第3話 超絶かわいい王女と二人きり

 藍色の大きな瞳(サファイアブルーって、この瞳の色のこと?)に見つめられて、僕は呼吸するのも一瞬忘れた。

 そのくせ、自分でも呆れるほどの瞬発力で、あちこちチェックを入れているのだった。


 目、鼻の形、口もと、顔の輪郭、すべて完璧。

 ほっそりした首。肉の薄い肩。すらりと伸びた腕。

 骨格は華奢きゃしゃなのに、鎖骨とみぞおちの中間部分(えっと……つまり……胸部)だけは、けっして平べったくない。いや、ぜんぜんそうじゃなくて(地厚の毛織の衣服に隠れているから、どうなのかな、ああなのかな、というのは推測のみ)。


 僕は、やられてしまった。

 心臓のどまんなか、貫かれていた。

「は、博士の、ホ、ホサイン博士の、が、が、学寮から参った学生にございます」

 と、自己紹介を始めた記憶はある。

 続く数分のあいだ、のぼせてしまって、右手と右足、左手と左足を同時に前に出して歩きかねない僕だった。


 エリカ姫は侍女に向かって、

「クロエ。これから大事な授業が始まります。ジャジャビット卿から、この授業には、先生とわたしが一対一で集中して取り組む必要があると指示されています。あなたは奥に控えていてちょうだい。扉も閉めてちょうだいね」

「ですが――」

「奥に、控えていて。ジャジャビット卿は、父上の――国王陛下のご意向もふまえたうえで申しあげるのです、とおっしゃっていたわ」

「国王陛下の! 控えておりますっ、はいっ」

 クロエは弾かれたように奥へ引っ込んだ。


 国王陛下のご意向?

 そ、そうなの???

 一瞬、僕もどこかに控えなくちゃいけないような気がした。


 暖炉では赤々と燃える薪がパチパチと音をたてている。

 僕は、僕より年上で背も僕よりずっと高い、でも妹にしたいような超絶にかわいい王女と――信じがたいことながら――二人っきりでいるのだった。あっちとこっち、二か所の扉はぴたりと閉じられている。みっ・し・つ。


「先生、それはこちらにお置きになっては?」

 エリカ姫が重厚な造りの机を手で示す。

「それ?」

「ご本を。とても重そうですわね」

「あ……これですか」

 僕は、鈍器と呼びたくなるような分厚い本を――外装も中身もぜ~んぶ羊皮紙でできているんだから、そりゃ重い(しかも、ちょっと臭い)――ばかみたいに力を入れて抱えていたのだった。腕が痺れていた。


 でも今は、くそいまいましい鈍器本のせいで腕が痺れたぜ、なんてことが問題じゃなくて、問題は先生と呼ばれちゃうこと。居心地、悪すぎる。

「先生……と呼ばれるのは困ります。まだ学生ですので。トーマ、と呼び捨ててください」


 エリカ姫は、栗色の長い髪を暖炉の炎の輝きに艶めかせて、小首をかしげ、微笑んだ。

「正直なところ、先生とお呼びするのはちょっと難しい、と思っていたところですの。同い年と伺っておりますわ。でも、十八よりずっとお若くお見えで」

 そりゃ、お若くお見えのはずです。まだ十四歳にもなってません。

「…………」


「失礼を申しました。では、せめて首席殿と呼ばせてください」

「――?」

「学寮の首席でいらっしゃるとも、伺っております」

 学寮? 主席? そんなの嘘っぱちなのに。首席殿なんて呼ばれるのも、つらい。

「それも、ちょっと……」

「ですけれど、今はほかに思いつきませんわ」

 う~ん。今日のところは妥協するほかないか。冬馬って呼び捨てられたいけど。


 おっと。

 こんなにのんびりしてちゃ、まずい。今日の講義を始めないと。

 果たさなければならない任務を思いだした途端、断崖絶壁から谷底を見下ろす気分が襲った。


 鈍器本(上中下三巻本の上巻)の最初の数ページは、いい。毒にも薬にもならないことが書かれている。次の数ページも、甘っちょろい。その先が問題だ。


 いまさら、だけど。

 僕が教えるの? 四歳年上のエリカ姫に? 男の体の構造とか、興奮の回路とかを? どうやったら男を骨抜きにできるか、を? エリカ姫が、遠い異国の王にたっぷりどっぷり愛されるために? 

 この状況、残酷すぎる。僕にとって。 


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挿画です

https://kakuyomu.jp/users/suekoneko/news/16817330668867760756 

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