い方はこれまでの突き刺すようなものとは違う。本当に「思い出せるように頑張れ」という応援の意図らしい一言に、リリーは居心地悪そうな顔を向け、ハルトは苦笑した。

「未春、大丈夫だからあっち行っててくれ」

ハルトが犬猫でも追い払う様に片手を振るが、未春は心得たとでも言いそうな顔で大人しく部屋に退去していく。

「……ミハ、何があったの?」

急に敵意が消えた男を薄気味悪そうに見るリリーだが、ハルトは「さあ」と肩をすくめるしかない。答えてやろうにも、こっちがわからない。

「あいつのことは放っといてやってくれ。――思い出せないってことは、切迫した様子は無かったんだな?」

「Year」

「わかった。じゃあ、単刀直入に言おう――リリー、今すぐ本当の事を言え」

一転した強い語調に、リリーが軽く息を呑んだ。

「……What do you mean?(どういう意味?)」

「意味? なあ、リリー……その問い掛けは良くないな。人捜しってのは、もっと真剣にやるもんだ」

ようやく只ならぬ様子に気付いたリリーが、表情を険しくして押し黙る。ハルトはハルトで、にわか護衛の顔ではない。相手を平然と崖下へ突き飛ばす殺し屋のそれだ。

「俺を遠回りさせたのはミスターの入れ知恵ってことにしてやるが、君が欲しかった情報の一つは、秋菜、或いはその家族の所在、だな?」

「……なぜ?」

「あの情報が出て以降、君が彼女を捜す気が全く無い」

目に見えて狼狽えた様子の目が泳ぎ、外国人らしい両手を挙げるジェスチャーと作り笑いが出た。

「ハルが人に頼んでくれたんでしょ? それを待った方がいいじゃない」

「そうか? その人が来た時に君も居たが、今の今まで進捗を聞きに来なかったよな。君が本当に捜索に積極的なら、それらしい動きがあれば気にする。これがニューヨーク市内の話ならまだしも、人気歌手がわざわざ来日して捜す案件にしては、ちょっと受け身すぎるんじゃないか?」

「……そ、それは……」

「時間稼ぎか何かの為の存在しない人間捜しも想定していたが、亀井秋菜が実在するのはわかった。だが、君は彼女と会いたいわけではなさそうだ。それでも“捜す”か? 俺は君が思っているより、無駄なことをするのが嫌いな人間なんだが」

きゅ、とリリーがルージュを引いた唇を噛んだ。命綱であるかのようにスマートフォンを掴む手が震える。

「……私は……アキナと会いたくないわけじゃないわ……でも――……それは、“無理”だもの……!」

「無理?」

それこそ、どういう意味だ。亀井秋菜が死亡したデータは無い。

行方不明とはいえ、何処かに存在する。両者が会うと拙いことがあるのか? アマデウスが来日を促したのは、それを理解させる為……? いや……あのアマデウスが、会えないことを言い聞かせるだけなのに、今が売りのアーティストに歌うのを休ませるのはおかしい。それに、彼はリリーを守る様にと告げた。秋菜の保身よりも優先する含みを持たせて。

何かが突っかかる。歯に挟まったような……些細だが、気になる違和感。

「……ハルが大変なら、もうイイわよ」

俯いて首を振るリリーに、今度はハルトが眉を寄せる。

「秋菜を捜すのを、やめるということか?」

「……そう。その方が、ハルもいいでしょ?」

「……まあな、俺は最初から専門外だ。腑に落ちないことを抱えずに済むのは気が楽だ。でも、それでいいのか?」

「いいの」

思った以上に安易に頷くリリーの顔を見つめ、ハルトは軽く溜息を吐いた。

「休暇はどうするんだ?」

「……此処に居たいわ。次は、いつ来られるのかわからないもの。……だめ?」

「いや、引き受けた範疇だ。同居人とケンカしないでくれるなら構わない」

苦笑いを浮かべたハルトが頷くと、リリーはほっとした顔になる。

「アリガトウ。……ごめんなさい」

ぺこりと頭を下げる姿は妙に殊勝だ。

「事情を話す気が有るなら人捜しも再開する。俺が蹴ったのがバレたら、アマデウスに返金しろって言われそうだしな」

リリーは細い肩を上下させて微笑むと、スマートフォンを撫でながら呟いた。

「ミスターは怒らないわ。優しい人だから」

騙されるなと言いたいところだが、本来、彼女とアマデウスはBGMではなく、音楽会社CEOと歌手の関係だ。この件がキナ臭くても、リリーという商品は大切に扱うだろう。

「優しいねえ……リリーは電撃デビューってやつらしいけど、ミスターが直接スカウトしたのか?」

「……イイエ、人づて。私を最初に見つけたのはその人。もう居ないけれど、とても素敵な人だった。私をミスターに紹介してくれて、亡くなるまでずっと支援してくれたの」

故人か。アマデウスに紹介するぐらいだと一般人ではなさそうだが、裏社会の人間とは限らない。何処かの養成所の代表や、マスコミ関係者という可能性も有り得る。

「それは、日本を出た後の話だよな」

「エエ。日本に居た時は只の学生。見つけてもらったのはその後よ」

見つけた、か。気になる表現だが、リリーの容姿は街角を歩いていて呼び止められることもあるだろう。

「……思ったより、長く来ていなかったのね」

スマートフォンの真っ暗な画面を見つめながら、リリーは呟いた。

「日本に、ってことか?」

「そう。私、デビューが決まってからはあっという間で……気付かなかった。こんなに景色が変わるとも思わなかった」

「そうか……俺は当時を知らないけど……都会に比べれば、この町の変化はのんびりしてる方だと思うが」

言っておいて何だが、変化は発展とは限らない。下野が言っていた通り、高齢者が施設や家族の元に移って、在った家屋やアパートが無くなったり、建て替わったりするのも変化だ。盛況していた場所から店が消えるのも、新たな道路を引くために区画整理が行われるのも変化。ここ最近の情報は事細かに更新しているだろうリリーのスマートフォンも、数年前の記憶は補完できていないらしい。

「……ハルは、やっぱり殺し屋なのね」

ぽつりと出たリリーの言葉に胡乱げな顔をすると、彼女はくすりと笑った。

「さっきみたいな顔、初めて見た。ハンサムだけど、ちょっと怖かったわ」

「……そいつは何より。俺みたいなのに引っ掛かるのは良くないからな」

「そういうの、ズルいと思う」

言葉は倉子に近いが、大人びた調子はさららのように聴こえて、ハルトが問い直そうとしたとき、パタパタと廊下から音が響いて来た。

「ハルちゃん……!」

スリッパを鳴らして来たさららの登場に、ハルトは振り向いた。

てっきり休んだと思っていた彼女は、ゆったりしたスウェットの上下にガウンを引っかけ、ベッドから飛び起きたと言っても良い格好だった。

その後ろには、先に聞いてふらりと付いて来たらしい未春も居る。

「どうかしましたか?」

「見て!」

鋭い声と共に突き出されるスマートフォンを覗き込むと、身を乗り出したリリーもはっとした。夜の繁華街だろうか――雑居ビルがひしめく写真が映し出される。

が、問題はそこではなかった。

写真中央のビルの窓が吹き飛んでおり、粉々になったガラスとひしゃげた窓枠がコンクリート面に散乱している。写真に火の気は見当たらないが、手前に映る数台の真っ赤な消防車が、事態の大きさを告げている。

「火事……では無さそうですね」

「……報道は、カセットボンベの爆発だって言ってるわ。確かにこのビルには、カセットコンロを使う飲食店も入ってるそうだけど……」

さららもわかるのだろう。これが一般的な不審火とは異なることが。

「でも、それだけじゃないの。この写真……何処にアップされてたと思う?」

リリーと揃いの疑問符を描くハルトに、さららは怪談でも囁くように言った。

「TAKEの……「AKINA」って人のページよ……」



 確かめようのない件は翌朝を待っても、情報は特に変わらなかった。

場所はF市からはそう遠くないT市内。都心と比較しても利用者が多く、賑わっている駅から近い雑居ビルの最上階部分。窓枠の付近を中心に焦げている以外、今すぐ倒壊する様な危険な様子は見られない。マスコミが映すのも消防と警察の現場検証が行われている映像と昨夜の録画のみで、死者が居なかった為か、緊迫した様子はあまり無い。

当時、営業中だった飲食店以外は無人――というよりも、店以外は社名こそ付いていたが人の出入りは無く、殆ど利用されていないフロアだったという。

投稿された写真はさららが示したもの以外にも沢山有った。しかし、最初の一人と思われるAKINAは、以降はコメント一つ無く沈黙している。当然なのかもしれないが写真から得られる情報はこれといって無かった。

「リリーの捜し人じゃないといいんだけど……」

朝食の席で、さららは憂鬱そうに呟いた。

この発信者に関しての調査は、既に室月に依頼済みだ。勿論、AKINAだけでは亀井秋菜とは特定できないし、この人物のページには投稿者を特定できる情報は見当たらない。アップされた写真のコスメやお菓子のカワイイ雰囲気からすると若い女性のようだが、それは男性でも年配者でもできる事だ。

さららの不安をよそに、当のリリーは至って落ち着いている。捜し人との因果関係は絶対に無いと確信しているらしい。確かに、紛争地域ならともかく、二十代前半の日本人女性が爆破事件に関わるとは考えにくいし、彼女が別人になっていようと現在の生活圏で行方不明になれば事件になっている筈だ。

「AKINAの件は室月さんに任せましょう。問題は爆破の方ですね」

呆れ口調のハルトに、さららは困り顔を向けた。

「被害が少ないってことは……これが何かの予行演習なんて、言わないわよね?」

リリーがリクエストした朝食のおにぎりを前に出た不穏な一言に、居合わせた三人はそれぞれに首を捻った。――リリーが首を捻ったのは、しらすとおかかのおにぎりにかざしたスマートフォンに向かってだったが。

「俺が奴らなら、そんなことしませんね」

「俺もしません」

ハルトの言葉に、未春も乗っかる。同じ殺し屋でも色々居るが……暗殺者だろうとテロリストだろうと、演習が必要なら、プロを名乗る前に出直すべきだ。

「奴らの仕業……ってのも性急かと思いますが――そうだとしたら、此処に何があったか調べないとわかりません。他に考えられるのは『爆破』そのもの、或いは映像に関わる何かが誰かへのメッセージとか」

なんか腑に落ちませんけど、と、リリーを見てから味噌汁を啜るハルトに、さららは肩をすぼめて首を振った。

「海外は、こんな派手な連絡方法があるの?」

「俺が知る限り、BGMではありません。ミスター・アマデウスの管轄内でやったら、減給は免れませんよ」

シンプルに、意味が無いからだ。通信手段の発展は言うまでもないが、そもそも殺し屋は、少なくともBGMは犯行予告や悪戯に社会を騒がせる行動はしない。同じ悪党でも、BGMはテロリストやギャングとは異なる。

クリスのやり方は派手だが、「死者」が出ていない爆破はおかしい。標的が居るからこその爆破である為、これでは仕事以外の無駄なパフォーマンスになってしまう。

「ハルちゃんが言う通りなら、此処を調べる意味はなさそうね」

「そう思います。下手に見に行く方が危険かもしれない。此処を借りていた事業者だけ、室月さんにお願いしましたが……」

こちらは昨夜の内に返事が来ている。

「実体のないダミー企業でした。ビルの持主に断りなく、勝手に住所を明記していた悪質なパターンです」

「それって、振り込め詐欺の拠点?」

「国見にも確認を取りましたが、振り込め詐欺との関連は無いようです」

国見とはかつて、振り込め詐欺グループに属していた力也と同校の大学生だ。

自ら進んで、それも、大した考えも逼迫もないまま、ただ楽に稼げるぐらいの気持ちで詐欺を働いていたが、所属グループがBGMに始末されたのを機に、十条に拾われた。……尤も、十条は彼を助けたのではなく、奪った総額に相当する金額の返済を要求し、できないのなら刑務所か、協力かを選ばせた。結果は国見が選んだ通りだが、悪党に尽くす選択肢を選ばせたのは十条の口八丁――まあ、何にしても自業自得だが、返済を決意した程度の見込みはある青年だ。現在は普通に大学に通いながら、主に室月の指導のもと、詐欺に特化した清掃員クリーナーとして悪を騙す悪の技を叩き込まれている。

「じゃあ、何も無い所を爆破したの?」

何の意味がと言いたげなのは未春だ。ハルトも面倒臭そうに頷いた。

「同感だ。アマデウスの言い分だと、今回の件はクリス側の私的な行動だからな。リリーを誘拐して身代金を取るでもない、報酬が支払われるわけでもないのに、金の掛け方がイカれてる。爆発物もそうだが、日本への渡航費に滞在費……多分、コバちゃんの面倒も見てるだろ」

「この爆発が失敗ってことはないかしら?」

「そんな殺し屋には爆弾なんか与えない方がいいですね。十条さんは大らかな方ですが、普通は予算や経費はもっと厳しいんですよ。俺は弾丸を一発単位で指示されることも多かったですし、出先で食った物まで申告させられていました」

それもそうかとさららは唇を尖らせたが、未春はまじまじとハルトを見てぼそりと言った。

「だからハルちゃんは、アマデウスさんからちょこちょこ金取んの?」

「……あれは苦労に見合わないと思った時の腹いせだ……ほっとけ」

未春は何か言いたげな顔をしたが、有難いことに黙ってくれた。

『ちょこちょこ取る』金額がその表現に値しないのは自覚している。億単位の金と向き合っているくせに、十万単位にオーバーリアクションするアマデウスがどうかしているのだ。……と、思う。

「コバちゃん……無事なのかな……」

不安そうにこぼすさららだが、顔を見合わせたハルトと未春は天気の話でも始めようかという顔つきだ。

「さららさん、恐らく、コバちゃんは無事です」

「どうして?」

「前に言った通り、利用目的で連れて行かれたのは間違いない。ですが、彼は俺たちの身内ではないし、警察や身内に脅迫のコンタクトが無いので人質目的ではないでしょう。連中の狙いはあくまで、日本に潜伏している『ゾンビ製造者』だと思います。最低でも、それらしい死者が出るまでは無事ですよ」

「確かにそうだけど……」

「未春が聞いた内容だと、コバちゃんは警察を名乗った後で連れて行かれています。彼らが目を付けたのは、その肩書だと俺は見ています。 本物の警察手帳を持っている上、コバちゃんはどう見ても実直な警察官ですから、大抵の場は怪しまれずに行動できます」

「でも、これが彼らの爆破なら、コバちゃんはそれを黙って見てたかもしれないの? それこそ彼らしくないんじゃない?」

「……“彼らの犯行だと気付かれれば”、そうなるでしょうね」

何か喉につかえたような顔で、さららはハルトを見た。

「コバちゃんが、偽FBIを信じ切っている場合、爆破は彼らの相対する敵か何かの仕業にできます。彼らは二人連れですし、爆弾には時限式もスイッチ式も存在します。正体を知らなければ、爆破の瞬間に隣に居た人間の仕業と思うのは難しい」

「……残念だけど、すごい説得力」

顔を覆って溜息を吐くさららには言えないが、小場が無事というのはあくまで想像の域ではある。この爆破が、彼らが狙う『ゾンビ製造者』へのメッセージである可能性は高い。ゾンビが生み出されている発信源はリリーのSNS、犯人は同TAKEを使用している人物だろう。それがAKINAというユーザーかどうかはわからないが、撮影、或いは撮影されたものを受け取って投稿している……ダミー企業の爆破を誰かに報せる為か?

報道された内容にダミー企業のことは含まれていなかった。あとはビルの持ち主や警察がどう出るかだが……第一には、爆破した方を捜査するのを、クリス側は理解しているのだろうか。そうした報道を見て、小場はどうするだろう。当局に協力要請をしようとか、警察トップに情報提供をなどと言いそうな気がするが……そうなったら、殺し屋の立場からして、彼は邪魔だ。殺害される可能性は低いが、事が片付くまで監禁される恐れはある。

「ハルー、Can you please take a photo of me?(写真撮ってくれない?)」

「ええ? リリー……まだ撮ってんのか? 冷めちゃうぞ」

「I know that……カワイイから」

仕方なさそうにハルトがスマートフォンを向けると、リリーは自分と一緒に朝食のオムレツ――さららが上手にリクエストのウサギを描いてくれたものとツーショットを決めた。

「リリー、ほんとにマメね。トオルちゃんみたい」

「まったく。SNSってそんなに更新しないとダメなのか?」

半ば感心するさららに対し、ハルトは呆れ顔だ。リリーは勿体無さそうにオムレツにスプーンを入れながら頷いた。

「It’s just common sense.ファンのため」

「ふーん……」

理解不能の眼差しでリリーを眺め、ふと……ハルトは呟いた。

「そういや……コバちゃんて二十代前半ですよね……」

未春とさららが顔を見合わせた。何を言いたいのか察したさららが、小場のTAKEのページを開き、スクロールした。

「……リリーをフォローしてるわ」

「奴らがやらせたわけではなさそうですか?」

「ちょっと待って……えーと……――先月にCDの事を書いてるから、強要されたわけではなさそうね。普通にファンみたい」

「……使えるかもしれませんね」

思案顔で呟くと、ハルトはきょとんとしているリリーを振り返った。

「リリー、彼にメッセージを送れるか? できれば他の人に閲覧されない形で」

「Sure. Well, how can I say?(何て言えばいい?)」

「そうだな……シークレット・イベントに参加できる抽選が当たった、とか……他のファンには気づかれないようなウソの呼び出し文を頼む。日付は……未春、週末空いてるか?」

「店以外は空いてる」

「じゃあ、今週末だ。場所と時間は……」

指示に従ってリリーが手早く端末を操作すると、ハルトはさららに向き直った。

「さららさんも送って下さい」

「え、私も?」

「はい。同日の同時刻、リリーとは別の場所に呼び出して下さい。用向きは何でもいいですけど、コバちゃんを釣りやすい内容でお願いします」

「いいけど、どうするの?」

「コバちゃんがSNSを確認してるなら、どちらかに乗ると思います。彼には悪いが、俺と未春で手分けして待ち合わせ場所に待機する。コバちゃんが来たら保護すればよし、殺し屋なら……まあ、殺す必要はないんで、交渉、或いは捕獲。未春もリスニングはできるんだろ?」

「簡単なことは話せる」

「よし。殺し屋二人が片方に集中、或いはコバちゃんがどっちにも来ないなら連絡を取り合う。誰も来ない場合は、見てないか、見られない可能性があるけど……その確率は低いだろうな」

「どうして?」

「山岸さんも言ってましたが、普通の若者はスマートフォンを手放せない。電池は切れる前に充電しますし、持っていないと落ち着かないんでしょう? SNSやってるコバちゃんもその口だと思います。個人情報にうるさい日本ですから、いくらFBI名乗ってても、見ず知らずの奴にいきなりスマホ渡すほど阿保じゃあないと思いますよ」

そこまでボンクラだと、こちらも手の施しようがない。できれば警察に関わらずに事を納めたいのは、奴らも同様の筈だ。万が一、BGMを知らない警官と揉めて犠牲者が出てしまうと、相当手間の掛かる処理を強いられる。

「スマホを無理やり奪われてる……ってことは無いかしら?」

「無いと思います。それなら最初の誘拐段階に話が戻る。凝った嘘を吐いて連れ出したからには、コバちゃんに何かやらせる気だった筈です。スマホだけ必要なら、最初に奪って逃走すればいい。……威張るつもりじゃありませんけど、その程度ができない三下の殺し屋なら、アマデウスさんが俺に依頼してくることはないと思いますよ」

「わかったわ。ハルちゃんのプロフェッショナルを信頼する」

何処かで聞いたセリフに、ハルトは苦笑いを返した。

「ところで……二人とも留守だと、リリーはどうするの?」

「それなんですけど……さららさん、店休んで、ガヤちゃんに運転手頼んで連れ歩けませんか?」

意外な申し出だったのか、さららは解れた髪を耳に掛けて困り顔を浮かべた。

「……私は良いけど……大丈夫かしら?」

「可能なら、ラッコちゃんとリッキーも連れて行くのが良いと思います」

「えっ……二人も?」

今度こそ驚いた様子のさららに、未春も胡乱げな顔でハルトを見た。

狙われているリリーを連れ歩くだけでなく、殺し屋が現れるかもしれない移動に、一般人を追加するつもりなのか?

「ハルちゃん、それだとさららさんが大変」

「おりがってことか?」

「とぼけないでくれる?」

わずかな苛立ちを滲ませる未春に、ハルトは両手を上げて苦笑いを浮かべた。

「とぼけてないよ。……大丈夫だろ、さららさんが居れば。ラッコちゃんとリッキーも付いて来れば、心配することはないと思うぞ。よっぽど何か、異常事態が無ければ」

「……」

未春はまだ何か言いたげだったが、さららは難しい顔をしつつも頷いた。

「……いいわ、ハルちゃんがそう言うなら。私は大丈夫」

「ありがとうございます。リリー、話わかったか? 観光していいけど、我儘言うなよ」

「Thanks, I'm good now.」

一人、不機嫌を露わに眉をひそめていたのは未春だ。

「……ハルちゃん、何を企んでんの?」

「おいおい、俺を誰かさんと間違えるな」

尚も追及しようとした未春だったが、タイミング悪くハルトの膝に乗ったビビに出鼻をくじかれた。

「なあ、ビビ……それは俺のだから食わんでくれ」

鰹節の香りに鼻を寄せる猫をやんわり除ける男を、静かな視線が見据えていたが――やがて自らの手元に戻って行った。



 ふわふわと、シャボン玉が舞っている。朝日を浴びるビジネスホテルのベランダで、得体の知れぬ外国人が吹いているとは誰も思うまい。

「フラム、ありゃどういうつもりだよ?」

「何がだ」

「『何が』じゃねえよ! ビル吹っ飛んだだけだろうが!」

物静かな同僚は片手を軽く上げて首を振る。

「騒ぐな。コバに聞かれる」

「ああ? 英語がわからねえ奴に何の気ィ遣うんだよ。それにあの野郎、部屋で頭抱えて唸ってやがるぜ」

「何だと?」

体調不良かと腰を浮かせた男に、ドルフは心底嫌そうな顔をした。

「見りゃあわかる。ビョーキはビョーキだ」

立ち上がったフラムが、小場の部屋――といっても、たかが一枚壁を隔てたのみの向こう側を覗くと、彼はこちらに背を向けてベッドに座っていた。背を丸め、何やらブツブツと喋っている。今朝は例の爆破のニュースにショックを受け、ひとしきり憤慨していたようだが、その時とは様子が違う。

「コバ、何か問題か?」

尋ねると、青年はのろのろと振り向いた。

「あ、いえ……その……問題ではないんですが、……そのう……ええ……」

もう味のないガムを尚も噛むように、小場の返事はねばついている。確かに、同僚の騒ぐ声など全く聞こえていない顔だ。

「困りごとならば相談してほしい。無理な任務に付き合わせてしまっているのだから」

隣にやって来た男の紳士的な申し出に、小場は眉を下げたまま、はにかんだ。

「さ、サンキュー……ミスター・フラム。実は、あのう……困ったこと……なんですけど、わたくし事、あ、えー……プライベート? な、こと……で……そのぉ……」

話し出して尚、スローペースな小場の話を根気よく聞いたところによると、どうやら思いもよらぬ予定が同日に舞い込んだらしい。

「フラムさああん……僕はどうしたらいいんでしょう……! 好きな人と、大ファンのアーティストのシークレット・イベント……どっちを選べば……!」

文字通り頭を抱えている青年を、フラムは溜息混じりに見下ろした。

「……好きな相手はともかく、そのアーティストはにわかに会える相手なのか?」

「まさか! リリー・クレイヴンですよ! アメリカ人なら当然ご存じでしょう!?」

勢い余って鼻息まで掛かりそうな男を押し留め、フラムはどうにか驚愕を抑えた。

――何故、”リリー”が?

彼女が日本で活動する話は聞いていない。ボイス・トレーニングには行ったようだが、この状況下でイベントなどするわけがない。すると、これは――……

「……コバ、私が思うに」

隣に腰掛け、両の手を組み合わせたフラムは静かに言った。

「そうしたシークレット・イベントに当たるということは、稀有なことではないか?」

「ええ、ええ、もちろん……! 一生分の運を使い果たした気がします……!」

「もう一方の君が好きな相手というのは、それほどに会い難い人なのか?」

「そ、それは……お店には毎週のように行っていましたけど……いつも、それだけで……直接、外出に誘ってもらうなんて初めてで……」

スマートフォンを手にもじもじと身をよじる男を、呆れた目で見ないように気を付けながら、フラムは首を振った。

「どちらを選ぶかは君の自由だ。私なら、一生分の運を感じる方を取るが」

「……そ、そうですよね……」

こくこくと頷く小場は、体をまっぷたつにしたいほど未練があるらしい。かなりの恋煩い、おまけに望みの薄い相手のようだ。

「と、いうか……僕、行っても良いんでしょうか? 大事な任務の最中なのに……」

「構わない。我々とて、休暇は取る」

「そ、そうですか……ですよね、海外はちゃんと休暇取りますよねえ……!」

変なことを気にする男だ。それとも、日本人は皆こういうものだろうか?

未だモヤモヤしている様子の男をひとまず置いて、フラムは椅子にふんぞり返っているドルフの元へと戻った。わけを聞くと、仲間の呆れ顔はいっそうひどくなったが、フラムは冷静に首を振った。

「恐らく、罠だ。小場がどちらかに現れると見込んでのことだろう」

「勝手に行かせりゃいいじゃねえか」

「そうもいかない。奴らと接触する分には構わないが、もし、その足で警察に戻られると面倒だ」

「じゃあお前がお守りをしろよ」

「……構わんが、お前はどうする気だ」

疑わし気な視線に、ドルフは両手を挙げて笑った。

「惰眠を貪んのも飽きた。お前らと反対の方に行くぜ。ボーイと引き換えに遊んでくれるってことだろ?」

「爆破に対する苦言の可能性はある。どちらが現れるかはわからん……十条が出てくるかもしれない。そう安易に争うとは思えんが、相手が一人とは限らない。警察関係者を呼び込む可能性もある」

「くどいぜ、フラム。連中がこういうやり方をするってことは、こっちの邪魔をしてえんだろ? 不安ならコバは閉じ込めて大人しくしてろよ。俺がターゲットも、邪魔な日本の殺し屋もぶっ飛ばしてきてやる」

フラムは難しい顔で仲間を見つめていたが、重い息と共に頷いた。

「……なるべく、連中とは揉めるな。まず、今日の仕事を全うしろ」

「へっ……今度もビルだけなのか?」

「そうだ。死傷者は出すな」

断言する男へと、やにわに野太い腕が伸びた。微動だにしない襟元を掴むと、やぶ睨みの目が物静かな双眸を見下ろす。

「フラムよ……お前、ボスと何を企んでやがる? 今回の件、俺は小娘が後ろ盾のゾンビ狩りと聞いたぜ?」

「その通りだ。脆く腐り果てた体でうろつき、誰彼構わず襲い掛かるゾンビを始末する」

「俺はまだ、その臭そうなモンスターを見ていないんだが?」

「奇遇だな。私も見ていない」

舌打ちした男が乱暴に手を離し、離れた方は澄まし顔で襟元を正した。

「私はボスの指示に従うだけだ。お前は違うのか?」

「わかってるよ……だが、俺は俺の神に従う。お前じゃねえ」

苛立ちも露わに「行ってくる」とコートを羽織った男に、湖のように静かな声が言った。

「ドルフ、我々の目的を忘れるな。殺そうとすれば殺されるリスクは増す」

「……そんなもん、向こうも同じだろうよ」

不敵に笑い飛ばした男は弄んでいたオイルライタ―の火を付けた。着火の火花に比べ、大人しい揺らめきを、照り映える目が見つめる。

「火の前じゃ、どいつもこいつも同じ人間だ。どんな殺し屋だろうとな」



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