第113話 勇者の海難救助大作戦 Ⅳ

 真っ暗な海の中をゆっくりと沈んでいく。

 できるだけ急ぐべきなのだが、急激な水圧の増加で何かあっても困るからな。

 ゆっくりとはいっても端から見ればそれなりの速度は出てるはずだし。

 照明の魔法で映し出されているのは調査船から延びるワイヤーと、時折視界に入る蛟の長い巨体だけ。ちなみに蛟(みずち)の全長は黒龍姿のレイリアをも超える50メートルほどだ。

 4200メートルの深海に蛟が潜ることができるのかが心配だったが、レイリア曰く、その気になれば1万メートルでも大丈夫らしい。

 まぁ、地球産のマッコウクジラは3000メートルくらい平気で潜れるらしいので、異世界の不思議生物なら変でもないのか。

 

 それにしても、光の届かない海の中、夜なので当然だがどちらにしても深度的にもう昼間であっても真っ暗であろう闇の中ってのは、なかなか精神的に不安感を煽る。

 周囲のどちらを見ても黒一色。ワイヤーだけが俺たちが下へと向かっていることを教えてくれる状況だ。

 まるで奈落の底に向かって落ちていくような得体の知れない世界へ向かうプレッシャー。それなのに。

「あの~、レイリアさん? 何故に後ろから俺を抱きしめてるんでしょう」

 俺は後ろからレイリアに抱きしめられていた。

 長身とはいえ、俺よりは背の低いレイリアだが、背中から俺の胸に手を伸ばして回している。

 当然背中に胸が押しつけられている、のだが背中側の甲冑のせいでその感触を感じられないのが血を吐くほどに残ね、いや、なんでもない。

 

「強度を優先したので結界が狭いのじゃ。こうしておらねば屈まねばならぬからな。それに主殿と二人きりになることなどそうそうないからのぉ、数少ないチャンスは生かさねば」

 なんだ? この狭い檻の中に肉食獣と閉じ込められたような雰囲気。

「ちょ、どこを触ってんだよ」

 レイリアの手が俺の腹だの腿だのを撫で回す。

「主殿が悪いのじゃ。いつまで経っても我やティアに手を出さぬから」

「い、いや、今救助作業中で、お、おい、マジでそんなとこ、いや~! お巡りさ~ん!」

「よいではないか、よいではないか」

 どこで覚えた、そんな台詞!

 いや、マジでヤバいって、あぁぁぁぁ~~!!


 

「ふむ。そろそろ底に着くようじゃな。……残念じゃ」

「はぁはぁはぁ……つ、着いたか」

 お母さん、なんとかノクターン行きは免れました。

 っつか、マジで疲れた。

 眼下に見え始めた海底に、心底安堵の息を吐く。

 途中では全く温度を気にする余裕はなかった。何故かは言えないが。けどいざ4200メートルの深さまで来ると、寒いな。

 大原さんが深海の水温は平均摂氏2~3度って言ってたけど、結界に守られた内側もさすがに温度だけは伝わってくる。

 いや、だからくっつかなくても大丈夫だから!

 

 泥が舞い上がるのを避けるために海底には着地せず、浮力を調整して海底から2メートルほどのところで静止する。

 地上なら眩しすぎるくらいの光量で光魔法を使っているのに照らし出されている海底はせいぜい5メートル四方程度だ。

 しかも無人潜水艇での作業の影響か、結構な濁りもあるから極端に視界が悪い。

 事前に話は聞いていたが、想像以上に作業しづらそうだ。

 深海では海流がごく穏やかで、一度濁ると戻るのに時間がかかるらしい。

 ちなみに深海に降るというマリンスノーはプランクトンの死骸や様々な生き物の残骸らしいが水深1000メートルを超えるとほとんど分解されてしまい降らなくなるらしい。

 ちょっと見てみたいので帰りにでも注意しておこう。来るときはそれどころじゃなかったからな。

 

『ギュゥ~オ』

 蛟の発したらしい低い声(音?)が響く。

 潜水調査船を見つけたようだ。

 水中だと方向がわかりづらいが、召喚獣の位置は感覚でわかるので問題ない。

 光にチラッチラッと反射する蛟の尾を見つけゆっくりと、そのひときわ濁りの強い場所に近づく。

 大原さんを通じて無人潜水艇はいったん撤収してもらっているので、周囲には俺たちと岩盤と土砂に埋もれた潜水調査船以外には誰も存在しない。なので、まずは視界を確保するために水魔法で流れを創り、濁りを消す。

 もちろん岩盤に影響しないようにゆっくりとだ。

「む? あれじゃな」

 俺の肩越しに伸ばしたレイリアの手の先に大きな岩とその下敷きになっている潜水船の船尾が見えた。

 間違いなさそうだ。

 船体の脇に小さなランプも点灯している。電源は生きてるのか。

 船内を確認したいが窓らしきものは見えない。っていうか、そもそも窓なんてあるのか?

 まぁ、いいや、どっちにしてもやることは変わらない。

 

 まず周囲の地形と埋まっている船体の状況を確認する。

 潜水船の左側は崖のように切り立っているが、別にすぐそばというわけではない。ただその崖の100メートルほど上部はかなりのオーバーハングになっている。

 まるでトンネルを縦にぶった切って片側をここに持ってきたような形をしていた。

 どうやらこの出っ張った上部が崩落してほぼ真上から岩盤が落ちてきたのに巻き込まれたらしい。

 注意深く移動しながら地形を探査し、いよいよ救出作業を開始する。

 未だに上部には崩落していない岩があるので、作業中に再度の崩落を起こさないようレイリアが地魔法で固定する。相変わらずのぶっ飛び性能だ。

 というか、俺一人だったら無理だったな、やっぱり。

 

 定石としては周囲の土砂を除去してから本丸の岩を取り除くのだろうが、船体の損傷がどのくらいなのかわからないし、水圧の影響がどう出るかもわからない。土砂を除いたときに岩が動いたり割れたりするのも怖い。なので最初に岩を取り除くことにする。

 指示通り蛟が前足で岩を掴む。推定20トンの大きな岩だが蛟の巨体と比較すればちょっと大きめの石程度だ。

 重量をかけないようにゆっくりと真上に持ち上げる。岩が動いたことで崩れそうな周囲の石は地魔法で固定し、濁った海水を水魔法で再び流し去る。

 蛟が岩を持ったまま少し離れた場所まで泳いでいき岩の撤去完了。

 残りの土砂を魔法で取り除くと船体の半分近くが海底にめり込んだ潜水調査船が露わになる。

 上部が大きく潰れてはいるものの、見た感じ内部に浸水するような亀裂なんかはなさそうだった。とはいえ、俺みたいな素人が見ただけじゃ安心できないが。

 ただ見せてもらった資料にあった潜水船の構造的に船体前部にある耐圧殻の場所はそれほど破損はなく、後部のバラストタンクと浮力材が入っている場所が潰れているようだ。

 母船と音波無線で定期的にやりとりができているようなので多分中は大丈夫なのだろう。うん。そう思っておこう。

 

 蛟が潜水船をゆっくりと引き上げる。

 乗組員の意識がないのかそれとも装備に不具合が発生したのかスクリューが動く気配はない。

 船体下部を見る。

 ロボットアームや水中カメラなんかが見えるが、あ、壊れてるな。

 更に船の下に回り込むと微かな明かりが、あ、コレ窓か?

 覗き込んでみる。

 あ、人がいた。ビックリしてる。

 よし。一安心だ。

 何か物凄い叫び声を上げてそうな顔だったけど、気にしない。

 そう! 気にしないのだ!

 

 俺はそそくさとそこから船体上部に移動した。

 大原さんの話では潜水調査船はウエイトを切り離してバラストタンクから海水を抜くと浮力材の力で自然に浮上するらしいのだが、今のところその様子は見られない。ということはやっぱりどこか壊れてるんだろう。

 その場合は母船から降ろされているワイヤーを潜水調査船上部のフックに掛けてから潜水救難フロート(水中での災害時に使用すると海面まで浮かび上がって救助を要請することができる浮(う)き。今回は信号送信機付き)を上げるように言われてるが……フックが潰れてるな。どっかに結びつけるか? いや、これ以上破損したら困るし、安全な位置なんかしらないしな。

 よし、蛟に運ばせよう!

 

 と、いうわけで、蛟には引き続き船の両脇をできるだけ丁寧に抱えてもらいワイヤーを目印に浮上する。

 帰りは来たときよりも更にゆっくりだ。

 水圧が急に変化すると船体が破損する可能性があるらしいので、気は焦るが仕方がない。

 といっても救助自体は成功なので船体の状態を気にしつつも、気分的には随分と楽だ。

 そして再び繰り返される攻防を辛くもくぐり抜け、マリンスノーを堪能し、海面に近くなった時点で蛟が潜水調査船を放す。

 すかさずレイリアが重力魔法でそのまま船を海面に押し出した。

 

 俺たちは海面まで上がらず、巡視船のほうまで海中を移動する。そして蛟を労ったうえで送還した。

 その後は海面まで出てから結界を解除し、飛行魔法で巡視船の甲板に戻る。

 すぐに海上保安官が駆け寄ってきて敬礼をしてくれた。

「調査船より潜水調査船を確認したとの連絡がありました。これから引き上げ作業を行うとのことです。大原一等海上保安正のところにご案内します。あの……」

「はい?」

「先ほどの怪じゅ、いや、恐竜、いえ、あの、大きな生き物は、その……」

 物凄く気を使った感じの保安官さん。

「もういませんよ。私が呼ばない限り絶対に人のいるところには来ませんから安心してください」

 というか、こっちの世界の人間のところには、だけどな。

「そ、そうですか」

 心底ホッとした表情です。ごめんなさい。確かに初めて見ると怖いよね、アレ。

 

 案内に従ってついていくと、最初に来た会議室だった。

 待っているように言われたので大人しく2人で待つ。

 待つ。

 待つ。

 待つ。

 お茶を出されてもヒーローマスクのせいで飲めないんだよ!

 レイリアはスマホを取り出してなにやらしようとしていたが圏外だったらしく、待つことよりもそっちに憤っている。

「いつでもどこでも使えると聞いておったのじゃが」

 いや、こんな誰も住んでない大海原にアンテナ立ってるわけねぇよ。

 とはいえ、すっかり日本の便利技術に染まってしまったレイリアだけじゃなく、標準的現代大学生の俺としても、こういった中途半端に空いた時間にパソコンやスマホが使えないとけっこう手持ちぶさたで困る。

 

 たっぷり1時間ほど待たされて、ようやく大原さんが入ってきた。

「申し訳ない。待たせたな」

 ええ、待ちましたとも。

 できればさっさと帰って少しでも寝たいんですけど?

「…………で? 搭乗者は無事ですか?」

 ちょっと苛ついたので、返事はせずに聞きたいことだけ聞く。

「あ、ああ、多少衰弱はしているが無事だ。船体の破損も予想よりも酷くなかったようだ。搭乗者は先に母船に収容されて治療を受けている。船体は引き上げ作業中だ」

 ソレは何より。こんなとこくんだりまで来た甲斐があったというものだ。

「それじゃ、俺たちの仕事は終わりってことで、いいですよね?」

 聞くべき事を聞いた俺はそう言って退去することにする。

 色々と言われても門外漢な俺に理解できるとは思えないし、基本的に無関係だしな。それに、あれこれ訊かれてボロがでても困る。

 なにより、さっさとこのヒーロースーツを脱ぎたいのよ。

 

「ちょ、ちょっと待ってくれ! 救出の状況やあの巨大な生き物について聞かせて……」

「話せることは何もありませんよ。それじゃ仙波さんにもよろしく言っておいてください」

 俺の言葉に慌てて引き留める大原さんを無視して立ち上がる。

 レイリアも異論はないらしく、同じく席を立つと俺の横に並ぶ。というか、多分何も考えてないな。面倒がなくていいけど。

「わ、わかった。もう一隻の巡視船で本部まで送ろう。直ちに準備を整えるから少し待って……」

「送ってもらう必要はありませんよ。じゃ」

 なんとか時間を稼ぎたいらしいが、付き合ってられないので転移魔法を使う。

 明日の1コマ目に出なきゃならないんだってばよ。

 レイリアに目配せをすると頷いたので理解したらしい。

 俺とレイリアはほぼ同時に魔法陣を展開し、その場から立ち去ったのだった。

 

 

 

「うおっと!」

「キュゥウ!」

 仮住まいになっている俺たちが使用している側の部屋のダイニングに転移したが、足下にタマがいたので驚いた。

 あ~あ、床がクッキーのカスだらけじゃねーか。

 なんでまたこんなところに、と思ったら狭いのに無理矢理置かれたソファーでティアと茜が寄り添って寝てた。

 茜の足元にはクッキーの袋があるから、多分、茜が寝落ちして落とした袋からタマがクッキーを引っ張り出してここら辺で食ってたんだろう。

 器用に袋開けるしな、コイツは。

 ん? 足下と足元、間違いじゃないかって? 意味が微妙に違うらしいよ?

 興味ある人はググれ。

 

「どうやら少々遅くなったので待ちくたびれたらしいのぅ」

 レイリアがソファーで寝ている2人を優しい目で見ながら言う。

 ……いつの間にヒーロースーツから普段着に着替えたよ。ずるくね?

 

 

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