第72話
――何?
中院と言うと、新津市のすぐ隣、こちらのショップからは車で一時間半ほどの、私鉄の駅の構内にある一階建てのペットショップだ。一階建てと言ってもかなり広大で、例えるならデパートの一階部分全域くらいだろうか。
そこまで大きな駅でもないのにそこに入り、規模でいえば新津店よりはやや小さいのに、なぜかそこそこの成績を上げているという。
――そこの猫が数匹さらわれているだと?
自分の身体を張り巡る全ての神経がビリビリと感電するのが分かった。ゾクッと体が震える。
「……まさか?」
間もなく新鉄新津東駅前、とアナウンスが鳴った。
その瞬間、バチンと私は迷わずに降車ボタンを叩いた。
ガタン、ゴトン……
普段より早く抜けてきたのは正解だった。少し道順を間違えたが、最終的の目的が果たせたらそれでいいのだ。
……と、好きな韓国アイドルの愛おしい歌声が聞こえてきた。
「もしもし?」
「小石さん、ちょっとね、明日いつもより早く来てほしいのよ」
何の前置きも無しに加藤は切り出した。今日もし時間が遅くなれば帰れなくなったり……遅くなったり……なんて少し考えてみて、私は答える。
「……多分、大丈夫ですけど。どうしたんですか?」
「それがね、明日から少しの間、咲月が休暇取ることになったから」
「へぇ」
この瞬間、後ろから強く頭を弾かれたような衝撃を持った。
「いつまでなんですか?」
「まず三日。場合によっては伸びる。やっぱり、元愛猫のこととかがショックだったんだと思う。ニュース、見た?」
「見ました。あれにショックを抱いているんですか?」
「そうなのよ。自分のことを完全に忘れ、違う世界に行ってしまったって嘆いてる。まあそんなかんなで自宅療養よ。何か持って行ってあげられるものがあるんだったら持ってったげて。家、分かるよね?」
「分かります」
「おけ。あ、そうそう。なんかさ、お墓が昼間掘り返されてたらしいんだけど、何か知ってる?」
「え、別に何も」
「そっか。じゃ」
電話が切れ、とんでもない考えが沸々と身体から湧き上がってくる。
キュゥゥゥ……
と、自分を諫めるようなタイミングで腹の虫が泣いた。
「あっ」
私は中院にレストラン街があることを思い出した。田んぼの景色がどんどん流れていく車窓に、白い歯をむき出しにしてドラキュラみたいに不敵に笑う私の顔が映った。
中院中央駅に着いた。
ドアが開いて、入れ替わりにくたびれた表情のサラリーマンが電車へ入っていく。
――さて、ここからだ。
新鮮さを保てたまま作戦を実行できるというのはかなり大きいだろう。
私はまず、改札を出てすぐ見つけた百円ショップに足を踏み入れた。すぐにお目当ての品を見つけてレジへ持っていく。かさばるものなのでクルクルと棒に巻き付け、同時に買った小さなセロハンテープで、小さな紙切れをそれに張り付ける。
それを持って、私は階段を下りて例のペットショップの入り口に降りてきた。二階とは吹き抜けになっている。ショップは既に閉店しているようで、入り口前の人通りは全くと言っていいほど無く、辺りは暗い静寂が支配している。
――ここからがそいつにとっての昼間になるはず。
私はスーツケースを開け、口で息をするように心がけながら“それ”を入り口の壁際に置いてやった。
そして、すぐに階段を駆け上がり、二階へ。吹き抜けになっているため、一階の入り口前もよく見える。
「カウントダウン、スタート」
“そいつ”は三分で現れた。
陸上選手のようなスピードで、置いたものに向かって駆けてくる。
クンクンと臭いを確認し、ピクッと首を上げた。“それ”――頭が取れたブチ猫の死体を“そいつ”はジロジロと見つめる。
――今だ。
私はさっき買ったばかりの黒い漁に使うような大きい網を、同じく先程買った消臭スプレーを重りにして“そいつ”へ投げつける。
「ヴゥヴァガァァァァ?!」
一世一代の賭けは実り、網は“そいつ”――巨大な目から黄色い光を撒き散らす黒猫に見事被さった。
私は急いで階段を駆け下りる。
網が絡まり暴れる黒猫は、やがて網に貼り付けられているあるものを見つけた。
「ヴヴ……」
苦悶の表情をして、低い呻き声をこの空間に響き渡らせる。
――よし!
私は網に括り付けられたそれを剥がし、顔の辺りの網も捲って、相手の反撃が襲う前に黒猫の顔面にお札を貼り付けた。
忌魔、と書かれたテープによる補強まみれのお札である。
イエロー・アーモンド・アイとの愛称の付いた怪物・ごがらすさまはカチンと凍らされたように固まった。そして、絶叫した。
「ギィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィュヤャャァァァァァァァァァァァァァァァァァッァッァァァァァァァッァァッァッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッ!!」
「ふぅ……」
全くの寝不足で、目元を触ってみたら随分窪んでしまったような気がした。
布団はほったらかし、昨日のワイシャツのまま私はスーツケースを手に取った。
――もう間もなく、復讐を完全に果たせる。
バスに乗り、いくつか目の停留所で降車する。
――あの日、愛しのシャムを殺された恨みは絶対に果たす。
年老いたはずのサラがシャム猫の腹を漁って膵臓を初めて口にした、というのは間違いなく、私のシャム猫だ。ずっと励ましてくれていたシャム猫が消えた時期とぴたりと重なっている。これまで行方も分からず怒りの矛先が無かったが、ついに復讐を果たすことができるのだ。
バス停から少し歩けば、築五十年は経っていそうなほどの見た目のアパートを見つけた。
カン、カン、カン、カン
一歩歩くごとに鉄製の階段が音を鳴らすのが腹立たしい。
だが、この音が逆に、心臓の鼓動を早くさせ、超速で、アドレナリンをたっぷり託した血液を回し、体が一気に興奮状態に陥れるキッカケともなった。
宮田、とマジックペンで書かれた表札の前に立ち、スーツケースからベニヤ板の棺桶の形をした箱を取り出す。
その中に、彼女の元愛猫の、二度目となる遺体を安置する。そして、忌魔のお札と、「あなたの“元”愛猫の無残な姿」と楔形文字のような字体で書いた手紙を添える。主食主菜副菜という具合にそれらを配置し、最後に、高級丼物店である外洋圏の割り箸を。
「ふぅ……」
そっと蓋を閉めると、言いようのない脱力感が私を襲った。
ノロノロと、ばれてもいっか、って思いながら階段を下りる。
結局、そのままバス停にまで辿り着いた。
バスを待つ間、裏の事情を彼女は何も知らずに、変わり果てた元愛猫の死体と対面することになるのだな、なんて私は呑気に考えていた。
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